29-8
シノノメ・ユーギアデクタデバイスにとって、この世界は異世界だ。
まず大気の魔力濃度が異常に薄い。
次に、魔力に適応していない小さな生命に溢れている。
最後に、誰の命令にも従っていないように見える不可解な人間が大量にいる。
シノノメはいわゆる孤児で、親や家族に該当する存在はいない。
ユーギアに拾われ、他の魔導騎士とともに生活する範囲でしか世界を知らない。
ユーギアの所有物であるシノノメにとって、自由意志とは何よりも理解し辛いものだった。
挙げ句、何故かユーギアとトリプルブイなる人物の作品対決とやらが始まることになってからはシノノメにまで一定の自由を押しつけてきた。
シノノメに衣服の好みや似合うかどうかを何度も確認してくる。
好きな食事メニューまで選ばせる。
挙げ句、やりたいことがあったら声をかけて欲しいとまで言う。
結局シノノメは訳も分からないままフリルつきの服を着させられてチョコアイスを食べる羽目に陥った。
チョコアイスは地上の悪魔の果実だ。
甘い香り、微かなほろ苦さ、舌で蕩ける濃密な味わい。
幾つ食べても満足できないのだから、中毒性があるに違いない。
罠に嵌められたと主張したら周囲に爆笑されてむっとした。
特にリベル将軍は最近非常に馴れ馴れしい。
「むくれるなよ、姫。ちょっと揶揄っただけだろ?」
「当方は高貴な血筋ではありません」
「なら高貴な血筋の気分でも味わっていけよ。聞いた感じどうせ魔界に帰っても暇なんだろ? ほら、チョコアイス」
反射的に奪い取って食べたら「食いしん坊な姫だ」とまた笑われたが、チョコアイスの方に意識をとられて言い返せなかった。
最初は遠巻きに恐れるような視線を向けてきた周囲が「魔界人も人なんだな」とユーギアに似た柔らかい表情で価値観を変容させる様も実に奇妙で、確固たる判断基準がさだまらない彼らの心の移ろいに戸惑った。
「何故、貴方方は誰の命令も受けず無秩序に行動するのですか?」
そう問いかけると、厄介なことに全員が全員違う返事を返す。
ガブリエルは、「誰かに命令されて動くのは窮屈じゃねえか。信頼する相手に頼られるってんなら悪い気はしねえがな」と言う。
ノヤマは「命令なんてそんなに頻繁に受けるものじゃなくない? されても困るし」と言う。
シャルアは「愛の天使はッ!! 我が心の底から迸る愛の命令にのみ従うッ!!」と言う。
リベルは「従ってるぜー。女王の意向と俺の意思にな」と言う。
全てが管理されたユーギア研究所で生きてきたシノノメには、全てが理解不能だ。
マニュアル作成のためにどんなに情報を集めても、多くが命令を嫌い、或いは命令の範囲内で大幅な自由を行使している。しかしシノノメには自由を行使する意思がない。だからいつも誰かに付き従ってきた。自由の行使など考えたことすらなかった。
自由について有用と言える情報をくれたのは、本当に人間なのか疑いたくなる程に強いハジメという男だ。
「自由とは責任の所在が己にあることだ。お前がユーギアに命令されて行った行動はユーギアに責任がある。しかし自由意思で行われた行動の責任は、選択した者自身にある。そして責任から逃げた者は自由を行使するのに相応しくないと言える……理屈っぽくて分かりづらいか?」
「否定。これまでで最も具体性のある指標でした」
「そ、そうか」
地上はとんでもない所だとシノノメは思った。
周囲の誰も彼もがそんなにも大きな負担を代償として無秩序に振る舞っているとは、地上の人間はどれほど果てしない欲望を抱えて生きているのだろう。
欲望の塊、欲望の権化、欲望の化身だ。
他の魔導騎士たちもこの光景をにわかには信じられないに違いない。
そんな途方もない自由と責任に満ちあふれた世界で、トリプルブイという男はユーギアに自作の作品で勝負を挑もうとしていた。
シノノメにはそれが分からない。
ユーギアの考えは前々から理論的ではない部分が多かったが、今回は明らかに当初聞かされた計画の趣旨を逸脱している。論理的に考えて賢い選択ではない。
何故、ユーギアとトリプルブイはこうも反目したのか。
そして、自分でさえ疑問に思う決定に対して、どうしてトリプルブイの被造物であるカルパはああも迷いなく造物主に従えるのか。
「貴方は自由を行使しないのですか?」
三日後の決闘を控えて凄まじい対人戦闘経験を積んでいた彼女に、シノノメは質問した。
カルパは驚くほど澄んだ目で即答した。
「愛する者の為に戦うことは自由の行使です」
「愛? 上下関係ではなく?」
「ええ、愛ですとも。いけませんか?」
「……分かりません」
被造物であるカルパは所有物であるシノノメと最も近い存在だと思っていただけに、余りにも揺るぎのない言葉に何も返せなかった。カルパはそんなシノノメの頭を優しく撫でて微笑んだ。
「チョコアイスはお好きですか?」
「あれは絶対に何らかの中毒性の高い成分が含有された……」
「また食べたいですか?」
「……肯定します」
「それはユーギア博士から言われたからではなく、貴方の心が定めた自由です。あれは唯の甘いお菓子ですよ。もっとも過剰摂取はおすすめしませんが」
「自由に伴う責任というもの……ですか?」
「そうとも言えます」
シノノメは様々なことを考えたが、一つの結論を出した。
「ユーギア博士は自由行動を禁じはしなかった。故に当方は自由な選択をする」
「それは?」
「ユーギア博士が三日後に持ち出してくるゼノギアには複座式であり、当方は高確率でパイロットとして搭乗を命令される。当方はそれに従い、カルパを倒す。当方は、この世界のこの国の自由を知りたいから」
「ふむ。少し不思議な論理に感じます。自由と戦いが論理的に結びつきません」
「結びつく」
ユーギアの最終目的をシノノメは知っている。
リベルたちの推測は当たっていたために肯定したが、言っていないこともあった。
それが、ゼノギアが発展した世界で行うべき最終目的――。
「いずれ軛は抜かれるから」
その言葉の意味を、結局シノノメは語らなかった。
そのときから、彼女は自由の在り方に積極的になっていった。
しかし、カルパと戦うと決めたその決意も同時に固く、深くなっていった。
「リベル。当方はこのチョコアイスと皮なしオレンジタルトとトロピカルジュースとの為に戦います」
「食い意地姫ぇ!! なに、ユーギア博士の研究所は粗食ばっかりなの!?」
「魔界の生物は大型のものが多く、全体的に大味。栄養価的には地上より優れているものの、庶民の間では地上のような多様性はありません。よって継続的な摂取の為に当方は戦います」
「確かに食い物大事だけどっ!! 国興しのばかりの頃は結構苦労したけども! それを理由に戦われる俺の気持ちにもなって!!」
「自由を行使します」
「責任が伴ってねえのよなー!!」
ちなみにハジメは「ウルやマオマオは村の食事に特別感動した様子はなかったが、あれはウルが上流階級だったからなのか?」と勝手に魔界考察を進めていた。
なお、シノノメは食欲だけかと思いきや服やアクセサリ、本などにも興味を示し、次第にリベル将軍の財布は軽くなっていったという。
◆ ◇
決戦当日。
魔界と地上の芸術家同士のプライドを賭けた一戦が始まろうとしていた。
カルパは、トリプルブイが仕上げた追加戦闘装備『アーリアー』に身を纏っていた。
ゴシック調の落ち着いた色合いながら、その重量は人に着込めるものではない。
膝から下をすっぽり覆う脚部はロボットのようであり鎧のようでもある絶妙なデザインで、両腕部もロボットのような堅牢さを感じさせながらごつごつとした無骨さのないスマートな形状だ。腹部やヘッドギアなど細かな追加装備はあるが、それはカルパの普段のメイド服を決して損なわない絶妙なアクセントになっている。
特に目を引くのはカルパの背に装着された翼のような装置だ。
実際には高級な楽器を収めるケースのような細長い箱状のパーツが扇状に並んでおり、翼のように広げるだけでなく全て一列に纏めたり角度を変えたりかなり柔軟に位置を変えることが出来る。手伝いで見た感じでは空を飛ぶ為の装置のようだが、それだけではないことをハジメは知っている。
そのカルパはガブリエルとシャルアにカーテシーでお辞儀をしていた。
「今日までの協力、感謝いたします。『アーリアー』がより万全に使えるようになったのは貴方方のおかげです」
「ハハハいえいえ」
「ハハハどうもどうも」
「今後もお付き合いいただければと……」
「えっ、そ、それは……」
「我々には少し荷が勝ちすぎというか……」
ガブリエルもシャルアも猛烈に歯切れが悪いが、これはカルパとの特訓が想像を遙かに超えて過酷だったからである。
ガブリエルとは徹底してバワーバトルを、シャルアは徹底して空中戦を指導したのだが、当初お世辞にも強いとは言えなかった筈のカルパは戦えば戦うほどに動きが洗練されていき、アーリアーの仕上がりを確かめる戦闘ではもはや二人を歯牙にもかけない圧倒的な戦闘能力を見せた。
二人とも自分の足で立ってはいるがギガエリクシール漬けで辛うじて体が治っているだけである。特にシャルアは普段めげない方なのにこのリアクションなのでどれだけ過酷だったかが覗える。こんなに弱気な彼は悪魔娼婦との初戦でやつれている時以来だ。ハジメが「やつれている方が扱いやすいな」と思ったのは秘密である。
尤も、このおかげでカルパだけでなく二人もまた一つ大きく成長した筈だ。
主にスタミナと耐久力が。
ちなみに二人の合間にリベル将軍やハジメも指南に加わっており、キャバリィ王国軍はというとハイレベルな訓練に触発されて志気が妙に高まっている。基本的には皆がカルパ応援ムードで、トリプルブイ監修のメイド戦闘服を着た兵士たちが熱烈に応援の旗を振るっている。
……ちなみにメイド戦闘服を着た男もおり、鍛え抜かれた屈強な肉体とピッチピチのメイド戦闘服が非常にミスマッチである。トリプルブイは新鮮だと笑いながら普通に観察していたが。
カルパは彼らに手を振って応え、トリプルブイと決闘前に決意を示す。
「私一人でも撃破は充分ですが、マスターが圧倒せよと仰せに成られるのであれば……この『アーリアー』の神髄を叩き込んで差し上げます」
「うん。行ってらっしゃい、俺の最愛のカルパ」
「行って参ります、我が愛しのマスター」
と、意気揚々のカルパは、不意にツナデと同時に視線をある一点に走らせる。
「来ましたね」
「そのようだにゃん」
「空間転移か……」
時空がぐにゃりと大きく歪み、虚空を貫いて四つの巨大なゼノギアが降り立った。




