5-4 fin
時は飛び、四日後。
山林の中に町へと近寄るモンスターの集団がいた。
『おのれ、あの土砂崩れさえなければもっと早く追撃を仕掛けられたものを……』
ぶつぶつと呟く魔物は魔王軍の指揮官。先だっての戦いで大損害を被った部隊の生き残りであるワニの亜人の魔物だ。今、彼は部下をかき集めて襲撃の為に人間の町へ向かっていた。
あの戦いで上司も同僚も死んでしまった彼は、その翌日には既に人間に報復するための作戦を建てていた。にも拘わらず四日間も経過しているのには理由がある。
『死神ハジメはもうギルドにいない筈だ。やつ一人いるだけで作戦がおじゃんになるからな……』
彼は他の魔王軍と違い情報を仕入れる事に貪欲であったため、ギルドが援軍に手配した忌々しい冒険者のことを正しく理解していた。既に呪毒軍団でも彼のせいで上位指揮官が仕留められているし、過去の魔王軍侵攻でも夥しい同胞の死体を築き上げているハジメがいては勝てるものも勝てない。
よって彼は間者を送り込んで情報を仕入れた。
情報が正しければ彼のギルド滞在は三日間、すなわち四日目の今は既にギルドを去っている筈だ。結果としてギルドに立て直しの機会を与えてはしまったが、補充人員の腕が立つとしても、土地勘がなく連携訓練もしていない集団なら足並みは綺麗に揃わないと彼は踏んだ。
『間者との連絡が途絶えたことは気になるが……まぁいい。ここで打撃を与えれば今度こそ奴らを攻め落とせる!! さあ、血祭りパーティの始まりだ!! そして戦果を手土産に俺はもっと出世して、すぐに出撃しない俺を臆病と罵ったバカ共を見下してやるんだッ!!』
両手を広げ、彼が叫ぶ。
その瞬間、背後にトンッ、と何かが落ちる音がした。
『え?』
彼が振り返るのと、落ちてきたそれが牙を剥いたのは、同時だった。
降り立ったのは、既にいない筈のハジメ。
抜き身の刀を携えた彼は、間髪入れずに白刃を煌めかせる。
「大日輪」
その斬撃は陽光のように大らかに、平等に、広域に放たれた円い斬撃。
凪ぐように柔らかく、光のように透き通った、ただの一撃。
余りにも静かな刃が通り過ぎ、ハジメが刀を鞘に収める。
かちん、と鍔が小気味の良い音を立てた――その刹那、魔王軍の部隊と指揮官たる彼はばらばらの輪切りに切り裂かれていた。
彼らだけではない――彼らが進行していた森の木々も、空気も、場の全てが切り裂かれていた。ただ、木々の多くは切り口が鮮やかすぎて自らが斬られていることに気付かず、空気もまた同じくそうであり、結果としてそこには何の音もなかった。
遅れて響く、魔物達が大地に血肉を零して崩れ落ちる音。
上半身と下半身が泣き別れした指揮官は、口から鮮血を零しながら呆然とする。
『なぜ……? 帰ったのでは、なかったのか?』
「それはギルドの定めた滞在期間だ。俺は用事があるから残留していた。というかだ……間者との連絡が途絶えた時点で自分たちの情報が漏洩したとは考えなかったのか?」
『見落としなど……そんな筈はッ、俺の計画は完璧だったんだ!! 完璧な筈なんだぁぁぁぁぁ……!! げふっ、ごっ……――』
それ以上、彼が虚栄を張ることも、喋ることも二度となかった。
ハジメが偶然にも残していた用事のせいで壊滅するとは彼らも思わなかっただろうが、彼らの動きはとある斥候たちのおかげで筒抜けだったので、ハジメがいなくとも失敗していたかもしれない。
これでハジメに残った用事は、ファインダー達の報告である。
ハジメはそのまま足早にギルドに戻り、彼らを待った。
◇ ◆
ベニザクラの捜索結果を報告するため、ファインダーたちが肩を落としてギルドにやってきた。ギルドのテーブル席には本に視線を落とし無言で読書に耽るハジメの姿がある。
周囲は彼等の動向に静かに注目していた。
行方不明になった冒険者ベニザクラ――周囲に心を閉ざしている面はあれど、彼女は立派な冒険者仲間だったのだ。安否を調べたと言われれば当然気になる。
もしファインダーでも見つけられなかったら生存は絶望的。よしんば見つけたとしても、既に死体になっていることは充分あり得る。
やがてファインダーの代表としてバーガスが席に座り、話を切り出す。
「この三日間必死にベニザクラを探したが、残念ながら彼女は既に死んでいたようだ。死体は腐敗してたから焼いて骨を回収した。こっちは骨が本人のものである証拠だ」
そう言って、ファインダーは箱を取り出す。中に色の抜けた角が生えた頭蓋を含む遺骨と、ベニザクラのものと思しき血の跡がべったり付着した鎧が入っていた。周囲が、ああ、と落胆の視線を送る中、ハジメはファインダーを一切見ずに「そうか」と返事をした。
自分で大金を注ぎ込んで依頼しておいて、この態度。
流石に不審に思ったバーガスが苛立ちを露に尋ねる。
「おい、そんだけか……?」
「今、なかなか面白い本を読んでいてな。その内容に気を取られた。ちょうど佳境でな、朗読したい気分だ」
(な、なんだコイツ……?)
余りにも不可解な言動に他のファインダーたちにも困惑が伝播する中、ハジメは朗読を開始する。
「リーダーが声を荒げる。『おい、どうする。生きてるかどうかなんて戦が終わった日にあの女の『吽形』をくすねる為に現場を漁った時点で明らかだ。女は生き埋め、土砂が多すぎて掘り返すのに何年かかることやら。大金に化ける筈だった刀もパァで手詰まりだ』。小狡い同僚が囁く。『しかしあいつ、相当金のある冒険者なんだろ。そろそろこのギルドでも荒稼ぎしたしバックレる頃合いだったのに、運が良いのか悪いのか』。部屋の隅で黙って話に耳を傾けていた寡黙な男が口を開く。『こうなればいつもの手を使うぞ。鬼人の女の骨と鬼人の鎧を用意しろ。確か丁度あったろ、戦場で死体漁りしてたときに『阿形』抱えて死んでた女のやつが』。仲間たちが口々に言う。『そうだ、鬼人の偽遺骨の用意は大変だから取っていおいてよかったな』。『阿形と吽形、夫婦剣が揃えばオークションで十億以上は値がついたのに、勿体ねぇなぁ。『吽形』が元の持ち主の子どもの手に渡ったって聞いたときはチャンスだと思ったのによォ』。『止むを得ねぇ。この二千万Gとエリクシールを退職金にバラけて逃げるぞ。これ以上はギルドも流石に怪しむ』」
その内容に、ファインダー全員の顔面が蒼白になった。
話を聞いていた周囲は、その内容がどういう意味かを次第に理解しはじめ、席を立ってファインダーを取り囲む。彼らの表情は怒りと嫌悪感に満ち、罵声が次々に飛ぶ。
「見下げ果てたゲス男よ、貴方たち」
「てめぇら……やっていいことと悪い事があるんじゃねえか?」
「幾ら冒険者に荒くれがいるからって、許されることと許されねぇことがあんだよ……!!」
「う、うぅ……!?」
逃げ場のない環境にファインダーは脂汗を流す。
そして、とどめとばかりにギルドの奥から女性が姿を現し、つかつかと歩いてくる。バーガスは目を見開いて震える声を漏らした。
「な、なんで生きてやがる……化けて出たのかァ!?」
赤い角、病的に白い肌。そして『吽形』を背負ったその女性は、今しがた『死んだ』と報告された筈のベニザクラだった。
その形相は、戦いで見せる激情とは違う憤怒が溢れ出ている。
ベニザクラは低く唸るような声を漏らす。
「貴様ら……貴様ら……ッ!!」
片腕を失ったとは信じられないほどの気迫に、バーガスの顔が引き攣る。
「ま、待て!! よせ誤解だっての! 偶然間違えて、な! 間違いはある!!」
「黙れッ!! 『吽形』はかかさまの刀だ!! つまりそれはかかさまの遺骨……それを、そんな下らない金儲けの為に!! ととさまの形見をも金でしか推し量らず……戦士の誇りを踏みにじり唾を吐きかけてッ!!」
「は、母親? 父親? 嘘だろ、まさかお前あれの子供……まてまてまて!! 身元が分からなかったから預かってただけなんだ!! い、今分かって善かったじゃねえの――」
「問答無用ぉッ!」
彼女にとって、家族はどんな方法でも代えることの出来ない存在。その遺体と遺品を弄ばれたことは、感情を見せないベニザクラに、これまでの人生で一度も味わったことのない屈辱と激情を与えた。
隻腕となった彼女の拳が、裁きの鉄槌となって振り翳される。
「地獄に堕ちろ、外道共がぁぁぁーーーーーッ!!!」
彼女の拳はバーガスの顔面を陥没させ、殴り抜かれたバーガスの体は背後にいた他のファインダー全員を巻き込み、尚も許さぬとばかりに吹き飛ばす。
吐血しながら宙を舞った彼らはギルドの出入り口を突き破り、町の大通りまで大きくバウンドしながら転がり続け、やがて果てるようにぴたりと止まった。
息を荒げて振り抜いた拳を解いたベニザクラはすぐにテーブルに駆け寄る。
そこには彼女の母親の遺骨があった。
彼女は片手で遺骨入りの箱を抱きしめ、涙を滂沱として流す。
「かかさま……かかさまぁ……こんなに小さくなってしまって……!! 私です、貴方の娘のベニザクラです!! かかさまに恥じない戦士として今日まで戦ってまいりました!! ほら、ここに父上の魂が宿りし『吽形』もッ!! かかさまぁぁぁ……ああ、あぁぁぁぁーーーーーッ!!」
まるで母親に泣き付く子供のように、ベニザクラは遺骨の入った箱に縋り付いて泣き続けた。
誰も、何も声をかけてやることが出来なかった。
◆ ◇
結論から言うと、ファインダーの正体は死体漁りの詐欺集団に近い存在だった。
元々戦場の死体漁りをしていた彼らは、更なる儲けを求めて行方不明者の捜索依頼に目を付けた。
捜索依頼の中には生存が絶望的ながら一縷の望みを託して大金をかける人も多くいる。彼らはそういった人たちから行方不明者の特徴を聞き出し、それに合わせて特徴の似た全く別人の死体を骨にして渡したり、誤魔化せそうならそれらしい偽造遺品を添えて渡してきた。
また、リーダーのバーガスはどこで手に入れたのか人を追跡する事に特化した特殊なダウジング棒を持っており、これが皮肉にも本当に行方不明者を捜すのに一役買っていた。
冒険者として名が売れ出してからは緊急性の高い依頼も受けたが、彼等は捜索する相手が生きていた場合、意識を失わせて高価な装備品や財布の中身を失敬して、命あっての物種だと依頼者に帰してきた。
ことさら悪質なことに、自ら冒険者の意識を奪って拐い、身内からの依頼を引きずり出すことまでしていたらしい。
長期間同じ事をすれば足がつくため、ある程度稼ぐと解散して別の場所で集結し、別人になりすまして冒険者に――といった具合に世渡りし、世間の目も欺いてきた。
冒険者登録のずさんな管理とも言えるが、入れ替わりが早く、入っては死んでいく冒険者の管理を全ギルド支部で正確に管理できるほどこの世界の文明は発展していない。そうした隙を突いた卑劣な粗稼ぎであった。
だが、その荒さが仇となった。
ファインダーは受けたくない依頼の際に特別法外な値段を吹っ掛けて断らせるが、今回はハジメという規格外の財力と金銭感覚を持った依頼者が出てきたことで彼らは勢いに圧されて依頼を呑んでしまった。
ギルド受付嬢含むギルドメンバーは前からファインダーの活動には裏があるのではと訝しがっており、今回を機に馬脚を露すのではと探りを入れたのだ。その結果判明したのがこの悪事。確たる証拠を掴んだギルドは、容疑を決定的にするためにベニザクラの生存を秘匿した。
まさか最後の最後にベニザクラの最も触れてはならない逆鱗に触れることは予想外だったが、此処に全ての悪事は暴かれた。
なお、情報収集にはギルドが調査の為に雇った『NINJA旅団』のオロチとジライヤが同行しており、ハジメが読んでいた本の正体は彼らの作成した報告書である。特にジライヤはその後のファインダー他メンバー逮捕にも協力し、新人ニンジャとして一つ実績を重ねたそうだ。
余談として、バーガスはファインダーのメンバーは30人と謳っていたが実際には8人しかおらず、エリクシール詐取の罪も彼等に追加された。他、彼らが夫婦剣として売り払おうとしていた『阿形』は正当な相続者であるベニザクラに送られ、彼等の身勝手な犯罪の為だけに回収された冒険者の遺骨たちも身元が分かるものは遺族に送られた。
こうして、ハジメは期せずしてギルドの闇を一つ暴き、一人の女性を救ったのであった。
ハジメ自身は当初ファインダーが詐欺集団だとは全く気付かなかったが、彼らの検挙に貢献したことでギルドからの感謝は篤いものとなった。尤も、詐欺集団逮捕までの流れはギルド側――主にあのポニーテールの受付嬢が殆ど決めたのでハジメは演じただけだが、これで仕事は終わった。
今回彼らに支払われた2000万Gの依頼料金は奇跡的に回収されたが、頼んだ本人のハジメは「彼らに被害を受けた遺族たちへの賠償に中てて欲しい」と回収された金銭の引き取りを拒否し、逆に追加で一億の金を支払ったことで「死んだ目の聖人」と暫く噂されることになった。
多少とはいえ散財も出来て、実りのある出張だったと言えるだろう。
それはまぁ、いいのだが。
「……」
「……」
今現在、ハジメと同じく転移陣へと向かうもう一人の人物がいる。
大荷物を抱え大太刀を二振りも装備し、遺骨の入った箱を背に抱える鬼人の女性。そう、ベニザクラである。その表情は、路頭に迷っていますと言わんばかりに暗い。ハジメでさえ暗いと思うのだから、他の人間から見たら相当なものだろう。
(原因は腕のこと、そして両親のこともあるのだろうが……トドメを刺したのはやはりアレか)
彼女はどうも勇者レンヤに気があったらしく、生きて帰れたら勇者の「パーティに入って欲しい」という勧誘を受ける気だったそうだ。
ところが自分は隻腕になって戦力にならないし、当の勇者はパーティメンバーを探してとっとと別の町に行ってしまったらしい。
まぁ、生きて帰れたら云々は彼女の心の中の話。
戦場で腕を切断された上に地盤の崩落に巻き込まれたベニザクラを、必ず生きて帰ると信じ続ける方が難しい話だ。勇者は別におかしなことはしていない。彼女が勝手に当てを外しただけだ。
(結構罪な男なのかもしれないな、レンヤという男は)
女を勝手にその気にさせるだけさせて去っていく。
もしかしたら今頃別の誰かに同じことをしているかも知れない。
この世界には嘗て美しい容姿を得てそのようなことを繰り返してたと思しき転生者も数多くいるらしいが、大体が途中で生活を破綻させる出来事に見舞われているそうだ。勇者もその類にならなければいいのだが、案外その類の人間に限って神器まで誑し込んでしまうという説もある。
ともあれ、二重に傷心のベニザクラを見ていると、このまま放っておいて大丈夫だろうかという漠然とした不安感がある。ギルドの一件の後に遺骨埋葬の為に故郷に墓参りに行くと言っていたが、そのまま生きる希望を見失いそうに見える。
ハジメはしばし考え、珍しく眉間に皺を寄せて考え、そして後頭部をがりがり掻いてため息をつく。責任を負うことは大変だと実感したばかりだが、この状況では責任から逃げることの方が罪深い気がした。
「――俺が知ってる冒険者に、フェオというエルフの女の子がいる」
「……?」
「その子は森と一体化した町を作るのが夢らしくてな。いま『霧の森』の中に偶然自由に開拓できる広い土地を確保した彼女は、そこに地図にも載らない小さな村を作っている。まぁ……なんだ。多分住民募集中だし、もしこれから先にこれといって夢や目標がないんなら、その子の夢を手伝ってあげるというのはどうだ?」
「……」
ベニザクラはそれ以上何も言わず、転移陣に乗る。
ハジメも同じく転移陣に乗る。
転移陣は乗るときは一緒でも、思い描く行き先が違えば別の転移陣へと辿り着く。
転移の光が音もなく全身を包み、気が付いた時――そこに広がるのは霧の森の最寄りの町。ただ、一つだけ普段と違うところがあるとすれば、隣に何故かベニザクラがいることだ。
俯いていた彼女は、ゆっくりとハジメに視線を向ける。
本当にいいのであれば、という不安と期待のない交ぜになった表情だったが、彼女は意を決して望みを口にした。
「お墓を……移したいんだ。故郷は居心地が悪い。そのフェオという少女を説得して、その村に移させてくれ」
「……分かった。あの子は優しい子だ。嫌とは言うまい」
「あと紹介料金は適正価格で頼む」
「そんなことで金取るか。払いたがり屋だな、君は」
フェオがこの場にいれば、見事なブーメラン捌きに拍手を送っただろう。
翌日には、村の全員の協力でベニザクラの家と墓地が完成していた。そしてハジメは町で「フェオと付き合いながら別の女も侍らせている」と噂された。
……村の中ではベニザクラが顔を真っ赤にして必死に否定するものだから逆に怪しまれたのは余談だ。
(そんなに俺が女性と一緒にいるのがおかしいか……?)
噂を金で揉み消す仕組みが欲しい、と下衆な権力者みたいな思想が頭を過ったハジメであった。




