6-1 転生おじさん、はぐれ聖職者を利用する
この世界には職業という概念がある。
現代日本における仕事とは別に、戦闘スタイルの概念として存在するこれは、実際の仕事と必ずしも結び付くものではない。
例えばヒヒは錬金術師がジョブだが、やってるのはもっぱら商人だ。フェオは斥候という機動力や索敵力に秀でたジョブだが、エルフお得意の魔法の力は衰えていない。
かくいうハジメは十数回のジョブチェンジを繰り返し、現在はソードダンサーという少々風変わりなジョブだったりする。
ジョブは当人の資質を妨げるものではない
むしろ可能性の幅を広げていくものだ。
これらのジョブは将来伸びる能力や会得するスキルを左右し、時にランクアップを果たして上級職になる。そうしたランクアップの判断やジョブの変更はビショップというジョブの人間が司っている。
そしてビショップは聖職者でも神のお告げを聞いた高位の者にしかなれない――となると、ジョブの変更は教会の人間に依存することになる。
よって、この世界の聖職者の立場は高い。
現実世界と方向性は違えど、この世界でそれは犯罪者の強化の予防として機能する。更に神の恩恵が目に見える形であるために信仰が民の心から離れないし、ビショップ自身は神に直接監視されているので分かりやすい腐敗が起きない。
婉曲な物言いになったが、つまりこの世界で聖職者のジョブは社会的な地位が他のジョブより上にある。そして、そのような人物に私的な頼み事をするのは大変な時間がかかってしまう。
お墓一つを移すにしても、それを行う専門知識を持つ聖職者の助力を教会にお願いして手を貸してもらうには、一朝一夕どころかヘタすると一か月以上は待たされるものなのだ。
しかし、何事にも例外がある。
「まさか教会に属さぬフリーの聖職者がいるとはな。正直助かるよ」
その言葉を口にしたのはベニザクラ。
言葉をかけられたローブの青年は遠慮がちに微笑む。
「ただの物好きですよ。教会とはどうも話が合わなくて」
現在、ベニザクラは付き添いのハジメとこの青年に手伝ってもらい、一族の墓を移動させているところだった。
先の一件の後、ベニザクラは無事フェオの村(という名前になった)の住民となった。片腕を失い見たことのない肌色の鬼人を連れてきたことで周囲はざわついたが、その後は元々変人率が高い村だったため逆にベニザクラが戸惑っていたくらいだった。
ただ、片腕を失った影響と肉体に蓄積したダメージは大きく、今は常に誰かが彼女に付き添っている。そんな彼女がまず真っ先に望んだ事柄――墓の移転は、思いのほか早く段取りが整った。
一般人が墓とその中身を別の場所に持っていくのは墓暴きという名の犯罪になるが、この青年はハイ・プリースト。つまり、それなりに高位の聖職者なので、きちんと手続きを踏めば合法的に墓移しを行うことが出来る。
「しかし、良かったのか? ずいぶん安い費用で請け負っていたようだが……」
「いえいえ、これくらいが適正ですよ。墓の移転の際に渡すお布施の適正価格より少し少ない程度です……お布施が適正というのも、おかしな話ですがね」
ハイ・プリーストの青年の名はイスラ。
聖職者系列の職業でありながら、教会に所属していない人物だ。
如何にも人の良さそうな笑みに清廉さや誠実さが滲み出ている。
背負った仕事用らしい棺桶とは不釣り合いな好青年だ。
聖職者が冒険者と聖職を兼業することはたまにあるが、聖職者の組織から完全離脱しつつ聖職者のジョブであり続けるのは、ハジメの知る限り稀有な例だ。信仰心なくばランクアップ出来ないのが聖職者系列の特徴であり、その信仰に疑いを抱いた場合、自動的に聖職者としてのジョブは解除される。
つまり、彼は教会と自ら縁を切っても神にその信仰心を認められる高潔な人物ということになる。
「教会にとっては面白くないだろう。何か嫌がらせを受けたり身に覚えのない罪を着せられたり異端審問会に拷問されたりしていないか」
「異端審問会はそんな頭おかしい人達じゃないですよ!? 確かに定期的に様子を見に来ることはありますけど……」
ダークファンタジーの世界でこの手の人物は碌な目に遭わないイメージがぼんやりあるハジメだが、少々穿った見方が過ぎたようだ。
だが、どんな理由があれ絶大な力を持つ神意執行組織――教会に所属しない聖職者となると世間体は良くない筈だ。事実、イスラは知識の浅い人々には追放者、犯罪者のような扱いを受けることもあると語った。そういう訳で、大抵の人は独立を諦めて元の鞘に収まるそうだ。
敢えて茨の道を選んだ肩身の狭い彼はしかし、今回のケースでは非常にありがたい存在である。
「ときどき勘違いされている方もいますが、お墓を移すのに必要なのは手続きじゃなくて儀式ですから。あとは作法に則って移転すればそこまでの手間じゃありません。お墓の移転はお任せあれ! 全行程を承ります!」
現代日本とは違い、こちらの世界では墓を移すのは市役所ではなく拝み屋の仕事らしい。こちらの世界で三十年生きていても意外と知らないことがあるのだな、とハジメはしみじみ思った。
尤も、墓の移転は市役所の許可が云々は向こうで生きていた頃は知らなかった。孤児の時代に世話になった雑学好きの転生者がしてくれた長話で知ったことだ。
話を戻し――既に村の側では新たに墓地用に土地を整備し、皆で環境を整えてある。移転場所を見たベニザクラは少し驚いていた。
「これは、鬼人の故郷の墓にも生えていた彼岸花……こんなに沢山?」
「うちの村のショージが敷き詰めた」
「いやしかし、季節違いだろう。どうやって咲かせたんだ……」
ショージはベニザクラの容姿に強く感じる何かがあったらしく、周囲が引くほど気合いを入れて彼岸花を植えていた。案の定、ベニザクラはちょっと引いている。
イスラはといえば、花を踏まないように気をつけながら作業を開始。てきぱきと素人目には意図の分からない道具を準備し、祈りを捧げ、そして墓穴に向かう。この世界の墓は棺桶スタイルで統一されており、和の装いを持つ鬼人もそれは同じだ。
「よいしょっと……」
彼の背中の棺桶が開き、その中からベニザクラ家の遺体が眠る棺桶が出てくる。シュール極まりない光景だが、どうやらあの棺桶は冒険者の道具袋と似たようなものらしい。決して粗雑に扱わないように水平を保たれた棺桶が墓穴に入れられていく。
最後にベニザクラの母の遺骨を納めた棺桶を設置すると、彼はそれを、土のひとかけすら丁寧な動作で埋めて綺麗に大地をならし、全てを終えると跪いて祈りを捧げ始める。
何語なのか分からない祈りの言葉と共にイスラの周囲を神聖な光が渦巻き、墓全体を包み、やがてそれが夢であったかのように儚く消えた。
「……はい、これでお墓の移転は終了です。皆さん、お疲れさまでした」
彼の言葉に、ベニザクラは深々と頭を下げて感謝する。
「こちらこそかたじけない。世話になったな、イスラ。それにハジメも」
「俺は付き添っただけだ。だが、せめて献花と祈りくらいはさせてもらうが」
「家族もきっと喜ぶ。それにハジメには村の紹介から家まで全て用意して貰ったようなものだし……いや! 感謝はしているが、家族に男の事を報告してると思うと天国の家族に別の意味に取られるのでは!? ち、違うぞー! 確かに行き場のない私に居場所をくれて優しくしてくれているハジメには感謝してもしきれないが、そういうのとは違うぞー!!」
何やら勝手に盛り上がって目がぐるぐるの顔真っ赤になっているベニザクラをスルーして献花する。
名前も顔も知らない相手だが、それでもこうして向き合うのも何かの縁だ。流石にこれは『いいことだから』ではない。墓参りがいいことならハジメは墓地に立ち寄るたびに全ての墓に祈らなければならない。
これはただ、先に旅立った者たちがしがらみから解放されたことを祈るだけだ。
◇ ◆
ベニザクラの家族の墓を無事移し終えた翌日、いつものようにクエストを受けたハジメは単独で『断崖の古城』に向かった。
『断崖の古城』は、かつて栄華を極めた一族が住んでいたとされる屋敷だ。
しかし、行き過ぎた繁栄は滅亡と隣り合わせ。その一族は金と権利に溺れる中で狂ってしまい、あるとき莫大な財産を奪い合って盛大な殺し合いが行われたという。陸の孤島と呼べる場所にあるため逃げ場がない城の中では、財産に関係のない者や赤子までもが手にかけられ、三日三晩続いた争いの末に生き残った者は誰もいなかったそうだ。
その後、殺し合いで無念にも命を散らした者たちの霊魂は今も屋敷の中を彷徨い、財宝の噂を聞きつけた盗掘者や興味本位の冒険者に次々に死を齎したという。
なお、すべては噂であって実際のところ記録は残っていない。
ただ、断崖の古城を中心に異様に発生率の高いアンデッドの姿を見ると、少なくとも一族が無事平穏に暮らしていたとは考え辛い。アンデッドの発生しやすい場所は、実際に悲劇が起きた場所であるのがほとんどだ。
つまるところ、この屋敷は本物の心霊スポットである。
そして肝心の依頼内容は、この古城に住むアンデッドを狩ってほしいという至極シンプルなものだ。
アンデッドモンスターとは死霊系の魔物で、厳密には不死ではなく既死。死んでるからこれ以上死なないが、何故か実体のなさそうな幽霊でも頑張って殴れば倒して消滅させられる。
他の特徴としては魔法攻撃の方が物理より効果的な他、回復魔法や回復アイテム、聖水にめっぽう弱い。聖水は分かるがポーションは何故なのか正直分からない。何か効果のあるものが混ざっているのだろうか、それともテントが弾け飛ぶのと同じ類なのだろうか。
この依頼の普通でない点は大別して二つ。
一つ、これは倒しても倒してもキリのないアンデッドに対して定期的に行っている『間引き』であること。
もう一つは、その間引きに一足先に派遣されたベテラン冒険者たちがいつまでも戻ってこず、アンデッドが減る気配もない――すなわち、彼らが全滅した可能性があることだ。
特にギルドが懸念しているのが、城にアンデッドの最上位モンスターが居ついた可能性だ。
こうした心霊スポットは死霊にとって居心地がいいのか、ときに高位のアンデッドモンスターが住み着く。そうした強い思念は他の思念を束ねてしまい、更に強力な呪いを生む。
そうなっていたら一大事だし、もし先に突入した冒険者が何らかの理由で脱出できないなら一刻も早く保護したい。なのでとにかく腕利きの冒険者に現場を確かめて欲しい、というのがクライアントの望みだ。
仕事は緊急性が高く、リスクの高さ故に受け手が少ない。
ならば当然、ハジメは受ける。
古城に辿り着いたハジメはとあるものを用意していた。
「さて、ショージ制作のこいつは役に立つかな……」
ハジメが背に抱えたそれは、噴霧器である。
外見は割と手作り感満載で、背負えるようパーツを付け足した樽の底から伸びたホースの先端に放出口とバルブがあるだけ。魔法技術で色々と設定が付け加えられているので見た目より遥かに細かな調節が可能だが、割と傍から見たらマヌケである。
噴霧器の機能は名前もそのまま液体を霧状にして噴射するという機械で、リアル世界では植物に対して薬品を吹き付けるのに使うのが一般的だ。では、この中には何が入っているのか――。
(そろそろ近いな)
既に索敵に引っ掛かっている敵に向かったハジメは、古城のアンデッドを目視で確認する。
「う゛お゛おおおおお……」
「ヒーッヒッヒッヒッヒッ!!」
出現したのはアンデッドの代表の中の代表、ゾンビにゴースト。
この世界のゾンビはゾンビ化した時点で何故か顔立ち、服装、性別などの生前の面影が消える謎の仕様があるので、大体倒して形見を落とさないと身元を確認出来ない。ハジメの予想では、おそらく転生者がアンデッドを前にしたときに罪悪感が湧きにくくしているのだろう。
(それはそれとして絶対片目がはみ出る仕様は間近で見ると大人でもキツイと思うが……)
ゴーストは、まんま子供が絵本で見るような幽霊だ。
具体的には見えるし触れるポルターガイストである。何故幽霊が触れるんだと思うが、そういう世界なので転生者以外は気にしていない。そして何が楽しいのか常に笑っている。もしや笑い茸を食べて死んだ人はああなるのだろうか、とハジメは勝手な想像をする。
(死してなお笑うことをやめられないとは恐ろしや笑い茸……)
ちなみに現実世界の笑い茸は幻覚作用で笑ってしまうとか痙攣で顔の筋肉が笑っているような形に引きつるなど名前の由来には諸説があり、決して食べると爆笑する茸ではない……この世界では爆笑するものだが。ハジメも試しに死なない程度の量を食べたが、自力で笑いを止められなくてなかなか苦しく、神から「なにやってるんですか!」と天界から降り注いだ『浄化の拳』で殴られた。
神専用スキル『浄化の拳』はすごく痛いが実はダメージはなく、全ての状態異常から「殴られて痛いと感じる状態」にまで回復させる。ちなみに瀕死でもう痛みさえ感じなくなってる人を殴ったら傷が全部塞がるというトンデモ反則スキルでもある。無痛症の人に効果があるかは分からないが。
話を戻し、ハジメは接近していたアンデッドたちに待っていましたと言わんばかりに噴霧器の噴射口を向ける。そして――。
「聖水噴射」
直後、背中の樽一杯に詰められた聖水がブシュー、と噴射されてアンデッドの全身に纏わりついた。
「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
「ヒギャアアアアアアアア!?」
存在自体が呪いのようなものであるアンデッドにとって聖水の力はまさに猛毒。ゾンビとゴーストは身の毛もよだつ悲鳴を上げて殺虫剤を浴びた芋虫のようにもがき苦しみ、やがて果てて消滅した。
「使えるが、出来ればもう少し速いペースで撃破したいな……次は噴射力を強めてみるか」
さながらお化け退治の掃除機でも背負った気分で、ハジメはそのまま古城を進んでいく。
剣でのごり押しや魔法でも撃破は可能だが、やはりアンデッドに聖水は抜群に効果がある。しかし、通常の場合、聖水を敵に使うには逐一ビンを投げつけるか中身をふりかけてやらねばならず、非常に手間がかかる。
そこでハジメはショージがヒヒと共に試しに作っていたという噴霧器を買い取り、その中に百本分の聖水をブチ込んで持ってきてみたのだ。樽は重く機動力は削がれるが、ハジメくらいの身体能力になると誤差の範囲。効率的に放ちたい相手に無駄なく聖水を噴射できるので実用的だ。
ちなみにこの戦い方を選んだ理由はもちろん無駄に数がストックされていく聖水をパーっと有効に使ってみたかったからだ。以前にも触れたが数が多すぎると売るのも億劫だし、そもそも売ると金が増えてしまうので出来れば使っておきたいというのがハジメの本音だ。
更にハジメは次にこの場所に来た人々が緊急時に使えるように部屋のあちこちに聖水のビンをそっと設置していく。アンデッド涙目である。
こうしてアンデッドたちを強制浄化しながら進んでいくうちに、ハジメはギルドの懸念が現実のものとなっていることを察知する。索敵スキルが、城の奥から強い敵の反応を検知していた。




