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目当ての旅館は、山奥の隠れ里のような場所にあった。
ここは一部の富裕層しか知らない高級観光地らしく、日本の古き良き観光地のような土産屋の並ぶ町並みが広がっている。元を辿れば日本恋しさに集まった転生者たちが知恵を絞って日本の風景を再現したものらしいが、少しノスタルジックな雰囲気がある。
旅館そのものも、ライカゲ率いる旅団が使うだけあって和のテイストを全面に押し出した古式ゆかしい日本旅館だった。変なところと言えば女将以外の従業員の大半がリザードマンだという所だろうか。
「いらっしゃいませ! ようこそクサズ温泉旅館へ。女将のオトナシと申します」
「草津?」
「クサズです。ザ、ジ、ズ、のズです。ここ重要ですので」
旅館を代表して恭しくお辞儀をした女将のオトナシは、そこをやたら強調してきた。
旅団によると、この女将は大の爬虫類好き転生者らしい。
ウェーブのかかった深緑色の長い髪を後ろで纏めた妙齢の彼女は、豊満な肉体を隠そうともしない改造浴衣で胸を強調している。胸元や口元のほくろといい、しなのある声といい、どうやらセクシーさを売りにしているようだ。
チート能力は究極の指圧で、生前は爬虫類と結婚したいと願うちょっとアレな女だったらしい。こちらの世界ではリザードマンは一応人類ながら体のパーツ的にはかなりトカゲなため、彼女はここでトカゲハーレムついでに旅館を経営しているんだそうだ。さらに彼らとは別にペットで爬虫類系モンスターも飼っているとのこと。
ちなみに事実上の引退状態ではあるが、一応テイマーとして冒険者ギルドにも籍を置いている。
理由は詳しく知らないが、税金対策らしい。ハジメには縁のない話だ。
オトナシはほんの一瞬だけ面子を見渡し、丁寧に旅館内へ案内する。
意味ありげな視線の理由はなんなのか、と思うと、ジライヤが返答する。
(オロチ先輩がいないか確認してちょっとがっかりしたんだと思うでゴザル)
(あぁ……)
曰く、前に犯罪転生者との戦いで共闘して以来、明らかに女としてオロチを狙っているらしい。その本気度たるや、オロチがそのうち性的な意味で捕食されそうだと警戒してなるだけ宿に近寄らないようにしているくらいだという。
――腕を掴まれたらもう終わりですよ。ほぐされた快感から一瞬で立てなくされます。マジで。分身出してなかったらヤられていましたね。 ~オロチ談~
余談だが、この旅館は基本一人につき一泊30万Gかかる超高級旅館だ。それをマッサージ使い放題コース、特上料理等々の特別コースを容赦なく頼みまくり、更にはシーズンでないのをいいことに貸し切りにまでしたことにより、今回の旅行費は800万Gまで膨れ上がらせたいつものハジメであった。土産も色々と買うので最終的には更なる散財を目指している。
もちろんこの三日間、一切依頼は受け付けていないので財産は増えない。
あとは億単位の土産物が都合良くあれば完璧だ。
目指せ、竜の卵(1000億G)を超える店頭商品。
ここからシオと、ついでにルクスを極限までリラックスさせて代謝を上げることで彼女たちの体から薬を抜く作業が始まる。作業と言っても充実した時間になるので誰も不満はあるまい。当のシオは周囲をちらちらと観察している。
「鬼人文化の建築に似てるけど、あの人達はきらびやかさより威厳と実用性を気にするからここはまた少し違う感じがしますね、師匠」
「そうだな」
「ところで部屋は男女別々なのでしょうか?」
「今は繁忙期ではないから部屋は上のフロアを丸ごと貸し切りにして貰っている。個室取りも出来るし、友達と一緒でもいい」
「ではご迷惑でなければ師匠の部屋に!」
「えぇ……」
(くぅぅぅぅ!! 薬のせいとは分かっていても、シオちゃんにご奉仕して貰おうなんてぇ……許すまじハジメさん! 口に出す勇気はないけど!)
私、師匠の世話を焼きたいです! と顔に書いてあるシオと、そんなシオを見てハジメへの嫉妬を募らせるユユ。それとは関係なく「あのお土産美味しそう!」「あとでハジメさんに買って貰おうねぇ」などとリラックスしきったリリアンとルクスに、薬を飲んだ面子の反応をつぶさに観察してメモをするクミラ。あとさりげに旅館従業員から息子のように扱われてちょっと気恥ずかしそうにもじもじしているジライヤ。
なんともカオスである。
ちなみにシオはここまでハジメの三歩後ろを歩幅を合わせてついてくるという従者ぶりを発揮している。荷物も持ちたがるし行き先の扉も開けたがる。つまり、普段の彼女的には本当に自分が正式な弟子であればこれくらいはやって然るべきと考えているということであり、意外すぎてちょっとハジメは引いている。
さらに旅館での食事では。
「師匠、よろしければかにの身をお取りします!」
「いや、自力で出来るが……」
「そう言わずに! この程度のことで師匠が手を煩わせることありませんよ!」
ちなみにハジメはかにを食べた経験があまりないので殻に入ったかにには普通に苦戦していたりするので、結果的にはシオに助けられた。ユユの嫉妬の視線が辛かった。
次に、自室では。
「お茶とお菓子をどうぞ、師匠!」
「頼んでないが……」
「そうでしたか? でも一応置いておきますね。もし欲しくなったらすぐにお声を!」
ほかほかの緑茶と茶菓子を用意するシオ。緑茶の淹れ方なんて何故知っているのだろうか。この世界で緑茶は圧倒的マイナー茶葉な筈なのに。ちなみに飲んだら美味しかった。ユユの嫉妬の視線が強まった。
外出時も。
「師匠、靴を暖めておきました! 魔法で!」
「以前教えた保温魔法か?」
「やっとモノにできました! 人肌程度に暖まっています!」
確かにこの旅館は割と寒めなところがあるがそこまでしなくてもと思うハジメ。ユユの視線は目で相手を射殺せそうな域に達し始めている。
と、このようにシオ以外の二名にガンガンストレスが溜まっている。
しかもそんなユユに対してシオが「ちょっとユユ、鬱陶しいわよ」なんて言ってしまうものだから余計に酷い。
「酷いよシオちゃん! わたしこんなにもシオちゃんのことを想ってるのに!」
「一方的に想ってるだけでそんな風に言われてもねぇ……」
「う、うぇぇ……シオちゃんのばか! もう頼まれたって薬草探し手伝ってあげないんだからぁぁぁ~~~!!」
とうとう先にユユが泣きながら部屋を出て行ってしまったのを見届け、シオはふぅ、とため息をつく。あの垂れきってしまった耳と尻尾を見ればユユのショックも推し量れるというもの。さしものシオも自らの態度が良くなかったと自責の念に駆られてるのかもしれない。
「これで思う存分魔導について語り合えますね!」
「お前に人の心はないのか?」
気のせいだった。
「まぁそれは半分冗談ですが……」
(半分は本気だったか。そんな気はしたが)
やっぱり利己的なところは残っているのかもしれない。
こほん、と咳払いしたシオは真面目な顔を覗かせる。
「ユユはレイザンの事件以来、ちょっと男の人から逃げすぎというか、男の人と向き合うのを避ける理由として私を異性として好きって言い張ってるだけというか、そんな感じが時々するんですよね」
「本当に心底男が嫌になったのかもしれないぞ」
「その可能性も考えてこれまで私も付き合ってあげてきましたけど、そもそも最初の頃のユユなら男と同じ部屋に入る時点でダメだった訳で。でも師匠と同じ部屋に堂々と入ってきたり、なんだかんだ克服しかけてる気がするんですよ」
言われてみれば、彼女はハジメと露骨に距離を取ろうとする節はあまりなかった気がする。同じパーティのガブリエルである程度慣らされたのかもしれない。あとは彼女自身の「男に裏切られるかも知れない」という恐怖との戦いだろうか。
いなくなって尚も女の心を縛り付けるとは、レイザンも面倒な男である。
この間は秘密裁判でいきなり名前が出てきたので驚いたものだ。噂によるとそう長い刑期にはならないらしいが、彼は改めて現実と向き合えるのだろうか。ともあれ、シオは考えなしに突き放した訳ではないようだ。
「そろそろユユに自立して欲しいということか?」
「友達として付き合うのは結構ですけどねー。師匠の話する度に責めるような目で睨まれるのは正直そろそろ鬱陶しいですし、どういう形でもいいから割り切って貰わないと困るんです」
「俺がよくフェオに睨まれるのと似たようなものか? 俺としては仕方ないかなと思ってしまうが……」
「それはフェオちゃんが師匠の内縁の妻だからでしょう」
「そんな関係では……」
ない、と言おうと思ったが、内縁の妻とはどういうものかを考えるとそんなに遠くもない気がするハジメ。しかしあくまで隣人であってそこまで確信的なやりとりをした記憶はない。一緒に仕事したり一緒にショッピングしたり一緒に山(活火山)にピクニックに行ったり晩御飯に手料理勝負を挑まれて勝っていじけられて慰めたら「明日用事に付き合ってくれたら許してあげます」とイタズラっぽく笑われたりしてるだけだ。
シオはうへぇ、と口から砂糖を吐きそうな顔をしつつも「まぁ、私としちゃどっちでもいいんですけどね」とあっさりしていた。
「ただ、師匠が決まった人を選ばないんなら師匠を慕う女性は今後も増えると思いますよ。私みたいなのじゃなくて恋心を抱いた人もね。実際なんか師匠のハーレム計画とか建てようとしてる人もいますし」
「当人の知らないところで勝手すぎるだろ」
シャイナ王国は一夫多妻制度ではないし、そもそもフェオが認めない気がする。
(……ん? フェオが認めてしまったらどうなるんだ?)
いや、まさか、とハジメはその可能性を流石にないだろうと除外した。
あの子はそこそこ嫉妬深い子である。
◇ ◆
旅館の温泉は混浴……もあるが基本的には男女別になっていた。
ハジメは当然男湯に行こうとしたのだが、これにシオが待ったをかけた。
「恐れながら具申します! 師匠と混浴した方が気分が高揚して薬が体外に排出される効率が高まるので混浴に行くのはどうでしょう!!」
「捨て身の特攻すぎないか?」
薬を言い訳にすれば何でも許されると思っていそうな辺りに普段のシオの人格を強く感じるハジメ。そもそも愛している訳でもない相手と混浴に挑むというのはどういう心境なのだろうか。
一応何度か断ろうと試みたが、こうしてやりとりしている時間こそ無駄に思えてきて結局折れたハジメはシオと混浴に向かうこととなった。
もし旅団の監視がなかったらもはや言い訳のしようもない浮気旅行である。いや、結婚はしていないし男女の付き合いもしていないので当てはまらない筈なのだが、現時点で危ない気がする。
「お背中をお流しします! ……くぅ~、これが噂に聞くお背中流し! まさか直にやれる日が来るなんて!」
「まさかそれだけのために混浴に……?」
「だって! 普通なら絶対流す口実がないじゃないですか! うわぁ、師匠の背中って筋肉バッキバキですね!」
うきうきで人肌用スポンジを握るシオは、一応混浴専用の特殊バスタオルに身を包んでいるので大切なところは隠れている。しかしこのバスタオルというのが曲者で、大切な所は見られないのに他は普通のタオルなので濡れると体のラインはくっきりだし、タオル越しに微かに肌の色が透けるのだ。
開発協力は『大魔の忍館』だと聞いて、頼んだ相手が相手だけに確信犯かよと項垂れてしまった。
仕方なしに風呂椅子に腰掛けてシオに背中を晒すと、彼女は石けんで泡立てたスポンジでわしゃわしゃとおっさんの背中を洗い始めた。たまに力加減の練習としてクオンにも提供している背中だが、クオンの少々荒々しいものに比べるとシオの背中流しは丁寧で心地よいものだった。
鼻歌交じりに背を擦ってくるシオに、ハジメは率直な疑問を抱く。
「人の背中流しをすることに憧れを抱くって、どんな感情なんだ?」
ハジメは人より感情というものに疎いが、それでも若い女性が好きでもない赤の他人の男の背中を擦りたがる心理がありふれたものではないであろうことは想像できる。シオの手は一瞬止まり、そして再開される。
「うちの家、ちょっと特殊でして……魔導十賢の一族なんです。傍系ですけど」
「なんだと? 人類で初めて魔法を確立した一族と言われている、あの魔導十賢か?」
魔導十賢とは、この世界の魔法使いの始祖とその弟子九人のことであり、同時にそのうちの弟子九人それぞれの一族の長を指す言葉でもある。九人の弟子はそれぞれ一般的な魔法理論である九属性に該当する『原色魔法』の継承者たちであり、同時に世界で最も権威ある研究者たちでもある。
ちなみに一般的に有名なのは、魔導十賢唯一の冒険者にしてアデプトクラスの実力を誇るラファル家の『風天要塞』マリアン・ラファル辺りだろう。
これがまた転生者でもないのにとんでもない女性で、台風レベルの風魔法を連打してごり押ししているから接近すれば勝ち目があると思って近づいた相手にもれなくエグいほどごついナックルダスターによる急所殴打をお見舞いするという初見殺し過ぎる戦法を取っている。
近づこうにも風の轟撃で一方的に殲滅され、なんとか掻い潜って近づいた相手は鉄拳制裁。故に可憐な容姿に反して要塞などという厳つい二つ名がついたのだ。
他は研究者ばかりなので一般的な認知度は低いが、魔法を一度でも学んだことのある人間なら必ず目にしている程度には魔法史に影響を及ぼした一族である。
「ちなみにうちはファウスト家の血筋です」
「闇の魔法だな。しかしお前の得意魔法は確か……」
「光の方が得意ですね」
世界一権威のある闇魔法の血筋の者が、光属性を得意とする。
そんな生まれの人間は、家でどのような扱いを受けるのか。
シオは何でもないようにおどける。
「確かに嫌な思いはしたこともありますけど、そんなにですよ。珍しいことでもないんです。十賢の一族同士で婚姻とかあると属性は幾らでもブレるし、居心地が悪ければ別の家に養子縁組も出来るし、なにより実力主義でしたし」
研究者は研究成果を出してなんぼだから、属性は重視されないようだ。
しかし、シオの事情はもう少しややこしかった。
「私は他の家族に比べて魔法の才能が乏しかったんですけど、才能が乏しくても普通は別の才能ある家族の助手として研究に貢献するとかそういう道が普通なんですよ。でも私のおじいちゃんはそういう人生に飽きたとかで、私を普通の子供として育てたんです」
「両親は何も言わなかったのか?」
「うちの一族、家族とかの概念薄いんで。子供は生まれたらある程度は面倒見るけど、3歳くらいからは十賢一族御用達の施設にポイが多いですね。親子関係より師弟関係の方を家族だと思ってる方が多いかも。私はその中でも更に例外で、施設にすら行かなかったんですけどね」
「それは……いいことと言っていいのか?」
「多分よかったと思います」
一通り背中を擦り終えたシオが、泡をお湯で流す。
泡が一斉に流れ落ち、背中がすっきりした。
「おじいちゃんも昔は一流の研究者だったみたいですけど、一通り研究で成果を出したら人生が急に虚しくなったらしくて……よく二人で町に遊びにいったり、買い物したり、旅行にも行ったかな。今になって思えば貴族令嬢並に甘やかされてたかもしれません。優しくてちょっと世間知らずなかわいいおじいちゃんでした」
でも、と、シオは続けた。
「他の兄弟家族が生き生きと研究の話で盛り上がってたりして、おじいちゃんが実は凄い研究者だったんだなって知るほどに……現役時代のおじいちゃんの助手として生まれたかったなって。老衰で安らかに亡くなったので言えず仕舞いでしたけど」
普通の子供として愛を注がれて育ったシオは、家の中で浮いた存在になった。
同じ血筋ながら育ちが余りにも違いすぎたためだ。
シオは、一族と関わらず自立する道を選んだ。
同時に、祖父が追った魔導を独自に学び始めた。
「そういう訳でして、自分より知恵ある存在の助手になるっていうのは憧れだったんです。思えば魔法のことより一族的な助手としてのあり方ばっかり見てたなぁ、あの頃の私って……」
「そんな話を聞かされると邪険に扱いにくくなるのだが、もしやわざとか」
「……まさかぁ、そんな図々しい打算しないですよぉ」
ちょっと気まずそうに、しかし調子の良いいたずらっ子のように目を逸らして口笛を吹くシオ。惚れ薬を飲んでもシオはやはりハジメの知っているシオだった。
「でも師匠にはフェオちゃんがいて、しかも忙しいからこんな風に直接お手伝いするタイミングもなくて、欲求不満的なものはあったかもしれません。レイザンの時は騙されてたとはいえ相手の役に立ててそれが満たされてたのかも。あいつで喜んでたと改めて思うと吐き気がしそうですけどねー」
「成程な。尊敬する人に貢献出来る何かが欲しいのか」
「たぶん……」
インスタントラブの効果がある今でも曖昧な返事ということは、自分でも何となくしか分からないのだろう。人間、自分の心を全て明瞭に言葉に出来るほど聡くはない。ハジメでさえ時々自分のことが分からなくなる時があるのだから。
二人で並び、混浴風呂の湯船に浸かる。
村の銭湯も利用しているが、本場の温泉はまた少し違った印象を受ける。一言に温泉と言っても成分によって効能が変わると言うから、そのせいだろうか。それとも村の外という非日常の安らぎの場がそんな気分にさせるのかもしれない。
(そうか、旅行とはこういうものなんだな)
「はぁ~……暖まる」
シオが温泉の心地よさに艶のある吐息を漏らし、そしてはっと自分の口を閉じてハジメの方を恥ずかしそうに横目でちらりと見た。彼女の心の中の従者的感情か、それとも乙女心か、なんにせよ「気にしていない」と言うとシオは「私が気にするんですけど」と返して、そのやりとりがおかしいのか笑った。
このまま彼女の薬が抜けて元に戻ったら、彼女はまた同じフラストレーションを心のどこかに貯めることになる。それは良いことではない。
(仕方ないか……)
やりがいがないなら用意すればいい。
師匠として、弟子に仕事を任せることをハジメは決めた。




