26-2
翌日、ハジメの家。
「そうか。そんなことがな……」
突如として「相談がある」と家に乗り込んできたベニザクラの話を聞き、ハジメは頷く。彼女の望みについてもおおよその見当はついている。目の前に座りながら拳をきつく握りしめる彼女が形見の刀への未練を断ち切れていないのは明らかだ。
ベニザクラにとって家族は切り捨てられないもの。
まして、半ば理不尽な強奪とくれば尚更納得できないだろう。
ふるふると怒りに震えるベニザクラは、ぽたぽたと膝に涙を落とす。
「悔しい……悔しいのだ。こんな敗北は初めてだ。このままでは家族に顔向けできない。何より私の心が叫んでいるんだ。応報せよ、取り返せと。だが、あの女は強すぎた……」
「名前すら分からないんだったな」
「ああ……だが、二人とも目立つ格好をしていた。だから近いうちに居場所は知れるだろう。ただ、戦いを挑んだところで今の私では返り討ちに遭うだけだ……」
心底その事実を認めるのが辛そうに喉から絞り出される言葉。
顔を持ち上げたベニザクラの瞳には、もはや憎悪に誓い炎が灯っていた。
「強くなりたい……二度と家族を馬鹿にするような真似を許さないほど、強くなりたいッ!! 金なら払う、何でも売るし何でも手伝う!! だから、阿形と吽形を取り戻せるよう、この腑抜けた女を鍛え上げてくれッ!!」
その言葉に、家の隅にいたクオンの肩が震えた。
普段と明らかに普段と雰囲気の違うベニザクラに戸惑っていたクオンは、その殺気を感じ取ってしまったようだ。
子供に気配りすることさえ出来ないほど、ベニザクラの心は切羽詰まっている。
(どうすべきか……)
相手が強引だったとは言え、言質を取られたのはベニザクラの方だ。
双方同意の上と言われれば、暴行はともかくとして刀はあちらのもの。
酷い言い方をすれば、自業自得と言える。
冒険者界隈ではその辺りは特に騙された方が悪いという考えが強い。
穏便に解決する方法は様々考えた。
しかし、その全てが同じ問題に行き当たる。
すなわち、ベニザクラが納得出来るかと言われればそうは思えないということだ。
彼女の戦士としての荒ぶる魂は、やり返さなければ鎮まらない。
それほどのことを相手方はやったのだ。
相手と同じ野蛮な行為に手を染めなければ濯げない屈辱とは皮肉なことだが、それも彼女からすれば戦人の定めだろう。
(……何故、ベニザクラはこんな目に遭うのだろうな)
不意に、理屈とは違った私情が思考に介入する。
生まれついての不幸と不運。
逆境、差別、孤独、星の巡りの悪さ。
どれも彼女に責任があるとは思えないことばかりだ。
彼女はそういう人間なのだろう。
でも、村に来てから彼女は明るくなったと思う。
よく笑い、時には怒り、慌てたり落ち込んだりしていた。
きっと昔の彼女ではそこまで感情を露にしなかっただろう。
何年もの時を費やして、彼女はやっと居場所に辿り着いたのだ。
だというのにその二人組ときたら――。
「空気が読めないやつらだ」
「……何がだ?」
「いや、なんでもない」
決して自分の言える台詞ではないのに、それしか言えなかった。
本当に、なんでそんな理由でわざわざ苦難の末に平穏を手に入れた女性の邪魔を出来るのか。まさに究極の空気の読めなさだ。あちらからすれば知ったことではないのだろうが、逆を言えばこちらからしても知ったことではない。
そんな下らない欲望の為に、村の隣人の笑顔を奪うか。
ハジメは、顔も知らない二人に微かな苛立ちを覚えた。
(ルシュリア以外で俺を怒らせるか。或いは俺が怒りっぽくなっているのか……どちらにせよ、これは感情の問題だ)
ハジメはベニザクラの復讐に手を貸すのは正しくないかも知れないと思った。
しかし、隣人の心の平穏を乱す存在にもの申すことは正しいとも思った。
「相手は二人組なのだったな」
「そうだ。傷だらけの大男がいた。ダーリンだのハニーだの古くさい軟派な呼び合いをしていたが……思い出すだけでも苛立つ」
「相手が二人なら、こちらも二人でないとな」
「……え?」
虚を突かれたようにぽかんとするベニザクラに、ハジメは席を立って彼女の隣に向かう。
「それだけプライドのない連中なら、いざ追い込まれると手段を選ばず二対一に持ち込むかもしれん。それに、俺もそいつらに言いたいことが出来た。お前の願いは聞き入れるが、ひとつ約束しろ。再戦の際には俺も連れて行くと」
ベニザクラはこれに難色を示した。
嬉しい思いはあるが、頷けない――そんな顔だった
「これは私の問題で、迷惑をかけるわけには……」
「誰に対しての迷惑だ? お前が酷い目にあったと聞けば皆がお前に協力したいと思う筈だ。ここはそういう村だし、俺もそう思う」
「でも、お前の力を借りてしまうと……私だけの力で解決しなければ、ただ頼っただけになってしまう!」
あくまで鬼人として借りを返したい、戦士として納得出来る勝利にしたい。そこにハジメが介入すればハジメの力で解決したことになってしまうのがベニザクラは引っかかるようだ。
しかし、ハジメもここで引く気はない。
「着物の女、俺に匹敵するほど強かったんだろう。相方の男も同じ強さかも知れない。そんな相手を一人でする気か? お前の家族はそんなときまでお前が一人で戦うことを望むのか? 俺ならば誰かに娘の手助けをして欲しいと思う」
「私の家族のことをなど知らないだろ!」
ベニザクラは頑なに断ろうとする。
これは彼女というより、鬼人の気質なのだろう。
ルールを定めた決闘で負けた内容を覆そうとする負い目もあるのかもしれない。
でも、だからこそその心理を読んだ悪辣な二人組に、彼女を一人で挑ませる訳にはいかない。
「お前の家族のことは分からないが、親の気持ちは少しは分かるつもりだ」
「あ……」
俺はわざとらしく視線をクオンに向ける。そこでベニザクラは初めてクオンが心配そうにこちらを見ていることに気づき、手で口元を覆った。クオンがおずおずと声をかける。
「喧嘩?」
「いいや、ちょっと話し合ってるだけだよクオン」
「でもベニお姉ちゃん、ずっと怖い顔してる。お話、あんまりよく分からなかったけど……クオン、そんな怖いベニお姉ちゃん嫌だ」
「……!!」
ベニザクラは、激しいショックと後悔の表情を浮かべる。
しかし、クオンの言葉には続きがあった。
「だからベニお姉ちゃん、ママの言うことも聞いてあげて。クオン知ってるんだ。ママは本当はもっとクオンの我が儘を叶えることが出来るけど、クオンがちゃんと自分で物事を考えられるようになってほしくて我慢してるってこと。だからママはベニお姉ちゃんの心をきっと分かってくれるよ……」
ベニザクラは離れた場所にいるクオンを触ろうとするように左手を伸ばし、やがて行き先のない腕を下ろす。そして、観念したように乾いた笑いを漏らした。
「子供に見透かされるほど切羽詰まっていたんだな、私は……」
「ベニザクラ……」
「相手はお前と同格かもしれない。そんな相手に勝てるほど強くならなければいけないというのに、お前が隣にいると何でも出来てしまう気がしてしまう。それは甘えなんじゃないかとこれまで思っていた……でも、うん。そうだな」
どこか憑きものが落ちたように納得したベニザクラは、立ち上がってハジメの手を取った。
「甘えと信頼は別のものだ。信頼するぞ、ハジメ」
「精一杯それに応えよう、ベニザクラ」
こうして、誇りと形見を取り戻すための戦いが始まった。
まず第一に、義手の改良が計画された。
これからベニザクラは更なる高みに至らなければならない以上、今までの義手では性能不足になる可能性が高いとトリプルブイに指摘されたのだ。
「次の義手は、レベル100に匹敵する性能で設計する。だが、それをそのままベニザクラちゃんに装備させても使いこなせない。だから、こういうのを用意した」
トリプルブイが取り出したのは、相変わらず生腕にしか見えない義手だ。
「この義手は性能は今まで以上だけど、動かす際の負荷を意図的に高く設定してある。恐らく前の義手と同じ感覚だと使いこなせない。逆に、こいつを使いこなせるなら俺の作るレベル100相当の義手を使いこなせるハズだ。きみはこれからその義手を装備してガンガン戦って鍛えろ」
「……かたじけない」
「いーんだよ、無茶な要求に応える仕事はやりがいがあるし」
へらっと笑って手を振るトリプルブイにベニザクラは深く頭を下げる。
トリプルブイは第二の問題にも取りかかる。
「武器も作ろう。取られちゃった以上は代わりの刀が必要だ。予備の武器にあの二振りに匹敵する刀、ないでしょ?」
「……うむ」
ベニザクラが暗い顔で頷く。
阿形も吽形も準聖遺物級と言って過言ではない名刀だった。
あの女の所持していた刀もそれに匹敵する業物だ。
最低でも同程度の刀が必要になる。
「ハジメはどう思ってるんだ?」
「実は、前々から思っていたことがある」
ベニザクラとはリハビリ時以外でそれほど長く共に戦ったことがないが、ほんの「そんな気がする」程度の感覚で思っていることがあった。
「阿形も吽形もいい刀だが、ベニザクラに最適な刀ではなかったような気がする。重心か、握りか、刃渡りか……上手く言えないが、そう感じる時があった」
「ふふん、流石超一流。俺も同感だよ」
「それは……使いこなせていなかったということか?」
「ノンノン」
肩を落とすベニザクラに、トリプルブイは指を横に振った。
「武器の性能と技量が見合っていることは大事だけど、阿形と吽形ってそもそも二刀流で使うことを前提として微細な調整が施された刀だったと俺は見てるのよ」
意外な答えにハジメは驚き、ベニザクラは信じられないとばかりにかぶりを振る。
阿形も吽形も極めて刃渡りの大きな刀であり、一見して二刀流に向いているようには見えない。しかしトリプルブイがこうした物の読み取りで間違えることはないので、本当にそうなのだろう。
どこぞの漫画に出てきた『ドラゴンを殺せる剣』と同じく、誰かが使いこなすことを考慮せずに作った業物だったのかもしれない。
「だから、新品で刀を打つなら微細な調整をベニちゃんに合わせた形で作ることが出来る。言ってしまえば『より手に馴染む刀』が出来る。あと、悪いけど……俺、鍛冶の腕で阿形吽形の制作者に負ける気ねーから」
彼にしては珍しく、挑戦的な笑みだった。
理由は不明だが、職人魂に火がついたらしい。
意気揚々と工房に戻っていくトリプルブイの背を見つめながら、ハジメはベニザクラの肩を叩く。
「あれはとんでもない品を作る気だぞ」
「彼は、あんな顔もするんだな……なんだか申し訳ない」
「何がだ? また代金の話をするのはよしてくれよ」
「いや、わたしなんかのために……」
「やめておけ、謝っていたらきりがなくなるぞ」
自分はそこまで人に助けて貰うほど価値のある人間なのか――そう疑う気持ちはまったく分からなくはない。しかし、その人のために手助けしたいと思うかどうかは自分ではなく相手の心の中で決定することだ。
ハジメの予想が正しければ、彼女は自分で思っているほど人望のない人間ではない。




