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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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25-11

 ――数分前、皇城最奥部。


「グリン、どうしたというのだ! 皆はあそこで戦っているというのに!」

「心配……不安? いったい何がそんなに不安なのです? わたくしたちが傷つくことですか?」

「ブヒッ」


 グリンは双子の問いに首を横に振った。

 戦闘開始前にグリンから飛び降りようとしたフレイとフレイヤだが、戦いが始まると同時にグリンは二人を乗せたまま何故か謁見の間から脱出し、一直線に城の最奥部にあった『水の神殿』を目指していた。


 グリンは時間が惜しいとばかりに転移魔法を使って扉をスルーし、神殿内部に入る。そこは先日と変わらず、絶え間なく流れる癒やしの水とその中央で眠る皇の母親がいた。グリンはその中央に赴くと、かつん、と蹄で部屋の魔法陣を叩く。

 すると、グリンから膨大なエネルギーが放出されて部屋全体を薄いヴェールが纏う。


「これは結界か? それも嫌に強い……まさかグリン、このひとを守るためにわざわざ?」

「ブゥ」

「ちょっと違うようですわ、お兄様。うーん……わたくしたちの誰もこの女性を人質に取るなどという卑劣な考えは持っていないはずですし、第三者の干渉を警戒しているのかしら?」

「ブゥ」

「違うようだな。では何故保護する必要が……いくら激しい戦闘といえど、ここの防備は相当なもの。それこそ神に匹敵する存在が暴れでもしないかぎりまず保護の必要はないと思うが」


 バランギアの皇が何か切り札を隠していたとして、あれほど母親を想う男が肝心の母親を巻き込むような真似をするとは思えないし、パワーアップすると言っても限度があるだろう。

 あ、と、フレイヤが息を呑む。


「どうした、フレイヤ?」

「もしクオンが我を失って暴れたりしたら、ここに影響が出てもおかしくはありませんわ。いえ、でもまさか……」

「むぅ……思えば我らはクオンが本気で暴れた所を見たことがないが、しかし……」


 クオンが神獣たるエンシェント・ドラゴンであることは二人も知っている。

 必殺のくおーんブレスが『理』を揺るがす破壊力だとも聞いた。

 だからこそ彼女は己の力に自制的だった。

 そんな彼女がもしも理性を失うほど激怒する要因があったとしたら――。


 二人の考えが纏まるより前に、頭上から壮絶なまでのプレッシャーが襲いかかる。それをバリアで弾いたグリンは、「やはりこうなったか」とでも言わんばかりにブゥ、と小さくため息のような鳴き声を漏らした。




 ◇ ◆




 皇は己の体が震動するほどのビリビリと響く圧を感じた。

 本当は自分が恐怖に震えていることに気付かないほどの圧だった。


「バランギアの人はいいひとだって思ってた。でも違う。違ったんだ。自分たちが気に入ったものを奪いたいだけ。そんなの優しさでもなんでもない」


 臓腑が底冷えするほどにぞっとする声。

 触れてはならないものに触れたと、気付いたときには既に遅い。

 ハジメが慌ててクオンに近づく。


「落ち着け、クオン。これくらい俺にとってはかすり傷だ。薬でもつければ治――」


 ハジメが輝き、その場から消えた。

 ハジメだけではない、この謁見の間にいた皇の敵対者全員が、綺麗さっぱりに消え去った。ガルバラエルが後ずさり、目の前で起きた現実に震える。


「『試練の結界』……!! 道具も使わず、これだけの範囲にいる人間の中から味方だけを選別して取り込み、その上で己は通常空間に存在し続けているというのか!? このガルバラエルですら出来ないことを、子供の竜人が容易く……!?」

「うるさい」


 クオンが手を翳すと、掌が光った。

 瞬間、ガルバラエルは胸が陥没するほどの衝撃と共に城を貫いて吹き飛ばされた。

 後れて、ッドウ!! と、空気の弾ける音。

 音速を遙かに超えた何らかの攻撃をしたのだということ以外、誰も分からない。ただ分かるのは、バランギアで名実共に最強にして不敗の戦士が、抵抗すら許されずに退場させられたということだけ。


 竜人の兵士たちが皇を守る使命すら忘れて腰を抜かす。精神が立ち上がろうとしても、目の前の美しき竜人の子供一人に意識を向けられることすら体が拒む。あの小さく愛おしい少女の奥に潜む力に、今更気付いてしまったから。


 皇は、ここに至って漸く恐怖を自覚した。

 クオンは可能性の塊だ、自分を超える可能性を秘めていると考えていたが、それは大きな誤りだった。クオンはとうの昔にガルバラエルも皇も凌駕した存在だったのだ。勝てない、負ける、地べたを這いつくばって頭を擦り付けてでも赦しを乞うべきだ――分かっているのに、皇として積み重ねてきた精神が頭から抽出して口から飛び出たのは、真逆の言葉だった。


「ば、バランギアの威光を、虚仮にする者は許さん!! 皇にのみ許された真の竜覚醒を見せてくれるッ!!」


 人は、突然生き方を変えることはできない。


 皇となった者には特別な竜覚醒の力が授けられる。

 それはさながら魔王軍の頂点たる魔王が得られる特権と同じようなものだ。

 皇の背に刻まれた巨大な紋様が輝き、彼の肉体が膨張していく。


 10メートル、20メートル、更に、更に、部屋の天井を突き破っても更に。

 現れたのは、見上げるほどに巨大で荘厳な竜だった。

 それも、野生に生息する竜とは明らかに格の違う、拝みたくなるほど眩い竜だ。


『これが真竜覚醒!! 竜覚醒とは力も、守りも、全てが上回る現人神の力ッ!! バランギア最強にして最後の守護者の尊容である!! この地上で最強の王の威光を拝顔する栄に浴せよッ!! 跪け、忠誠を誓って赦しを乞え!!』

「体が大きいだけで威張れるなら、クオンだって偉いよ。みんな結界の中に避難させたから、今なら誰も巻き込まなくて済むもんね」

『……は?』


 クオンの体がふわり、と浮かび上がる。

 光り輝きながら登る彼女の神々しい姿に魂を奪われる。

 彼女はそのまま50メートルはあろうかという皇が見上げるほどの頭上に立つと、神の降臨を連想させるほどの眩い光を放った。真竜覚醒状態でもなお眩い輝きに皇は思わず前腕で目を覆う。


 瞬間、先ほど恐怖を覚えた気配すら完全に通り越して自意識を諦めるほどの気配が降り注ぐ。迷える子羊が神を見たような、自分という存在があまりにもちっぽけすぎて目の前で起きることこそ世界の全てであるような、圧倒的な感覚。


『あ……あ……?』


 皇の見上げる先に、竜の神がいた。


 純白と黄金の神々しき色彩。

 皇でさえ絶対に持ち得ない、三対の翼。

 深い知性を湛えた瞳、誰よりも大きく偉大な四本の角。

 人の形を捨て、あまりにも無駄なくしなやかに変身した四肢。

 全てが皇を凌駕し100メートルを超えるその竜は――何よりも、美しかった。


『わたしのママを、虐めるなぁぁぁぁーーーーーーッ!!』


 余りにも幼稚な言葉である筈なのに、皇にはそれが神罰のように感じられた。

 何かを口にしたり真竜覚醒の力を発揮する暇すらなく、皇はクオンの足に踏み潰されて城に陥没し、意識を絶たれた。


『ママを、みんなを傷つける国なんかいらない!! こんな悪いひとたちなんていらない!! バランギアなんて……なくなってしまえぇぇぇぇぇーーーーーーーーッッ!!!』


 神の枷を受けない真なる神獣、エンシェントドラゴンの余りにも無垢で純粋な子供の怒りが、地上を焼き尽くそうとしていた。




 ――その様子を超遠隔魔法道具で見ていたルシュリア王女は、興奮と恍惚のあまりに己の秘所がびしゃびしゃに濡れそぼつのを感じた。


「最ッッッ高のショーじゃありませんか!! 嗚呼、彼女が怒りのままに世界を焼き払ってこの身が散ってもいいッ!! 神よ、わたしは今、最高に生きていて幸せにございますッ!! でももしも願いが許されるならば、人が焼き尽くされた荒野の中心で甘えてくるクオンにハジメがどんな顔をするのかを一目だけでも見せてくださいましッ!!」


 ルシュリアはこうなる可能性を知っていて、ハジメに何も言わなかった。

 彼女は正しく最悪の愉快犯であった。




 ◇ ◆




 皇城の監視と索敵のために気配を隠して待機していた分身ライカゲは、余りの惨状に己の迂闊さを呪った。


 皇城はほぼ全壊。頑丈な兵士たちは何とか脱出したようだが、目の前に存在する祖なる神の直系の血縁を虚無の表情で見上げるばかりだ。あれは、余りにも心を揺さぶられすぎて感情が溢れてしまい、何もできないのだろう。


「確かに完全な竜の姿は見たことがなかったが……これは、無理だぞ」


 分身では対抗出来ない、などという次元ではない。


 ライカゲの見立てが正しければ、今のクオンの戦闘能力はレベルにして2()0()0()()()だ。

 この世の誰であれ、止めることは出来ない。

 可能性があるとすれば対神獣兵器のカルマか、もしくは――。


「……クオンが動くな」


 美しく巨大なエンシェントドラゴンの口が光り、もはや規模が桁外れすぎて感覚がマヒして感知が上手く働かないほど莫大なエネルギーが渦巻く。

 しかしその光がどこかへ向けられる直前に、クオンに勝るとも劣らぬ巨体が彼女に体当たりし、力は霧散した。


『ブルルルォォォォオオオオオオッ!!』


 黄金の毛、体のあちこちに纏った神秘的な防具、そして強い理性と勇気をたたえた瞳――クオンに迫る余りにも巨大なイノシシにして、ライカゲの知る限りクオン以外で唯一この世界に野放しになっている神獣、グリンがその真の姿を露にした。


 最初からクオンが万一暴走したときのために備えていたのだろう。

 ライカゲもグリンが本気になった姿は初めてだが、流石は神獣。

 クオンと遜色ない桁外れの戦闘能力を感じる。


 普段の愛らしさのある豚の姿とは一線を画す雄々しく勇ましい表情は、正にエルフの守護者と呼ばれるに相応しい。クオンに勝るとも劣らぬ威容を白日の下に晒したグリンと、理性を失い暴走した彼女が睨み合う。


『邪魔しないでよぉぉぉぉぉぉッ!!』

『ゴオォォォォォォォォォッ!!』


 びりびりと大地を揺るがす咆哮。

 人知を超えた巨大な怪物同士の激突は避けられない。


 余りにも巨大なクオンの腕が振りかぶられ、グリンもそれに対抗するように突進する。大地を粉砕する神の如き竜のかいなとグリンの鎧に覆われた額が衝突し、一瞬音が消え去り、後れて爆風が全方位に飛び散って皇都バランシュネイルを吹き荒れた。

 露店は破壊され、人は吹き飛び、屋根がめくれ上がる。


「うわぁぁぁーーー!! この世の終わりだぁぁぁーーー!!」

「これは、傲慢な我らに神が下した罰なのか……」

「猪神とエンシェントドラゴンのどっちが勝ってもバランシュネイルはおしまいじゃないか! こんなのどうすれば!」


 事情を知らない竜人たちの嘆きがあちこちで上がる。

 これでもグリンはクオンの力が地上に及ばないようかなり行動を選んでいるようだが、荒ぶるクオンを相手に全ての被害を抑えることは如何なる猪神でも難しいらしい。このまま戦いが激しさを増していけば、最悪の結果もあるだろう。


 今、こうして分身のライカゲが見ている光景は全てオリジナルのライカゲにも伝わっている。今頃クオンが皆を保護するために本来と違う用途で使った『試練の結界』の中に閉じ込められたオリジナルたちが対策を考えているところだろう。

 しかれども、急がなければバランギア竜皇国はこの日を以て地上から姿を消すことになる。それどころか、この大陸が海の底に沈む可能性すらある。

 見守るしかないライカゲは冷汗を垂らし、独りごちる。


「子供の癇癪で世界滅亡など笑い話にもならん。せめてクオンにハジメの声が届けば……」


 これは神獣と神獣の戦い――神話の出来事と同じ規模の戦いなのだ。




 ◇ ◆




 ハジメは今、痛恨の極みに打ちひしがれていた。

 娘の為にと張り切りすぎた結果、あろうことか自ら娘の逆鱗を掘り起こしてしまった。彼女がハジメに怒っている訳ではないが、彼女がハジメの言葉を聞くことすらしないのは初めての出来事だ。


 仲間が全員なにもない空間に揃うなか、ライカゲが分身を通して『試練の結界』の外を観測し、状況を報告する。


「完全に竜に変身して暴れるクオンをグリンが抑えているが、このままではバランシュネイルが崩壊するぞ」

「とはいえ、ここから出られないのでは止めようが……!」


 本来、試練の結界とは戦いの場だ。しかしクオンはなんと、中に自分がいない状態で結界を作ってしまった。ゲームで言えばボス部屋に閉じ込められたのにバグでボスが出現せず、ボスがいないから部屋から出る条件を絶対に満たせないという詰みの状態だ。


(俺はなんという馬鹿なんだ! 今ほど自分が馬鹿だと思うことはない!)


 クオンは優しい子だったではないか。

 トカゲ一匹の死にも感情を揺さぶられるほど多感だったではないか。

 クオン自身は戦いに躊躇いはないが、それは己が絶対に勝利できる力を持つが故に戦いを「遊び」の一種として認識しているからだ。自分以外の存在の命を賭けた戦いを見てどう思うかは計算の外だった。


 彼女の怒りを何と言って止めようか。

 そもそも、今のクオンに自分の言葉が届くのか。

 もしクオンがこれを機に「優しくない存在は消していい」などという考えを持ってしまったらどうしよう。


 これまでの人生で一度も抱いたことのない、言い知れない不安が胸中をぐるぐると渦巻いて、答えが出てこない。そんな中、突如としてウルの手袋から少女の声が響く。


『繋がりましたわ! わたくしです、フレイヤです! 自分の作った装備を経由すれば連絡が取れないかと思ったのですが、何とか上手く行きましたわ!』

『ハジメはいるか!? ハジメ! そちらの声は聞こえないので一方的に話すぞ!』


 フレイとフレイヤからの一方通行の連絡だ。

 案外試練の結界の抜け道多いなと思うかも知れないが、ライカゲと双子エルフがおかしいだけで普通は外部との通信は不可能である。


『今現在、われらはグリンに特殊な結界で保護されているので心配はご無用! 我らのことよりクオンとバランギアという国のことを心配すべきだ!』

『グリンがなんとか死者を出さないように力を受け流していますが、これ以上クオンが興奮するといよいよ被害が抑えきれなくなってしまいますわ!』

『この状況をなんとかするにはハジメに宥めて貰う他ない! なんとかして結界から脱出してくれ! すまないがこちらからは手助けできぬ!』


 逼迫したフレイの言葉に、しかし出られたところで自分に何が出来るのかとハジメは悲観的な感情を抱いた。そんなハジメの様子は見えていない筈なのに、フレイヤが叱責のように語気を強める。


『グリン曰く本来神獣が本気になれば今のスケールでは収まり切らないほど巨大化するそうなので、100メートル程度に収まっているクオンにはまだ心のどこかに理性が残っている筈です! わたくしたちも呼びかけましたがダメでした! ならば友達以上の存在――クオンのママのハジメが必要に違いありません!!』

「……!」


 目を覚ませ、と、がつんと殴られたような気分だった。

 親の尺度で勝手に子供を推し量って勝手に諦観に浸ることがどれだけ身勝手なことか。クオンはまだ自分とも戦っているのに、親の自分が見切りをつけて諦めてどうする。子供のためならなんでもやると言ったのはどの口か。


 村を出るときのフェオの笑顔を思い出す。

 ハジメならやれると信じているからこその笑み。

 今になって、あの重みと尊さを改めて理解した。


 ハジメは己を鼓舞するように自分の胸を叩き、その場の全員を見回す。


「皆、知恵と力を貸してくれ。ここから出てクオンを止める」


 この程度の苦境を乗り越えられずしてなに冒険者か、なに母親か。

 母親……うん、もう慣れたけど改めて考えると母親とは? とハジメは思ったが、場違いすぎるので心の片隅に蹴飛ばした。

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