24-5 fin
自分のせいで嫌われる、自分が悪いと思い込んで殻に閉じこもり続けて、40年以上もの間に一度も疑問に思ったことがなかった。
相手も悪かっただなんて、己を変えられない言い訳だと思い込んでいた。
でも、違った。
違ったのだ。
「俺に関心がなかった。褒めてくれたことなど一度もなかった。今なら分かるけど……息子をまったく愛していなかったんだと思う。生まれたそのときから、既に」
フェオはかける言葉が見つからないとばかりに口を両手で覆い、悲しい目でハジメを見つめた。今だけはその視線が少しだけつらかった。
彼女には何故ハジメが死にたいと思うのか、詳しく言ったことはなかった。
聡い彼女は今、おおよその真実を悟ったことだろう。
だからこそ、誰かに話したいことではなかった。
「ハジメさん……」
「殴られて、無視されて、十分な食事もなくて、酒を浴びるように飲んで……考えれば分かることなのにな。あのひとたちはそうだったんだ。良い親じゃ、なかったんだ」
もう一度、自分に言い聞かせるように呟く。
フェオはそんなハジメを見ていられないとばかりに顔を逸らす。
フェオは泣いていた。
「なんで君が泣くんだ」
「それはっ……ハジメさんが、泣かないからぁ……っ!」
「君を泣かせたくてこんな話した訳じゃないのに」
こういうときどうすればいいか分からなくなる。
やはり自分の話なんてするものじゃない。
フェオは暫く泣き続けて、ハジメはただ彼女の涙をそっと拭ってあげることしか出来なかった。二人が落ち着いたのは、それからもう少し後――クオンが帰ってきたときだった。
クオンは二人の様子を見ると、普段はそんなことはしないのに椅子の上に立ってハジメの頭を優しく撫で始めた。彼女はハジメの心の機微をどこかで察したのだ。
「ママはえらいんだよ? ママがいっぱい頑張ってること、クオン知ってるもん。だからね、今日はクオンがママをえらいえらいって褒めてあげる日!」
クオンの子供らしい突飛な行動にフェオも元気を貰ったのか、涙を拭ってくすっと笑う。
「じゃあ私もハジメママにえらいえらいしてあげます。ハジメさんは強くて優しい人です。恩返ししたい人も沢山います。だから、もっと頼って……甘えていいんですよ?」
「……考えておく」
撫でられたから過去が変わる訳でもないのに何故か、救われた気分だった。
ハジメはこの世界に来て初めて、孤独じゃない日の暖かさを実感した気がした。
――フェオに続いてハジメの家にお邪魔しようとしていたケンとベオクは、そんな三人の様子をこっそり覗いて頷きあう。
「彼はもう大丈夫だろう。優しい男なんだ。その優しさの向け方を分かっていなかっただけさ」
「相変わらず面倒見のよろしいこと。昔からそういうところがあったわよね、貴方は」
「私は何もしてないよ。彼は自分で思っているほど間違っていなかったというだけさ。ただ今はもう少し、あの子達だけでいさせてあげよう」
二人は村の宿へと去って行った。
嘗てのハジメは求められていない存在だったのかもしれない。
でも、今は認められている。
これはただ、それだけの話なのだ。
◇ ◆
翌日、フェオとハジメはケンとベオクに呼び出され、周囲に誰もいない未開拓区画にいた。フェオはハジメが一緒に呼び出されたことに嫌な予感を覚えていた。
「あの、パパがなんか訳分からないこと言うかもしれませんけど気にしないでくださいね。具体的には娘はやらんとか、娘が欲しくば~、とか」
「そこまでおかしな父親には見えなかったが」
「時々すごく知能が下がることがあるんです。主に私が絡むと」
親馬鹿という名の突発性の病らしい。
こればかりはギガエリクシールを何ダース用意しても治らない。
ケンとベオクは真剣な表情で二人を待っていた。
フェオは、いつもよりも空気が重いことに気づき、本当にふざけた話ではないかもしれないと今更になって思い直す。
ケンが重い口を開いた。
「実はいきなりフェオの所を訪ねてきたのには理由がある」
そう言って、ケンは一枚の紙を取り出した。
紙には印がしてあるが、ハジメとフェオは即座にその印の意味に気付く。
「エルヘイム特別自治区……その長の印、ですか」
「エルヘイム自治区と言えば純血エルフの里の中でも最大の一派が治める地で、区のトップはエルフで最も古い血統――すなわちエルフにとっての王族……!」
エルヘイム自治区はシャイナ王国最大の自治区であり、実質的には一つの国家のように扱われている。
理由は偏に民の個々の戦力としての強力さとマジックアイテム作成技術などの他の追随を許さない先進性から。教会もその独立性を正式に認めているため、事実上のエルフ国家である。その意向は王国内外の各地にあるエルフの里も逆らえず、はぐれエルフも思わず背筋が伸びる程度には影響力がある。
「この書類は大なり小なり世界中の名のあるはぐれエルフや混血エルフに送られている。内容は――ギューフ王子の花嫁捜しだ」
「花嫁捜し!? まさか……私に行けってこと!?」
「ギューフ王子は閉鎖的なエルヘイムに新しい風を吹き込むために、花嫁をエルヘイムの外のエルフから選びたいと考えているそうよ。これはその推薦状を募る通知書ね」
「エルヘイム古の血の権力は絶大だ。花嫁を推薦した者にも花嫁自身にも大きな見返りがある。それこそ花嫁が森と融合した町を作りたいと言えば全面的にサポートしてくれる程度にはな」
ふたりの目は真剣そのものだ。
フェオは首を横に振る。
「い、いやだ」
「何故だ? お前の夢を叶える為の協力者はなにもそこの彼だけでなくともいいだろう。お前が花嫁になったからと言ってこの村の人間を追い出す必要もない。常にとはいかずとも定期的に通うことは出来るだろう」
「ギューフ王子はとても宥和政策に真剣だわ。もしかすれば王子が逆にこの村に住むと言って都合をつけてくれるかもしれないわね。個人的には王子は立派だし応援したいとも思うわ」
「だから、嫌だって! だいたい、それで花嫁に選ばれるかどうかなんて分かんないじゃない!!」
強く拒否するフェオだが、両親の意見は違った。
「いいや、王子がお前を選ぶ可能性は高い。むしろ最初から候補を絞って通知を狙い撃ちで送っているんだ。この村に籠っているから自覚しづらいだろうが、お前はエルヘイムでは有名人なんだよ」
「リヴァイアサンの瞳を持ち帰った話、様々な有名人を集めて村を作った話、その村にルシュリア姫が立ち寄った話……特に、魔王軍の襲撃で難民化した人達を助ける為にシュベルの町で精力的に活動した話はエルヘイムでも有名になってるそうよ。極めつけが勇者と肩を並べてベテランクラス冒険者に昇格した件……」
「使者の者も形式上は『お願い』だったが、かなり念を押して推薦を勧められた」
ハジメは成程、と納得した。
元々フェオは周囲に愛されるちょっとした有名人で、優しくて人当たりが良く、成長も早かった。エルヘイムで噂されているという話も全て事実だ。恐らく『純血エルフではないエルフ』という条件で花嫁候補を絞った際、民から最も受け入れられやすい外部の人気者がフェオなのだろう。年齢的にも『新しい風』として見栄えが良いのかもしれない。
言葉を失うフェオに、両親は「これは強要ではない」と念押しする。
「命令ではないから従う義務はない。しかし、古の血のお願いを軽々に扱うことはできない。世界中のエルフの頂点とも言える系譜だ。曖昧な理由で断ることは無礼だ」
「だからね、フェオ。私たちは確かめたいの。フェオに愛している人がいるかどうか。そして、その相手はフェオに対してどれくらい本気なのか」
「そんな……急に言われても……!!」
フェオはハジメと両親を見比べて狼狽える。
自分には縁の遠い話、まだ踏み込まなくていい話と思っていたのだろう。実際、フェオはまだ若く、身持ちを固めることを真剣に考えなければいけない年齢ではない。しかしエルフの古の血が自分を求めているという状況とあらばいい加減なことは言えないだろう。
フェオが何故ハジメの方を見たのか。
両親が何故ハジメもこの場に呼んだのか。
鈍いハジメでも流石に理解が出来る。
「俺に誠意を見せろ、と。そう解釈して構いませんか」
「君の判断に任せるがね」
「ハジメさん!? パパも、勝手に何言ってるの!?」
ベオクは動揺するフェオを諫めるように問う。
「フェオはどうなの? フェオは今、心に決めている人の名前を口に出して言える? 古の血を突っぱねてまで、後悔せずに言える?」
「こんな……こんな強要されるような場所で言いたくない!!」
乙女心というものなのか、それともフェオとしてこんな形で想いを口にするのは許せないのか。よくは分からないハジメだが、最近色々とウルやアマリリスに女性との接し方を相談するうちに一つ思い当たったことがある。
女性を守るには、正論や中庸な発言ではなく行動の伴った意思表示が大事だと。
思っているだけの思いやりなど役には立たない。
ハジメは、フェオがいらぬ出来事で心をかき乱している様を見たくない。
その想いが好意だと言うのなら――。
「フェオ」
「ハジメさん、こんな話は聞く必要ないです!!」
「フェオ、聞いてくれ」
「……ハジメさん?」
こんなやり方が正しいのかは分からないが、思えば『これ』を渡す合理的な理由はなかった。しかし、ハジメは『これ』をフェオに与えたいと、持っていて欲しいと思ったからこそ購入した。
あのときは、散財がどうこうとかフェオの為の装備品になるとか、何も合理的な理由が思いつかないのに購入した自分の事を不思議に思った。しかし、不思議と今このときの為に買ったような気がしていて、ハジメはその直感に従った。
「フェオの為に買っていたものがある。でも渡すタイミングが分からなくて……」
理屈をつけて渡すことは出来たけれども、どう考えてもしっくりこなかった。でもそれはハジメの頭の中が単純すぎたからだ。
世の中には正しいことと正しくないことに含まれない数多くの選択肢があるのに、それに自覚的でないから渡すことが出来なかった。それがきっと、ハジメに欠けているもの。そして欠けた感情を初めて抱いた相手が――。
「今がそのときなんだと思う。これを受け取って欲しい」
簡素だが上質で、掌に丁度乗るような小さな箱。
両親が息を呑み、フェオは言葉もなく呆然とそれを見る。
恐らく三人とも同じものを中に幻視しており、その予想は当たっている。
箱から出てきたのは、大きなエメラルドの装飾された指輪。
これはただの指輪ではないそうだ。指輪中央のエメラルドは大きさも然る事ながら、恐ろしく純度が高く、風が物質化したかのように透き通っている。これほど透明度の高いエメラルドが見つかるのは奇跡だと専門家に言わしめるほどの品だ。
これは嘗て、いつだったかの時代のエルフの古の血族がヒューマンと身分違いの恋をした際に職人に作らせた、いわゆるエンゲージリングだそうだ。透き通るエメラルドの奥、台座に刻まれた印が古の血族の印とまったく同じであることがその証明である。
その後、身分違いの恋の行方がどうなったのかは杳として知れない。ブンゴに調べて貰えれば判明するかも知れないが、ハジメはそんなことには興味がない。
手に入れたのは、帝国の裏オークション潜入の際。
競り落とした己自身が困惑したのを覚えている。
或いは、指輪に籠められた「たとえどんな障害があろうともこの想いは曇らせられない」という念がハジメを呼び寄せたのかも知れない。だとしても、ハジメには彼女に渡す以外の選択肢は考えられない。
震えるフェオの手を取ると、彼女の震えは止まった。
なんの震えだったのかは考えても意味はない。
仮に拒絶であったとしても、迷うことはない。
ハジメはフェオの薬指に、躊躇いなくその指輪を嵌めた。
「うん。やっぱりこれは、フェオに似合う」
「ハジメさん……これ、こんな、いつの間に……」
「たとえ君が俺を振り返らなくとも、君に抱いたこの気持ちだけは誰にも否定されたくない。この指輪は、君のためだけの指輪だ」
「私の、ための……」
フェオの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
彼女はそれを慌てて拭った。
「ご、ごめ……違うのに。嬉しい、こんなに嬉しいこと今までないくらいに嬉しいのに、なんで私、こんなに泣いて……」
「分かってるよ、フェオ。これは違う涙だ」
「ハジメさん……! わた、私は! 私も、ハジメさんが好きです! 指輪なんかくれなくったって、ずっとずっと……!!」
「俺も、フェオのことが好きだ」
胸元に飛び込んできたフェオを抱きしめて受ける。
きっとこれが、ハジメの無償の愛。
違うと否定されたとしても、そうだと言い続けてやる。
「ケンさん、ベオクさん。フェオの笑顔を曇らせる存在に、俺は断固として戦います。俺自身も彼女を笑わせる存在でありたい。これは、古の血に劣る半端な覚悟でしょうか」
ケンは何も言わず、ただ目を見開いて目の前の光景を見つめていた。
ベオクがうっすら潤んだ瞳でケンの肩を叩く。
「あなた、もういいでしょう。娘の為にここまで言い切れる男がいて、応える子がいるんです。これ以上の理由は必要ないでしょう?」
「……そう、だな。少しでも半端な答えを出すなら切離しを迫ってやろうかとまで思っていたが……いや、私自身もこんな展開を心のどこかで望んでいたのかもしれない」
確かにケンとハジメが共に銭湯で湯を浴びたとき、ハジメを導くような言葉を彼は口にした。最初の段階から、彼なりにフェオがこの話を断る理由を求めていたのかも知れない。きっと娘はそれを望みはしないから、と。
ケンはそれ以上、ハジメもフェオも見ずに後ろを向いて去って行った。
ベオクにハンカチを差し出され、男泣きで拒否しながら。
――こうして長かったフェオの両親の来訪は幕を閉じた。
ちなみにこの一部始終をばっちり見聞きしていたクオンはこの出来事を村に盛大にバラし散らかし、アマリリスとウルが「第一目標達成ーーー!!」「イエーーー!!」と昼間から二人で酒盛りを始めたという噂があるとかないとか。
クオン「フェオお姉ちゃんがママのオヨメさんになったよ!」
何も知らない人「高度な百合か……?」
緩めに評価、感想をお待ちしております。




