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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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24-4

 コピー能力者の正体は、人間ですらない何かだった。

 彼は腹の槍を引き抜くが、そこから血のように黒い何かが溢れ出てゆき、身体が縮んでいく。ハジメが咄嗟にポーションをかけると、一応は効果があったのか収縮は停止した。


 黒い人型は、ノイズのかかった酷く聞き取りづらい声を放つ。


『どっペルゲんガー……命でスらない現象……そレが偶然、自我と寿ミョうを持っテウまレタ存在……そンナ、設定だ。神、の』

「……コストと代償か。過ぎた能力故に……」

『俺はダれでモナい。ダれにもなレない……本当ハ、じブンにもなリタくない癖に、自ブンがなクナルのも怖い、おクビョうモノさ……』

「なんで、そうなったんだ?」

『ナンでかなァ……ダレも、おレの価値を教えテクれなカッタかラ?』

「親も、か?」

『ハハ……むシろ真っサきに出来損ナい扱イシテきたよ。産まなきャ、ヨかったっ、ッテさ。こっチも、こんなこトナら産マれたく、なかったよ』


 ああすればよかったのに、こうすればよかったのにと言う相手に、ハジメ達のような人間は決まって同じことを思う。

 『そう考えることしかできないのなら、こいつは一生理解できないだろうな』、と。

 生まれたくなかった者と生まれるべきではなかったと思う者の間には、きっと殆ど差異はない。行動はまったく違っていても、根元の部分が響き合っている。


「俺と同じだな」

『……ソう、だッタのか』


 ドッペルゲンガーは納得したように空を見上げる。

 そこには眩しすぎるくらいに明るい、夜空を照らす満月があった。


「おまえは、おれだ」


 ハジメは、何故フェオの父親であるケンが自分のことを悲しいと言ったのか、なんとなく理解した気がした。子は親を通して愛を知る。では子を愛さない親の元に生まれた人間はどうすればよかったんだろう。愛を知らない自分たちは、どうやって人を愛せば良いのだろう。


 おかあさん、おとうさん。

 ぼくはなんのためにうまれてきたの?


 月は幾星霜も世界を見下ろしてきた筈なのに、何も答えてくれなかった。




 ◆ ◇




 以前のハジメの世界は簡単で良かった。


 その一、自分は世界にとって正しいことを行う。

 その二、自分には世界に存在する価値がないので死んだ方がいい。

 その三、二つの条件を両立するのに都合が良い冒険者として活動する。


 考えていたのは精々こんなものだ。

 自己のみで完結した、クリアな世界だ。

 それだけ考えて生きていればいい、ハジメはスタンドアローンな装置だった。

 なのに、ハジメの世界は変わってしまった。


 人に好意を寄せられるようになった。

 義理の娘や自称弟子が現れ、他人の人生に責任を負うようになった。

 今やハジメは村の中で必要なネットワークの一部になっている。


 トリプルブイの口座宛ての小切手に依頼料金を書き込む。

 今回も相応の高額だが、今は散財で悦びを感じる気分になれない。


「じゃあ、頼んだ。いつも面倒事ばかり押しつけてすまんな」

「気にしなさんなよ、お得意さん。やりがいのある仕事は歓迎だ」


 へらへらと笑いながら手を振るトリプルブイに見送られ、ハジメは村の表通りに向かう。こういうときに何も聞かないトリプルブイはきっと優しい男なのだろう。


 フェオとその両親は忍者たちの訓練場に向かったと道行く人に聞いた。

 今、ハジメはフェオたちに会いたい気分ではない。

 会えば何かあったと悟られてしまうだろう。


 自宅に帰って道具の整理でもしようか――そう思ったハジメは、ふと騒がしい気配を感じて店の並ぶ通りに出る。すると、ヒステリックな女性の怒鳴り声が響いてきた。


「ワガママもいい加減にしなさい!!」


 ばちんっ、と響き渡る音。

 続いたのは子供の大泣きだ。


「うえぇぇぇぇん!! なんで、なんでぇぇぇぇぇ!!」


 なんだなんだと人が集まる。

 そこには子供向けの玩具を握った少年とその母親がいた。

 ハジメの存在に気付いた村民達が説明する。


「あの子が売り物の玩具が欲しいって言って離さないみたいで……母親も最初は口で説明してたんだけどね。イライラしちゃって遂に手が出たってところ」

「なるほどな」


 親がしつけで子供をはたくなどこの世界では問題にもならないくらい日常茶飯事だ。痛みが教訓を生むというのは前時代的ともシンプルな事実とも言えるし、人の教育に口を出せるほどハジメも偉くない。


 だが、あんなことがあった後だからか、ハジメはどうしても泣き叫ぶ子供から目が離せなかった。今まではたまに見かける日常でしかなかったのに、何故かハジメには自分のことのように感じられた。


「なんでママの言うことが聞けないの!!」


 一向に言うことを聞かない子供に業を煮やした母親は、泣き叫ぶ我が子を更にはたく。ハジメは耐えられない気分になり、仲裁を決意する。子育てのストレスもあるのだろうが、余りにも悲しい悪循環だ。


 振り上げた母親の腕を掴むのではなく、手で割って入る。


「そこまでにしてあげたらどうだ」

「だって、この子が聞き分けがないから!!」

「そんなに頑なだと、子供だって頑なになってしまう。落ち着いて深呼吸して……」


 ここの村人が全員がハジメの実力を知っているが、怒れる人間はそんなことを忘れてしまう。ハジメとしては言葉を選んだつもりだったが、その言葉は母親を怒らせるだけだった。


「甘やかすとあれもこれもと何でもねだるようになるのよ! こっちは生活に余裕がないからここにやってきたのに、貴方は子供のねだるものは何でもあげろって言うんですか!?」

「そうじゃない。俺が言いたいのは、買う買わないじゃなくて、子供の主張も聞いてあげたらどうかと……」

「私が子供のことをないがしろにしているって言いたいの!? 物わかりが良くて生活に余裕のある貴方に言われたくはないっ!!」


 これ以上暴力に訴えるのはやめろと直接的には言えず婉曲な物言いをした結果、どんどん会話の内容が悪化していく。周囲は母親の余りの剣幕と、それに対応しているのがハジメであることから口を出せない。それが怒鳴る母親の疎外感を刺激しているのかもしれない。


 子供は泣きわめくばかりで、一向にコミュニケーションが取れない。

 もしかしたら自分自身でも何を求めているのか分かっていないのかもしれない。


 母親からすれば、息子の声など聞き飽きるほど聞いているのだろう。

 だから今更聞くべき声などないと思っているのかもしれない。

 それも事実であり、だからこそ親子は平行線を辿ってしまっている。

 そうなると最後には暴力を押し通せる方が物を言う。


 それは、果たして正しいのか?

 暴力によって従えられた子供は、同じように暴力で誰かを従えようとするのでは?

 その疑念のままに、ハジメは説得する。


「子供を絶対に殴るななんてことは言わない。でも、力だけで無理矢理納得させようなんてことは、いい親のやることでは――!」


 言い終わるより前に、笛の音色が響いた。

 男の子の号泣が、母親の怒声が、周囲の喧噪がぴたりと止まる。


 笛の音色の主は、ハジメの義理の娘のクオンだった。

 手にしているのはオカリナで、恐らくエルフの双子から貰ったものだろう。たまに吹いているのを見かけて少しばかり『演奏楽士』ジョブで覚えた旋律を教えてあげたことがある。この曲は精神異常を防ぐ曲で、人の心を落ち着かせるゆったりとした音色が特徴的だ。


 男の子はオカリナが物珍しかったのか、ぴたりと泣くのをやめて目を輝かせる。


「すっげー! なにそれ、見せて!」

「いいよ! オカリナ以外にも色々楽器あるから見せたげるね!」

「やったぁ!!」


 笑顔で誘うクオンに男の子は喜び、先ほどまであれほど固執していた売り物の玩具を手放して駆けていく。クオンはよく双子たちとの遊び場に使っている小屋に少年を連れて行き、既に何人かが遊んでいた子供の輪の中に誘った。


 ハジメはしばし呆然とそれを見つめ、そして、気付く。


「玩具が欲しかったんじゃなくて、誰かと一緒に遊びたかったのか」

「……」


 母親も暫くその光景を呆然と眺めていたが、ハジメが売り物の玩具を露店の棚に戻すと、母親ははっとする。


「最後にあの子と遊んであげたの、いつ……? 一体どれくらい、忙しいからってあの子のおねだりを断ってた……?」


 心当たりも答えも、確かに母親の中にあったようだ。

 ただ、それに気付けなかっただけで。

 ハジメは割って入っておいて娘に助けられた自分を情けなく思った。


「……すまない、余計なことばかり言ってしまった。娘の方が俺よりよほど利口だな。オカリナの音色だけで全て丸く収めるんだから」

「いえ……ごめんなさい。私の方こそ」

「貴方はきっとすこし頑張り過ぎてるんだと思う。だから周りの人に愚痴や世間話でもいいから話をしてみたらどうだろうか? 教会もあるんだ、口の堅い聖職者に悩みを打ち明けてもいいと思うし、俺だって何か力が貸せるときはあると思う」

「ありがとう、ございます……考えておきます」


 母親は今になって冷静さを取り戻したのか、沈痛な面持ちで買い物を続けた。子供が去って行った方から聞こえるぎこちなくも暖かい笛の音色に耳を傾けながら。周囲もそれ以上母親を腫れ物のように扱うことはなく、平穏な村が戻ってきた。


 それでも相談に乗り出す勇気が足りないかもしれないから、村の何人かには話をしておこうと決める。


 ハジメはクオンに「好きなだけ遊んでから帰っておいで」と暗に泣いていた少年のことを任せ、自宅に向かい、リビングの机に座り――項垂れた。


 先ほど、咄嗟に母親に放った言葉。

 周囲はそれほど不思議に思うこともなかった言葉だろうが、ハジメは後になってその言葉が自分の心の深い場所に突き刺さっていることに気付いた。

 痛烈な矛盾を突きつけられた気分だった。


「そうだよな……気付かない方がおかしいんだ」


 ケンの言葉、ドッペルゲンガーの言葉。

 無償の愛を知らないという言葉の意味。

 ハジメが親に愛されなかった本当の理由は、拍子抜けするほど簡単だった。


 何もやる気が起きず、時間だけが重苦しい空気とともに過ぎていく。

 気付いてしまえば余りにも単純明快で、過去に気付かなかった自分が不思議なくらいで、それに怒りも虚脱感も湧いてはこない。ただ静かに、ゆっくりと心が泥の中に沈んでいくような奇妙で切ない悲しみにハジメは満たされていた。

 やがて日は傾き、玄関のベルが鳴って差し込む夕日とともにフェオが訪れる。


「ハジメさん、お話聞きましたよ。お店でトラブルが――ハジメさん?」

「フェオか。すまん、少し考え事をしていた」

「どうしたんですか……すごい落ち込みようですよ? 話せないことですか?」


 言外に自分に相談して欲しいと告げるフェオがハジメの隣の席に座る。

 しばらくの沈黙が流れた。


「……気持ちの整理がつかない。今はすこし一人にしてほしい」

「……」


 フェオは一瞬気を遣って言われたとおりにしようとしたが、思い直したように椅子に座り直した。


「誰かに話すことで整理がつくこともあると思いますよ」

「だが……こんな話、きみにしても……」

「仕方ないことだからこそ、内に秘めて苦しむんじゃないですか? そういう感情もきっとありますよ。自分を追い詰めるようなやり方、私は好きじゃないです」


 普段なら一歩くらい引くのに、今日のフェオは引かなかった。

 それだけハジメの様子がおかしいと感じ、踏み込む決心をしたんだろう。

 不退転の決意を感じたハジメは、それ以上彼女を退ける方法が思い浮かばない。


 もどかしくなるほどの時間をかけて、ハジメは口を開く。


「力だけで無理矢理納得させようなんてことは、いい親のやることではない――そう言おうとした」

「それは私もそうだと思いますけど……」

「そうだよな」


 ハジメは作り笑いが苦手な癖に何故か笑ってしまいたい気分になって、歪な笑みを無理矢理浮かべた。


「俺の親はいい親じゃなかったんだよ」

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