おまけ 26-10.5
――大会はハジメ・ベニザクラペアの勝利で幕を閉じた。
二人はペアリングを受け取って衆人観取の中で幸せなキスをしたのだが、ベニザクラはその辺の記憶が少し曖昧だ。死闘を乗り越えて気が抜けたのと、ハジメと一緒に祝福されることへの多幸感によってやや頭がハッピーになっていたからだ。
ベニザクラは内心覚えていなくて良かったと思う。
もし覚えていたら、後で色々と複雑な気分になっただろうから。
彼女の手にはシズクとオオミツから取り返した『阿形』と『吽形』、そして勝利を呼び込んだ角飾りがある。彼女はやり遂げたのだ。角飾りを自分の角に戻し、刀を抱きしめたベニザクラは一時だけ静かに涙を流した。
一方、ずっと泣いている者もいる。
「うえぇぇぇぇ!! ひっぐ、ひっぐ、うえぇぇ……!!」
シズクが試合が終わって以来ずっと泣きじゃくっている。
オオミツが何とか宥めようとするもその甲斐虚しく効果は無い。
ベニザクラはもう禍根はないと歩み寄る姿勢を見せたが、そうするとシズクは余計に泣きじゃくって拒絶した。
「本当にもういいんだが……プライドの問題か?」
「どうかな。俺が話してみるから、ベニは先に行っててくれ」
「確かに、これ以上私がいると逆効果か……分かった、後でな」
ベニザクラが退室し、そしてアマリリスとウルに両脇を抱えられて「え? え?」「さあベニちゃんハジメさんとのいちゃいちゃの素直な感想を洗いざらい喋っちゃいましょーか!」「写真バッチリ撮れてるから見せたげるね!」と謎の連行をされていった。
あんまり虐めないであげて欲しいが、今は確認を優先する。
ハジメはシズクに近づくと、反射的にかオオミツの野太い手が払いのけるように振り回される。
「手を出す気はない。少し時間を貰うだけだ」
「クソ……一度勝ったくらいで調子乗りやがって!」
「言っておくが試合中に言ったことは今も有効だから覚えておけよ?」
そう言うと、オオミツは喋れば余計なことを口走ると思ったのか不満そうに自分の手で自分の口を塞いだ。俺はシズクに一方的に話しかける。
「一応確認したい。お前、転生者だな」
「うぇっ、えぇぇぇぇっ……」
泣きじゃくりながらも、シズクは頷いた。
「自分が社会的に悪とされることをやってきた自覚はあるか?」
「……っ、人間の常識なんかぁ……ひっく、知るかぁ!!」
「まるで自分は人間じゃない様な言い方だな」
「ち、違う……違う違う! 違うの、今のは!! 人間だよ私は! 人間! 人間に……人間になったのに、なんでぇ……!!」
自分で言った言葉に自分で怯える彼女は錯乱しているように見えたが、気になる言葉に引っかかりを覚える。
「人間に、なった?」
今のはまるで、本当にもともと自分は人間じゃなかったような言い方だ。
無論、人ではない動物にだって魂はある筈なので、決してあり得ないことではない。しかし、少なくともハジメは自分が前は人間じゃなかったと言う転生者は見たことがない。
「転生前は何者だったんだ、お前?」
「……あまのじゃく」
「うん、それはまぁ、今もそうな気がするが」
彼女の経歴を見たときも、オオミツから聞いた話からも、彼女が常人には理解し型ないひねくれた感性の持ち主であることは感じていた。その様はあまのじゃくと表現できる。しかしシズクは首を横に振った。
「ちがう」
「?」
「わたしは、人間が『天邪鬼』と呼んだ存在」
「……なんだと? 妖怪の天邪鬼か?」
「鬼を妖怪に含めるなら、そう。私は天邪鬼。意地が悪くて何にでも反発し、人の望みと反対の嫌がらせをする、邪心ありきの存在……だった」
「……」
余りの内容に言葉を失ったのはいつ以来だろう、と、ハジメは思う。
嘘や冗談で言っているのかとも思ったが、当人は本気のようだ。
そんなことがあり得るのか、あの世界に妖怪は実在していたのか、様々な思考がない交ぜになったハジメの口から咄嗟に出たのは、身も蓋もない疑問だった。
「妖怪が何故転生を……?」
「あんたみたいなのには分からないでしょ……生まれたときから人間の貴方たちには」
シズクはいつの間にか泣き止んでいた。
昏く湿気を感じる視線がハジメに向けられる。
「裏切らずにはいられない、嘘をつかずにはいられない。人間の愚かさを嘲笑いながらも、愚かでしかいられない。頭の可笑しいサムライどもに刀を突きつけられて追い回されたわたしが、その生き方にうんざりするのは変かしら? いっそ人間になれればと願うのは、いけない……?」
生まれついてそうとしか生きられない呪い。
全人類が等しくそれを背負うが、背負ったものの重さは等しくはない。
ハジメは妖怪の考え方など分からないが、彼女の言葉には切なるものがあるように感じた。
「では、オオミツの言っていた『鬼の本能を削ってもらった』というのは……」
「嫌だったからよ……鬼でいるのが!! そういう生き方しかできなかったのが!! だから肉体を妖怪ではなくして、鬼の本能も消して貰った! 妖怪としての力を削って、削って、削って、人の範囲に収めてもらった!! うんと人間に愛されて褒められるように、うんと可愛い体にしてもらった!!」
「なんてことだ……じゃあ認識外しの能力もその剣技も、元々お前の持っていた力だったというのか!?」
「悪戯をしてる間は見つからないの。悪戯の範囲でしか効果が無い。刀は、サムライ共との殺し合いで覚えた……」
彼女は人になるためにわざわざ弱体化して、それでもあれほど強い。
天邪鬼という妖怪の、人とは隔絶した強さを思い知らされた気がした。
シズクはずず、と鼻水を啜り、俯く。
「でも、結局私は骨の髄まで天邪鬼だった……人を惑わすと心が安らぐ。優しくされると滅茶苦茶にしたくなる。私は人間になれてない……人間もどきにしかなれない……」
「……部外者の俺がなんと言おうと響かないかもしれないが」
ハジメは言葉を句切ると、彼女の隣にいるオオミツを指さした。
「お前はオオミツのストッパーをしていた。仮に彼を利用するような関係だったとしても、少なくともオオミツは君にとって特別だろ。彼は君を人として見てるんじゃないのか?」
「ダーリン……」
怯えの混じったシズクの視線に、オオミツは少し恥じ入るように後ろ頭をぼりぼり掻く。
「ハニーよぉ、実はさっきから何話してるのがぜんっぜん意味分かんねえんだよ。俺、頭わりぃかんな。でも、ハニーが俺の分からねぇことで悩んでんのは分かったよ。俺をからかってその悩みを忘れられるんならよぉ……まぁ本当は俺のことだけ見て欲しいけど、浮気でもワガママでもなんでもしていいよ」
「ダーリン……!!」
オオミツは粗野で粗暴で乱暴で短絡的で割とどうしようもない男だが、それでもシズクへの想いは本物だと思う。結局はシズクもオオミツも人で、しかし自分の感情との向き合い方を知らないだけなのだ。
(こういうのはホームレス師匠の仕事かな……相談するか)
牢屋に叩き込んだところでこの二人はどうせ脱獄するし、人格矯正から考えよう。
遅すぎる、どうにも出来ない人間はいないと、今はそう信じたい。
「はにぃぃぃ~~!!」
「だ~~~りんっ!!」
「……言っておくが、次に同じことしたら俺も容赦しないからちゃんと自重しろよ。うん、ダメだ、二人の世界に突入して声が届いてる気がしない」
抱き合い熱烈なディープキスまで始めた二人を一旦放置し、ハジメは部屋の外に出た。
(人の転生は分かるが……妖怪か。そんなものが本当に俺たちの世界にいたのか? それとも事情が異なるのか? ダメ元で神に聞いてみるか)
ともあれ、ハートピア島で全てを精算したベニザクラは大手を振って村に帰れる。
皆にはいい知らせを伝えられそうだ。




