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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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26-9

 ベニザクラは報復の為の戦いの中にあって、不思議な心地よさに包まれていた。

 解放と呼んで良いのかも分からない、どこまでも続く疾走感。

 誰よりも鬼人らしい鬼人であるが故に、血湧き肉躍る。

 意に沿って乱れ飛ぶ左の斬撃、ここぞと願った瞬間に追従する右の斬撃、義手と生身の腕を振り回して己の全霊を籠めてシズクを攻め立てる。


 シズクはそれらすべてを流麗な刀捌きで捌いてゆき、時折反撃の刃を放つ。

 斬撃が義手の『灼』を切り裂いたが、関係無しに右手はベニザクラに従ってシズクにスキルを放つ。


「双剋ッ!!」

「んもう、面倒っ!」


 二刀流の刀で使う左右同時の斬撃に、シズクはバックステップで躱す。

 『灼』の斬られ方を自ら調整することで、本来回避を交えなければ出来ない斬撃をベニザクラは無理矢理通した。そして後方に逃げることも織り込み済みで更に果敢に攻め立てる。


夜凰連閃やおうれんせんッ!!」


 右手に握る刀、『風花』が距離を詰める踏み込みと共に連続で叩き込まれる。

 それをもシズクは身をよじって華麗に捌くが、ベニザクラはそんな彼女の技量よりも『風花』に感動していた。


(専用の刀とは、こういうことなのだなッ!)


 両手が使えない場合を想定してもう一本の大太刀『来光』より小振りになったその太刀は、ベニザクラの筋肉、骨格、クセの全てを知り尽くしているかのような微細な調整が施されている。夜凰連閃やおうれんせんを放った時の切っ先の鋭さは、嘗てベニザクラが使っていた阿形や吽形のそれ以上の肉体との一体感があった。

 ならば、と、今度は『来光』を両手で握って足を踏みしめる。


「赫灼一閃ッッ!!」


 ゴウッ、と、斬撃で大気が抉れて焼き尽くされる音がした。

 シズクは飛んで躱そうとしたが、その動きに辛うじて気付いたベニザクラの意志を義手と刀が見事に汲んで軌道が上向き、シズクを捉える。


「うわっとぉ!? 円空ッ!!」


 シズクは慌てて、しかし憎たらしいほど的確に斬撃をスキルでいなす。

 だが、得意の一撃が防がれたことよりも今の一瞬の修正が間に合ったことにベニザクラは感動する。『来光』は『阿形』と『吽形』より更に大きな太刀なのに、むしろ今まで以上に取り回しやすくさえ感じる。専用剣とはこれほどに肉体に馴染むのか。それどころかベニザクラの実力が底上げされたことで、己の剣にもっと先があると道案内してくれている気さえする。


(ありがとう、ありがとう!! ありがとうみんな!!)


 特訓に付き合ってくれたカルマ、武器を用意してくれたトリプルブイ、装飾を作ってくれた子供達、背中を押してくれた友達――そして、既にオオミツを倒したにも拘わらず、意を汲んで手出しをせず見守ってくれている愛しい人。


 ベニザクラは今、幸せを感じていた。

 ずっと不幸を呼ぶ不吉な女だと蔑まれ、甘えたい家族もなくし、ずっと不幸から抜け出すことが出来なかった。そんな彼女が今、充実していると思える。自然に笑うことが出来る。

 幸せを齎してくれた全てに、ベニザクラは感謝した。

 剣を強奪したシズクにさえ、今のベニザクラは感謝していた。


「ありがとう、私の前に立ちはだかってくれて! お前が敵で良かった!」


 彼女ほど強い敵とぶつかり敗北しなければ、今の高みまで這い上がれなかった。

 さりとて彼女が今ほど強くなければ、これほど全霊を籠めて戦えなかった。

 彼女のやったことは許せはしないが、戦士として感謝していた。


 故にか、ベニザクラは次第に妙なことに気付く。

 シズクの動きが段々と悪くなっていく。

 太刀筋にあった迷いなき鋭さが、精細さが、どこか欠いている。

 いつの間にか、彼女のへらへら笑いも消えていた。


「シズク……?」

「おかしいでしょ、あんた……おかしいよ」


 オオミツに見切りをつけた観客達の視線が殺到する中にあって、その顔は、こみ上げる吐き気に耐えるような苦悶に歪んでいた。




 ◆ ◇




 シズクはベニザクラの気持ちが分からず、胸がつかえるような違和感を募らせていた。


(意味分からない。なんでそんな顔するの? こっちはまだ本気出してないのに、どうして……どうして『わたしより幸せそうなの』?)


 男に守られて満たされたのかと思った。

 男に愛されて満たされたのなら理解できた。

 その上で叩き潰して現実を見せてやる気だった。

 なのに、この女は戦いながら敵に感謝する。


 圧倒的な実力差に大敗して泣き叫んだ過去など忘れたかのように。

 自分へ向けた憎悪を忘却したかのように。


 シズクは、ひどく気分が悪くなった。

 そうだ、長らく忘れていた。

 自分は――憎まれ、疎まれないと生きていけない存在。


(ち、違う……違う、違う! それは昔の私! 今の私は、違う!)


 ――ほんとうに? と、自分の中で意地悪そうな笑みの誰かが嗤った。


(変わったもん! 神に転生を願って、変わったんだもん!!)


 ――なら、何故オオミツのような男を侍らせるの?


(彼が愛してくれるからよ! それの何がいけないの!!)


 ――うそつきシズク。きまぐれシズク。自分にまで嘘をつく。


(嘘じゃないもんッ!!)


 頭の中で、嘲る声が次第に大きく、響く。

 分かっている、全てをシズクは分かっている。

 分かっていて尚、ずっと押さえつけていた。


 シズクは、他人から見れば重篤な病を抱えている。

 心の病、癒やせぬ病、生まれつきの病。

 彼女は、誰かに憎まれ、疎まれ、畏れられていなければじっとしていられない。

 自分に好意を持つ相手には、何が何でも裏切らずにはいられない。

 それは魂に刻まれた彼女の存在意義そのもので――本来なら、もう切り捨てた筈のものだった。


「私を、そんな目で見るなぁぁぁぁッ!!」


 自分は、ベニザクラを裏切らなければならない。

 迸る衝動のまま、シズクは刀を振りかぶった。


「雪破! 連鰐! 獅子斬四!!」

「うっ、力押しに変わった……!?」


 鋭い踏み込みからの連続突きで義手を強引に弾き飛ばしたシズクは四連続の斬撃を次々に叩き込んでベニザクラの剣を強引に押しのけると、その腹部に蹴りを叩き込んだ。


「らぁッ!!」

「ごぶっ……!」


 ベニザクラはそのまま後方に跳ね飛ばされるが、義手から凶悪な爪がじゃき、と出てくると地面に突き立てた。爪は地面を引き裂きながらも強引に吹き飛ぶ勢いを止め、今度は義手を展開するオーラを縮めてゴムのような反作用を起こさせたベニザクラが再度接近してきた。

 両手に剣を構えたベニザクラの口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「天鎖十文字ッ!!」

「地霊一文字ッ!!」


 空から襲い来る十文字の斬撃を、地を裂く一刀にて切り裂く。

 そのまま押し切ろうとした刹那、彼女の刀が紅のオーラに包まれ爆発する。


「なっ……!!」


 経験したことのない衝撃に、シズクは咄嗟に下がって躱そうとした。

 その瞬間、ベニザクラの厳つい義手が容赦なくシズクに迫る。


「受けろ、正拳ッ!!」

「ああもう腹立つっ!!」


 正拳は、格闘家スキルの基礎の基礎。

 しかしベニザクラの巨大な義手が、しかも恐ろしく伸びるリーチで使ってくれば、それは本来のスキルとまったく別次元の脅威となる。空中で拳に蹴りを放って対応するシズクだが、威力を殺しきれずに弾き飛ばされて地面を転がった。


「ほんとめんどくさ……! 苛々する!!」


 体を捻ってうまく衝撃を殺せたから、ダメージは然程ない。

 しかし、この日のために着飾った服が汚れてしまった。

 そもそも、シズクは一撃たりとも彼女の攻撃を受ける気などなかったのに、今のは当たったに等しかった。当てたベニザクラはこちらにダメージが大してないことに気付いている筈なのに、また楽しそうにしている。


「一撃当たった……! 学んだことが活きている!」

「カス当たりで随分とはしゃぐじゃないの! 蹴られたお腹とダメージの釣り合いが取れてないんじゃない!?」

「お前は感じないのか、この喜びを! 鬼人の血が流れているなら分かる筈だ、戦いを通じて己を研ぎ澄ますこの感覚が! それを授けてくれた者たちへの感謝が!」

「うざったい……うざったい、ああうざったい! 鬼の気持ちなんて捨てたのよ!!」

「なら思い出そう、共に!!」


 ベニザクラは本気だった。

 本気で笑顔で、善意で、戦いの最中に隙を晒してシズクへ向けて手を差し伸べてきた。

 瞬間、視界が歪むほどの不快感と嫌悪感がシズクを襲う。

 本気で戦えば倒せるのに――今、きっとベニザクラは倒されても嬉しいのだろう。

 それは、許せない。シズクに手を出された相手は負の感情を自身に向け続け、何度も思い出しては憎しみや後悔、虚無感を募らせなければならない。自分の戦いはそういうものでなければならない。


「気色悪いから奪ってあげる!! 感謝の気持ちってやつをさぁ!!」


 瞬間、シズクは会場内にいながら、誰も存在を認識できなくなった。

 忌々しくも便利な、シズクの切り札――今、彼女は己を見る全員の認識を騙している。

 シズクはベニザクラの全身を見回すと、ある一点で視線を止めてにたりと嗤った。


 彼女は、ベニザクラの角にかけられた角飾りを引き抜いて自分の角にかけた。

 一目で分かる、ベニザクラの名を象って紅色に塗られた桜の花弁の装飾があしらわれた逸品。贈り人の真心が籠っているのは間違いなく、こんな戦いに持ち込んだくらいに気に入っているのも間違いない。

 家族の形見の姉妹剣も失い、後に得たものさえも失った。


(ざまあない! 奪ってやった!)


 ほくそ笑みながらシズクは彼女の横を通り過ぎて背後に回ると、認識逸らしが解除された。

 認識逸らしは『悪戯』にしか使えない。

 悪戯が終わると、元に戻る。

 努めて楽しそうに、シズクはベニザクラに盗品を見せびらかした。


「どう、ベニザクラちゃん。似合う? 安っぽくてイマイチでも装備者そざいが良ければそれなりかな?」

「後ろ!? ……その、角飾りは」


 彼女の視線がすぅ、と細まり、シズクの胸に期待が溢れた。


(さあ怒りなさい、憎みなさい! それさえあれば、何一つ憂いなく完膚なきにまで負かしてあげる!!)


 だが――ベニザクラは特に怒らなかった。


「忠告しておく。それはお前には似合わない」

「そーお? そう言われるとずっとつけていたくなるなぁ」

「止めたからな、まったく。手癖の悪さが仇となっても知らんぞ」


 呆れたようにため息を吐いたベニザクラの反応に、シズクは唖然とする。

 そんな筈はない、これはとても大切なものの筈だ。

 誰かに盗まれても平気なほど軽い品ではない筈だ。


「つ、強がりを。目の前で踏み潰してやってもその顔が出来るかしら?」

「それは流石に困る、なっ!!」


 ベニザクラが即座に踏み込みと共に斬り込んでくる。

 シズクは即座に迎撃し、決める。

 彼女が反撃する余裕がないほど打ちのめされた瞬間、彼女の目の前でこれを砕く。

 素晴らしい、流石にそこまでやれば彼女もシズクを憎むに違いない。


 なのに、どうして――身も心も、段々と重くなっていくのだろう。




 ◇ ◆




 オオミツが変な気を起こさないよういつでも倒せる立ち位置を維持したままベニザクラとシズクの戦いを見守っていたハジメは、意外な展開に驚いていた。


(急に調子を崩したと思ったら一瞬姿を見失ったが……まさか自ら墓穴を掘るとは)


 当初は絶望的だったベニザクラの勝率が、いつの間にかじわじわ上がってきている。このままシズクが実力に任せた全力のごり押しをしてくるなら話は変わるが、彼女はまだ優位な筈なのにどうも動きに精細さがなかった。


 動きを封じられたオオミツが顔だけを必死にシズクの方へ向けて呻く。


「うう、畜生ぉ……このままじゃハニーの調子が出ねぇ。あの白いの、楽しそうに勝負しやがって……」

「?」


 彼の気になる言葉に少し疑問が浮かぶ。


「調子が出ないとはどういうことだ。彼女の強さは気分で増減するのか?」

「……敵には教えねぇよ。土下座して頼み込むなら話くらいは聞いてやらんでもない」

「そうか。ではシズクの身に起きてるお前の知らない異常の情報と交換でどうだ?」

「誰がお前と……いや、待て。待て……なんだよ異常って」


 意地を張って突っぱねられるかと思いきや、恋人の話になると流石に無視出来ないようだ。こんなどうしようもない男にも一廉の良心が残っているらしい。


「これ以上は交換条件でしか教えられない。どうなんだ?」

「嘘だったら殺すぞ」

「神に誓って嘘は言わない。というか、そのザマで脅しても格好はつかんぞ」

「クッソ、嫌味な野郎……。好きになる奴の気が知れねぇなぁ!」


 不機嫌そうなオオミツはその後暫く黙り、やがて意を決して口を開く。


「ハニーは誰かに迷惑かけてねぇと落ち着かねぇんだよ」

「いたずらっ子か?」

「うるせぇ! ……誰かに迷惑かけたり、憎まれたり、恨まれたり、惑わしたり……ハニーはそういうのが好きなんだ。いや、違うな。好きじゃねえのかもしれんが、やらずにいられない。最近はどうしても我慢できないときはその辺の男を引っかけて俺に嫉妬させることで満足してる」

「浮気性にしか聞こえないが、お前はそれでいいのか?」

「何があろうが俺はハニーが好きだ」


 強い意志を以て断言する程には、熱い気持ちを持っているようだ。

 問題はその意識がシズク以外の一切に注がれないことだろう。


「お前の話に基づけば、ベニザクラが憎しみや恨みを忘れて楽しく戦っているから彼女は落ち着きがなくなっている、ということになるが……」


 迷惑をかけていないと戦闘に支障を来すほど落ち着かなくなると言うのは流石に異常に感じる。へきの類にしても特殊すぎる。まるで依存だ。何らかの欲求を満たすために迷惑行動に訴えるというのなら分かるが、聞いただけでは「悪戯してないと死んでしまう病」みたいなふざけた病名がしっくりくる。


「鬼人なら本能的に戦いに快楽を感じるんじゃないのか?」

「知るかよ」


 ぶっきらぼうな一言。

 しかし、オオミツの言葉には続きがあった。


「ハニーは『生まれ変わるときに削って貰った』って言ってた。意味はわかんねぇ」

「……成程」


 転生者的な言い回しだ、と、ハジメは思った。

 削って貰ったというのは、つまり先天的能力を無効にしてもらったということだろう。今までに余り聞いたことのないパターンだ。彼女の『絶対に捕捉出来ない』転生特典の強力さ故の代償とも思えるが、削って貰ったという言い方は自発的に断ったようで、コストカットの意味合いとは少し違うようにも聞こえる。


「おい。約束守れよ。ハニーの異常ってなんだ」

「彼女がベニザクラから盗んだあの髪飾りは、ベニザクラ以外が装備すると効果が逆転して悪影響が出る。シズクは挑発のつもりだったのだろうが、実際には自らハンデを背負った形だ」

「ンだとぉ!? ハニー、おいハニー!! その角飾りは呪いの装備だ、捨てろ!! ……ハニー!?」


 必死に助言するオオミツだが、ベニザクラの攻撃が勢いを増してしる中で彼の声をはっきり聞き取れるほどシズクには余裕がないらしい。ベニザクラとしては全力で戦いたいからかシズクに警告を発していたようなのでハジメも敢えて情報を隠さなかったが、オオミツからの警告も無視するならもうどうしようもない。


 ――あの髪飾りは、体力と魔力が少しずつ回復する効果と、全状態異常に耐性を得る効果の二つがある。そして、効果が逆転した今はシズクの体力と魔力を継続的に削り続けている。しかし、実際にはそれよりも大きな問題が彼女に生じていた。

 それは、全状態異常の耐性が『全状態異常の弱点化』という最悪のデバフに変化してしまっていることだ。


 ベニザクラはそのことに気付いている。

 勝負の決着は、もう間近だ。

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