26-1 隻腕の鬼娘、形見の奪還を誓う
タイトル変えました。
利用規約に引っかかるほどではないけど死にたがりというワードがあんましよくないし、旧タイトルはワードの間にスペース入ってるのがよくないなと前々から思ってたので。
山は只人を寄せ付けない過酷な土地だ。
天候は容易に荒れ、方角はすぐ見失い、一見して単調に見える地形は人の都合を考慮しない傾斜や足場、植物たちに満ちている。故に人は山を特別な存在として見たし、事実として世界の神秘の多くは山に隠されている。
山は季節によって様々な姿を見せる。
春は花に溢れ、夏は深緑が茂り、秋は紅や黄の鮮やかな色彩が包み、そして冬には雪に包まれる。実際にはそれほど鮮やかな四季を感じられる山は多くはないが、ある場所にはあるものだ。
そんな山の中で最も人にとって厳しい環境――雪山で、二つの刃が激突していた。
深々と静かに降り積もる雪の静寂を破り、幾度となく激突する二つの刃。その正体は、鬼人の女剣士ベニザクラと、質素な着物に身を包んだ編み笠の女性。
ベニザクラは苛烈なる舞いで、着物の女性はそれを嘲笑うような優美な舞いで、互いの刀と刀を激突させる。ベニザクラが踏み込めば女性はいなし、逆に恐るべき速度でベニザクラの隙を突かんと回り込んでくる。まるで花びらが宙を舞うようなつかみ所のない攻めに、ベニザクラは相手の技量を噛み締める。
「おのれ……!!」
「怒ってる顔も可愛いわね、貴方」
「真剣勝負を茶化すなッ!!」
斬り返しの鋭い一撃を放つが、やはり紙一重で回避される。
まるで呼吸もしていないかのように静かな立ち回りに、白い息を吐くベニザクラ。二人の心の余裕の差を示しているかのようだ、と彼女は歯ぎしりする。
二人の周りには無数の魔物の死骸と、目の前の戦いを見守る数名の人物がいる。
片方のグループは今回ベニザクラがパーティを組んでいた人々だ。既に魔物との戦いで相応に消耗しているため、ベニザクラを不安げに見つめている。
もう一人は、着物の女の連れである着物の男。
見上げる程の大男で、野太い四肢や分厚い胸板、貫禄たっぷりの厳つい顔には無数の切り傷が刻まれている。鬼人ではないようだが、髷といい刀といい鬼人の文化を感じさせる装いをしている。
その瞳は着物の女にのみ注がれており、自分の肩に雪が積もることにすら興味はないようだ。
――この二人は、ベニザクラたちがトルンガルスクという巨大な白クマの魔物を討伐している最中に突然割り込んできた。
曰く、トルンガルスクの毛皮が欲しいから目についた個体を襲ったら、たまたま先客がいただけ。冒険者にとって獲物の横取りはタブーの一つであるにも拘わらず、二人とも一切悪びれる気はなかった。
ベニザクラより先にパーティの者が抗議を込めて喧嘩を売ったのだが、男の方が剣も抜かずに蹴散らしたことでより空気は険悪かつ剣呑になり、やがてへらへらと成り行きを見ていた女がこんなことを言い出した。
「あなた鬼人でしょ? なら鬼人らしく決闘で勝った方が総取りでどう?」
「道理が合わないな。お前達が人の領分に勝手に割り込んだだけだろう。決闘に賭けるに足る理由がない」
「あらそう? ならこんなのはどうかしら」
にぃ、と笑った女は、蛇を思わせる瞳を唐傘の隙間から垣間見せた。
「親も、そのまた親も、身内を不幸で呪い殺した白蝋の女ベニザクラ。そんな子供を産んで育てた貴方の家族、みんな頭がおかしかったんじゃない?」
それは、挑発の為に敢えて言ったのだとは理解していた。
しかし、それでも家族を蔑むことは、ベニザクラにとって唯一の逆鱗だ。
「良かろう。勝てば好きなものを持っていけ。ただし負けたら貴様らの武器を我が家族の墓前に供え、地に頭を擦り付けて謝罪しろ。二度の侮辱は許さん」
大太刀『吽形』を構えてオーラを放ったベニザクラに、着物の女はにまぁ、と蠱惑的な笑みを浮かべて自らの刀の鯉口を切った。
――こうして始まった女とベニザクラの決闘。
しかし、冒険者の中でも上位である筈のベニザクラが、女の着物の袖にすら刀を触れさせることが出来ない。ぞっとするような冷酷な煌めきを放つ刀の質も然る事ながら、女の動きが余りにも熟達しすぎている。攻めても攻めても逆転の糸口すら見つけられない。
これほどの差を感じたのは、同じ村に住むあの男達以来だ。
しかし、家族の誇りの為になんとしても負けられない。
その焦りが更に攻めを苛烈にさせ、しかし触れることは叶わない。
(こんな、恥知らずに人を貶めるような奴が! 強者たる者の矜持を持たない奴が……何故、こんなにも強いッ!?)
「んー、まぁまぁ楽しめたからもういっか」
つつ、と滑るように間合いを取った女の目が、怪しく光った。
瞬間、ベニザクラは悟る。
これから放たれる一撃を決して発動させてはならないと。
「くッ!!」
咄嗟にベニザクラは右手の義手にありったけのオーラを込めて突き出した。
刹那――空間を桜色の斬撃が彩った。
「乱レ雪月花」
風に舞う花のように軽く、降りしきる雪のように静かに、刃が宙を滑る。
流麗な斬撃には音も、手応えも、なにもない。
ベニザクラの力量を以てしてその全容をまったく掴めない圧倒的な業は、後れて現実として顕現する。気がつけばベニザクラの義手はズタズタに引き裂かれ、彼女自身の身も切り裂かれていた。
「ああぁッ!?」
鮮血を吹き出し、雪の広がる大地に倒れ伏すベニザクラは、荒い息でなんとか立ち上がろうとする。しかし、体が動かない。後れて、これは斬られたから動かないのではなく、強烈な打撲によって四肢などにダメージを負ったせいだと気付く。
地面を引掻きながら女の方を見ると、女は悪戯を白状するように舌をぺろりと出した。
「峰打ちっ♪」
「き、さま……!!」
彼女は本当に斬っていない。ただ、余りにも太刀筋が鋭すぎて不完全ながら斬れてしまったのだろう。ただ峰打ちをし損なったのであれば、ベニザクラは致命傷を負っていた筈だ。
この戦いの中で手加減さえ見せる余裕が、あの女にはある。
取り巻きの冒険者たちが絶望に顔を歪めた。
「そんな、あのベニザクラが手も足も出ないのか……!」
「こんなことって……何もかも滅茶苦茶です!」
着物の女はそんな彼らを見て、にこっと笑う。
「トルンガルスクは置いていっても良いよ」
「え?」
「だって、もっといいもの貰っちゃうから」
一瞬だった。
女は、一瞬でベニザクラの握っていた大太刀『吽形』を奪い取っていた。
父の形見、この世界に二つとない姉妹刀の片割れを。
「返せ……返せ!! それはお前なんかが触っていい刀じゃないッ!!」
「勝てば好きなものを持っていけって言ったじゃん。鬼人の誓いに二言なんてないよね? まして貴方、完璧に負けてるし」
「……まさか、最初からそのためのッ!」
「んふ、もちろんもう片割れも頂くよ?」
ベニザクラの道具袋を奪い取った女は、中身を乱雑に放り捨てながら探した末に、目当てのものを見つけてにんまりと笑う。ベニザクラの母の形見、『阿形』だ。
「卑怯者……が……!! 貴様のやっていることは追い剥ぎと同じだ!!」
「おい、五月蠅ぇぞ白いの」
「ガッ!?」
気付けば、着物の男が近づいて苛立たしげにベニザクラの背中を踏みつけていた。みしり、と嫌な音が響き、背中に激痛が走る。
「自分で好きにしろって言って自分で負けて今度は人のせいかぁ? 随分都合の良い信念だなぁおい? クルクルクルクル、掌の関節ちゃんとくっついてんのかぁ、おぉ?」
男は踏みつけた脚を二度、三度とベニザクラに叩きつける。
その度に嗚咽と血反吐がこみ上げ、体から鮮血が散った。
男は更にベニザクラを蹴り上げ、野太い腕で頭の角を掴んでぶら下げる。
ベニザクラは男の顔を見る。
獅子さえ怯む程の威圧と殺意に満ちた相貌が、そこにあった。
「半端モンの分際で、俺の女にケチつけるんじゃねえよ。このまま殺してやっても全然いいんだぞォ?」
「ちょっとダーリン、いつまでそっち向いてる気?」
「おお、すまねぇハニー!! で、そいつがハニーの欲しがってた奴か?」
「そうよ、名工ニュウドウが打った幻の姉妹刀!! 私たちのエンゲージリング代わりにこれ以上相応しいものはないと思うのよねぇ!」
男は使い終わった道具を投げ捨てるように、ベニザクラを粗雑に放り投げる。
雪の上を転がったベニザクラに、女はひらひらと軽薄に手を振る。
「じゃあね~。真剣勝負だから恨みっこ無しだけど、まぁ自分の弱さが悪かったってことで納得しといてね?」
「次に俺の女の悪口言ったときは、その角へし折ってやるから覚えとけブス」
ベニザクラを都合よく利用し終えて関心を失った声と、相手の感情も尊厳も無視して蔑む声。遠ざかる足音、仲間の声、滲む視界。
(ふざけるな……ふざけるな……!!)
こんな下衆共に敗北し、両親の形見を奪われることが悔しくてしょうがない。
それに抵抗出来ない自分が惨めでしょうがない。
これまで悲しいことも悔しいことも、死にたくなることも幾度となくあった。それを乗り越えられたのは、家族への愛と戦士としての誇り、そしてそれを貫く強さがあったからだ。それが、こうもあっさりと踏み躙られた。
右手を見る。戦闘形態となって鎧武者のように変形していた腕は、無惨に引き裂かれて内部が剥き出しになっている。トリプルブイが芸術的な技術を注ぎ込んでわざわざ作ってくれたのに、自分はそれをも壊してしまった。いや、最初から腕を取り戻して努力するなど無駄だったのだと嘲笑われる気分にさえなった。
腹の奥に溜まる鬱屈とした感情と、喉まで湧き出る爆発的な感情。
矛盾した二つの心はやがて声にならない悲鳴のような叫びとなる。
「うわぁぁぁあぁぁぁぁーーーーッ!! 私は……私はぁぁぁぁぁーーーーッッ!!!」
この日、ベニザクラは最も屈辱的な敗北を喫した。
彼女はこの日の惨めさを生涯忘れることはないだろう。




