25-9
ジュールエリエルは悪夢の中にいた。
否、悪夢だと思いたいほど理不尽な現実の前にいた。
彼は試練の結界を展開したからには他の誰よりも早く現世に戻って自分の実力を見せつけてやりたいと思っていた。
結果として、彼は確かに誰よりも早く試練の結界を解除することとなる。
己の圧倒的敗北という、どうしようもない結果で。
(なんで俺は、ガルの忠告をきちんと考えなかったんだ)
ガルバラエルは早い段階であのウルという女が実力を隠していることを看破し、忠告をしていた。ジュールエリエルもそれは確かに聞いたし、本気の忠告だというのも認識していた。
でも、こんなのは聞いていない。
仮にも世界最高の種族たる自分が純然たる力で敗北するなど、聞いていない。
魔族特有の青みがかった肌。
黒い瞳の中に満月のように浮かぶ黄金の虹彩
翼も、尾も、角も、紫の御髪も、全てが竜人と異なる美を帯びた姿。
ジュールエリエルは彼女の姿を見た瞬間、相手が自分とは格の違う存在だと本能的に理解した筈だ。しかし、誇りと理性が本能の判断を疑い、結果としてジュールエリエルは判断を誤った。
最初の過ちは、彼女の移動速度を見誤り、隙のある大技を放とうとしたこと。
距離も充分で問題ない筈の隙を、ウルは縫ってきた。
(とんでもない、速度だった……何か、時間を操る魔法……普通なら数秒で、魔力が尽きるくらいの……)
次の過ちは、彼女の攻撃が平手打ちであるのが見え、それなら仮に直撃してもジュールエリエルの必殺の炎でカウンターすれば勝てると思い上がったこと。
(躱せばよかった……せめてガードはすべきだった……絶対に間に合わないタイミングじゃ、なかった……)
最後の過ちは、威力。
(あれ、は……何だったんだ……一瞬すぎて、何をされたのかも、分からなかった……)
彼の意識が保ったのもそこまでだった。
ジュールエリエルは、悔恨と皇の命令を守れなかったことへの失意と共に、意識を沈めた。
既に変身を解いてその様子を確認したウルは、自分の手に嵌められたこじゃれたデザインの戦闘用手袋を見て冷や汗をかいた。
「クオンちゃんから借りたこの手袋、私の『魔拳』と相性よすぎ……」
彼女が装備しているのは、フレイとフレイヤがクオンにプレゼントした魔法道具『ろくぶて』。てぶくろを逆さまによむとろくぶて(六回殴れ)になるというしょうもない言葉遊びに着想を得て制作されたものらしい。
その効果は、手袋を嵌めての一回の殴打で同時六回分の攻撃が叩き込まれるという冗談みたいなもの。装備品としては攻撃に補正はかからないが、それを補って余りある凄まじいものだ。
そしてウルのパーソナルスキル『魔拳』は魔法を手に纏わせ、敵を攻撃した瞬間にその魔法が相手にゼロ距離で炸裂する上に、物理威力と魔法威力が足し算で計算される。
これと『ろくぶて』を併用すると、なんと『魔拳』が一撃で六回発動する。
当たれば直撃せずともこの世の大体の生物がミンチになるだろう。
もう意味が分からない破壊力である。
結果、ウルは水属性魔法『カタストロフストリーム』の『多段六回攻撃』という理解の範疇を超えた殺人的なダメージを相手に与えてしまった。途中で殺してしまったかもと焦ったし、実際死にかけていたのでちょっとだけ魔法で治療した。
ちなみに一撃で六回発動されれば魔力も六倍消費するが、ウルの総合魔力量は魔王襲名前から歴代最強と謳われる桁外れなものなのでまったく問題ない。
「ちょっと……いや大分やり過ぎたけど恨まないでよね。ハジメハーレム計画的に娘のクオンちゃんが奪われるとかあり得ないからさ。むしろ反省してよね、反省!」
誰かに言い訳しているような焦った早口で意識のないジュールエリエルに無意味な言い訳をするウル。
直後、『試練の結界』が弾けて消え、ウルは竜人と仲間が戦う王座の間に戻ってきていた。彼女は周囲を見回し、目を細める。
「私が一番乗りかぁ。状況は……まだ厳しいかな」
少数精鋭のハジメ陣営に対し、相手は多数の精鋭。
300人の兵士のうち戦闘不能に追い込まれたのはまだ100未満で、善戦する味方の顔にも疲労の色が見える。
それでも持ちこたえているのはNINJA旅団の八面六臂の活躍が大きい。
「隙だらけですッ!!」
「ぐわッ!! と、トカゲ風情がぁぁぁ!!」
竜覚醒スキルの発動が終了する一瞬の隙を縫って竜人をオロチが尻尾で殴打する。激高した竜人がオロチを爪で仕留めるが、実はそれは最初から分身。本物のオロチは分身を併用しながら片っ端から竜人の攻撃後の隙を狩っていく。
「先天的な能力に頼ってばかりで鍛錬が足りませんな!!」
四肢に加えて尻尾を交えたオロチの体術はどこから攻撃を受けるか予測が難しく、しかも乱戦の中で気配を消しながら分身で増え続けるため本物が分からず竜人たちは苛立ちを強めていく。
「はいにゃ、木遁・樹杜津波木っと!!」
「馬鹿な、何故こんな場所に植物が!?」
「焼き払え!! ……ええい、燃やした側から生えてくるぞ!!」
「あのキャットマンだ!! 失せろ!!」
足下から次々に猛スピードで生えてくる植物の壁に妨害された竜人たちは術の源であるツナデをブレスで焼き払うが、当然それは分身。一体の分身を始末している間に別の場所から別の分身が術を維持するものだから、始末しても始末してもきりがない。
「にゃふふ、惑え惑え! 時間を稼げば師匠が戻ってくるからお前らおしまいにゃ!」
悪戯猫のように笑うツナデは足止めや妨害の術を矢継ぎ早に放って場を混乱させていく。その気になれば仕留めることも出来るが、ツナデは役割分担的にそれが最も効率がいいと分かっている。
何故なら、オロチとツナデが足止めしている間に、弟弟子が暴れてくれるからだ。
「降霊召喚・ガマダユウ!! そして……アザン、ウンザン、召喚!!」
ジライヤ得意の召喚術で己の力を底上げするだけでなく、彼は今回、蛙仙の中でも上位の手練れであるアザンとウンザンを召喚する。召喚されたふたりは蛙の亜人といった佇まいだが、厳めしい肉体と背負った大太刀、そして浪人侍のような三度笠と羽織から唯ならぬ剣気を発していた。
「アァ? 呼び出されて来てみりゃオモシレェ修羅場じゃねえの! なぁウンザン!」
「ウン、そうだね。久々に剣を握る腕が疼くね、アザン」
彼らはジライヤに出会うより更に以前、『剣聖』と呼ばれた転生者に師事を受けた生粋の戦士たちだ。剣聖の没後は強敵を求め、シャイナ王国のある大大陸の更に外の海洋へと駆け出して数々の未発見の島やダンジョンを発見しており、大陸内では『顔も種族も何もかも不明な伝説の冒険者』として扱われていたりする。
彼らはライカゲから契約を継承した訳ではなくジライヤが自分で契約を行った蛙だが、彼らは強敵との戦いにはノリノリで参加するが自分たちが出るまでもない敵なら契約者を無視してとっとと帰ってしまうという困った所がある。
幸い、竜人の軍団は彼らのお眼鏡にかなったらしい。
ジライヤが殴る、蹴る、投げ飛ばす。
「ヅェイッ!!」
「馬鹿な、子供の分際でなんという怪力!?」
アザン、ウンザンが斬って斬って斬りまくる。
「あら、ほら、ソイヤッサ!!」
「蛙のように舞い、蛙のように刺す~」
「うわぁぁぁぁ!? つ、強い……なんなんだこの蛙共はぁ!? 」
たとえ一撃でも直撃を受ければ致命傷になりかねない攻撃の嵐の中でも、NINJA旅団は決してぶれない。使命があるから。忍者としての生き方のために。そして敬愛する師匠の存在があるから――。
「――『甲聖』ビッカーシエル、ただいま戻りましてございまする。皇に仇なすライカゲなるヒューマンは果たし合いの末に果てました」
――強烈な存在感の出現と残酷なる宣言に、戦場の時が止まった。
◇ ◆
ビッカーシエルはライカゲという男を素直に称賛していた。
人の身でガルバラエルに迫る雷を纏い、分身なるスキルに加重のスキルを加えて飽和攻撃を仕掛けてきた。もし相手にしたのがジュールエリエルかセルシエルなら凌ぎきれなかっただろう。
結果としてビッカーシエルは耐えきり、ライカゲは最後の最後で力尽きた。
奇抜な姿の男だったが、ビッカーシエルの体力を半減させるまで戦い続けた折れない精神と重ねてきた鍛練の厚さは見事としか言い様がない。彼があと5年早く生まれていれば、結果は少し違ったのかも知れない。
彼の名は、一生忘れないよう心に刻む。
しかし、皇の命令は絶対である。
敵対者には敗北を。
結果が変わることも、彼が心を変えることもない。
見れば、ジュールエリエルが敗北していた。
後れてセルシエルも敗北したのか、馬に刎ねられて出てきた。
熾四聖天の四角のうち二角が落とされるとは余りにも不甲斐ない。
やはり、彼らは竜人以外の存在を過小評価しすぎていた。
状況は、依然熾聖隊が有利。
ビッカーシエルはエリクシールを飲んで回復し、二人を倒したウルとアトリーヌ達を相手に静かに構える。既に薬でライカゲに受けた傷は大方回復した。あとはこの二人を相手にしつつ、ガルバラエルが戻ってくればこの状況は勝利同然だ。
ビッカーシエルは密かな懸念にも視線を向ける。
(クオン殿とレヴァンナ殿は……拘束しようとする熾聖隊をよく捌いておるわ。クオン殿の動きがいいのは父親の教えがよいからか? ……エルフの小童と『守りの猪神』がおらぬ? 何か企んでおらなんだらよいが。ガルは心配するまでもなかろうが、決着はついておらぬようだな)
ガルバラエルは竜人の中でも先天的才能と後天的経験の両方を兼ね備えた竜人最強の戦士だ。しかもビッカーシエルを以てして末恐ろしいと思わせる潜在能力は、まだ成長の余地を残している。
レベルにしておよそ120の身体能力は、竜覚醒状態であればヒューマン換算で140相当の戦闘能力。この地上に彼に勝てる存在がいるとすれば、それこそ神獣くらいだろう。
いくらあのハジメという人間が強かろうが、それは人としての強さだ。
人としても竜としてもとして強いガルバラエルに比することは出来ない。
(希望を捨てよ、人間達よ。これが、バランギアの力なのだ)
力なき者は力ある者に敗れる。
それこそが、世界の定めだ。




