24-3
下手人の尻尾は、思いのほかあっさりと掴めた。
村の外れにクラッソスと、魔王軍の指揮官クラスが向かい合って会話している。敵対するはずの両者が何故会話するのか、その理由は内容を盗み聞きすれば判然とした。
「村人は良い感じに俺のことを救世主だと思ってるぜぇ。公的な救援物資もあって今一番気が緩んでるときだろ」
「フフ、流石は手際が良いな。では助かったと思い安堵する人間共を絶望に叩き落とすのは今夜だ! 追っ手の冒険者とやらには既に配下の魔物を放ってある。時間の問題であろう」
勝ち誇る指揮官に同調するように、クラッソスは先ほどまでの柔和な笑みを消し、我欲に塗れた嘲笑に変える。
「どいつもこいつも俺のことを褒めちぎるばかりで、可笑しくてしょうがなかったよ。大笑いするのを何度我慢したことか! 俺が魔族だと知ったら連中どんな顔するんだろうなぁ!」
(最初からグルだったということか……)
村の救世主として現れて茶番で村人を信用させ、村人が信じ切ったところで裏切って村を壊滅させる計画だったらしい。ハジメは相手から魔族の気配を一切感じ取れなかった自分を恥じ、やむを得ずその場で戦闘に突入した。
(一撃で二人とも仕留める)
剣を抜き、スキル『ソニックレイヴ』の俊足の斬撃で両者の首を狙う。
しかし、刎ねたのは指揮官のそれのみ。
もう一人はスキル発動と同時に弱まった隠匿性のせいか即座に奇襲に反応してバックステップで躱していた。
「なに、貴様!?」
「素直に帰るほど間が抜けてないものでな」
「……追っ手撒かれてるじゃねえか、このマヌケ野郎」
クラッソスは苦々しい表情で足下に転がる指揮官の首を踏みつける。
「いいぜ……直々に潰してやるよ!! お前が終わったら次は村人だッ!!」
クラッソスの全身に禍々しい魔力が漲る。
肉体が膨張し、皮膚の色が変質し、蝙蝠のような翼がめきめきと背中から突き出す。まさしく悪魔然とした魔族の正体を露にしたクラッソスは、詠唱破棄で巨大な紫電の塊を弾けさせた。
「逝っちまいなぁ!! サンダークラスタァァァーーーーッ!!」
耳障りな叫び声とともに空に一瞬で雷雲が立ちこめ、夥しい雷が降り注ぐ。ハジメはそれに対して雷撃無効の装備を瞬時に装備して無視しながら術者に接近する。
「チッ、目障りな!」
クラッソスは舌打ちと同時に次々に魔法を放ってくる。
「アイスデスペラード!! グランショックウェーブ!! ホーリージャベリン!!」
(無詠唱であらゆる属性の魔法を連続使用。きっちり距離を取って牽制も混ぜてくる。只者じゃないな)
爆散する氷塊の連撃、地を這うように迫る衝撃波、降り注ぐ光の槍を躱し、切り裂き、接近するが距離が思ったより縮まない。相手の立ち回りが上手いのだ。しかも中位から高位の魔法を乱発しても息切れしていない。これほどの実力者でありながら裏工作に回っていたということは、相応に頭もキレるのだろう。
魔法の威力も十二分に高く、ハジメの目算では魔王軍幹部を上回っている。
それほどの相手が何故せこせこ破壊工作をしていたのか疑問に思うほどだ。
一方の相手も粘るハジメに苦々しげな顔をする。
「チィ、しつこい!! 魔王ちゃんのためにとっとと沈んでくれないかなぁ!!」
「出来ない相談だ。デモリッションスティンガー!!」
スキルを発動させ、背から抜いた槍を投擲する。
デモリッションスティンガーは人に当てれば殺傷しかねない威力を誇るスキルだが、ハジメは仕留めるために放った訳ではなく相手の出方を窺うためにわざと少し軌道を逸らしてある。クラッソスは大仰な動きで避けた。
「おっとぉ!! 惜しい惜しい!」
(軽口を叩いてはいるが、軌道が見切れていなかった。後衛職で確定か?)
もし近接戦闘も出来るなら迎撃して防ぐか当たらないと気付いて無視した筈だが、クラッソスは避けた。これだけでも相手の得手不得手が多少は見える。
ハジメが警戒したのは、これほどの手練れでありながら裏に回る選択ができるということは転生者なのではないかという懸念だ。なので隠した手札があるならこれで見ておきたかったが、その心配もなさそうだ。
ハジメはある程度様子見のために敢えて制限していた身体能力を全開にして、即座に相手の懐に潜り込む。
「なっ、はや――」
驚愕に目を見開くクラッソスはそれに反応出来ず――。
「くそ、コピー!!」
「!?」
直後、今度はハジメが目を見開いた。
目の前に、ハジメがいた。
ハジメの剣は、他ならぬハジメの剣に受け止められていた。
まるで鏡合わせのような光景に幻術を疑ったハジメだが、すぐに違うと気付く。目の前のハジメが自分なら絶対しないような驕った笑みを浮かべたからだ。
「おいおいなんだよおっさん、こんなに強いんなら早く言えよ! 前の姿で粘ってた自分が馬鹿らしい!! ストリームモーメントぉッ!!」
「……!! ストリームモーメント!!」
目の前のハジメが想像を絶する速度で加速し、咄嗟にハジメも同じスキルを使って高速移動しながら何度も剣と剣を衝突させる。互いの膂力のあまりの高さに地面が衝撃に耐えきれず陥没した。
互いに火花を散らして剣戟の音を響かせながら、ハジメは驚愕する。
(くっ……斬撃の角度、位置取り、力加減まで殆ど俺と同じだと!?)
ストリームモーメントはハジメの使うスキルの中でも必殺に近い大技だ。同じ技を使える相手とぶつけ合っても練度の差で返り討ちに出来ると自負する程度には手に馴染んだ必殺剣であった。
それを、速度も踏み込みも、果ては武器まで相手は完全に真似ている。
相殺したとは言え互いに衝撃でダメージを受けており、その程度まで同じだ。
無視しても問題ない程度の傷だが、相手の得体が知れないことを加味して回復魔法を使う。
「「リジェネレート」」
判断するのはまったく同時。
異口同音ならぬ同口同音。
スキルや装備を真似するだけでなく判断力まで真似ているのか、とハジメは内心呻く。まるで鏡写しのような相手と『コピー』という言葉、加えて『前の姿で粘っていたのが馬鹿らしい』という発言を鑑みるに、導き出される答えは自ずと絞られていく。
「魔族であり異能者。能力は『相手の完全な模倣』といったところか? 厄介な……」
「冷静じゃないの。でも裏では焦ってるんだろぉ!? 滅破割砕撃ィ!!」
コピーハジメが大斧を抜いて凄まじい膂力で地面に叩き付けると、地響きと共に衝撃で大地が爆発するようにめくれ上がった。
即座に離脱して横から攻めるが、今度は短剣を抜いて防がれた。本当にステータスがハジメと互角である。更にハジメが使っているテクニックである独特の杖の使い方での詠唱も披露し、追撃の魔法が次々に放たれる。その全てが自分が詠唱破棄で放つものと同威力だ。
数々の高威力、注意力の属性魔法が空間を彩り、そして互いに相手に到達することなく相殺されて弾け飛んでいく。先ほどのクラッソスとしての魔法と段違いの威力や魔力にコピーハジメは酔いしれる。
「すっげ、すっげ!! 思考力といい魔法の数といい自分のこと鍛えすぎだろお前!! でも残念、お前が頑張って死ぬ思いして努力して手に入れた能力、俺も手に入れちゃったもんね!! クラッソスの力も便利だったけど、こっちのがダンチだわ!!」
(性格以外はどこまでも完璧にコピーしているな。が、先ほどまでの魔族としての力を使っていない。一度相手をコピーすると前にコピーした力は引き継がれないのか?)
魔族は魔に生まれた種族であり、人間と違って杖もいらなければ地上に足をついていないと魔法を発動出来ない制約も誤差程度の威力減退しかない。事実、先ほどまでの彼は途中で空を飛びながら攻撃してきたこともあった。
しかし、今の彼はしっかり地面に足を突いて魔法を放っており、前の姿と切り替える様子もない。
(確かに相手の能力を無尽蔵にコピー出来るのでは絶対にコストオーバーだが、それでもこれは厄介だな。これほど危険な能力を持ちながら魔王軍に属する者……絶対に逃がす訳にはいかん!)
自分の顔と能力を持った人間が悪意を持って活動すればどんな悲劇が起きるのか、想像するだに恐ろしい。彼が元は魔族だったのか、それとも人間だったのかは定かではないが、どちらにしろ魔王軍に加担した人間はその場での殺害も許可される。
ハジメは世界にとって正しくあるため、より迷いのない道を選ぶ。
「警告する。降伏するなら命は取らないが、抵抗するならお前を魔王軍加担者としてこの場で殺害する。返答や如何に」
「ははっ、分かってないねぇあんた。漫画やゲームじゃコピーには必ず倒す隙があるもんだけど、俺はそうじゃないんだよ」
コピーハジメの装備が、ハジメの持つ最高級装備に高速換装されていく。
更に主力武器達も次々に宙に浮き、その切っ先をハジメへと向ける。
「パーソナルスキルだろうが完璧に真似出来ちゃうんだよなぁ!!」
「……」
ハジメはそれに応えるように同じ装備で『攻性魂殻』を発動させる。
「攻撃も逃走も警告の無視とみなす」
「退くわけないだろ。俺は二人いらない」
「そうか、残念だ」
瞬間――『攻性魂殻』によって操られたあらゆる剣、槍、斧、棍、ナイフ、鎌等の武器がそれぞれ別個の武人が操っているかのような殺意と技を乗せて相手に殺到する。嵐のように入り乱れ、弾け、同時に衝突するあらゆるスキルの衝撃が空間を破壊していく。
一瞬の判断の過ちが永遠の終焉に繋がる、死の乱舞。
周辺の大地は瞬く間に砕かれ、切り刻まれ、木々が雑草のように薙ぎ倒されていく。ハジメが守りを削って攻めに転じれば相手も同じことをして、互いに薄れた防御の隙間から衝撃や斬撃を受けて傷ついてゆく。パーソナルスキルであれば多少は差が出るかも知れないという淡い期待は微塵に砕け散った。
鏡合わせのように同じ姿の男達が、鏡合わせのように同じ絶技をぶつけ合う。
その片割れ――コピーハジメは興奮を抑えきれずこみ上げる笑いを隠そうともしない。
「は、ははっ! はははははは!! 人間ってこんなことまで出来るようになるんだなぁ!! なんか素直に感動しちゃってるぞ、俺!!」
「これ以上にもなれるさ。戦い続けられればだが」
「すげぇなぁ! 羨ましいなぁ! こんなに何でも持ってる奴ってみんなに愛されて必要とされるんだろうなぁ!!」
「……お前は」
「え!? なんだ!?」
「お前は無償の愛とはなんなのか知っているか」
それは、余りにも場に不釣り合いで気の迷いのような問い。
彼が自分と同じ顔で余りにも楽しそうに笑うものだから、つい聞いてしまった。ハジメと同じ能力を持ちながらハジメと違う過去と人格を持つ彼に、自分のIFという考えを抱いてしまったのかも知れない。
コピーハジメは迷いなく答えた。
「知ってる訳ねぇだろ!! 俺には何もない……!! 俺には俺がないんだよぉ!!」
突如としてコピーハジメの激情が爆発し、『攻性魂殻』が激しさを増す。
ハジメ自身でさえここまで行使したことがないくらいに激しく荒れ狂う様は、コピーハジメ自身の心情を表しているかのようだ。この攻撃はハジメの力を借りて代弁される彼の魂の声だ。
「いつも憧れてばっかだった!! 何も出来ずにどこにもたどり着けない自分が嫌で嫌でしょうがなくて、いっそ他の誰かになれればと思って、俺は『こう』なっちまった!! 前の奴は凄かったさ!! だから殺して俺が成り代わった!! そうしないと誰も俺を見ない、見てくれない!! でも、でも――!!」
判断力は鈍っていないが、その上で全知全能が攻撃に偏っていく。
ハジメも防御に偏らせなければ防ぎきれない。
攻撃は最大の防御どころではない、物理顕現した殺意の嵐だ。
「でも、俺ってなんだ!? 皆が褒め称えてるのは俺の本来の顔じゃない!! それって俺を見てるって、俺を慕ってるって言えるのか!? こいつの仲間も家族も俺を見てねぇんだ……俺が成り代わる前の奴を見てるだけなんだ!! なら俺はどうすればいい!! 誰になれば俺は俺として見て貰える!? 誰が俺の名前を呼んでくれるんだぁぁぁぁッ!!!」
「……ッ!」
剥き出しの衝動の塊に、ハジメは気圧される。
犯罪に手を染めた転生者には追い詰められると激情を露にする者が珍しくないが、これほど激しいエネルギーの籠った感情は見ることがない。
自分と同じ顔がコントロール出来ない、しかしきっと純粋な感情を剥き出しにする様は、まるで自分の心が慟哭しているようにさえ見えた。
自分でいることに耐えられずに自分を捨てて他者の在り方を求め、しかし、模倣と成り代わりという手段しか選べないから自分になることが出来ない。恐らくは要求した能力故にそういう存在として生まれるしかない。
誰にも求められない。
誰にも愛されない。
誰も、誰も、誰も。
自ら選んで間違えた道の中で、彼は喚き散らかす。
誰かを傷つけずには存在できない道だと彼は知っていた筈なのに。
いや――知っていても、彼の心はそれしか選べなかったのか。
(分かる……分かってしまう。もっといい道、もっと安楽な道がある筈なのに、『自分には選べない』という厳然たる壁に背も横も囲われて……気付けば選べる道は一つ。俺が死ぬために冒険者を選んだのもそうだ。他人から見れば狂気でも、俺たちのような人間にはそれしか見えないんだ……)
胸が詰まる。
こんな感情、今まで味わったことがあるだろうか。
フェオに動揺するななどと指導していたのに、ハジメは己が動揺していることを自覚していた。敵を前にしてこんな気持ちになったのは初めてだ。普段なら正論のひとつやふたつぶつけて非情に切り捨てる筈なのに、他ならぬハジメにはそれが出来ない。
暴走する狂気を帯びて破滅的に捻じ込まれる『攻性魂殻』の衝撃が、ハジメを押し込んでいく。間違っているのに、彼の感情は余りにも情緒的な生々しさに溢れている。ハジメと同じ顔は、自己矛盾に苛まれるように泣いていた。
「俺の為に死ねよ、ハジメェェェェェッ!!」
血走った目が、その大剣の切っ先が、ハジメを間合いに収めた。
ハジメは静かに目を閉じて、絞り出すように呟いた。
「ごめんな」
直後、コピーハジメは背後から突如として襲った衝撃に身体を震わせて、ごぶ、と、吐血した。
コピーハジメは吐き出した血が零れ落ちる先を目で追い、そして、己の鎧の隙間から刃が突き出ていることに気付く。コピーハジメは装備した鎧の僅かな隙間を、凄まじい速度で飛来した槍に貫かれていた。
「な、なん……?」
「俺をコピーする前に牽制で投擲した槍だ」
あんなにも動揺していたのに、ハジメはとっくに彼を仕留める算段をつけていた。どのような人間でも攻撃の瞬間はターゲットに視線を集中させるために他の事態に対して無防備になる。それに対策出来るのが触れずして武器を操る『攻性魂殻』なのに、彼は完全に攻撃に注力していた。
だから彼が忘れているであろう、先ほど投擲していた槍にハジメは気取られないよう『攻性魂殻』の力を伸ばしていた。
彼がハジメを押していたのは、ハジメがトドメの一撃に力を込める為に防御に徹してリソースを僅かずつ割いていたからだった。
コピーハジメはもう一度吐血して、目を見開いたままその場に倒れ伏した。
今までコピーしていた武器も、装備も、顔さえも、黒く消えていく。
ハジメはこんなときも感知スキルを最大限に活用して彼が何らかの手段で逃げるのではないかと警戒しながら、そんな自分を哀れに思った。
ハジメの目の前には、黒い靄のような人型があった。




