30-11
魔界でウルが、眼前でマルタが時間を稼いでいる間、ハジメはイスラの考えた策を静かに聞いた。確かにその方法であれば、あの莫大な力を持つ怪物と化したゼラニウムの力を無効化出来るかもしれない。
全てを聞き届けた上で、ハジメはイスラに問う。
「本当にいいんだな?」
「はい。むしろ今が最後のチャンスかもしれません」
「……分かった」
ハジメは端末を起動させ、本来の通信相手と通話を接続する。
この端末をハジメに渡した張本人――便宜上の僕、カルマへと。
通信から届いたのは開口一番不機嫌そうな声だった。
『あによ。今は勤務時間外でぇーす。契約守れやクソご主人様』
予想通りの返答だ。
カルマはあくまで形式の上でハジメに従っているだけで、実際には誰にも忠誠を誓うことはない。勤務時間外になったらこのように事情も聞かないし一切仕事を手伝わずに労働者の権利だと主張して無視を決め込む。
しかし、カルマにはたった一つだけ簡単に言うことを聞かせるクソチョロな方法がある。
ハジメは同時に回線を接続して通話を聞いていたアルエーニャに話を振った。
「そういうことらしいぞアルエーニャ。カルマは助けに来てくれないそうだ」
『アルエーニャ、残念です。どうしてもお頼みしたいことがございましたのに……でもこんな夜分の不躾なお願いですから仕方の無いことでしょう。ご無礼をお許しください、カルマさ――』
『子供が困っているのを見捨てるゴッズスレヴいる!? いねえよなぁ!! 座標確認、次元接続!! 持って行くものは教会の裏地に積み上がってるアレで、要塞に等間隔に設置すればいいのね!?』
「ばっちり話聞いてたんじゃないか。まったく……アルエーニャの為に頼むぞ」
そう、この神に匹敵するゴッズスレイヴは純真無垢な魂――すなわち子供にめっぽう甘い。アルエーニャくらいの純粋さを持つ子供なら乗ってくると思っていた。おそらく通信端末に自動録音された音声データを確認して事情を確認したのだろうが状況認識が爆速すぎる。
彼女は奥の手がダメだったときの本当の最終手段として温存していたが、それが活きた。
ちなみにアルエーニャは彼女に会ったことはないが事前にこうなる可能性を見越して話をしておいた。全く違和感のない完璧な演技は流石王族である。
――ハジメたちの視界の遠く外、要塞の遙か上空に光の歪みが生まれる。
歪みを突き破って降臨したのは、この世で最も優れた能力を持って人工的に作り出された究極の工芸品。魂宿る神の人形、カルマだ。
彼女はドルトスデル廃要塞を一目見た瞬間に作戦に必要な全ての位置情報を一瞬で認識し、フィンガースナップを鳴らす。
「こんなもの、二秒もかかんないわよ!!」
振り上げた手が下ろされた瞬間、ドルトスデル廃要塞の屋上、通路、敷地などに数百もの光が渦巻き、その中からあるものが出てくる。
それは、石碑だ。
墓石ではなく、死者を鎮め慰める聖なる言葉の刻まれた、厳密に言えば慰霊碑。しかし慰霊碑にはあって当然の、いつ、誰を慰霊するものかがそれには書かれていない。故にそれはどこまで行っても石碑止まりの石だ。
しかしその石は、錬金術師たちが作り出したものにイスラが一つ一つ洗礼を施し、その手で慰めの文字を刻み、いつかどこかで世界の悲しみを鎮めるためにわざわざ聖水を使って綺麗に拭いた、もはや一種のマジックアイテムと言ってもいいほどの浄化効果を持っている。
カルマの宣言通り、全ての石碑がほぼ同時に、二秒とかからず設置が完了する。
呪いに満たされたドルトスデル廃要塞が石碑の存在にざわつく。
更に、間髪入れずにカルマは要塞の屋上である広いスペースに降りたつと、そこにぽつんと放置されている巻物を足先でつつく。
すると巻物がころころと転がって開かれ、その中に描かれた忍者式の陣の中から身体が水で出来た少女が現れる。コモレビ村の水の中に住んでいるレヴィアタンの分霊の、更に分霊だ。
『んお? もう出番か?』
「そーゆーことみたいだから、とっととやっちゃってよ」
『ん。ではでは、ゆくぞ~~~!! 出でよ雨雲!! 土砂降れ大雨!! ちぇいやーーーー!!』
レヴィアタンが元気よく真上に手を振り上げた瞬間、巻物の中から堰を切ったように膨大な水が噴出する。巻物が水圧で更に広げられ、莫大な水はあっという間にドルトスデル廃要塞の屋上から下にまで溢れた。上に吹き上げられた水はレヴィアタンの力で通常はあり得ない低い高度に雨雲を形成して雨を降らせ、巻物から溢れ出た水はそのまま要塞の表面を流れ落ちる。
水が要塞に触れたその瞬間、耳を劈く絶叫のような音が要塞全体から響き渡った。
水が触れた側から壁にこびりついた呪いの闇がジュウジュウと悲鳴を上げ、それは水を浴びる要塞全体に広がっていた。様子を屋上から見物するレヴィアタンは愉快そうに口元を手で押さえて笑う。
『ぬふふふふ……ハジメがた~んまり巻物内の異空間に溜め込んだ聖水を、この水を司る神獣たる妾の聖なるぱぅわーで増幅した超強力聖水じゃ!! 呪いにとっては猛毒の雨よなぁ!! いやぁ愉快愉快! 久々にこれだけの水を使ったわい!!』
けらけら笑うレヴィアタンの横でバリアを張って濡れるのを防いでいるカルマは、全く勢いが衰えず噴水のように噴き出し続ける巻物にドン引きする。
「ハジメのやつ一体どんだけの量の聖水持ってたのよ。成分にギガエリクシール混ざってるし。むしろ買い足してない? はー、人間の考える事って分からんわー」
『妾は分かるぞ! 神獣はとってもかしこいからの!』
「はいはい。ったく、クソ神連中こんなへんてこりんに負けたのか……いや普通にざまぁ案件ね」
カルマを生んだ文明は嘗て神獣と対峙した旧神たちだ。
関係性で言えばレヴィアタンはカルマの親の敵になる。
しかし、性能が良すぎて神を馬鹿にしたと豪語する性悪な彼女にそんな復讐心が芽生える筈もないのであった。
――元々、ハジメはもしも要塞内でやむを得ない事態が起きたとき、レヴィアタンの協力を得てこの膨大な聖水を要塞内にぶちまけるつもりだった。それで要塞を無力化までは出来ずとも、一時的にこの濃密な闇を打ち消すことが出来るという目論見だったのだ。
そして聖水もギガエリクシールもアンデッドにとっては毒。
敵を弱めて自分たちは回復出来るので得しかない。
身も蓋もない、質量とカネに物を言わせた身も蓋もない突破方法だ。
イスラはそれに自分の石碑のストックを全て継ぎ込むことで追加効果を生んだ。
本来、濃密な呪いは表面が浄化されたとしても奥から湧き出る瘴気のような呪いで元通りになってしまう。しかし、イスラの石碑が要塞に大量に設置されたことで、湧き上がる瘴気を食い止め、少しずつ浄化することが可能になった。
たった一つの石碑では大した効果が無くとも、数百の石碑が一斉にそれを行なえば浄化される負のエネルギーも莫大なものとなる。ただし、石碑は呪いが溜まりにくくなるもので、直接的に浄化するには向いていない。
聖水だけでも、石碑だけでも上手くは行かないだろう。
しかし、二つが同時に発動したことで聖水が表面の呪いを浚い、そこに石碑の浄化効果が加わったことで相乗効果を生み出していた。
おまけに廃要塞は老朽化も激しく天井に穴が空いている場所もあるため、屋上から溢れた聖水は内部にまで流れ込んでいく。ハジメは聖水を使うつもりだったので砦の中のあらゆる扉を開けっぱなしにしており、どこにでも聖水が侵入し放題だ。
――作戦の効果はすぐに目に見えて現れた。
地下で視界を確保する目的で使用していた光フィールド魔法の効果が大幅なマイナス補正から少し持ち直したのだ。それは、押さえつける負の思念が生む闇エネルギーが急速に減少していることを意味していた。
ここまで余裕を保ってきたゼラニウムの目に動揺が生まれる。
恐らく偵察に放っていたアンデッドを通して外の事態を把握したのだろう。
『『なんて粗暴で品のない作戦を!! 馬鹿なんですか、貴方たち!?』』
こんなゴリッゴリの物量作戦は想像だにしていなかったのだろう。思わずストレートな侮辱の言葉まで飛び出した巨大ゼラニウムの全身を構成していた闇が僅かに薄まる。
『『くっ!! しかし、こんな乱雑なものはいつまでも続くものではない!! 魔界に送る力の出力を絞れば……!?』』
「絞れないんでしょう?」
イスラが、冷たく言い放つ。
「貴方が魔界に送り込んだシズコさんの分霊は、魔界勢力による熾烈な攻撃を受けています。消耗も激しい。今は送り込む霊魂と消耗する霊魂が拮抗しているから消滅してはいないが、もし今以上に絞れば次第に維持するエネルギーが足りなくなって魔界の分霊は消滅します」
『『消滅すれば、私は今まで送っていた全ての力を行使できる!! 貴方たちを片付けるのに十分すぎる力を!!』』
「いいや、それなら最初から計画を発動させずに全戦力を以てして僕らを叩き潰す判断が出来た筈だ。なのに貴方は魔界と地上を繋げた。月の満ち欠けや地脈、季節、全ての条件を考えて今日のこの時間にやるしかなかったからだ」
『『根拠のない妄言ですね! 憶測で物を言うのは危険だと教えた筈ですよイスラ!!』』
「では供給を今すぐ絞ればよろしいのでは? 躊躇う理由がどこにあるのです」
『『……ッ!!』』
ゼラニウムの顔に隠しきれない焦りが滲む。
イスラという少年は理想論者だったが、そんな彼に合理主義を教えたのはゼラニウムその人だ。そしてゼラニウムはイスラに自分以上のネクロマンサーの資質を感じた。
イスラは出来ないのではなく、しなかっただけだから。
今は、その枷を放つときだった。
「憶測ですが、異界を繋ぐ門を拓く条件が恐ろしく厳しかったために貴方は焦ったんじゃないですか? 教会に姿を見られてしまうほど熱心に準備をしたのは、それが理由だ。条件そのものは分かりませんが、時期的に考えて魔王城の存在でしょう。魔王城の奥は魔界に通じている。その道に便乗するやり方だったのでは? だとすれば、勇者が魔王を倒せば道は閉じる。まさに一刻の猶予もない。貴方はまだ大丈夫な筈、なんて楽観論には決して頷かない」
イスラの追求に、ゼラニウムはとうとう言葉が途切れた。
それが一つの答えだった。
――なお、緊迫した雰囲気が漂う中、全く別のことを考えている者が二人。
(ねぇぽち。ウルちゃん様が魔王城から逃亡してる今、勇者がどんなに頑張ってもドッペルゲンガーがやられるだけで魔王城は維持されるよね?)
(シッ! マオマオ、シッ! それ知ってるのこの場で俺たちだけだから絶対言っちゃダメ!!)
そもそもウルが魔界で巨大シズコを止めていること自体もハジメ達に教えていないので間違いを訂正する訳にもいかず、ただただ気まずいマオマオとぽちであった。
閑話休題。
ネクロマンサーに求められるのは、時として非情なまでの合理性。
なんの皮肉か、それとも理想を本気で追い求めるが故に現実から目を反らせないせいか、ゼラニウムもイスラもその才能――倫理と合理を切り離すことの出来る頭を持ち合わせて聖職者の身になった。
冷徹なまでにゼラニウムを分析するイスラに、彼女は一度床に視線を落す。
『『……貴方は、勿体ない』』
口惜しげな声とともに顔を上げたゼラニウムは、いやに感情的だった。
『『その頭脳をネクロマンサーとして使えばもっと大成出来た筈なのに! そうすれば、貴方は私の隣にいたかもしれないのに!』』
「貴方と私は確かに似ているのかも知れませんが、きっとそれはない」
『『人の運命など人には分からないものよ。それと、貴方の推測には矛盾があるわ。今代の勇者は遠からず魔王を倒すでしょう。さすれば道は閉じることになる。とても短い間しかシズコの分霊は魔界で暴れられず、私は目的が果たせない』』
シズコが如何に強大な存在だったとて、魔界がこちらの世界に匹敵する広大な土地を持っているならば数日、或いは十数日暴れ回っても破壊には限度があるだろう。世界の仕組みを変える浄化方法と豪語するには拍子抜けだ。
だが、イスラはその前提を即座に否定する。
「門は拓くのが一番大変だが、一度拓けばあとは次々に流れ込む負の霊魂たちを用いて維持することは可能だと貴方は考えたのでは? 内から膨れ上がる力で閉じようとする門を無理矢理開け放とうとしたんだ」
イスラの淡々とした推論はあながち間違っていないとハジメは感じた。
今のゼラニウムとシズコは世界中の怨念を力に変えていると言っていい。それほどのエネルギーがあれば無理矢理離れた空間を繋ぐことは出来るだろう。事実、魔王城は魔王の計り知れない魔力で人間の世界と無理矢理繋げているというのが通説らしい。
『『でも、全ては推測なのよね?』』
「はい、推測です」
イスラはあっさり認めた。
まるでそれは重要ではないかのように。
そして事実、今のイスラにとって重要ではない。
「ついでに言うと、ゼラニウムさんが合理的思考から時間稼ぎが有効だと考えて敢えて僕の話に乗ってくれるであろうことも、推測していました」
『『なっ!?』』
分かったところで戦局を左右する訳でもない情報をべらべらと喋っていたのは、イスラの本当の意図を探らせないため。ゼラニウムはその合理的思考で即座にイスラの真意を看破する。
それは看破したところで戦局を左右する訳でもない、今となっては無駄な情報。
『『時間を稼いでいたのはそちらだったのか……!!』』
「そういうことです。ね、ブンゴさん?」
「待たせたなイスラ! いままで闇が濃いやらなんやらで見通しきれなかったが、おかげで俺の超鑑定能力があいつの弱点をバッチリ見抜いたぜ!!」
化かし合いは、イスラに軍配が上がった。




