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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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28-4

 エルフなら思わず背筋が伸びてしまう『古の血族』を含むVIP級の面々を相手に村を案内することになったフェオ。

 突如として湧き出た外交官レベルの仕事を、彼女はベテランクラスまで上り詰めた胆力で丁寧かつエネルギッシュにこなしていく。

 反応は上々で、皆が思った以上の発展ぶりに驚いている。


「ね、ね、ユーリ。この村の方がうちの国より公共施設充実してない?」

「資金力の差もあるだろうが、参考に出来る所はしておいて損はなさそうだ」

「バランギアの宝物庫にあってもおかしくない貴重品が、無料で展示……考えたこともなかった」

「下界の人は不思議なことを考えますね、すめ……エゼキエル様」

「木を残したまま家に……吊り橋に昇降機……なんとも斬新な村ですね」


 フェオは村を案内しながら様々なことを皆に語った。

 村の道の整備、管理、公共の施設、コンセプトと将来の展望……ハジメも初めて聞く話が、そこには含まれていた。


「村や町を作るとき、人は自然を排除して人工物で埋め尽くしたり、空いたスペースをむやみに畑にしてしまいがちです。それを嫌う人は逆に極端に自然に拘ってしまう。でも、それだけが道ではないと思います」


 フェオはツリーハウスの木の幹を優しく撫で、耳を当てる。

 まるで木の呼吸を感じ取ろうとしているかのようだ。

 この村は元を正せば魔王軍幹部候補の名前がよく分からない植物のせいで一度は完全に死んだ土地だ。しかし、ハジメ達が様々に手を尽くした結果、多少ショージのインチキがあったとはいえ立派な成木の並ぶ豊かな土地に戻った。


「コモレビ村は完全に自然を活かした場所ではありませんけど、こんな風に自然に寄り添いつつ豊かな暮らしをすることも出来ると思うんです。ただ得られるものを得るばかりではなく、適切な距離を取るための管理によって人は森にお返しをすることも出来るはずです」


 多くは望まないが、さりとて諦める訳ではない。

 本人は意識していないだろうが、それは持続可能な社会という考え方に似ている。


 この世界は魔王と勇者のシステムを差し置いても、少しずつだが成長している。

 いずれはこの世界も大量消費社会を迎えることになるだろう。

 そんなとき、コモレビ村のような村が増えれば、それはきっと世界にとって良いことだ。


 ギューフ王子が拍手する。

 彼が拍手すると、護衛達も拍手し、他の周囲にいる皆が一斉に拍手した。

 フェオは特別なことを言った自覚がなかったのか、戸惑いながら皆に礼をしていた。

 ギューフはフェオに握手を求めて手を差し出す。


「フェオさん、貴方は噂以上に素晴らしいひとだ。その考えは伝統を重んじすぎるエルヘイム自治区でも真剣に検討されるべきものだと感じました。私にもこの村の行く末を見守らせてください。そして、いつしか貴方の考えをエルヘイムの民達にも伝えて欲しく思います」

「き、恐縮です。私に出来ることであれば!」


 フェオと力強い握手をしたギューフ王子は、そのままハジメにも手を差し出す。


「貴方も。若きエルフがこれほどの偉業を成し遂げるには様々な苦労もあったでしょう。見ていれば分かります、フェオさんと貴方が深い絆で結ばれていることが。なればこそのコモレビ村なのだと。冒険者ハジメ、個人的に……貴方に感謝を」

「ああ」


 ハジメはいつも通りの、一見して無礼にも思える短い返答とともに握手した。

 というか、他に何を言えばいいか分からなかったというのもある。


(ただのお人好しだったと言えばそれまでだが、最後まで読めない男だったな)


 ハジメはギューフ王子から邪な気配は感じなかった。

 しかし、彼を無条件に信頼できるような人間性も垣間見なかった。

 ハジメは警戒までせずとも、そのことを心の隅に留めておくことにした。




 ◇ ◆




 村の名前が公募により決まった。

 地下道が完成し、交通の便も改善された。

 公正な村長選により、フェオが村長に決まった。

 周辺市町村及び一部の権力者たちにも認められた。


 残る問題はただ一つ、村と認定するに当たって問題がないかを決定づける国の査察のみである。

 家先にある木陰で束の間の休憩をするハジメは、隣のフェオに念を押す。


「フェオ、分かっていると思うが相手は十三円卓の息がかかった相手だと予想される。重箱の隅をつつくように執拗に、粘着質に、問題がないか粗探しをしてくるだろう」

「分かってます。あんがぁまねじめんと講習も受けましたし、皆で入念に書類を確認して全ての事項を満たせるよう徹底的に準備しました」

「俺もフォローできる範囲は可能な限りフォローするが、これはフェオが乗り越えるべき試練だ。覚悟はいいな?」

「何を今更。とっくに覚悟完了してますよ。それに……」

「それに?」


 フェオはにやっと悪戯っぽく笑った。


「《《どう転んだところで村は困りませんから》》。そうでしょ?」

「……それが言えるなら大丈夫そうだな」


 フェオは本当に逞しくなった。

 村長としての覚悟や貫禄、そして皆からの信頼を得た。

 彼女の夢である森と融合した町――その前段階まで彼女は上り詰めた。

 二人で迷いの森に視線をやると、あの日にフェオが夢を語ったときのことがつい昨日の出来事のように思われる。実際にはあれから半年近くが経過したが、たった半年でフェオは夢に大きく近づいた。


「あ、そういえば……約束、なんか半分くらい叶っちゃいましたね」


 初めて二人が出会ってこの森に足を踏み入れたとき、ハジメとフェオは約束を交わした。

 もしハジメが死ぬ前にフェオの理想とする町が出来たら、そこの最初の住民になって欲しい。それは半ばフェオからの一方的な約束だったが、ハジメはもう自分の死を望まず、町に住むどころかフェオと実質同居状態だ。

 尤も、ちょっとした事情により町に住むの部分が二人で同居するに変わってしまったりもしたが。


「懐かしいな。むしろ約束以上になっている気がしないでもない」

「いいじゃないですか、私と一緒に暮らしたかったハジメさん? んっふふー」

「確かにいいものだ、家族が増えるのは。さて、そろそろ戻るか。明日の予定の最終調整をしておこう」

「あ、ちょっと待って」


 フェオはそう言うとハジメの腕を抱きしめ、身体を寄せた。

 ハジメの存在を確かめるように、ハジメの鼓動を感じたいように。

 フェオの体温が、香りが、彼女の気持ちがそこを通して繋がっているように感じられる。


「もうちょっとだけ、こうしていましょ?」

「……そうだな。もうちょっとだけな」


 存在を確かめ合うことを幸せに感じることができて、良かったと思った。

 森を吹き抜ける心地よい風に枝葉が揺れる中で、二人だけは時が止まっているかのようにゆったりとした時間が流れた。


 そして、二人の様子を物陰から見ていた人達が尊みの余り謎の汁を出したり口から砂糖を吐いたりした。


「甘えるフェオちゃんがてぇてぇ……」

「信じられるか。彼女公認で浮気してるのにあのアツアツぶりなんだぜ?」

「言われて見れば。なんか俺らハジメならしゃーないかって感じで感覚麻痺ってきてない?」

「本人達が納得しているのならよいのでしょう」


 ちなみにマトフェイは仮面を被っているのをいいことに二人のいちゃこらをガン見しており、一人だけその視線に気付いたイスラは「マトフェイも女の子なんだなー」と意外な一面に驚いたという。




 ◇ ◆




 とある査察官の手記――○月×日。


 今日の仕事は新たな村を作る奇特な連中のために査察に行くことになった。

 このご時世に暢気に村作りとは空気の読めない連中だ。

 しかも行き先は遭難者の多い森のど真ん中だという。


 せっかく何もない地元から離れて都心でいい職にありつけたのに、まさか地元よりもっと何もない場所に一週間も閉じ込められるとは思わなかった。


 おまけに十三円卓から圧力がかかってきた。

 曰く、悪しき前例を作らないために極めて厳正な審査を行えとのことだ。つまり、御上の事情で現場が振り回されるいつものやつという訳だ。勝手にやってくれという感じだが、権力者には何を言っても無駄だろう。精々査察対象の村長とやらに文句をねちねち言ってやろう。




 査察官の手記――○月△日。


 地味な仕事をやってたらたまにはいいことがあるもんだ。

 村長と副村長がカワイコちゃんだった。

 俺に査察を押しつけたバカ先輩はご愁傷様だ。


 森まで行く道も想像以上に快適だった。

 ダンジョンの要領で馬車も通れる地下通路を作ったらしい。

 どうやって作ったのか聞きたくなるほど道が平坦で、馬車をこんなに快適に感じたのは初めてだ。

 しかも下った後の昇りに昇降機があるとは、うちの職場より先進的じゃないか。うちのバカ上司共はこの技術を見習うべきだ。世界が平和になるぞ。


 本部移動から村への到達までで日が暮れたので今晩は宿に泊まることになったが、この宿がまたいい。森の真ん中とは思えない洒落た内装で、従業員も女が多くて華やか。飯も美味いしベッドもふかふかだ。


 真面目な同僚が色々と美人村長に突っかかるような追求をしていたが、あと五日もあるのだからそんなに仕事を焦らなくていいだろうに。

 やれ地下通路が崩落するリスクだの、やれ魔王軍襲撃時のシェルターはどこなのかだの、カリカリしてないで宿で英気を養った方がお得だ。


 でも、よく考えたら査察で落して欲しいから十三円卓議会はあんな圧力をかけてきたんだよな。死神ハジメが裏で糸を引く村だそうだから警戒するのも分かるが、あの可愛いエルフちゃんに残酷な現実を突きつけなくちゃならないのは気が引けるな。


 まぁ、明日からじっくり考えればいいだろう。




  査察官の手記――○月□日。


 昨日は暗くて気付かなかったが、この村はとんでもない。

 木に沿ったり木そのものを軸に作られた住居群はなんというか、田舎とかそういうのじゃなくて異文化感すら覚える。生活空間が下にも上にも広がっているのだ。田舎だの僻地の一言では片付けられない、この村でしか見られない光景だ。


 これだけの木造建築は火事に弱いんじゃないかとも思ったが、神獣の秘宝『レヴィアタンの瞳』を利用して水が豊富なためにその心配もないらしい。あのカワイコちゃんのエルフ村長、本当にベテランクラス冒険者なんだな。


 というか、セントエルモの篝火台があるとか聞いてない。

 森の奥だから暗くてじめじめした場所をイメージしていたのに、まさか国家予算レベルの天候装置をこんな村が所有しているとは未だに信じられない。これが死神の財力なのだろうか。


 神獣を祀る社があるから神獣信仰を強いてるのかとか同僚が突っかかっていたが、あいつバカだな。村の端に小さいながらしっかりした教会があるのが見えないんだろうか。中には正規の聖職者もいたし。


 公共施設の多さにも驚いた。なんでこんな森の奥に美術館だの図書館だのがあるんだ。医者もいるし、村の塾に至っては教師が三人もいて全員美人。やはり死神ハジメが好色家という噂は本当だったのかと思ったが、普通に男もジジイもいた。比率としてはちょっと女性が多いそうだ。


 意外と子供が多いのも戸惑った。

 住民の半分近くは元生活困窮者で、今では村の産業に参加する形で職を得ているそうだ。ちらっと見たが酪農に農耕も割としっかり行われていて、特に労働環境にも問題がありそうにはなかった。


 あのエルフのカワイコちゃん、結構なやり手なのかも知れない

 



 査察官の手記――○月◇日。


 ショックだ。

 かなりショックだ。

 エルフのカワイコちゃんは死神の女だった。

 いや、別にお近づきになる気はなかったのだが、あんな清純そうな女が死神に籠絡されている様を想像して色々と嫌な気分になった。ゲスの勘ぐりついでに仕事に精を出すことにしたが、特に進展がなくて更に苛々した。


 村の商業エリアが森のど真ん中の村とは思えないほど充実している。

 村独自の生産品だけでなく近隣の村からも雑貨を仕入れており、品揃えが思いのほかしっかりしていた。道理で村の平均年齢が低いわけだ。いや、平均年齢が低いからしっかり仕入れを行っているのか。


 なお、売価は村産のものは飛躍的安く、逆に外から仕入れたらしい物は適正価格に近い値段だった。ちゃんと農家に利益が還元されているのかを追求してみたが、農業の効率化が随所で図られることでむしろ一般農家より少ない負担で安定収入を得られている状態らしい。

 こんな若い連中ばかりなのにどうしてそんなに農業が上手く行くのか納得いかなかったが、副村長のアマリリス・ローゼシアが農林水産系の高度な知識を披露して補足説明を始めた辺りでもう疑うのを辞めた。


 アマリリス・ローゼシア……なんでもっと早く気付けなかったんだ。

 ローゼシア家と言えば、決して肥沃とまでは言えない土地の第一次産業を一代で高度に発展させた麒麟児がいるとかいう家だ。妹が残って家督を継いだと聞いていたが、姉がここにいたのか。


 やられた。

 実質的な領地経営経験のある貴族サマが副村長に就いてるんなら、どうりで抜かりがない訳だ。あのカワイコちゃんも死神に抱かれてるんだろうか。俺にはまだ彼女さえ出来てないのに、なんか死にたい気分だ。


 あと三日。

 その間になんとか十三円卓を頷かせる材料が欲しい。




 査察官の手記――○月◎日。


 村の中の危険人物がいないかの話でかなり長々と時間を潰した。


 まず医者のクリストフが闇医者であるという噂について。


 逆に闇医者である根拠を求められたので根拠を用意するのはそちらだと言えば、そのような事実は確認されていないのが根拠なので何も問題はないしそれでもまだ疑うのであれば疑うに足る根拠がなければ動きようがないと返された。

 そして、逆にこれまでクリストフが行った患者の治療カルテを全部叩き付けられて、これが村がクリストフを信頼する根拠であると言われた。


 調べたければ村に医者を連れてきて治療に問題がなかったか、カルテの治療内容と実際の治療内容に齟齬がなかったか患者に聞き取りをして調べれば良い。それで彼が信頼に足る医者かどうかは少なくともハッキリする――そう言われて俺たちは閉口した。

 医療の素人である俺たちに治療の真偽が分かる筈もなく、となれば査察側で医者を用意しなければならず、調査にも更に時間がかかってしまう。そもそもクリストフが闇医者だというのは噂に過ぎないので追求するには根拠薄弱だった。


 医師のクリストフの助手を務めているのがダークエルフであることも追求したが、逆に、犯罪歴の有無すら関係なくそのような発言をするということはシャイナ王国はダークエルフを被差別民と見なしているという意味かとカウンターパンチでぶん殴られた。


 ダークエルフは世間には毛嫌いされている類の種族だが、冒険者や研究者には普通に法律を守って活動をしている者もいる。要注意であるのは確かだが、注意して観察して何もなければ法律上は活動することに問題はない。

 追求した先輩は口ごもって、話を逸らして発言自体を有耶無耶にした。


 モノアイマンが住んでいることも追求しようと予定していたが、同じ問答になるのが目に見えていて諦めた。


 追求は他にもあったが、どれも芳しくなかった。


 死神ハジメの義娘とされるクオン・ナナジマがどこぞから誘拐された子供ではないかという疑惑については、クリストフの時と同じく根拠を求められたばかりかバランギア竜皇国よりクオンの親権が死神にあることを認める書類まで出てきて内心悲鳴を上げそうだった。

 他国が用意した書類なので王国法上の効力は無いが、書類がバランギアなのがまずい。この件を追求してはバランギアが介入する口実になりかねない。

 たかが円卓の嫌がらせでそんな大事にする訳にもいかず、すぐに手を引いた。


 はぐれ聖職者イスラの良くない噂については教会に問い合わせれば良いと言われて取り付く島なし。

 マオマオという悪魔が住んでいる件も居住に当たっての国の公的書類が揃っているので追求の余地なし。

 海外からやってきた元奴隷がいるということはシャイナ王国で禁止されている奴隷売買に当たるのではないかという質問については、ルシュリア王女よりの直接の保護の頼みがあったことを証明する書類が出てきて「国はこのことを把握していないのか」と呆れられた。


 クソッタレ十三円卓め、そういうことは早く言え。ルシュリア王女を巻き込んだ問題にすると俺たちが王家に目をつけられるだろうが。これに関しては手を引いたことに絶対に文句は言わせないぞ。


 ハジメ関連の疑惑についても証拠のない疑いをかけられても対処のしようがないと当然通じず、逆に勇者がハジメより盗まれた盗品を購入した件について追求されそうになり、総じて大の大人達が年下の女達にまったく弁論で歯が立たないという情けない結果に終わった。


 本当に情けない。

 俺、何やってるんだろう。




 査察官の手記――○月☆日。


 アレもダメ、コレもダメ。

 どこをどんなに追求しても粗と呼べる粗が出てこない。

 最後の頼みの綱、国の基準に合致した役場を村が建設しているかに関しては、俺の普段の職場の三倍は立派な村役場を見せつけられて「あとは人が入るのを待つだけです」と笑顔で言われた。俺がここで仕事したい。


 国が勝手にやった謎の法改正により異常なまでに項目の多い村役場の基準は三重で検査しても全てクリア。正直流石にこのレベルの基準を一発でクリアすることは出来ないだろうと高をくくっていただけに、もう査察員たちは全員諦めムードだ。


 査察の日程はあと一日残っているが、既に万策尽きた。

 ケチのつけようがなく、文句のつけようがなく、この村は極めて法的に健全に基準を満たした素晴らしい村でした。ちゃんちゃん……だ。粗探ししている自分が段々場違いな存在に思えてきて、俺は途中から村の散歩ばかりしていた。


 空気のうまさと水のうまさを感じた。

 目に優しい緑があちこちにあることに癒しを感じた。

 村を行き交う人々に明るい活気を感じた。


 なんだよ。

 いい村じゃないか、ここは。




 査察官の手記――○月▼日。


 査察最終日。

 上司がヤケを起こして一悶着あった。


 死神に絡んで村や村長のカワイコちゃん――フェオちゃんを散々なじったのだ。

 これで怒れる死神が手を出せば査察員への暴行という蛮行を以て二度と村の認定が出来ないようにすることが出来る。今考え得る限り最も円卓の期待に添える可能性が高く、そして最も人間性を疑われる下衆な行為だった。


 結果はどうなったと思う?

 どうもならなかった。

 死神ハジメは終始「そうか」と「話はそれだけか?」以外に碌に言葉を発しなかったし、手も出してこなかった。思い通りにならずに苛々が限界を超えた上司が「自分の女をなじられて何も言い返さないとは、それでも男か」とまでのたまった。

 そのときの死神ハジメの返答が今も俺の耳に残っている。


 ――今、一番怒り狂いたい女が夢の為に黙って耐えているのにそれを横から台無しにするのが男のやることならば、俺は別に男ではなくてもいい。


 上司はこれ以上無いくらい顔を真っ赤にして魚のように口をぱくぱくすると、今の反抗的な態度は査察結果にしっかり書かせて貰う、後悔してももう遅いとキンキン声で叫ぶと逃げるように帰りの馬車に駆け込んだ。


 反抗的な態度とは、反抗的だとこちらが思えば反抗的だったことにすることが出来る。何故なら査察員は国家全体から見れば偉くはないが、一般市民よりは確実に偉い地位だからだ。最高意志決定を行う国王の委任を受けた機関の下部組織だからだ。


 つまり、反抗的な態度という上司の言葉は自分の立場を最大限に利用した、何の付加価値も生まない正真正銘の単なる嫌がらせだ。それをやろうと思えば出来るのが査察員だ。


 余りにも心が貧しい上司に付き従う自分が、村人より劣った存在に思え、酷く惨めな気分になった。同僚の中には黙ってハジメに頭を下げる者までいた。

 死神ハジメは男らしかったし、そんな彼を見つめるフェオ村長の目は感動で潤んでいた。どう見ても二人は想い合っていた。そんな二人を貶めるために派遣された自分の生き方が、さもしく思えた。


 俺は帰る前にこっそりフェオ村長に、移住者募集にまだ空きはあるかを聞いた。

 あるにはあるが、のんびりしていると他の人に取られますよ、と彼女は涙を拭きながら微笑んだ。


 今、退職届の内容をどうするか真剣に考えている自分がいる。

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