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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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30-13

 イスラの視界が闇に染まった後、まず視界に飛び込んできたのは白い羽根だった。

 宙を舞う幻想的な羽根――その羽根が視界から外れて落ちていくと、そこに素顔を晒したマトフェイの苦悶の表情があった。


「申し訳、ありません……力の差がありすぎて、貴方、しか――」

「マトフェイ!?」


 その場で崩れ落ちる彼女を、咄嗟に鎌を捨てて抱き留める。

 腕の中で荒い息をするマトフェイは天使の輪にノイズが入り、ぐったりと力が無い。

 怪我は負っていないが、相当な負荷を耐えたことが見て取れた。


 イスラの背中にいつの間にか張り付いていたマオマオがマトフェイに近づき、険しい顔をする。


「これ、恐らく当分は動けません。体力じゃなくて魂の方が疲れちゃってます」

「イスラ……戦いは、まだ、続いています……戦い、なさい」


 搾り出すような言葉にはっとして周囲を見回すと、この場にはイスラ、マトフェイ、マオマオ、そしてゼラニウムしかいないことに漸く気付く。イスラはマトフェイを地面に寝かせて自分のコートを丸めて枕代わりに置くと、マオマオが拾ってくれた十字架鎌を構える。


 最初に見た頃と比べると遙かに小さく弱くなっているが、それでも辛うじて十メートル近いサイズを維持したゼラニウムは、くつくつと笑っていた。


『『へぇ、最後はこうなるんですか……全員おくってあげたつもりでしたが、まぁいいでしょう。イスラと小娘を無力化するなら何ら問題はありませんので』』

「……」


 イスラは無言で周囲を見る。

 壁に張り付いた瘴気が一時的とはいえ完全になくなっていた。

 彼女が何をしたのかイスラは思考が追いついていないが、恐らくそれがマトフェイとマオマオ以外の全員がいなくなった理由で、それを行なうのに大量のエネルギーを消費したと思われる。だとするとこの壁の瘴気の消滅は一時的なもので、時間をかければ要塞内に蓄えられた怨念がまたここを満たすだろう。


 そうなれば、イスラと、何故かぽちと分離して単身のマオマオの実質二人では勝ち目がない。

 だがやるしかないと己を奮い立たせ、イスラは駆け出した。


「もう、終わってください!」

『『終われませんねぇ!! 勝つまではッ!! エンヴィーマゴッツ!!』』


 床から無数の闇の腕が湧き上がるのを、イスラは全神経を集中して躱しながら自分の進行ルートにいる腕だけを切り裂いていく。やはり今は初期より遙かに弱体化しているが、それでも詠唱破棄とは思えない力が込められている。


 腕を突破した先にはアンデッドたちが立ち塞がっていた。

 足止めに次ぐ足止め――ネクロマンサーの基本的立ち回りの一つだ。

 だが、召喚されたアンデッドは全て最下級だった。


「デュープリケートザッパー!!」


 スキルを用いて攻撃される前に切り裂いて突破していく。

 だが、その隙にゼラニウムは更なる手を打つ。


『『ボーンウォール! ボーンスタブ!』』

「これは……!?」


 骨の壁、ボーンウォールがゼラニウムとイスラの間で視界を遮り、その骨を突き破って骨の刺突、ボーンスタブが次々に降り注ぐ。敢えてボーンウォールを薄くすることで攻撃の出が見えない。一先ずボーンウォールを破壊しなければと鎌を振るって突破口を開くと、その先にゼラニウムの攻撃が待っていた。


『『ゼーロス!!』』

「くそっ、カウンターサークル! ……ぐあッ!?」


 狙い澄ました闇の閃光を前に鎌を高速回転させてカウンターガードを決めるが、威力がありすぎて弾ききれず吹き飛ばされる。その隙にボーンウォールは修復され、更に壁の前面に複数の大きな頭蓋骨が出現して怨嗟の絶叫を撒き散らす。


『『コキュートス!!』』


 絶叫がイスラの全身を揺さぶり、力を削いでいく。

 転がって地面を数度跳ねながらなんとか姿勢を立て直したイスラは、大鎌を杖に荒い息を漏らす。


「隙がない……どうすれば!!」


 攻防に加えてデバフが発生し、更にアンデッドも放置すれば段々数を増やしていく。

 ゼラニウムの敷いた陣はネクロマンサーとしては理想的なまでに隙が無い。

 今までこの壁を強引に破壊してきた仲間達も、今はもういない。

 しかも、ゼラニウムは定期的にダウンしているマトフェイに狙いを定めることでマオマオにそれを守らせ、手数を減らして援護の手を防いでいた。


 今使える全ての力を最大効率で使用して勝つ。

 決して勝ちを焦らず、相手を離れた場所から追い詰める。

 全てを出して足止めを成功させるか否か、ネクロマンサーにはそれしかない。


 つまり、いま突破の手段がないのだとしたら、勝つことは出来ない。そんな素直な諦めの言葉を口にできるほどイスラは潔くなかった。


(ここまで来たんだぞ、皆を巻き込んで! 新たな不幸の連鎖を魔界で生み出すのを止めないといけないのに!!)


 ――イスラは知るよしもないことだが、外では教会とアンデッドの戦いは激化の一途を辿っていた。今は弱体化したとはいえ一度生まれた超巨大なシズコという怨念の塊が引き寄せた負の思念たちは時間差で次々に要塞に押し寄せ、要塞の突入部隊が現場に到着した頃には上級アンデッドが平然と出現する状態に陥っていた。


 また、教会を閉じ込める結界の内部にいるレヴィアタン分霊は段々と巻物の中の聖水の蓄えがなくなってきており、更に要塞内を徘徊していた上位アンデッドたちが聖属性耐性装備を身に付けて次々に襲い、カルマはこれに渋々付き合う形で防衛を強いられていた。


 全てのタイムリミットが、イスラたちを敗北の方向へ誘っていた。


 と――マトフェイが身体を引きずってイスラの背中まで進み、その背にもたれかかる。


「イスラ……私に出来る、最後のことを、貴方に託します」

「マトフェイ、何を――」

「短い間でしたが……人間界で学び、貴方やスーと共に過ごした時間は悪くなかった。村で皆と助け合って生きていく生活は、楽しかった」


 イスラは、まるで今生の別れを聞かされているようじゃないかと頭を振る。


「なんで過去形なんだ! これからだってそうさ!」

「いいえ、私はこれ以上留まれません。もう貴方が砂糖水をごはんだと呼ぶのを怒ることも出来なくなるのは、寂しいですが……」


 マトフェイの手が背後からイスラの肩を抱くように回される。

 その手が淡い光を放ち、段々と透けている。

 そんな馬鹿な、まさか、彼女は――。


「これが貴方にしてあげられる、最後の助力です。今の私ではこんなものしか送れませんが――貴方が折れるところは、見たくないから」

「嘘だ……なに笑えない冗談言ってるんだよマトフェイ!!」


 手を振りほどくように身を翻してマトフェイを見たイスラは、絶句した。

 マトフェイの全身が透けていく。

 なのに、彼女はイスラの記憶にあるどんな彼女よりも幸せそうだった。

 全てを悟り、死を受け入れた者のように。


「そんな顔しないでください……死ぬ訳じゃありません。天使は、そう簡単に死ねませんから」

「じゃあなんでそんな顔してるんだよ。なんで消えていくんだよ!!」

「それが天使が力を人に貸す、真の代償だから……それに、ここに留まっても足手纏いにしかなりません」

「守るよ! だからいかないでくれ……ぼくを置いていかないでくれ!!」


 嘗て自らが滅するしかなかったあの子のように、きみもぼくのせいで消えていくのか。

 そんなのは嫌だ。

 神学校でのマトフェイとの記憶が次々に頭の中に浮かんでは消えていく。

 卒業後の苦難の時代を共に歩んできた彼女の姿が滲んでいく。


 何が死者に安らぎをだ。

 スーの言う通りじゃないか。

 この手は、隣にいた大切な人を助けることさえ――。


 突き出した掌を、マトフェイは優しく握り返すとイスラの頬に口づけをした。

 声さえ朧になっていくマトフェイは、イスラの涙を指で拭うと、少しだけ物欲しそうな顔をした。


『もしも我が儘が許されるなら、迎えにきてください。世界を変える勇気があるなら……それに身命を賭す覚悟があるならば……ゼラニウムのものではない新しい世界で、また会いましょう』

「君のお願いなんて何だって聞いてやる!! だから……あ……」


 彼女を抱き留めようとしたイスラの手が空振る。

 もう、触れることさえ出来なかった。

 マトフェイは最後にマオマオの方を見た。


『貴方に託すのも癪ですが……後、頼みますね』

「……悪魔に契約すると後が怖いですよ?」


 マオマオは悲しみの顔を無理矢理虚勢で塗り替え、小憎たらしく笑って見せた。

 マトフェイは安堵の表情を見せると、天を仰ぎ――光の粒子となって消えた。


「マトフェイ……マトフェーーーーイッ!! うわああああぁぁぁぁぁッッ!!!」


 天井を仰ぐイスラの慟哭が木霊する。

 涙をこぼす彼の左目には――今までに無い、吸い込まれるように透き通った蒼い光が宿っていた。

 マトフェイがこの世界にいた痕跡が羽根の一枚さえ光に溶ける。

 もう彼女がいないことを、イスラは理解した。




 ◆ ◇




 いつまでそうしている、と、心が囁く。

 あと少しだけ、と、心が甘える。


 ゼラニウムが何も仕掛けずにいるのは何もマトフェイの消滅を悲しんでいる訳ではない。

 彼女からすれば時間を稼いだ方が都合が良いからだ。

 何もしないでいれば、それだけ怨念の蓄えが増え、また力を取り戻せる。

 そんなことは理解している筈なのに、手が動かなかった。


 不意に、顔に水がかかる。

 否、これはエリクシールだった。

 全身の傷や痛みが癒え、力が漲る。

 呆然と滴るエリクシールもそのまま前を見ると、空のエリクシール瓶を握ったマオマオが真剣なまなざしでイスラを見つめていた。


「ダメだよ、イスラ」

「……ぼくは」

「イスラはどんなに格好悪くて情けなくても良いけど、ここで止まっちゃダメなんだよ」


 マオマオは聖銀十字鎌を指でなぞり、イスラの手に触れた。

 自分が握っているものを思い出せとばかりに。

 その手に今まで何を掴もうとしていたか、思い出せとばかりに。


「イスラは逃げずに選択して、苦しんで、考え抜いて、この道しかないと決意して踏み込んだんでしょ? マトフェイはそんな貴方だから左目に力を託したんだよ。みんな、こんな危険な戦いにも付き合ってくれたんだよ」


 気付いていた。

 己の左目が、人間では知覚し得ないものを見ることが出来るのを。

 きっとこれは天使の力の一部なのだろう。

 生き残る為に、とか、マトフェイは言わなかった。

 イスラがきっと戦い続けるからと確信して、これを託した。

 慈しむような穏やかなマオマオの声が、耳を擽る。


「大丈夫、イスラはひとりじゃないよ。歩んだ道を振り返ってみて。みんなイスラの背中を押してるよ」


 マオマオはイスラの左目の下を指でなぞり、もう片方の手で逆側の頬を撫でた。


「マトフェイも見てる。それに……私もイスラの夢を手伝うから。だから、もう寂しくないよ」

「マオマオ、きみは……」


 目が変わってしまったせいなのだろうか。

 それともイスラの弱った心がそう見せるのか。

 イスラには、目の前の人造悪魔の少女が嘗て自分の幼馴染みだった――そしてアンデッドとして散った筈の女の子その人であるかのような錯覚を受けた。


 錯覚は一瞬だった。

 次の瞬間、マオマオはいつものマオマオらしい無邪気な笑みでイスラに抱きつくと、マトフェイの口づけとは反対の頬に口づけする。左目が、マオマオと自分の間に魔術的な結びつきが出来たことを感知する。


「フュージョンドレスは着るだけじゃなくて、こんなことも出来るんですよ!」


 瞬間、マオマオの身体が光って分解されるとイスラの聖銀十字鎌に吸い込まれていく。

 それまで神々しい装飾だった十字鎌は刃が悪魔の羽のような形状になり、聖と魔が入り交じったどこか禍々しい形状へと変化する。更に鎌を通してイスラの身体に力が流れ込んできた。


『イスラさんと一時契約を交わして鎌と一体化しました! 勿論マオマオちゃんのステータスを余すことなく性能に合算しているどころか、なんとマオマオちゃんから鎌を通して力を与えることまで出来ちゃうのです!! ちなみに悪魔との契約のお代は後払いの斬首で結構です!!』

「マオマオ……ありがとう。でもやっぱり君の首を落す気にはなれないよ」

『ええ、これでもダメですか!?』

「うん。でも、僕はもう止まらないことは約束するよ」


 イスラの周囲を、アンデッドが囲む。

 おしゃべりの間に召喚したアンデッドを共食いさせて作り出した上位アンデッドたちだ。

 ゼラニウムはずっと様子見に徹していたが、イスラがパワーアップしていることに漸く気付いて手を打ったのだろう。だとしても、既に遅い。


 イスラはマオマオと合体した大鎌を肩に担ぎ、全身を捻って勢いよく横薙ぎに振るう。


「フルムーンザッパーッ!!」


 轟、と。

 これまでのイスラの攻撃とは比較にならない広範囲を、青白い光を纏った大鎌の斬撃が切り裂いた。それだけではない。斬られたアンデッド達の身体が、強度を失ったかのように何の抵抗もなく切断された。


『グオオオオオ!?』

『アア、バカナ……!!』


 アンデッド達は驚愕の声を上げるが、やがて怨嗟の声は止み、どこか安らかな顔で青白い光に包まれて消え去っていく。それは、通常ならありえないアンデッドの完全な浄化。強引に攻撃して破壊し維持を困難にするものではなく、無数の霊魂の集合体であるアンデッドの全ての魂に安らぎを行き渡らせた、理想的な浄化だった。


 ゼラニウムは弟子のやってのけたことに口元を押さえて驚愕する。


『『なんてこと、イスラ……不可能に到達したというの!?』』

「僕だけの力じゃありません。貴方と同じ、僕も誰かの力を借りなければ事を為すことの出来ないちっぽけで未熟な身です。だけど、きっとそれでいい。世界を一人や二人の人間で変えようとする方が無茶なんです」


 普通ならこのようなことは絶対にあり得ない。

 しかしイスラがマトフェイから託された蒼い瞳――【見通す眼】は全てを見ていた。

 この場を満たす全ての霊魂がゼラニウムの用意した悪を滅ぼそうとする情動に賛同している訳ではない。

 

 だから、イスラはネクロマンサーの霊魂に直接働きかける力を使った。

 重ねて、聖職者の死者を導く力も使った。

 そして、それらの力を増幅する天使の光と悪魔の闇が入り交じった【聖魔合一せいまごういつ】の魔力は、怨念の正と負の双方に働きかけることを可能とした。


 ネクロマンサーの素質がありながら浄化に拘り、相反する二つの種族の力を束ねたイスラにしか辿り着くことの出来なかった境地――アンデッドの真なる救済。


「この力を以て、長い夜を終わらせる!!」

『『出来るものならやってみせなさい!! 口先だけで何かを為すことは出来ないのだから!!』』


 イスラが駆け出す。

 青白い光の尾を引いて、多くの人々の見えない手で背を押されて。

 あの日の夜に抱いた正解を求め続けた少年は、ずっと明けることのなかった夜を終わらせる為に何よりも深い闇の底へと駆け込んでいく。


『『失せよ! 倒れよ! 恐れ戦き引き返せ!!』』


 膨大な骨が、闇属性の腕が、刃が、光が、嵐のように襲いかかる。

 その全てを、イスラは祈りを籠めた大鎌で切り裂き、浄化する。

 あれほど呻き、聖者を憎んでいたアンデッド達が安堵に消えてゆく。

 死せる者の霊魂一つひとつにさえ慈悲を籠めた刃が暗闇を躍る。


『『嗚呼、新世代がこんなにも眩しく!!』』


 迫り来るイスラを前にゼラニウムは狂喜した。

 彼女は己の挑戦に微塵も躊躇はなかったが、同じ聖職者として見たことのない次元に突入した弟子の成長と可能性を余りにも素直に喜んでいた。無論勝つ。しかし負けても、今日から世界は変わるのかも知れない。

 これほど嬉しいことがあるだろうか。

 今、ゼラニウムは人生最高の時間を過ごしている。


『『ならばッ!! その光さえも消し去ってみせましょう!! 原初の崩壊、刹那と畢竟、万象を呑み込む三界のうろが拓く! 愚かなる贄を貪食どんしょくせよッ!! グラビトン・ブラックホォォォォーーーーールッッ!!!』』


 それは、闇属性魔法の究極系。

 全属性、光すら吸い込む超重力で圧縮する、禁術中の禁術。

 地下空間にある全ての闇より尚も冥い究極の闇がイスラを吸い込む。


 しかし、イスラは知っている。

 どんなに暗い闇の中にも光は必ず差す。

 何故なら、夜明け前の闇が最も暗いのだから。


「立ち塞がる闇を引き裂き、眩い明日を招け!! エンド・オブ・イクリプスッッ!!!」


 それは、どんな闇も終わらせる究極の光の一閃。

 イスラの全身全霊を籠めた究極の一撃は、グラビトン・ブラックホールを一閃した。

 何よりも暗いはずの闇が怯えるように震え、歪み、そして、内から溢れ出る光に呑まれていく。


 全ての光が収まったとき、イスラはゆっくりと歩いて立ち止まる。


「これが、僕の答えです」

『『そう』』


 怨霊で構成された巨大なゼラニウムの身体には、エンド・オブ・イクリプスが齎した刃の痕跡がはっきりと刻まれていた。ゼラニウムが長い長い時間をかけて集積し、掌握した怨霊達が自らの中で安らかに旅立っていくのを感じながら、ゼラニウムは膝から崩れ落ちた。


『『――センセイ、誇らしいわ』』


 闇の巨人が崩れ落ちていく。

 ひとりの女の世界を揺るがす野望が消えていく。

 全ての闇が崩れ落ちた後に残ったのは、転送装置らしき大きな古の遺構と気絶したゼラニウム、そして彼女の身体を呆然と見つめる力ないシズコの魂だけだった。

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