27-6
救出事件の後、ハジメとタクトは不思議な距離感にあった。
タクトはハジメを責めることもパーティに誘うこともなかったが、定期的に顔を出して他愛のない話をする仲になった。彼は言葉が上手く、ハジメの壊滅的に拙く融通の利かないコミュニケーション能力が僅かにマシになる程度には多く話しかけてくれた。
特段嬉しくはないが、迷惑でもなかった。
だから、多分それなりに心を許していたのだと後にハジメは思った。
「ハジメ、最近コロコロ武器替えてないか?」
「替えている」
「なんでさ? 遠近中で三種もありゃ良くない?」
「そう思っていたが、それでは足りないことが分かった。分かっているのに対策をしないのは良いことではない」
「出たよ、良いこと理論。正しさは人を救わねぇぞ?」
タクトは茶化すが、否定はしなかった。
何故ならハジメのこれは彼の仲間たちを救えなかった反省から来るものだからだ。いま会話しながらハジメは魔法の理論の本に目を落としている。初歩的な魔法は一通り学んだため、次の段階として中級魔法の習得に挑んでいる最中だ。
「俺は一人だから全てを一人でこなさなければならない。ならば選択肢は多いに越したことはない。幸いこの手の技能は神のおかげで人よりは習得が早い」
「潜在能力全振りのやつ、俺以外で初めて会ったよ。その本面白い?」
「いや、理論ばかりで習得方法が曖昧なものが多い。これで三冊目だが、どれも習得方法の基準がばらばらだから複数試さないといかん」
辟易したようにため息の漏れるハジメに、「案外お前が一番の魔法博士になるかも」とタクトは笑った。
――厳密にはハジメは潜在能力強化に全てを振ってはいない。ハジメ自身、自分の余ったコストがどうなっているのか知らない。自死禁止の制約が能力として作用しているという仮説を立ててはいるが、神はこの件について答えようとしない。
ともあれ魔法は一朝一夕には覚えられず、こうして空いた時間を有効活用している。その様をタクトは「暇つぶしで始めた筈のアプリゲーに気付けば時間拘束されてる奴みたい」とよく分からない喩えをしていた。
「逆に様々なスキルを学ぶ方は想像だにしない派生スキルに飛ぶことがある。不思議だ」
「あぁ、あるある。ジョブ取ってないのに身に覚えのないスキル来るやつ」
「その中には、次には人を救うのに役立つスキルが混ざっているかも知れない」
鞭で相手を縛ったり、魔法で障害物を作ったり、或いは状態異常に干渉する魔法があれば、以前死なせたグルニルのような犠牲者は出さずに済む。もっと言えば、戦ってたたきのめせればあれは防げた事態だ。
自分が死ぬのは良いが、自分のせいで誰かが死ぬのは許容できない。
歪んだ使命感かもしれないが、彼にしては真摯であった。
「熱心だねぇ、熱はないのにさ。相変わらず変なやつ」
「そういうお前はどうなんだ」
「何も変わんねーよ。相棒二人が世界からいなくなったのに、世の中はなんにも変わんねー」
「……」
「おっと、そこは『そういう意味の質問じゃない』って突っ込んでくれて良いところなんだがな?」
「面倒なのでもういい」
「ん、今のはいい軽口だ」
褒められているのか皮肉なのかは分からないが、タクトは彼なりにハジメの会話能力を矯正してくれていたのかもしれない。だが、ハジメにはそうすることでタクトが自分の孤独感を紛らわせているようにも見えた。
自分なりに成長しようとするハジメと対照的に、タクトはあの一件以来ずっと積極性に欠けていた。新たなパーティも組まず、喋る内容もダンジョンで仲間を失う前と後のことが自然と多くなり、冒険への熱意がない。なのに、冒険者を辞めて別の道に行く様子もない。
きっと、彼の心はあの迷宮の奥に囚われたままだったのだろう。
時間は進んでいくが、タクトの止まった時間は動かない。
現実と感覚は乖離していく一方だった。
だから、あんなことを言い出したのだと思う。
「あのダンジョンを攻略したい。俺からお前への依頼だ。ダンジョン攻略を手伝ってくれ」
「わかった」
「即答だなおい……質問ある?」
「ない。そもそも断ったらお前は一人で挑んで死ぬ気がするからな」
「へへ……お前、無愛想で空気読めなくて人をいらつかせる天才だけど、逆にお人好しだよな」
馴れ馴れしく肩を組んでくるタクトを、ハジメは受け入れた。
理屈で説き伏せることは出来たかもしれない。
リスクに見合うリターンがないだとか、私情を持ち込むと碌な事が無いとか、付き合う義理がないとか、普通に新たなメンバーを集って挑めばいいだけだとか、思いつくことは多くあった。
しかし、数ヶ月間の彼との付き合いは、ハジメを自然と「それでは彼は納得せずに自分の感情に従うだろう」という根拠のない確信を導いた。
――何度考え直しても、どう推論を立てても、幾度己の行動を省みても、やはりあれは必ず起きることだったとハジメは思う。
きっと、仲間を失ったあの日からタクトにとってその運命は克明だった。
◇ ◆
馬鹿正直にダンジョンのマップを提出したハジメと違い、タクトはマップを提出せずに独占していた。あの後にハジメのマップを元に何人かの冒険者達がそのダンジョンの未踏破エリアを暴こうと挑んだが、数名の犠牲者と行方不明者を出しただけで最奥は暴かれていなかった。
タクトは崖の下に花束を放って合掌した。
恐らくはグルニルの弔いだろう。
「ドワーフなだけあって装備品の整備は全部やってくれた。勇敢で、座標の力を用いて率先して危険な場所を調べてくれた。俺らの中で一番強かった。対等な仲間だけど、どこか頼れる兄貴みたいに思ってた」
ハジメも倣って合掌し、二人はダンジョンへ挑んだ。
二人とも一度第5階層まで到達したし、あの頃よりも二人は強くなっていた。
ハジメは元より、タクトも本人なりに対策をしていたようだった。
第3階層ではアウアリアの遺体があった罠の棘が敷き詰められた穴に花を投げた。アウアリアの遺体は完全に白骨化し、その骨すら鼠に囓られてあまり残っていなかった。
「ちょっと高飛車だったけど、それが可愛いと言える愛嬌のあるやつだった。ここだけの話、ちょっと好きだったのかもしれない。時間停止中に魔法詠唱するから発動が早いのなんの……でも、もういない」
「そうだな。どれほど後悔しても、もうこの手では受け止められない命だ」
「無駄死にだよ。でも俺は、無駄死にじゃないと思いたい。だからここの最奥を暴いて隕石の剣を手に入れる。理屈で考えればこれはまったく無駄なリスクだけど、俺の心がこのままじゃ納得出来ないんだ。二人の死に意味があって欲しい……俺は間違っているだろうか」
「……分からない」
「正直だな」
タクトは寂しそうに、しかしお前らしいとでも言うように笑った。
ハジメには分からない。
死後の世界の存在を知るハジメを以てして、それは正しいかどうか分からない。
正しさの基準点がどこにあるのかによって可否の判別をしたところで、タクト自身の心の納得が無い限り、彼は前に進もうとしないだろう。
しかし、グルニルを死に追い詰めるほどのリスクに対し、既に死亡した仲間の為に自ら飛び込む行為はリスク管理から見れば愚かだ。
愚かでも、タクトはそうするだろう。
人の心とはそういうものなんだと、今のハジメは思う。
この問答には答えなどない気がした。
◆ ◇
第5階層に、瓦礫とエレメントゴーレムの破片が大量に転がる。
その中心部で、ハジメとタクトは息も絶え絶えに座り込んでいた。
ハジメは彼にしては少し恨めしげにタクトを睨む。
「全部戦って倒そうと……言い出す……なんて……何を考えている?」
「はぁ……ふぅ……レベリング、だよ……ここの親玉に挑むんだったら、子分も倒しておかないとだろ?」
「確かに……ダンジョンの……鉄則、だが……」
ダンジョンの主は原則ダンジョン最強。
道中の敵に苦戦しているようでは危ないのは確かだ。
ハジメの反論に先回りするようにタクトは「これで二人とも大幅レベルアップだ」とけらけら笑っていた。確かにこの戦闘で互いに数レベルは上がっただろう。
地下を巡回する五体のエレメントゴーレムの弱点を、タクトは徹底的に調べ上げて作戦を建てていた。それでも結果として5体相手は苦戦する相手だったが、成長した二人は即席にしてはいい連携で見事に全機撃破を達成した。
「これで三人分」
「?」
「アウアリアとグルニルが欠けた分の戦闘力。パワーアップした俺とハジメでパーティ崩壊前と釣り合うと思う」
「そんなことまで考えてたのか……」
「お前を自殺に付き合わせる訳にはいかねぇ。前より弱い状態で挑むなんてありえねぇさ。さぁて、一番厄介な敵も倒した事だし一旦休憩しようぜ」
重い腰を上げて立ち上がったタクトはハジメに手を差し伸べる。
ハジメはそれより前に立ち上がる姿勢に入っており、戦闘中は息を合わせられたのにこういうところで合わないとタクトに愚痴られた。
二人が初めて出会った場所で、顔を突き合せて休息を取る。
ここから先にも厄介な敵はいるが、エレメントゴーレムほど苦戦する相手はいなかったという。悪魔のトラップも「このダンジョンにはある」と分かればそれ相応の対策が練れるため、既に最奥に至るまでの道は殆ど拓けている。
壁のかがり火から失敬した木材で薪を作った二人は、念のために武器の手入れをする。薪の炎の揺らめきは、不思議と人の気分を落ち着けてくれた。改めてタクトを見ると、前以上に様々な状態異常への備えをしているのが分かる。
「なあハジメ」
「なんだ」
「お前、パーソナルスキルって知ってるか?」
「いや……初耳だ」
タクトは愛用しているらしい大剣を置くとしゃべり出す。
「経験の蓄積と強い意識……これが合わさると、そいつ固有の強力なスキルが発現するらしい。最上位冒険者なんかは大体持ってるって話だ。下手すると転生特典より強いこともあるんだと」
「お前はそれを使えるのか?」
「いや全然。普通は狙って覚えられるモンでもないらしいし、グルニルとアウアリアも覚えてなかったよ。俺らは冒険者としては若すぎるからな」
確かにタクトはハジメと殆ど年齢が変わらないように見える。グルニルとアウアリアはそれよりは年上に見えたが、だとしても十代後半あたりだ。経験の蓄積にも限度がある。
暫く自分ならどんな力が目覚めるかの想像をタクトは楽しそうに語り、ハジメはそれに相槌やツッコミを入れつつ自分なら何になるだろうかと少し考えたが、イメージは浮かばなかった。
タクトは暫く楽しそうだったが、ふと会話が途切れると項垂れた。
「ダメだな、俺。仲間が元気だった頃の話ばっかり思い出しちまう」
「それは見ていれば分かる」
「だーよなぁ。お前にまで見透かされちゃーおしまいだよ」
おどけるタクトは一度ため息をつき、今度は真剣な顔になった。
「ダンジョン再攻略の準備の間をしてるときに、お前の噂を色々聞いたよ」
「どんな? 気味が悪い、会話したくない、死にたがり、とかか?」
「ん。でも会話してて思ったけど、お前は自分に関心がなさ過ぎるよな。人の事は自分なりには思いやってるが、人に自分がどう思われるかまで考えねえから嫌われんだよ」
考えたこともなかった指摘に口が閉じる。
会ってすぐのときも「会話が成立していない」と憤慨したタクトだったが、自分は非難されて当然という態度を表に出すことで更に相手を怒らせるケースなど思いつきもしなかった。
話してもつまらない人間とは話したくないとは言うが、生きている以上は望まぬ人と会話する機会がどこかである。故に見ず知らずの他人とでも一定の会話が出来るようマナーというものがある。ハジメはそこが理解できていなかったようだ。
「お前は出来る男だ。これからも沢山の人を助けられる。助けられなかったのが嫌だったんだろう? じゃあ助けられるモノをイメージしろよ。きっとそれがお前のパーソナルスキルに繋がるさ。欲張りになれよ、ハジメ」
「……そういうお前も、そんなに欲張りには見えない」
「はぁ、ったく……そうだよな。俺ら転生者は所詮二度目のふざけた人生だ。生き返った最初は楽しさもあったけど、結局この世界に転生者を真に理解出来るのは転生者しかいねぇ。俺はさ、仲間がいれば充分だったんだ。そして仲間を失うことを知った」
天井を見上げたタクトは遠い目をした。
「俺は三人でバカやる『あのとき』の幸せが欲しかった。今は遠き『あのとき』が生前の未練そのものだったんだ。でも幸せな時間は終わった。得ることもあれば失うこともある――それが本当の人生だ。だから俺は証が欲しい。俺がジジイになっても、そいつを見れば俺らがバカをやっていたと思い出せる品が」
ハジメはこのとき、タクトが冒険者としての熱意を失っていることと、この件を終えたら冒険者を引退するつもりであることを悟った。
(俺は……あいつを助ける為にどんなことが出来るようになれるんだろう。例えば、俺のこの手がもっと遠くまで、もっと意識のままに届けば……いや、不毛だな)
せめてこの男を守る力くらいはあると、今は信じたい。
彼の『あのとき』は戻らずとも、望むものなど何もないハジメと違って彼の人生にはまだ先があるのだから。




