30-7
「この世界に満ちる未練の原因、その最たるものは何だと思いますか?」
(急に話のスケール変わったな)
(話進まないから黙っとこうぜ)
ブンゴとショージがひそひそ話をするが、他に音がない地下空閑なせいで普通にひそひそ声も響いてばっちりゼラニウムに聞こえている。彼女は都合が悪そうにごほん、とわざとらしく咳払いをすると急にハジメに指さした。
「そこの貴方、なんだと思いますか!」
「生への執着」
「ま、まぁそうですけど……もっと直接的にアンデッドになる原因です」
「欲望」
「いやそうなんですけど……やりにくいなーこの人。会話とか苦手でしょ」
「よく言われる」
どうやら趣旨が異なったらしい。
つまり彼女が言いたいのは、アンデッド化する外的要因として最も多いものを述べよということだろうか。だとすれば一番多いのはやはりアレだろう。
「この世界の人間の死因の最たるものは、魔物関連の死だ。魔物に襲われて死ぬだけでなく魔王軍による襲撃、破壊工作、それを原因とした飢餓や病の蔓延などが大きな要因となっていると考えられる」
世界は魔王軍の襲撃があってもそこそこ平和には見えるが、実際には結構な死人が出ている。魔物との大規模な戦いは幾ら突出した冒険者がいても戦場全てをカバーできるものではないし、破壊工作で孤立して殺された人も相応にいる。ただ、国家運営の中枢は守り切っているので大きな混乱がないだけである。
そして、魔王軍がいないときも魔物が完全に地上からいなくなる訳ではないので、あちこちでどうしても死人は出る。この世界で魔物は魔王軍と一括りで恨みの対象となっている。
やっと狙った答えが出てきたゼラニウムは神妙に頷く。
「その通り。無論全てがそうではありませんが、アンデッドと化した霊魂も本来は魔物を恨んだり強く拒絶しているものが大半です。しかし、怒りの感情は死後の感情の中でも特に強く、そして理性を削ぐため、最終的には大半のアンデッドが破壊衝動のみを残してしまいます。つまり、生きる物全てへの害意という極論に収束するのです」
「ネクロマンサーの力はその害意に指向性を与えていると?」
「それは導きとも言い換えることが出来ます。その行為に意味を見いだせれば、人は未練から解放される。その道案内が私の仕事です」
死者と生者の願望の等価交換。
それこそがネクロマンサーの基本。
「でも正直こんな浄化じゃキリないですよね」
(急にぶっちゃけたな)
当然のことだが、世界ではあちこちで命が生まれては終えてを繰り返す循環で成り立っている。魔物関連でなくとも誰かに怒りや無念を抱いて死ぬ人間もいるだろう。それは霊魂が力を持つというこの世界のルールに照らし合わせれば、ネクロマンサーがどんなに頑張っても全ての霊魂は救えないことを意味している。
ゼラニウムは前からこの構造的問題に気付いていたようだ。
「時間をかければかけるほど、本来はすんなり成仏出来るかも知れない霊魂が負の力に染まっていきます。だったら圧倒的な量の霊魂を束ねた力を用いればいいんじゃないかと修行に明け暮れたこともありましたが、結局どう足掻いても莫大な総量を前にはスプーンが小さじか大さじかの違いでしかありませんでした。しかも、結局それはアンデッドの怨念を強引に破壊することに使われる。救済と呼ぶには余りに乱暴です」
過去に聖水ぶっかけて回っていたハジメとしては耳の痛い話だが、イスラの世話をしていただけあってどこか彼と考えが似通っている。倒されるアンデッドにも一握りの慈悲があるのではないか――イスラがいつも思いつつも実行する方法を見つけられない悩みだ。
「でも私、一つ思いついたんです。この怨念の連鎖を別の形に変えて数多の霊を正の浄化に導く方法を!」
両掌を合わせてにぱっと眩い笑みを浮かべたゼラニウムは告げる。
全ての疑問の回答を。
「正しい暴力による絶対悪の蹂躙!! 人は正しいことをするときが一番幸せを感じるのです!!」
なんかヤバイこと言い出した。
満面の笑みで両手をグーにしてシュッシュッとシャドーボクシングを始めるゼラニウムにその場の全員が嫌な予感がした。イスラはもう警戒心を隠そうともせず鎌を構えて問う。
「絶対悪とは?」
「この世界の大多数の人間が敵視し嫌悪する象徴的存在、それは魔の存在です! 魔王軍、魔物、悪魔、あらゆる魔はの源である魔界! それが絶対悪です!!」
「違う! 魔界には魔界の営みと人の思いがある筈だ!」
イスラの言葉は主にマオマオを見た感想なのだろうが、事実、魔王軍に所属せず人と共存する魔族は何人かいるし、以前にあったユーギア研究所の暴挙も最終的には死者を出さず解決することが出来た。
魔を絶対悪とするという考え方は暴論だ。
しかし暴論は時として人を強く惹きつける。
「実際にどうかは問題ではないのよイスラ」
絶対悪という強い言葉を切り出したにも拘わらず、ゼラニウムはどこまでも理知的だった。
「魔物や魔王軍に傷つけられ、奪われ、殺された人々の念が納得するなら、それが彼らにとっての正解! そう思わない徳の高い思念はそもそも未練を残して彷徨うことはないし、あるとしてもアンデッド化することはない。そうした思念は焦らず救済し、荒ぶる霊魂全てに明確な行き場所を用意する! 魔界に対する聖戦、その大義名分に魔界は絶対悪だと当てはめれば、それが新たな魂の循環を生み出す!!」
必要なのは正しさではなく象徴。
それが誰かに認められた正当な行為だと定義されたとき、人は驚くほどの暴力を解き放つ。
感情だけで世界に留まる霊魂であれば尚更にだ。
行為の是非はさておき、ハジメは疑問を直接的にぶつけた。
「だが、実現できるとは思えないな。問題が多すぎる」
言うは易し、行なうは難し。
彼女の理論は色々と飛躍しすぎている。
「まず魔界に行く方法がない。魔界に行けたとして、正義の暴力をどうやって具現化させる? 世界中の霊魂を一カ所にかき集めるという時点で現実的ではないし、仮にできたとしても魔界に行く前に暴走するか霊魂同士が分裂するのではないか? それを一つに留めて一定の指向性を持たせて使役するなど、一個人には不可能だ」
その問いに答えを示したのは、意外にもイスラだった。
「全てを受け止められる器があったとしたら――」
「なに?」
「怨念はより強い怨念に引き寄せられます。もしも個人の実力の限界を無視して、最上位アンデッドの決められた総量を上回る霊魂を一つに留める器が存在したとすれば……霊魂をかき集める必要は無い。器に霊魂がたまればたまるだけ吸い寄せる力が強くなり、自ずと一カ所に集まってくるようになる。そうなんでしょうゼラニウムさん。貴方はここで都合の良い器を見つけたんだ」
「正解。あのときの呟き、ちゃんと聞いてたのね」
ゼラニウムが何かを受け止めるように両手を広げた。
瞬間、空間の中央に留まる闇の塊が蠢き、闇の漆黒で固められた巨大な両手を広げた。
「彼女は、遙か昔からこの世界のどこかにいた。彼女は死を恐れ、肉体を捨てても精神が存在し続ければ不滅になれると考えた。決して消えることのない強固な自我を以て、アンデッドの怨念すら自分の燃料のように取り込んでしまう規格外の『器』――」
腕だけではない、闇が人の形へと変わっていく。闇ははまるで本当にそこにあるような輪郭と質感を帯び、一人の女性の形をした巨大な闇が現れる。瞼がうっすら開くと、そこには底なしの深淵でも望み込むような一切の光がない瞳があった。
その瞳が不意にぎょろりとハジメたちを見下ろし――視線がマルタの顔を凝視する。
『あっれぇ? うわマジぃ!? あんたちーちゃんじゃん!! やっば超久しぶりぃ~~~!! 五百年ぶりくらい?』
「ちーちゃん言うな! 今は聖職者のマルタで通ってんのよ! どっかで見たことある顔だなって思ってたら案の定シズコだし!! アンタまだこの世に居座ってたんかい!!」
闇の塊、知り合いの知り合いでしかも意外とフレンドリーだった。
「マルタ、すまんが紹介してくれ」
「同世代のシズコ。見ての通り幽霊っつーか、スタンドっつーか、死後強まる念っつーか。アタシは死ぬのが嫌で肉体を不死身にしたけど、あいつは死後に霊体として動き回れれば死ぬのは怖くないとか言い出した変人転生者よ」
『自分だけ棚に上げないでよね! 転生者なんて基本みんな変人じゃ~ん?』
闇で出来た巨大な人型という不気味さに反して間延びした声が響く。
ちなみに彼女は全裸なのでブンゴとショージが興奮で鼻息荒くしている。
「迫力やべぇ……」
「旧劇エヴァと全然ちげぇ……」
『ほら、変人じゃん』
「変態の間違いだと思うが」
じゃあ変人じゃないのかと言われるとまぁまぁ否定しづらいのはさておき、まさか転生特典にそんな使い方があるとは予想外である。
恐らく彼女は死後の霊魂というより、もっと純粋な魂そのものなのだろう。
『ちーちゃんいるなら隠す必要も無いかぁ。私の魂は怨念や無念の霊魂と違って誰かに飲まれたり記憶や感情が劣化することがないの。んでねんでね。パーソナルスキルっての会得して、そういう霊を吸収して自分の力にすることが出来んの! 吸収ったって消える訳じゃなくて、要はネクロマンサーの使役と同じようなもんなんだけど。ねーゼラ!』
「ねーシズ!」
ゼラニウムとシズコは相当仲がいいのか同級生みたいなノリで笑い合っている。
どうやら二人の利害は大筋で一致しているようだ。
「まぁこういう訳でして。魔界の門を拓く方法も無事見つけましたし、後はエネルギーだけが問題でした。大変だったんですよ? 各地から呪いの元凶となる呪物や選りすぐりのアンデッドたちをかき集めたり、この要塞に染みついた呪いも大変役に立ちました。この計画が発動した暁には、ここは霊魂を成仏させる聖地になるでしょう。世界から呪いの犠牲者は減り、聖職者はより生きとし生ける人の救済に力を注げ、そして魔王軍の弱体化にも繋がります。今日この日を以て世界は新たなステージに進む!!」
ゼラニウムは人差指を立てて自慢げに胸を張る。
小さい声で(トゥース……)(トゥースだ……)と聞こえたがスルーしたハジメは、こっそり通信機をユーギア研究所と接続して彼女の話を全てユーギアに流した。
すぐにユーギアから返答が入る。
『ハジメくぅん、お願いだからやめさせてくれんかね? そんなことしたら真っ先に犠牲になるのは魔界の罪もない下級魔族たちだよ? 確かに魔界には魔王軍を生む土壌があるけどさぁ、それは総人口のほんの一握りの香ばしい連中なんだよ。やめてくんないとこっちも本気で迎撃しなきゃいけなくなっちゃうよ』
「……とのことだが、どうなんだゼラニウム」
「えー。魔王と勇者の戦いを終わらせるためには根絶やししかなくないですか? そもそも魔王軍は何の為にこちらの世界に侵攻してくるのか謎なんですけど。延々と石をぶつけておいて自分が害を受けるときだけ被害者ヅラですか? ま、いいですけどね」
ちくちく文句を言った挙げ句肩をすくめたゼラニウム。
残念ながら、今のやりとりを聞けば世界の大半の人がゼラニウムに賛同するだろう。魔界は身分の差こそあるが、こちらの世界に比べれば平和ではあるようだった。
彼女は一つため息をつき、「こういうのはどうですか」と提案する。
「魔王軍は一定周期で興亡を繰り返しているので、こちらも一定周期で送り込みましょうか? 互いに痛みを分かち合うことで魔王軍システムも変わるかもしれません」
『……無駄だと思うけどなぁ。魔王軍システムは魔族が運営するシステムじゃない。魔族を縛るシステムだよ』
「じゃあ自分たちでシステムを解体すれば良いじゃないですか」
『そんなに簡単だったら命の惜しい歴代魔王の誰かがとっくに解体してるって』
ユーギアはほとほと困った声をしていた。
以前、サリーサ・ブエルが言っていたことをハジメは思い出す。
弟のリサーリが魔王軍に入った際、魔王軍システムを解体できないか模索したと。
しかし、《《根っこ》》に辿り着けず、実現出来なかったとも言っていた。
魔王軍システムは予想より遙かに難しいシステムのようだ。
ゼラニウムはそのことを恐らく知らないだろうが、知っていたとしても彼女はやったかもしれない。そう思わせる峻酷な声色で彼女は話を打ち切る。
「水掛け論ですね。この話をする間にも無念と未練がこの世界に満ちていく。解決する方法があるのに実践に向かわない消極的で怯懦な選択をするには、人の一生は短すぎる――イスラ、貴方はどちらにつきますか? 貴方はいつも、教会の都合は救済を後回しにする理由にはならないとルールに憤慨していましたよね。今も教会の手を離れて死者の霊魂のために行動を続けています。貴方も欲しかった筈です、霊魂が迷わない正なる循環が」
「ゼラニウムさん……」
イスラの声には、葛藤ではなく失望が籠もっていた。
「痛みと哀しみは魔族や魔物にも存在する。それを算数のような損得勘定で計算して後から感情の理由付けをした理論を認める気はありません。それは聖職者としての妥協だ!」
「しかし行動しなければ何も変わらない!」
「貴方のやり方こそ今までと何が変わっているというのか!! 苦しむ誰かに力ある者が都合を押しつけるだけだ!! ただ攻める側と苦しむ側の立場が逆転しただけで、構造は何も変わっていない!!」
「……決裂ですね」
ゼラニウムは弟子の拒絶を受けて、嬉しそうに微笑んでいた。
弟子の成長を見守る慈愛と一抹の寂寥感が同居した、不思議な優しさ。
彼女は、もしかしたらイスラにだけは否定して欲しかったのかもしれない。
覚悟は遠い前から決まっているからこそ、彼にはそうあって欲しかったのかもしれない。
「そう言うと思って、もう計画はこっそり始めています」
『そろそろ喋って良い? あー喋れる!! えっとね、えっとね! 実は私、魂の分裂が出来るの! ここにいるのは半分こ、残りの半分はもう魔界とここを繋ぐゲートを通してもう出発しちゃってまーす!!』
きゃぴっとギャル風ポーズを取ってウインクするシズコに、場の空気が凍り付いた。
イスラは即座に通信機を顔に近づける。
「……ユーギア」
『空間断裂を確認!! 超高密度のアストラル体が魔界に実体化する――!!』
事態は、最悪の方向に転げ落ちていた。
美人で使命感が強くて覚悟ガンギマリのお姉さんは好きですか?




