23-1 転生おじさん、弟子の引き起こした惚れ薬騒動に巻き込まれる
そこは、異様な空気の立ちこめる場所だった。
日常生活で決してお目にかかる事はないであろう秘薬、生物、魔法陣。それらが醸し出す独特の魔の波動は、薄暗い空間を漂う。明らかに常人の立ち入る事のない、秘されし異界が現世に漏れ出しているかのようだ。
そこに集合するローブを着込んだ集団は、異界と現世を繋ぐ狭間の者。
彼らは聞くだけでは意味の分からない言葉を交わし、時にそれに迎合し、時にそれに反論し、何かの答えに亀のように遅い足取りで近づいていく。
「この方法もダメか」
「ならば」
「ああ」
やがて言葉は少なくなり、束ねられた可能性は一つの推論をはじき出す。
「やはり、これの力が必要だ」
限りなく真実に近い、推論に。
彼らが「これ」と称したのは老人と少女の描かれた肖像画。
そして、それが描かれた年代を元に予想した少女の現在の顔。
その顔は、シオと呼ばれる一人の魔法使いと酷似していた。
◇ ◆
ハルピーの少女リリアンと幼い弟のルクス。
親のいない二人の姉弟は、ある事件をきっかけにフェオの村に移り住んだ。
以来、リリアンは安定した収入を得て弟を充分に養い、弟も友達が増えて寂しくない生活が出来ている。
最近はリリアンと偶然知り合った同じハルピー数名が彼女を経由して村の一員になり、仕立屋を立ち上げている。これを期にと村の一部区画では蚕や綿、ウールなどの生産を画策中だ。
「で、それはいいんだけど……ちょっと困ったことが」
村の宿にある食堂でそう切り出したリリアンに、彼女とパーティを組むシオとユユ――二人はまだ村には住んでいない――は首を傾げる。
「何が不満なのよ? 弟と一緒に過ごせる時間が短いとか?」
「いえそうじゃなくて……」
「あら、違うんだ」
シオは自分の予想が外れたことが意外だった。
彼女の悩みは十中八九弟関連だとは予想しているし、リリアンのブラコン加減はなかなかのものなので、シオはてっきりそうだと思っていた。
今度はユユが顎に人差指を当てながら首を捻る。
「弟さんの反抗期ですか?」
「いや、弟に好きな女の子が出来たとか!」
「弟さんの好き嫌いが激しいとか!」
「弟がベッドの下にえっちな本を隠してたとか!」
「なんで二人とも弟のこと前提なの!? いや実際弟関係なのはそうなんだけど!!」
羽をブンブン振り回して叫ぶリリアンに「ほらやっぱり」と二人はにやつく。
本人はこれでも隠してるつもりらしいが、酒が入ると即座に弟自慢や弟の可愛いところ、弟のダメなところとそこもまた可愛いのだということを蕩々と語るのでバレバレである。嘗てあの忌々しい詐欺師に媚びていた頃の狡猾さはどこへやら、最近は酒が入ってなくてもたまに欲望が漏れている。
「んん、おほん! ……私のいない間に、ルクスは強くなりたいから鍛えて欲しいと村の実力者たちに頼み込んで回ってるみたいなんですよ」
「ふぅん」
「男の子ですねぇ」
「反応うっす!!」
なぁんだそんなことかとのほほんとした顔で流そうとするシオとユユにリリアンが食らいつくが、そんなに悩むほどのこととは二人には思えない。
「男の子が剣とか魔法に憧れるのって定番中の定番だし、実際姉が冒険者してんだから興味持って当たり前って言うか……」
「それにこの村って実力者の方が多いですもんねぇ。或いはガブちゃんに嫉妬してるとかじゃないですか?」
ガブちゃんとは三人とパーティを組んでいるオークのガブリエルのことだ。最近ベテランクラスに昇格したことで彼の知名度は一躍上昇し、三人もその恩恵をちょこちょこ感じている。具体的には変な男が寄ってきにくくなったとかだ。
実際には三人がガブリエルを引っ張っている感があるのだが、端からはそうは見えないのだろう。
ちなみにシオは魔法が恋人で、恋人に詳しいので利用しているのがハジメ。
ユユは何の事故かシオに惚れてどこまでも尻尾を振ってついて行く所存。
そしてリリアンは酒が入ると弟への愛を延々と語る隠れ拗れブラコン。
一番距離の近いユユにも友達認定されているガブリエルであった。
閑話休題。
「私は! そりゃ、最低限自衛出来るくらいの強さは持って欲しいですけど、何で急に本格的に戦いを学びたいって思い始めたのかが気になるんですよぅ!」
熱弁するリリアンとは対照的にシオは塩対応だった。
「聞けばいいじゃない、本人に」
「本人は『そんなこと言ってない』とか言ってはぐらかすんだもん! こう、ぷいっとばつが悪そうな顔をしながら目を背けて! 可愛いくて仕方なくない!?」
「そういうとこよーリリアン。そういうとこ」
結局弟が何しても可愛いリリアンのせいでイマイチ真剣に聞く気にならないシオ。
ユユはまぁまぁとリリアンに落ち着くよう促しつつ、現実的な提案をする。
「結局弟くんは鍛えられてるんですか?」
「ううん、断られてる。一番信用ならない二人にもキツく言い含めてるし」
ちなみに一番信用ならない二人とは、子供大好きベニザクラと同じく子供大好きのカルマの双璧のことである。子供に頼まれたらニヨニヨしながら何でも言うことを聞いてしまいそうだったので予め釘を刺しておいたのだ。
その二人についてシオは言及せず話を進める。
「じゃあその人達に何で弟くんが強くなりたいのか聞いて貰えばいいんじゃないの?」
「お姉ちゃんじゃなくて他所の女が先に本音を聞き出すなんて何か許せなくない!?」
「あんたその調子で弟に接してたら遠からぬ将来ウザがられるわよ」
面倒臭いところ全開のリリアンにシオは本気でウザいなと思った。
そもそも、ルクスは「姉に意地悪したら承知しない」と叫んで初対面のハジメのすねを蹴る程度にはやんちゃで家族愛に溢れた少年だった。そんな弟が姉のために強くなりたいと考えてもなんら不思議はない。
そうでなくともルクスが強くなりたがる理由など幾らでも思いつきそうなものだが、鼻息荒く叫ぶリリアンとしては弟が誰に先に真実を告げるかによって姉としての尊厳が大きく左右されると考えているようだった。
要するに、彼女的には強くなりたい理由より、弟が自分に本音を言ってくれないのが不満なのだ。
「ちなみにだけど、他所の女じゃなくて他所の男が聞き出す場合は?」
「それは……まぁ……うん……認めるのは癪ですけどぉ? まぁ……精一杯我慢すればギリギリ……正直お金貰えたとしても嫌ですけどぉ……」
(そこまでなのリリちゃん……)
(ここまで来るともはや病気よね)
渋々すぎて顎がしゃくれるほど嫌そうな顔のリリアンに、二人はこの面倒臭い問題の落とし所をどうするか悩み始める。
二人にも兄弟姉妹がいればまだ話の広げようもあったのだが、生憎とユユは一人っ子。シオは家庭の事情で兄弟の類と疎遠であったために話に共感できない。仕方なく弟を上手く誘導する方法はないかという話にもなるが、姉に対して頑なに本心を隠すルクスを余計に頑なにさせるのではという問題を解決出来ない。
いよいよ話の落とし所がなくなってきたところで、遂にシオが重い腰を上げる。
「……実はこないだクリストフ診療所の姉弟に聞いたんだけど、ダークエルフに伝わる秘伝の『真実薬』っていう薬があるらしいの」
実はシオは実家の伝手で薬品の素材入手に融通が利くため、ちょこちょこクリストフ診療所に顔を出していたりする。その過程でダークエルフの魔法知識に興味を持った彼女は、ヤーニーとクミラの姉弟とこっそり取引をすることがあった。
その際に知ったのが、真実薬を始めとしたダークエルフの秘密の薬品である。
「「真実薬?」」
「なんでも悪巧みの時に使う薬で、服用すると何でも本当のことを喋っちゃうとか。それでいて薬の効果が切れると、服用した人は喋った内容を忘れちゃうんだって」
「「こわっ」」
二人が身を引いて震えるが、それも無理はない。自分が全く気付かないうちに全て胸の内を曝け出してしまうなど、最早悪用方しか思い浮かばない薬である。
しかし、美味しい話には裏があるように、この真実薬も欠点はある。
その最たるものが、必要素材の珍しさである。
ところが、シオなら前述の理由でこの条件をクリア出来てしまう。
「どーしてもって言うなら頼み込んで用意して貰うけど、どう?」
この提案に、リリアンより先にユユが割って入る。
「どうって、シオちゃん? 自分の言ってること分かってる? 人の精神に干渉する薬って完全に禁薬だよ? 持ってるだけでお縄だよ?」
「大丈夫よ、大丈夫」
シオは笑顔でユユを宥める。
「バレなきゃ犯罪じゃないし、今の王国の調査方法じゃ禁薬だと立証できない脱法薬だから」
「駄目なやつだぁぁぁ~~~~!! リリちゃん絶対頷いちゃ駄目なやつだよっ!!」
ユユの必死の訴えに、リリアンも先ほどとは打って変わって真剣な目になる。
「シーちゃん、一つ確認したいんだけど」
「なに?」
「副作用はあるのかしら?」
「ないわ。強いて言えば質問に答えた内容を忘れるのが副作用よ」
「買った」
「まいど」
「リリちゃぁぁぁ~~~~ん!?」
熱く固い握手を交わす二人に、ユユは頭を抱える他なかった。
あと、いつからこれは商売の話になっていたのだろうか。
――3人は知らなかった。
この他愛もないやりとりが、後に少々……いや、かなり面倒臭い状況を生むことを。




