23-2
ヤーニーとクミラは、ダークエルフの知識を条件にシオから受け取る薬の素材で新薬の実験をしている。理由は敢えて言わないが、二人は特に惚れ薬の研究に余念がなかった。理由は敢えて言わない。大事なことなので二度説明した。
クリストフには気付かれないようこっそり自室で行われる実験――しかしこの日、二人はシオから「真実薬」の調合を依頼された際、対価として欲しかったとある貴重素材を手に入れていた。
それこそまさに、二人の追い求める新型惚れ薬に必要と考えられていた素材。
このときのために二人はシオに情報を提供していたのだ。
「ついに出来るね」
「……うん」
「臨床試験の結果次第では……」
「……ふふ」
「あの女、利用価値は申し分なしだね」
「……これからも、使える」
二人はシオの知識も人格もどうでも良いが、伝手のために最大限利用するつもりでいる。知識欲が深く、自己の欲求の為なら多少法律を破ることも厭わず、適度に小物なので自分のリスクを隠すために口が硬い。そういう人物だからこそ、二人はシオを利用した。
それに、シオもちゃっかり二人を利用している。利害で成り立つ関係は破綻のリスクが低い。互いにそれを問題だと思っていなければ、問題はないのだ。
フラスコのなかでコポコポと揺れる液体は無色透明。
二人はその液体を慎重に二つに分け、それぞれに違う成分を混合していく。
実は、二人が作る惚れ薬は真実薬をベースにしたものなので、途中までは製造過程が同じだった。最終的にガラス瓶に注がれて出来上がった薬は瓜二つ。瓶の形も薬の量も完全に同一であるため、違いが分からなくなりそうだ。
もちろん双子の異常なまでの知能を以てすれば問題はない。
シオに渡すために手にしたのは、間違いなく『真実薬』だ。
二人は無言で頷き合い、シオとの薬の受け渡し場所へ行く。
薬の効能と注意書きを含めた紙もしたためている。
この薬を渡し終えたら、いよいよ――と期待に胸を膨らませながら、二人は村の近くの未開拓地域にある切り株に腰掛けてシオを待つ。この場所は子供達の隠れた遊び場――もちろん大人達は全員知っていて知らないふりをしているが――になっているが、来るのはエルフ姉妹やクオンなど上位の子供達だ。下位の子供達は普通に村の中で遊んでいる。
かさ、かさ、と草を踏む足音に、二人の耳がぴくんと動く。
シオが近づいてきた足音――。
「……じゃ、ない?」
「……うん」
草を踏んだときの音や歩幅によって生じる足音のリズムが違う。
これは彼女ではなく、もっと慣れ親しんだ――。
「やっぱりここにいましたか。クミラ、ヤーニー」
「クリストフ先生?」
「……なんで、ここに?」
そこにいたのは二人が深く深く、この世の誰よりも愛するクリストフ医師だった。
その表情は少し硬く、二人は即座にクリストフを怒らせたと悟り、原因を考える。
しかし、答えに辿り着くより前にクリストフが二人の前に掲げてみせた薬瓶が、全てを物語った。
「これ、君たちの作った物ですね? 最近こっそり何か遊びをしているとは思っていましたが、何を作ったんです? 正直に言いなさい」
「あうっ、それは……!」
「……」
ヤーニーは目が泳ぎ、クミラは絶望したように半口を空けて呆然とする。
クリストフが持っていたのは、二人が試作した惚れ薬だった。
「……調合の形跡を見ましたが、これは精神に干渉する薬でしょう?」
図星である。
流石は裏の社会でも医者として活動していたクリストフ。ダークエルフ秘伝の技術であっても、二人の部屋に微かに残っていた材料から逆算しておおよその使用目的に辿り着いてしまったようだ。
二人は神も悪魔も怖くはないが、クリストフに嫌われるのだけは怖い。
自分の迂闊な一言がその引き金を引くのではないのかと二人は震える。
と、クリストフの視線が二人の横の切り株に移る。
「これは……」
クリストフはそこにあった瓶と紙を持ち上げて、その内容を読む。
そして、ふぅ、と呆れた声を漏らすと、持ち上げた瓶の中身を全て飲み干した。
「……んくっ、ふぅ……なかなか堪える味ですね」
「せ、先生! いきなり薬を飲み干すなんて……!」
「あ、危ない……」
「危なくなんてないですよ。二人が私の為に作った薬が健康を害することはない。それに――私がお前達に隠し事なんてするわけないだろ?」
「あ……」
「う……」
次の瞬間、クリストフは両手で姉弟を抱擁していた。
大きく、柔らかく、暖かい腕に抱かれ、二人の尖った耳が気を許すように下に垂れる。クリストフは二人の頬に順番にキスをして、優しく微笑みかける。
「血のつながりはなくとも、二人は私の大事な愛する子供です。代わりなどどこにもいないし、ずっと家族として見守ると誓った。決して見捨てたりはしないよ」
二人はクリストフの言葉に、静かに涙を流す。
そして小さな手を精一杯に広げて抱き返した。
クリストフは勘違いをしている。
ヤーニーとクミラを純粋な子供だと思っているし、彼らは親に捨てられたのだと思っている。感情の起伏がやけに平坦なのは親に売られたこととその後に送った人生のショックによるものだと思っているし、そんな二人がこんな薬を作った理由も勘違いをしている。
クリストフは、二人が「クリストフは本当に自分たちを捨てないのか、嫌っていないのか」が気になって仕方ないからこんな薬を作ったと思っているのだろう。親に捨てられた経験故に大人を信じ切ることが出来ず、なまじ頭が良いから薬に頼ってしまったのだと。
真実は違うが、微妙に掠ってくるあたりがクリストフの人徳なのだろう。
だからこそ、二人はこの愚かとさえ言える勘違いを起こす善性に寄り添って生きる男を愛してしまった。
(想定とは全然違うけど、これイイ……体の奥がきゅんきゅんする)
(先生、先生。すき、すきぃ……)
クリストフが飲んだのは、真実薬の方だ。
つまり、彼の言葉に一切の偽りはない。
混じりけのない真実の愛と信頼が、二人の精神を高揚させていた。
「二人とも。薬に興味を持つのは良いことですが、私の目の届かないところで勝手に調合するのはいただけません。ましてこのような心に作用する薬は、肉体に問題がなくとも精神への影響が未知数です。私は二人に偽りを持たないから幾ら飲んでも平気ですが、これからは絶対に勝手にやらないように。少しでも扱いを間違えてお前達の身に災禍が降りかかりでもしたら、私は悔やんでも悔やみきれないよ」
「ごめんなさい、先生。先生の気持ちも分からなくて……」
「だから、嫌いにならないで……」
「分かってくれたらいいんです、分かってくれたら」
ヤーニーとクミラは、今後はもっと完璧に証拠を残さない薬の調合をしようと決意した。
すべてはクリストフを悲しませないために。
二人はそういう精神構造の生物であった。
そして、三人が世界に浸っている間に、その背後でちょっとした過ちが起きていた。
「麗しい家族愛って奴かしら。私にはちょっと眩しすぎてついていけない世界だわ……」
三人が盛り上がっている間に取引場所にやってきたシオは、今の三人に水を差すのもよくないと思い、薬の説明書と薬瓶を持って早々にその場を去っていった。
さて、説明書には真実薬のことが書かれている。
しかしクリストフは真実薬を飲んだ。
では、シオが持っていった薬はなにか?
クリストフは大きな勘違いをした。
自分が二人の部屋で見つけた薬と、彼らの持っていた薬は同一のものだと思っていた。しかし、彼が切り株に置いてあったものを手に取る際に手放した薬瓶には――そしてシオが説明書とともに持っていった薬瓶には――別の薬が入っていたのだ。
なお、その後クリストフは双子が万一を想定して用意していた解毒薬によって真実薬の効果を打ち消されたが、元来の真実薬の副作用で薬を飲む前後十数分程度の記憶が曖昧になったことで、薬の効力が切れたときには双子が勝手に薬を調合していたことさえ忘れてしまっていた。
思わぬ証拠隠滅に双子は顔をつきあわせて笑う。
「これでもう一回くらいはバレてもお咎めなしだね!」
「……うん」
「でもなんか重要なこと忘れてるような気がしない?」
「……新型、惚れ薬」
「あっ」
クリストフに夢中になりすぎてそのことを失念した二人は、開き直って薬の効果を他人で試験するいい機会と考え直し、堂々と責任から逃れるのであった。
◇ ◆
真実薬はなかなかに説明が長いのでその取り扱いは調達してきたシオに託された。
シオはふんふんなるほどとひとりでに頷きながら何やら調合を開始し、数分後に果実の甘酸っぱい香りが食欲をそそる鮮やかなオレンジ色の液体をコップに注いだ。
「上手いこと味を誤魔化して適量を一息に飲み干し易くするために、果汁と蜂蜜と微炭酸によって味を誤魔化せるジュースを作ってみたわ! これに薬を大さじ一杯入れてハイ完成!」
「流石はシーちゃん! 舌肥えてるもんねー!」
ぱちぱちと拍手するリリアンに、謎の満足感を醸し出してジュースを差し出すシオ。
ちなみに試作の時に味見しすぎて自分が真実薬の効果を受けたということはない。ユユはこの悪友二人をなんとか思いとどまらせようと努力したが、既に諦めている。
計画はこうだ。
リリアンの弟であるルクスがそろそろ帰ってくるので、彼の大好きなジュースでお出迎えする。普段から彼は家に帰ると喉の渇きから飲み物を求めるのが通例で、いつも一気にコップの中身を飲み干すので、ルクスがジュースを飲んだ時点で計画完遂である。
「ふ……このシオ様の頭脳が導き出した完璧な計画よ!」
ユユとしては誰でも思いつくのでは? と思わないでもないが、敢えて言わない。頭が良いはずなのに時々お馬鹿に見えるシオのこういうところもまたユユ的には愛おしいからだ。それよりも、もし失敗したときにフォローしてあげる方向で開き直ったので問題はない。
と、リリアンの羽がぴくっと動く。
「この足音、ルクスが帰ってくる!」
シオとユユは頷き合い、家の奥の部屋に隠れる。
「ただいま姉ちゃん! 今日は帰るの早いんだ!」
「おかえりルクス! お仕事早めに片付いたの!」
リリアンは普段この時間には仕事が終わっていないことも多いが、終わっている際には必ずお菓子を買ってきてくれているのが最近の姉弟の慣例らしい。姉がいるうれしさとお菓子を食べられるうれしさからか、ルクスは鞄をソファに投げ出してすぐ席に着く。
「今日もお勉強頑張った?」
「うん! 今日は割り算覚えたよ!」
ルクスを含め、この村の子供達は例外を除いて現在『はなまるカルマ塾』で勉強を教えて貰っている。これはカルマの発案で、村の中にいる十数名の子供の殆どがこのカルマ塾で勉学に励んでいる。教師を務めるのは勿論カルマと、時々手伝いでメーガスとマルタも参加しているようだ。
ちなみに内容としては主立った塾の業務を全てカルマが行いつつ、メーガスはカルマに手が離せない用事が出来たときの臨時で、マルタは体育や自習時間の監視でぬぼーっとしている。一件やる気なさげなマルタだが、意外にも生徒が揉めるとめんどくさがりながらもしっかり説教したり面倒を見るので保護者たちの信頼が妙に篤い。
無論、カルマに関しては大好きな子供達を好きなだけ見ていられるぜぐへへという下心があるのだろうが、仕事はきちんとやっているし欲望を隠す程度には演技が出来るのでこちらも保護者たちからの信頼は勝ち取っている。
唯一の問題はと言えば、塾の先生が三人ともタイプの違う美女なので今後の男子生徒達の女性の好みがどうなってしまうのか気にかかるくらい、とはショージ&ブンゴの談である。
整いすぎなくらいの容姿を持ち、子供達を手取り足取り導くカルマ。
ゆるふわで耳を擽る優しい言葉が包容力を感じさせるメーガス。
そっけないように見えてきちんと世話をする奥ゆかしさのあるマルタ。
……全員容姿のレベルが本気で高いので、意外と洒落にならないかもしれない。一応ルクスの中では姉が一番のようだが、これで将来反抗期が来たらより面倒臭くなるなぁとシオとユユは思った。
閑話休題。
運命の時が訪れる。
ルクスは姉に差し出されたジュースを何の疑いも持たずに即座に飲み干した。
(きた! 作戦成功!!)
説明によると、真実薬を飲んだものはぼんやりと目が光るので、この光が浮かべば薬の効果は正しく発揮されるという。ただし効果時間等の制約もあるため、効果はおおよそ十分が目安だという。
ルクスの目は予想通りぼんやりと光り――。
(……あれ?)
(消えちゃったね……)
一瞬確かに光ったのだが、何故かルクスの目の光はすぐに消えてしまった。




