25-4
レヴァンナは焦っていた。
もっと早くホテルに連れ戻すつもりだったのに、フレイもフレイヤも自分たちの欲望に一直線な上にグリンというブタも二人と一緒に突き進んでしまう。引きずって戻そうにもブタとの根比べに負けて逆に引きずられる始末で、とうとう四者は昼に来た皇城に突入してしまっていた。
「それにしても、マジで気付かれないんだ……エルフの技術力やばぁ」
レヴァンナは自分の手の甲に描かれたルーン文字を組み合わせたような図形と手首に巻いた植物で作られた腕輪に視線を落とす。
これは双子エルフの人避けのまじないと『悪戯妖精の輪』という周囲に存在を気付かれづらくなるアイテムらしく、今の三人と一匹は忍者に匹敵する隠匿能力を発揮しているらしい。
事実、皇城の衛兵『バランギア熾聖隊』はまったくレヴァンナ達には気付かない。彼女としてはそうだと分かっていてもヒヤヒヤするし、『熾四聖天』には通じないけど昼の間にまじないをかけたので場所は分かるとか安心出来ない情報も聞いてしまった。
「いくら一度招かれたからって無断で入りこむのは流石に怒られるよねぇ……」
「心配ない。ヒミツの部屋さえ見れば帰る予定だぞ!」
「せっかくのお城、冒険せずして帰れませんわ! それに不法侵入はバレなきゃ犯罪じゃないのです!」
「ブウ」
心なしかグリンに「諦めろ」と肩を叩かれた気がした。
こうして城の奥へ奥へと進んでいった四者は、地下の扉に辿り着く。
フレイヤが鍵穴に植物の種を入れてふう、と吐息と魔力を吹きかけるとたちまち種は芽吹き、がちゃり、と鍵が開く。フレイヤは芽を引き抜くと小瓶に詰めて「あとで植えてあげますからね」と瓶にキスをした。
「まったくどういう原理なのか分からないけど、さっさと入って見たら帰るわよ」
「「はーい」」
この短期間でレヴァンナは嫌というほど思い知ったが、この子供達の魔法の才覚は異常である。ゲームシステムのような魔法ではなく、本当におとぎ話の魔法使いのような魔法を平然と使っている。
(実は転生者の双子なんじゃないわよね……ハジメはそんなこと言ってはいなかったけど、いくらエルフが魔法に長けてるからってオーバースペックすぎよ)
気付けばフレイとフレイヤは互いにレヴァンナの右手と左手を引いて部屋の中に突入していく。二人は年齢からは想像出来ないほど利発だが、それ以上に余りにも無邪気だった。
――彼らはまだ知らない。
その場所が、皇以外に立ち入ることを許されぬ禁じられた部屋であることを。
部屋の中は、さながら水の神殿だった。
清涼な水があちこちから流され、床の魔法陣のような溝を縫って中央のくぼみに注がれる。レヴァンナはその水にエーテル液に近い魔力の濃度を感じた。恐らく飲めば魔力が回復するだろう。
フレイとフレイヤは部屋を見渡して唸る。
「地脈を一点集中させて湧水と混ぜ、更に部屋を儀式場とすることで癒やしの力を中央のくぼみに集めているのだな」
「これほどの儀式魔法、エルフの知識なしに完成させるとは信じがたいものがありますわ、お兄様」
「うむ……む? くぼみの中に誰がいるぞ」
「えっ!」
思わず大声をあげるレヴァンナ。
逆にフレイとフレイヤに口元に人差指を当てて「しー」と静かにするよう促されてしまい、慌てて口を閉じる。だがくぼみの中に変化はなく、双子のエルフは恐る恐るそこを見る。
くぼみの中はちょうど人一人が寝そべるくらいの空間になっており、そこには美しい竜人の女性が横たわっていた。どこかで見たことのある顔のような気がするが、思い出せない。
肉体は完全に液の中に浸かっており死んでいるように見えるが、よくよく見れば水中で呼吸をしている。
(そういえば酸素濃度の濃い水で肺を満たせば水中でも呼吸が出来るとか、昔どこかで……そういう感じなのかしら)
だとすると、この部屋は巨大な治療装置なのだろう。
と、グリンの耳がぴくりと動き、フレイを鼻でつつく。
「誰か来るのか? いかんな、流石にこのままでは気付かれる」
「お兄様、入り口と対面にある石碑のようなもの裏なら隠れられそうですわ。さあ、レヴァンナ様も早く」
「もう最悪……バレたらあんたたちのせいよ」
この部屋の出入り口は一つのみ。
入ってきたのが『熾四聖天』なら一巻の終わりである。
フレイが指を振ると部屋の鍵がかかる。
空いていたら不審がられるからだろう。
レヴァンナは祈るように気配を消して物陰に隠れた。
それから、たっぷり一分は経ったかという頃、部屋の鍵が開いて足音がかつかつと響く。音からして足幅はそれほど広くない。足音は部屋の中央辺りで止まる。
あまりの緊張に心臓がばくばくと鳴る中、足音の主が口を開く。
「母上……貴方が醒めぬ眠りについて、もう五年にもなる。貴方の人生だ、私は私の人生を送れば良い。そんなことは分かっている。分かっているけど……」
(あれ、この声……)
またもや、聞いたことのある声。
それも最近耳にしたもののような気がする。
しかし、記憶が上手く噛み合わず、断定できない。
「父上は何も言わない。しきたりだから当然だ。部下はただ傅くばかり。私が皇なのだから当然だ。私は皇の何たるかを学び、皇の振る舞いをしている。皇を継いだのだから当然だ。しかし……しかし……!」
(そうだこの声、雰囲気が違うからすぐには分からなかったけど――!)
それはバランギアの頂点、皇の声だった。
皇は名前を呼ばれず、ただ唯一の地位として『皇』を継承する。
その皇の弱々しい少年のようなか細い声が響く。
「母上の声が聞こえないバランギアの何と空虚なことよ……貴方が死の呪いにかかって以来、私の時は止まってしまった。このような情けない皇が国の頂点に居座るのでは余りにも不甲斐ない。そうは思いませんか」
あの威厳に満ちた皇と同一人物とは思えない、縋るような声。
あれは彼の精一杯の虚勢であったようだ。
この施設は母親の死の呪いを治療するための施設であり、しかし竜人の英知を以てして、死を食い止めるのが精一杯なのだろう。
「私は臆病ものだ。母の命を助ける為に他種族に頭を下げる勇気もない。そのようなことをすれば私は皇でなくなってしまい、臣下や民を失望させてしまう。バランギアが築き上げた皇というイコンに泥を塗ってしまう。だから母上……私は婚姻を結びます」
(なんで!?)
(衝撃の理論だな)
(しっ、お兄様。大真面目な話のようですよ)
「皇の地位は、地位に就く者がそれに相応しくなく、そしてより相応しい存在が現れたときに譲渡される。私の一存で辞めることは許されない。しかし、妻と子を得られたならば……その子が父を上回る才覚とカリスマを持っていれば……話は変わる。たとえそれが養子であったとしてもだ」
レヴァンナは顔から血の気が引いた。
つまり、皇は――。
「レヴァンナという竜人の女性を后とし、クオンという美しき娘を養子とします。クオンは成長すれば必ずや歴史上最も民に愛される素晴らしい皇になる。レヴァンナは万人に優しい善性の竜人と聞きますし、彼女の教育を受ければクオンは私のような腑抜けにはなりますまい。私は皇から解き放たれ、今度こそ母上の為に……」
皇はそこで言葉を句切る。
「……遠目から部下の遠隔映像越しに何度かレヴァンナの様子を見ました。まるで嘗ての母上の生き写しのように、誰に対しても優しく、分け隔てなく……私はもしかすれば、彼女に救いを求めているのかも知れません。情けない息子と叱ってください。それでも私は、寄り添うならあの女性がいいと思ったんだ」
しばしの沈黙の後、皇はその場を去って行った。
残されたレヴァンナは、衝撃と混乱がない交ぜになり、何も言えなかった。皇の素の感情が余りにも弱気だったからか、彼の身勝手な謀略のために自分が婚姻を望まれていることか、それとも――。
(わたしは、な、ナナジマを最低な理由で殺した挙げ句に逆恨みした女よ……! そんな女の表面だけ見て、勝手に気に入って、それで結婚? 訳わかんない。気持ち悪い。褒められることがこんなに気持ち悪く感じたのはこれが初めてだ……)
自分をまったく理解できていない人間に全く違う存在になることを強要されているかのような言いようのない嫌悪感と忌避感が、腹の底から湧き出る。
レヴァンナはそんな立派な人間ではないし、皇の后になど頼まれたってなりたくない。
ハジメはクオンを娘として愛しているし、彼女の為なら戦うだろう。
クオンも、どう見てもハジメと離れたそうには見えない。
さりとて皇も母親を助ける為に建てた策略を途中で投げ出すとは思えない。
しかも、勝手にレヴァンナに母親の面影を重ねて乗り気になってしまっている。
折衷の余地などどこにもない。
交渉の余地も見つからない。
「全面衝突不可避だな……」
「はい、お兄様。こりゃもう無理ですわ」
彼らからハジメへ最悪の報告が伝えられるまで、あと一時間。
◇ ◆
翌日、皇城の謁見の間には異様な緊張感が立ちこめていた。
熾四聖天と、彼らが統べる300名のバランギア熾聖隊。
魔王軍の全戦力さえ一方的に蹂躙できる、過剰すぎる戦力の塊。
皇の命令一つで、かれらは主の為のあらゆる行動に移るだろう。
その皇が、玉座の上で足を組み変える。
「もう一度、申してみよ」
僅かな所作、しかし放つ威圧感は絶大。
覚悟のない者は己の意志に反して須くひれ伏すであろう重圧の中で、しかし一人の女と一人の少女は毅然としていた。
「皇との婚姻、謹んでご辞退させていただきたく存じます」
レヴァンナは恭しく頭を下げた。
「バランギア竜王国には帰化しませんし、養子にも入りません。クオンはこれまで通りクオンの家に帰ります。ごめんなさい」
クオンもまた、丁寧にぺこりと頭を下げる。
「なぜだ」
皇は一言、そう言った。
感情が読み取れないほど静かなのに、激情の渦巻いた声はよく響いた。
「クオン。バランギアには、バランシュネイルには外にないあらゆる娯楽と美があっただろう。お前はたいそう喜んでいたと聞いた。部下の報告は偽りか?」
「楽しかったし、喜んでました。でもスメラの娘にはなれません。クオンの親はこの世界にたった一人しかいないんです。誰よりも愛する家族を捨ててまでここに住みたいとは思いません」
「そなたはどうだ、レヴァンナ。お前がこれからも人助けをしたいのならば、そのための時間を作ることも吝かではない」
「皇の花嫁、大変栄誉なことと存じます。されど、受けることは出来ません。私は自分の為に人に優しくする《《さもしい》》女なのです。誰が否定したとて、私自身がそのさもしさをよく知っています」
「余が許す」
「私の罪は私のものです。たとえ神の赦しを得ても、私利私欲に塗れた醜悪な己の本性を赦すことは、私自身にしかできないのです。私は私にしか重みの分からない十字架を一人で背負い続けます」
罪は自覚してこその罪であり、口や法律で赦されても抱いた罪悪感が消えることはない。
小市民的でメンタルがそれほど強くない筈のレヴァンナがそうまで断言するとは、彼女の中でハジメを殺したという事実は揺るぎないものとなったようだ。開き直られても困るが、こうも背負われるとそれはそれで複雑なハジメである。
皇は表情一つ変えず玉座の手すりを指でこつん、こつん、と叩き、次の瞬間に彼の指が手すりを粉砕した。
「貴殿らの主張は認められぬ」
「クオンは帰ります」
「黙れ」
皇がゆらりと立ち上がる。
ハジメはウルとアイコンタクトを取った。
これは、もう無理だろう。
「この世の遍く竜人はバランギアに源流を持つ。その竜人を統べるのが余だ。余の言葉は何にもおいて優先される。貴殿らは勘違いをしている。余がやるといったら、貴殿らは従うのだ。余はお願いをしているのではない、確認をしているのだ。決定事項の、確認を」
もはや重圧は常人なら呼吸することすら困難な域に達している。
熾聖隊も熾四聖天も、遠回しに従うよう目で訴えてくる。
そうでなければ、酷いことになると。
しかし、クオンもレヴァンナも明確に皇を拒絶した。
「べーだ。嫌だって言ったら嫌だもん!」
「恐れながら、女性に対して威圧するようなプロポーズは下の下かと」
ばきり、と、ハジメたちと皇の間で大理石の床に罅が入る。
二人と皇との心の溝のように、深く大きな亀裂だった。
「……さぬ」
『雷聖』ガルバラエルが静かに瞳を閉じる。
「許、さぬ」
『甲聖』ビッカーシエルが静かにオーラを収束する。
『氷聖』セルシエルも、『炎聖』ジュールエリエルも、雰囲気が変わった。
「余の決定を覆すことは絶対に許さぬ! バランギア熾聖隊総員に勅命を下す! クオンとレヴァンナを決してこの国から出すな! そして他の者共を疾く排除せよッ!! 下らぬ未練があるならば微塵に粉砕してくれる! それを終えたらこの者共の居場所がバランギア以外に存在しなくなるまで破壊せよッ!!」
世界最強の独裁者による宣戦布告が、今ここに為された。




