6-3 fin
イスラには聖職者見習い時代に同期だった人物が二人いる。
一人はスーという男。
彼はイスラとはいつも意見が合わず、今も顔を合わせると些細なことで口げんかになった。
しかしその信仰心と実力は超一級で、今は聖騎士として聖騎士団を担う戦士となっている。
そしてもう一人は、今でも定期的に会いにくる人物――。
ローブに身を包み仮面を被った異端審問官、マトフェイが建物の影から姿を現す。
「マトフェイ、また君か……」
「異端審問官として、教会と袂を別った人物の監視は必要です」
マトフェイは仮面とハスキーな声で勘違いされがちだが女性だ。体型も異端審問官専用の黒マントで隠している。
ジョブとしてはモンクに分類されるため身のこなしは達人級で、見習い時代から何かとこうしてイスラの後ろを取りたがる。おかげでイスラは「背中に目がついてる」と称されるほど気配に敏感になってしまった。
「もういいだろ? 僕は今も聖職者の力を失っていない。それが答えだ」
普段の仕事用の口調ではなく、見知った相手への口調に切り替える。自分を僕と呼ぶ子供っぽさが、イスラの本当の喋り方だ。
マトフェイは淡々とした態度を崩さないが、彼女は元々こういう人物だ。
「経過観察は必要でしょう。今日はどちらへ?」
「断崖の古城へ。元魔王軍の拠点で今は廃墟だけどアンデッドの温床になってるって噂がある。どうせ教会は行く予定のない場所だろ?」
「いつもの、ですか」
「そう、いつものだ」
「幼馴染がアンデッドになった件を未だに引きずっているのですね」
「僕をからかいにきたのなら立ち去ってくれ。不愉快だ」
「……そんなつもりはありませんでした。次から言葉を慎みます」
アンデッドになるためには死ななければならない。
そして世は魔王軍による死に溢れている。
イスラが特別なのではないが、イスラにとってあれは特別な出来事だった。
悪辣な魔王軍の罠にかかり、親しい者たちがアンデッドと化していく地獄。今も瞼の裏に焼き付いているような光景。
肉が腐り落ちていく幼馴染み。
イスラは苦しみながら助けを求めるその子に、泣きながら聖水を振りかけた。聖水はアンデッドにとって猛毒だが、他に苦しみから解放してあげる術を当時の彼は持たなかった。響き渡る絶叫はいつまで続いたのか、イスラはそれを聞きたくないかのように自らも喉が張り裂けるほどに叫び続けた。
気付けば月の光に照らされるそこには、もう何も残っていなかった。遺品も、骨も。
別れの言葉さえ、互いに言えなかった。
『こんな残酷な告別、間違ってる。こんな苦しみは誰も負うべきじゃない!』
それがイスラの原点。
救いとは生きる者の為だけにある訳でないと信じる理由。
「みんな、死後に縛られることの苦しみを分かってない。せめて死後くらい安らかにしてあげたいとは……誰も思わないのか?」
「思っている人も、いるようですよ」
「……?」
マトフェイが懐から紙を取り出してイスラによこす。
紙はギルドのクエスト受注。
内容は断崖の古城の浄化。
報酬――300万G。
「なんだこれ……!?」
「今朝、ギルドクエストに突如として追加されました。しかし誰も浄化の事を知らなかったため、ギルド職員が一番内容を理解出来そう、かつ一応冒険者資格を持つ貴方へと」
「浄化に報酬……しかも300万って……幾らなんでも話が美味すぎる!」
浄化後に設置する石碑は、スケールにもよるが満足いくものを受注すると大抵200万Gを超える。あのイヒヒ笑いの商人がかなり安く請けてくれてもその値段だ。
しかし仮にこの依頼を受けた場合、仮に浄化のコストをイスラの疲労のみとすれば、石碑を作って古城に設置したとしても軽くお釣りが来る計算になる。
まるでイスラに請けろとでも言わんばかりの内容だ。
どう考えても怪しい。怪しすぎる。
「教会の手回しじゃないだろうな。僕はそんな婉曲な施しは要らないぞ! これを受け取ったらまるで僕が教会の庇護下にいるみたいじゃないか!」
「教会の人たちはそんな依頼を出したりしません。貴方が一番よくわかっている筈です」
「じゃあ、誰がこんな依頼出すって言うんだ!」
「……イスラ。貴方は神を信じる心はあるのに、人を信じる心が足りませんね」
「んなッ!?」
珍しく呆れたようなマトフェイの言葉がイスラの胸を抉った。
咄嗟に反論しようとしたが、さっきから剥き出しだった猜疑心に言い訳など出来ない。
マトフェイは自らの仮面を外す。
彼女がコンプレックスなので誰にも見せたくない語る目――『聖痕』と呼ばれる光彩の内に浮かび上がる十字架の模様がイスラをじとっと睨む。
イスラは冷や汗を垂らした。
彼女の『聖痕』はある種族の証であり、それを敢えて晒すというのはそれだけ相手に対して真剣に怒っているという彼女なりの誠意なのだ。
「私が、貴方が受けたくないような意図で発行された仕事を持ってくると思っているのですか? 私はそこまで貴方の中で嫌味で悪辣な女ですか? 聖職者云々以前に人として傷つきます。幽霊を優先する余り人を蔑ろにするのが貴方の信仰だとでも? それはそれで結構です。結構ですからそうであるならはっきり口にして言ってごらんなさい」
口調も表情も変わらないが、彼女の指は糾弾するように強めにイスラの額をつついてくる。本来ならば失礼極まりない行動だが、彼女はイスラがそれをされて当然なくらい失礼だと怒っているのである。
イスラは自らの言動を反省した。少なくとも、先ほどまでの態度は嘗ての同僚で今も気にかけてくれる友人にすべきものではなかった。
「……悪かったよ。フリーになってから色々あって、ちょっと疲れてたのかもしれない。八つ当たりしてごめん」
「分かればよろしい。ちなみに依頼主ですが、それはギルドの受付で確かめてください」
「分かった。ちゃんと自分で確かめてから決めるよ」
マトフェイは、世話が焼ける、とばかりに小さくため息をついて仮面を被り直す。彼女に言いくるめられるのはちょっとだけ癪だが、非があるイスラは強く出られない。
マトフェイは何を考えているのか読み取りづらく、自分のことを何も語らない割に、こういうとき突然ムキになったように正論で殴りつけてくるのでイスラもスーも彼女に口論では勝てなかった。
(いや、でも……結構痛いところ突かれたかもな)
イスラは、誰にも自分の活動を分かってもらえないからと言い訳して、最近は分かってもらう努力を怠ってきた気がする。少し前にハジメに話したときも、ハジメ側から話しかけられなければイスラは一人で勝手に仕事を済ませて勝手に帰っただろう。
少々独りよがりになっていた。
それこそ敬虔な元同僚を疑う程に、人を信じるのを怠った。
死者を弔うのも大事だが、生者と共に生きることも大事だ。
碑を作ってくれるのは誰か。
活動に興味を示してくれたのは誰か。
間違いを指摘してくれるのは誰か。
その答えは、決して死者ではない。
仕事を終えたら、最近出会った身近な人に感謝して回ろうとイスラは思った。
そして、さっきから自分の歩幅に完全に合わせてくる足音に向けて振り返る。
「……あの、なんでマトフェイはついてきてんの?」
「経過観察ですが? ご心配なく、こちらの都合ですのでお詫びにお昼に食べるお弁当とお茶も用意しています。手作りですのでお口に合うかは分かりませんが、記憶を頼りにイスラの好きそうなものを揃えていますよ」
「僕が行くのはピクニックか!?」
「感謝の言葉はないのですか?」
「感謝はするが!! 不可解だと思うのは僕だけか!?」
相変わらず全くマトフェイのことが理解出来ないイスラだった。
ただ、普通経過観察するのに観察対象のお弁当など用意しないし、具を相手の好物で揃えたりもしない。それをアピールすることも同じくだ。そしてイスラは男でマトフェイは女である。
これくらい条件が揃えば、ある程度は彼女の本心を想像することは出来るかもしれない。
(まったくこの男ときたら。どうせまた食事を疎かにしていたに違いありません。やはり私がついていてあげないとダメですね、イスラは)
(マトフェイって結構暇なのかなぁ……)
まぁ、イスラには出来なかったのだが。
◇ ◆
――翌日、フェオの村にて。
「いやはや、まさかそんな方法で……このヒヒ、恐れ入りましたぞ。イヒヒヒヒ……」
「我ながらなかなか上手く立ち回ったと思う」
珍しく満足げな顔をしたハジメと、しきりに感心するヒヒ。
この二人が仕事関連以外の会話をするのは珍しいことである。
そう、イスラに依頼を出していたのは他ならぬハジメなのである。
イスラの浄化の話を聞いた翌日、ハジメは忍者の弟子たちに依頼を出して、浄化を行った土地と行っていない土地でのアンデッド発生量などを調査させた。
結果は一目瞭然で、浄化した土地での発生量が圧倒的に少なかった。
アンデッドは夜の見通しが悪い環境で次々に出てくる厄介者だ。それを目に見えて減らせ、さらに道徳的にも善行となれば、やはりイスラの行動はもっと評価されて然るべきだ。
では、その評価者とは誰だ。
普通ならばギルドだが、ギルドも慈善事業ではない。というかファンタジー世界の冒険者ギルドは現実世界のギルドの成り立ちを結構無視しているらしいが、それはさておき――ギルドは「相応の金を払ってでも問題を解決したい」依頼者がいてこそ仕事の斡旋を行える。
イスラの仕事を評価して金を出してくれる奇特な存在がいなければ、いつまでも彼の仕事は評価されないし、彼に収入も入らない。ハジメは仕事とは正当な対価と釣り合わなければいけないと思うので、イスラの現状は世界にとって正しくないと判断した。
今、彼の仕事を評価して金を出す奇特な人間がいるだろうか。
答えは是。むしろこの上なく適合した人物がいる。
(俺が金を払えばいい。イスラは正当な対価を得て、俺は散財出来るじゃないか)
ハジメはイスラの浄化に効果があるのを知っている。この行為が社会的に見て善行であることも認識している。何よりも金が余っている。これ以上の適任は他にいない。
ハジメはこの散財計画について更に確実を期すため、忍者たちにイスラの近辺を調べさせた。その結果、彼が個人的に注文している碑を実はヒヒが作っていたことが判明したのだ。
そこでイスラはヒヒにこの話を持ち掛けた。
最初は顧客情報は死んでも売れないと突っぱねたヒヒだったが、よくよく話を聞けば悪い話ではないことに彼は気付いた。なにせイスラは顧客の一人。客は金に余裕があればあるほど買い物をするし、清貧すぎるイスラへの心配もヒヒの胸中にはあった。
彼が砂糖水で日を凌ぐときがあると知った際にその心配は決定的になり、ヒヒはとうとう頷いた。若い男がそんな生活をしてはいけない――いや若くなくても男でなくてもそんなカブトムシレベルではいけない、と。
更に、忍者の調査によってイスラを準ストーカーレベルで観察しているマトフェイの存在が発覚。教会から独立したイスラが心配で仕方ないらしい彼女の情報からイスラの目的地を次々に洗い出すことのできたハジメは、彼女にイスラへ毎日のように浄化依頼を渡すよう頼んだのである。
もちろん、働きすぎないようマトフェイにストッパーの係も任せてある。彼女もグルなのだ。
「もしこれでも貧乏だというならもっと賞金を増やしてくれる。せっかく掴んだ大事な逆金づる、俺は絶対に離さないぞ。これから存分に働き、そして俺の金を散らすのだ……!」
「誰も損していないのだから素晴らしいことですな。イヒヒヒヒヒ……!」
自分の金を無駄遣いするという為に他者を利用する。
他者から見れば素晴らしく意味不明である。
珍しくまともな社会貢献に金を使っているハジメだが、二人を目撃したフェオ曰く、「悪の組織のボスと幹部の会合みたいなあくどさが醸し出されていた」そうな。
なお、まだ村に来て間もないベニザクラはリハビリがてらクオンの世話を焼いていた。同じ角生え仲間だとはしゃぐクオンにベニザクラの口元も綻んでいる。
「ベニお姉ちゃんって本当に髪がきれいだよね~! それに長ーい! 私もこれくらい伸ばしてみようかな~?」
「ふふ……クオンが伸ばせばきっと私より綺麗になるさ」
「ほんとっ!? ほんとっ!?」
「ああ、もちろん。お姉ちゃんが保証するとも」
生きる目的がどうこう言ってた癖に、完全に馴染んだ彼女であった。
戦に生きた女ベニザクラ、実はただの子供好き説。
◇ ◆
――同刻、イスラとマトフェイは件の断崖の古城調査にて奇妙な光景を目の当たりにしていた。
「なんだこれ、道端にもその辺の棚の隙間にも、あちこちに無理矢理感溢れる聖水が置いてある……」
石碑接地前に一度アンデッドを綺麗に倒して成仏させようと考えたイスラだったが、思いのほかアンデッドは数が少なく、代わりに視界に飛び込んできたのがわざと設置したとしか思えない聖水の瓶たちであった。
その数は膨大で、現段階で既に百個は見た気がする二人。
普段平坦な性格のマトフェイも戸惑いを隠せない。
「もしや、アンデッド対策ということなのでしょうか? 確かにアンデッドは好んで触ろうとはしないでしょうが、これは何というか……」
「ああ……」
「なんて雑な幽霊対策なんだ」と、二人は呆れ果てる。
やった人間は歩くたびに頭のネジが零れ落ちていそうだ。
その後、石碑は無事に設置され、以降「断崖の古城」のアンデッド発生率は大幅に減少したという。
気付いた人は凄いなと思うんですが……イスラ、マトフェイ、スーは私がスランプで書くの辞めちゃった小説の登場人物たちの並行世界の姿です。




