5-3
「ととさま、わたし、こんなに大きくなりました」
「綺麗になったな、ベニザクラ」
「かかさま、わたし、立派な戦士になりました」
「貴方ならなれると信じてたわ、ベニザクラ」
父の笑顔も、母の笑顔も、記憶にあるままだ。
慈しむような笑み、親の情が籠った笑みだ。
「おじいさま、わたし、ととさまとかかさまに恥じぬよう戦を駆け抜けました」
「凄いぞ、ベニザクラ。お前は家族の自慢だ」
「おばあさま、わたし、最後まで痛みに負けずに戦い抜きました」
「辛かったろう、痛かったろう。本当によく頑張ったねぇ」
優しかった祖父母の柔和な微笑みが、懐かしい。
泣いて弱音を漏らしたときも、同じように声をかけてくれた。
「これからずっと、家族で一緒に……ずっとずっと、一緒に……」
ここには永遠に会えなくなった家族が居る。
ここにいたい。ずっと、ここで幸せに浸りたい。
「いいやベニザクラ。おまえはまだだよ」
「え――」
「そうよ、まだ。まだ早いわ、わたしの可愛いベニザクラ」
「い、いやだ……いっしょにいたいよう! つれてってよう!」
どうして、どうしてなのだろう。
両親も祖父母も、微笑みながら遠ざかっていく。
どうしてそんな残酷なことを言うのだろう。
あんなに頑張って、やっと会えたのに。
どうして――。
――。
「――……」
ベニザクラが目を開くと、そこには両親も祖父母もおらず、ぶら下がるカンテラの明かりがあった。どこかから、コトコト、コトコトと聞き覚えのあるような音が響いている。
自分は何をしていたのだろうか。
懐かしいような、嬉しいような、悲しいような、でも思い出せそうで思い出せない。夢と現の曖昧な境を見いだせない薄ぼんやりとした記憶が頭を巡る。
「目が覚めたか」
声をかけられ、ようやく意識が現実に寄っていく。
同時に、食欲をそそる匂いが周囲を漂っていることに気付く。先ほどからするコトコトという音は、どうやら食べ物を煮込む音だったようだ。いつもの目覚めのように体を動かそうとしたベニザクラだったが、そこで何故かバランスを崩して倒れかける。
床に衝突する痛みに備えてるが、それは途中で何者かに支えられたために来ることはなかった。
「無理をするな。体力を限界まで消耗している。まずは横になるんだ」
そこでベニザクラは、自分に声をかけていた男の顔を初めて見た。
記憶にない顔だ。年齢は三〇代程度だろうか。生気や気迫に欠ける表情はまるで喜怒哀楽を忘れてしまったような印象を受ける。だが、後れて自分が見知らぬ男に触られているという事実に気付いた。
咄嗟に抵抗するように身じろぎしたが、男は動じることなくベニザクラを丁寧に寝かすと手を離した。ベニザクラは、何故男が自分を介護しているのか心当たりがなく、混乱する。
「私は、何故……? お前は誰だ……?」
「俺は冒険者のハジメ。君は魔王軍との戦いの最中に重傷を負い、その後戦場が雨による地盤の緩みで崩落したため一時行方不明になっていた。一日半ほど経ってから俺が発見して最低限出来る手当てをして、今ここにいる」
簡潔で感情の籠らない説明に、頭がずきりと痛む。
そう、自分はあの崩落に巻き込まれながら辛うじて生き埋めにならずに済み、自ら失った腕を焼き――腕を――。
「腕……ない……」
二の腕の中ほど辺りから先が消失した己の右手を見て、ベニザクラは魘されるように呟いた。
まだあると思っていた、腕。
もう戻らない、腕。
ハジメと名乗った男は、ほんの僅かな同情の籠った視線をこちらに送る。
「無茶のし過ぎだ。もっとも、無茶しないと生き延びられないときもあるのが冒険者だが」
「……っ」
鮮明に戻った記憶が、ベニザクラをより深い失意に突き落とす。斬られたときは戦意で興奮していて気付かなかった単純な事実が、心に重くのしかかった。親から貰って生まれた五体の一片を、自分は失ったのだ。
「これでは、もはや戦士すら続けられない……ッ」
自業自得とはいえ、世界は自分から戦いまで奪おうとするのか――悔しさに歯噛みしたベニザクラは、そこではっとする。
「私の剣は……剣はどこだ!!」
「そっちだ」
男が料理を器に注ぎながら顎で差した先、テントの端に剣は確かにあった。ベニザクラは安堵でため息をつく。大太刀『吽形』は父の形見だ。父が戦場に散った際に唯一手元に戻って来たこれだけは死ぬまで手元に置くと決めていた。
安堵すると、急に空腹感に気付く。身体の感覚がぼんやりしているのは倦怠感からだろう。切った腕の傷口も疼く。今更自分が生きていることを思い知らされた気分だった。
男が器に注いだスープを持って近寄る。
「食事だ。病人食で少々味気なかろうが、今は食べて血肉の糧にしろ。ほら、食べさせるから口をあけて」
その言葉に、かぁっと顔が赤くなる。
「じ、自分で食べられる! 馬鹿にするな、まだ片手が残って――うわっ」
まるで赤子の世話でもするような言葉に咄嗟に拒否反応が出るが、体が思うように動かずまた倒れそうになる。男は文句ひとつ言わずに支えると、ベニザクラが食べやすいように腕で体を起こした。
「今は姫にでもなった気分でいろ。何をするにも体力が戻ってからだ」
「ひ、姫……私をか、からかってるのか?」
顔が余計に熱を帯びる。ベニザクラはその扱いに耐えられず意地を張って抵抗しようとしたが、男は今度は落とすまいとしっかり彼女の体勢を固定させている。
ベニザクラは恥辱に耐えて、仕方なく男に言われるがまま食事をした。
「くっ……屈辱だ。しかも、なんでやけに手馴れてるんだ……」
「練習したからな。吐き気がしたら遠慮なく言え」
練習とはハジメの娘の影響だが、ベニザクラには知る由もない。
鬼人の生命力ゆえか、結局与えられた量を食欲のままに食べ切ったベニザクラは、何故こんな男に面倒を見られなければならないのかと憤慨する。
「……お前、ハジメと言ったな。私を助けたと言っていたが、そもそも何故こんな場所へ?」
「魔王軍との激突で損耗が大きいから暫く援軍に来て欲しいとギルドに頼まれてな。ついでに行方不明者の話を聞いて捜索してたら偶然見つけられただけだ」
「それがそもそも変だろう。応援ということは戦力を期待されていた筈だろう?」
防衛戦で戦力がガタガタになったギルドに応援の冒険者が来るのはおかしくないが、それなら敵の襲撃に備えるのが仕事の筈だ。行方不明者の捜索まで請け負うのは考えがたい。
いや、とベニザクラは考え直す。もしや彼は、誰かの依頼で探しに来たのではないか。嫌われ者の自分を探してくれる人間――今、思いつくのは一人しかいない。
「そうか、レンヤに依頼されて私を探しに……?」
「そんな依頼は受けていないが」
「えっ」
ばっさり両断され、ベニザクラは何故か気落ちした。
「そ、そうだ! レンヤは、あいつは無事か?」
「無事だ。君の捜索依頼をしようとしていたが、金が足りずに諦めていた」
「そ、そうなんだ……」
無事だったことに安堵し、探そうとしてくれたことに感謝し、しかし最後のオチでベニザクラは複雑な気分になった。所詮は赤の他人、生存も絶望的だから諦めるのはしょうがない。
それに今のギルドで捜索依頼と言えば業突く張りのファインダーに頼むしかないだろう。まだ駆け出しに近い彼にとっては厳しい出費になった筈だ。
「待てよ……そうか、それで勇者は依頼が無理ならせめてお願いだけでもとお前に……」
「いや、あの青年とは会話すらしていない」
「そう……」
ベニザクラの心が何故か露骨に沈んだ。
いや、仕方ないことなのだ。例え善良であっても、他人の為にそこまで頑張れる人間は世の中には少ない。ただ、出来れば自分の悪評や見た目を気にせず声をかけてくれたあの勇者のおかげであって欲しかったという僅かな期待はあった。
彼は悪くない。望んだ自分が悪いのだ。
食器を片付けるハジメは、ふと思い出すように呟く。
「ファインダーに金を払って捜索依頼を出したのに、まさか俺が先に見つけるとは思わなかったな……そういえばあいつら、真面目に捜索してるなら俺がここでキャンプしてるのくらい発見して一声かけてきそうなものだが」
「え? ファインダーに頼んだのか?」
てっきりファインダーは話からフェードアウトしたと思っていたベニザクラは我に返って尋ねる。ハジメはああ、と生返事した。ベニザクラの中で疑問が膨らむ。
「何故見ず知らずの人間の捜索に金を払ったんだ、お前は?」
「ファインダーにも同じことを聞かれたが、人助けは悪いことではないだろう。ファインダーが駄目なら自力で探す気だった。大した意味はない。遠い土地で飢餓に苦しむ人まで面倒は見れなくとも、歩いていける先で困った人くらいなら時間の許す範囲で助ける。人間の善性などそんなものだ」
「……気味の悪い考え方をするな、お前は」
困っている人を救いたいという熱はなく、他人などどうでもいいという冷たさもなく、ただ書類に書かれた判断基準を元に淡々と善行をするようなハジメの価値観が、ベニザクラには理解できない。
ましてその為に決して安くない金を払うなど、特に。
「目の前で人が助けられるなら莫大な金銭を失ってもいいというのか」
「むしろ失いたいくらいだ。使いもしない金ばかり増えていく」
ハジメが急に意味の分からないことを言い出す。
しかもさっきまでフラットだった感情に僅かに起伏が生まれていた。
「今回散財できたのもたった2000万Gと現物程度。まぁ、一応追加で1億Gは渡してやるとして、それでも聖火台に比べると余りにも……安い……」
捜索料金2000万G。
追加報酬1億G。
そして極めて不吉な「現物」という言葉。
……ベニザクラは一流の戦士だが、余りにも激しい戦いに身を投じすぎて防具や消耗品に消える代金がかなり多い。特に鬼人用防具は正規の店だとベニザクラを不吉に思い実質的な門前払いにするところも多く、人並み以上にお金がかかってしまう。
はっきり言って、一億2000万Gは払えない。
それだけの値打ちがある品などベニザクラの愛剣『吽形』しかない。ベニザクラは顔面蒼白になった。
「待ってくれ!! その剣だけは売れない!! 金は必ず用意するからその剣だけはッ!!」
「何を言っているんだ君は」
「何もかもなくした私に残された最後の家族の形見なんだ!! たとえ奴隷に身を窶しても譲れない剣なんだ!!」
「俺は追剥ぎでも奴隷商人でもないんだが」
ベニザクラは熱のせいか混乱していた。
と――テントの前で鳩の鳴き声が聞こえた。冒険者には聞き慣れた、ギルドの伝書鳩だ。
ハジメがテントの入り口を少し開けると、ポポポ、と鳴きながら鳩が入ってくる。鳩の足に括られた筒から紙を取り出して暫く内容を吟味したハジメは、紙を握りしめたままベニザクラの方を向く。
そして、とんでもないことを言い出した。
「回復したらすぐに戻す予定だったが、事情が変わった。君には――死んでもらう」
「な――!?」
テントの明かりが、音もなく揺れた。




