30-9
一方の魔界では、凄まじい光景が繰り広げられていた。
『そーれ!』
シズコが人差指を虚空をなぞるように水平に滑らせると、指先から放たれたビームが大地を扇状に薙ぎ払う。
『もいっちょ、そーれ!』
反対の腕が同じ動きをして、反対の大地も破壊される。
そこには魔族は住んでいないが自然と魔物が存在した場所だ。
彼らの日常は、突如空から降ってきた巨人に呆気なく破壊された。
シズコは歩く。
町や建物がある場所を目指して、そこかしこにビームを発射しながら。
『ぱんぱかぱーん!!』
ふざけた口調と同時に両手を振り上げると、手の指から次々に湾曲するビームが発射されて彼女の周囲を広域に亘って破壊し、クレーターを量産し続ける。そんな彼女の顔面に、巨大なビームが二発突き刺さった。
『きゃ、まぶしっ……』
驚いた彼女は顔を手で庇い、煩わしげに振り払う。
ビームは呆気なく弾き飛ばされて虚空に消えた。
そのビームを発射した主――断界魔神グレゴリオンの射撃の名手であるテスラは、望遠映像越しに敵を見つめて冷汗を垂らした。
「大型魔物も消し飛ばすグレゴリーバスターカノンがぜんっぜん効いてないんだけどぉ……」
「でも戦わない訳にはいかない」
「そうよ、あんなの野放しにしたら魔界は滅茶苦茶! 研究所が吹き飛ばされちゃう!」
「とはいえ、博士は時間稼ぎに徹しろと言ってたから積極的に戦うべきでは……」
シノノメ、フェート、ノーヴァも少なからず動揺していた。
前にカルパとの戦いで敗北を喫してから更にパワーアップした彼らだったが、そもそも目の前の呪いの塊とやらのエネルギー総量はグレゴリオンの理論上の最高出力を遥かに上回っているのだ。
既にユーギアを通して各都市に緊急事態の知らせは入っている筈だが、魔界の上級魔族たちは平和ぼけして自分ルールばかり優先する奔放な者が多い上に、ユーギア研究所自体別に発言力がある組織ではないので援軍は期待できない。
そんな中、シズコは自分を攻撃した相手を探し回る。
『もう、いたずらっ子はどこなのよぉぉーー!! そこですか、ここですか、あそこですかー!!』
彼女の口が光り、指から発射するものとは比べものにならない大出力のビームがそこかしこに発射される。ここが人口密集地ではないから良かったものを、もし都心であれば今頃魔界は大混乱だ。
シノノメが目の前の光景に呟く。
「皮肉。私たちが地上でやってたのと似たことをされてる」
「あー、なるほど。僕らああ見えてたのか」
キャバリィ王国に無断で攻め込んで暴れていたことを考えると、今のところ状況が近い。
しかし、感慨に耽っている場合ではないため、グレゴリオンはそのまま相手に見つからない超長距離射程から足止めのバスターカノンを発射しては狙撃ポイントを変えてを繰り返す。
と――レーダーが突如として転移反応を捕捉した。
シノノメがその数値に驚愕する。
「反応が強い。最上位魔族……?」
「もう援軍が来たっていうの?」
『そこかぁぁぁーーーーー!!』
「あっ、ヤバ……!」
テスラが思わず口元を手で覆う。
転移の反応を攻撃の主と勘違いしたシズコが両手を掲げ、掌の間に収束した巨大なエネルギーを発射したのだ。これまでの破壊力とは比べものにならない、それこそグレゴリオンすら一撃で大破しかねない凄まじいエネルギーが転移者を容赦なく呑み込む――筈だった。
ギ、と。
空間が四角くねじれた。
四角いねじれは、紙束がずれるように精緻に何重も何重も、神懸かり的なコントロールでねじれにねじれを重ね、そのねじれに接触した膨大なエネルギーが凝縮され、閉じ込められていく。グレゴリオンのレーダーはそれが空間を司る魔法で、秒間十二回、計三十六回の魔法によって発生したねじれであると断定した。
「エネルギーが、止まった。否、閉じ込められた?」
シノノメは、ありえない、と思った。
都市一つを消し飛ばすような膨大なエネルギーだ。
上位魔族さえ倒せるグレゴリオンも臆する力をたった一人で受け止められる筈がない。
もしもそんな芸当が出来る魔族がいたとすれば、さる名前で呼ばれて然るべきだろう。
魔物の王――魔王と。
「随分とまぁ好き勝手に暴れてくれてるじゃない」
凜とした、それでいてどこか慈愛も感じる美しい声。
蒼い肌、金色の瞳、力を感じさせる角、目を奪われる妖艶な肢体を覆う雅なドレスと装飾。
膨大な魔力をたった一つに収束した、内より湧き出る圧倒的魔力量。
「マオマオとぽちを通して事情は理解したけど、まさかこんな形で里帰りとはね。とはいえ、私も流石に実家をぶち壊されるかもって思うと高みの見物とはいかないの。だからね……」
その女性――現魔王、ウルシュミ・リヴィエレイアは、相貌を覚悟と怒りに染めて眼前に閉じ込められた膨大なエネルギーに掌を翳した。
「ここから先、貴方が歩みを進めることは永劫ないと知りなさい」
直後、閉じ込められたエネルギーがウルシュミ――ウルの魔力で真逆方向に向き、彼女の力を上乗せして丸ごと撃ち返された。
空間を歪めるほどの力はシズコの顔面に直撃。
グレゴリオンの攻撃でも傷らしい傷がついていなかったシズコの顔面を、明確に負傷させた。
傷そのものは数秒で復元されたが、シズコはにわかに信じられなかった。
600年分の経験値を蓄えたシズコの相応に本気の一撃を、力を上乗せして撃ち返すなど。
『貴方、何者?』
その問いに、ウルはマントをはためかせて宣言する。
「――『まおうさま』の帰還よ」
その宣言に、シノノメは、フェートは、テスラは、ノーヴァは、魂が震えた。
((((魔王様……かっこいいーーーっ!!!))))
彼らはまだ子供であり、そしてウルの姿は余りにも鮮烈に映った。
……尤も、現実にはハジメとライカゲの戦いに小水ちびって人間の世界に逃げたあげく人間界でも何度かちびったお漏らし魔王なのだが。何でシズコが平気でハジメが「むりぃ……」だったのか、端から見たら大分謎である。
『魔王……諸悪の根源、侵略者の親玉!! 勇者の裁きなど待っていられるか!! 消えろ消えろ消えろぉぉぉぉぉぉ!!』
「消えろって言われて消えるヤツとかいないから」
魔界の空を埋め尽くす光、光、夥しい光。
それは魔界を滅ぼす暴力装置として送り出され、無尽蔵の力を放つシズコと、歴代最強の魔王と謳われるウルシュミ・リヴィエレイアの戦いによって生み出された破壊エネルギーの雨だった。
『魔族が、往生際の悪いッ!!』
いつしかシズコの手に握られていた、レギオンのような怨霊の顔がびっしり張り付いた杖が光り、夥しい破壊の光線が撒き散らされる。
「八つ当たりも甚だしいのよ、貴方たちは!」
対し、ウルシュミは両手に膨大な魔力を収束させ、発射。
虚空で幾度も方向転換しながら駆け巡る魔力の光線がシズコの粗雑な範囲攻撃を防ぎ、所々で食い破って彼女に降り注ぐ。本来ならばハジメの光魔法でも大したダメージのなかった強固な身体が大きなダメージを受けていた。
能力を全開にし、暇つぶしでコモレビ村で定期的にトレーニングし、更に魔界にいることで魔王権限を全開にしたウルシュミの魔法の威力は桁違いだった。
今の彼女は地上でフレイとフレイヤによってプレゼントされたアイテムの力も相乗で加わっている。それ故にシズコの桁外れの力にも遅れを取らず迎撃が出来ていた。
もしかしたらバランギア『熾四聖天』を四人同時に相手しても互角以上に戦えるかもしれない。
ウルシュミは更に畳みかけるように、数百メートルに及ぶ巨大で複雑な魔法陣を背後に展開した。
「三千世界に蔓延る邪なる不徳の者よ! 我は決断する者、我は見透かす者、我は断罪せし者! 刹那の欲に溺れし魂を今こそ救済の道へと誘わんッ!! パプテマス・ゴスペルッ!!」
断罪の聖歌の名を冠した光属性最上位魔法が完成し、後光の如き光を放つ。
巨大な魔法陣の中に組み込まれた幾百幾千もの全ての魔法陣に淀みなく注がれたウルシュミの魔力は、全て余すことなく破壊の顕現へと変換されて空を覆い尽くす。
それは、初めてシズコに防御を意識させるほどの圧倒的な破壊だった。
『邪魔ぁぁぁ、するなぁぁぁぁぁーーーーーーッッ!!!』
シズコが地につく足が、大気が、エネルギーがその咆哮と共に爆発し、パプテマスゴスペルに衝突する。それは巨大な爆弾が爆発したような衝撃で、周辺の山が震え、生物が一斉に逃げ出し、岩盤が罅割れ、土砂崩れが起きるほどの激震だった。
――その光景を、近隣の都市から派遣された戦闘魔族やノブレスオブリーシュという名の暇つぶしで野次馬に来た魔族たちは絶句していた。
余りにも、戦いの桁が違う。
歴代最強の名に恥じない圧倒的な力を行使する魔王ウルシュミと、彼女の力を以てして倒れるそぶりもなく暴れ続ける呪いの巨人の戦いは、既に神話の域に達している。魔族の間では決闘で山が吹き飛ぶというのはたまに聞く話だが、二つの巨大な力のぶつかり合いは既に山を含む周辺の地形を悉く変形させている。
「凄すぎる……割って入れない。あれが最強の魔王の姿……」
「ぼさぼさするな、結界を張るんだ! 少しでも民草への被害を食い止めなければ!」
「そ、そうだ! 勇者との戦いの合間を縫ってまで魔王様が助けてくださるというのに、何も出来ないのでは貴族の名折れぞ!!」
魔族の中でも高位の貴族が魔力の障壁を張る。
と、巨人が拡散したビームの一つが障壁に直撃した。
「ぐぅっ! 魔王様の猛攻を受けて尚もこの威力……! あの巨人は一体なんなのだ!?」
「分からん。分からんが、あれは……」
「なんと、恐ろしいのだろう」
魔族達の視線の先では、憎悪の形相を浮かべて魔王相手に殺意の籠もった攻撃を振り回す漆黒の巨人の姿がある。魔族達は、何故かその顔を見ると心がざわつき、手が震えた。
『お前らが振りまいた憎悪の行き着く先が、この私だッ!! 貴様らが自分たちの手で生み出した無自覚の憎悪が、悲哀が、憤怒が! 正しい出口を求めて私の中を暴れ狂い、そして叫ぶんだ!! 魔を滅ぼせと、魔物を縊り殺せと、魔族を根絶やしにしろとぉぉぉぉぉぉッッ!!!』
言葉一つにすら濃密に籠められた、恨み。
紅蓮の業火で煮詰めて、煮詰めて、塊になるまで煮尽くした、負の感情の塊。
それは、基本的に平和で憎悪という感情が希薄な魔族たちにとっては未知の劇薬だった。
そんな中、最も臆病である筈のウルはシズコに恐怖を覚えていなかった。
「なんでだろうね。私、貴方みたいなのは平気で相手出来るの」
シズコのそれは納得のいかない感情に無理矢理理由を当てはめた八つ当たり、ただの衝動だ。
更にタチの悪いことに、シズコはその衝動に理由をつけて、自分の意思もないのにその尻馬に乗って暴れている。憎悪や怒りに晒されたことのない魔族たちは動揺していたが、逆にそうしたものを知っていて転生してきたウルには、薄っぺらな主義主張が全く響かない。
『おかしいと思わない!? 魔界がなければ僕は俺は私はあたしは小生は我は自分はもっともっともっともっと生きて食べて愛して眠っていろんなことが出来た筈なのに、おかしいよねぇ!? ねぇってば!! おかしいだろ!? だから争いの根源たる魔族を潰すんだ!! 怒りと正義で潰すんだ!! 潰して、潰して、最後まで潰し尽くして、なのに、なのに、なのにぃぃぃぃぃ!!』
彼女の表情は憎しみに染め上げられている。
ただ、ウルにとってそれは形は本物でも、水をかければ流れ落ちる水溶性の憎しみだ
こういう感情がある。
それを否定することは出来ない。
そんな我が儘みたいな理屈を利用している。
幾千幾万の憎しみの集合体に身を委ねていれば、気持ちが良いから。
自分もそうなったような一体感があって、安心するから。
だから、この熱狂が続く間はシズコは自分の理性などどうでもいいのだろう。
「いつまで戦えばいいか知らないけど、いつまでも付き合ってあげる。魔王にはね、魔力切れがないの。ステキでしょ?」
『ホロベェエェェェェッッ!!!』
今度は怨霊の力で槍を作り出したシズコに、ウルは両掌を構えて応える。
これ以上、傍迷惑な何者かの八つ当たりの被害を拡大させないために。
――そして、このお漏らし魔王の闖入が、事態を急変させることになる。
グレゴリオン越しにデータを観測していたユーギアが、気がかりなデータを観測したのだ。




