断章-5(2/2) fin
ジライヤは、ベアトリスの言葉を遮って前に出た。
「口を利く必要はないでゴザル、ベアトリス殿」
「ジライヤ様……?」
「貴方は誇り高く、高潔だ。この世の誰よりも。しかしその高潔さは、やはり力が寄り添っていなければ正しく示せないのでゴザル。今のベアトリス殿は甘ちゃんでゴザル」
ベアトリスの瞳が揺れた。
そう、誇りの為に何度も死ぬことは出来ないのを彼女は分かっていて、それでも彼の言葉を受け止めることは許せなかったのだろう。
「だから――オレがベアトリスの力になる」
忍者として、それは正しくないのかも知れない。
だが、不思議と迷いはなかった。
「茶番は聞き飽きたわッ!! 世辞の句もいらぬ、この世から去ねぇッ!!」
『ジャアアアアッッ!!!』
ジン・グーアの渾身の一振りがジライヤとベアトリスを纏めて両断せんと迫る。
誰もが次の瞬間に起きる悲劇的な末路に目を逸らした。
ただ、一部を除いて。
「――躾がなってねえ」
バギャン、と、鈍い破砕音。
それは、ジン・グーアの武器から発されていた。
『ジャッ!?』
「なん、だと!? ジン・グーアの剣が!?」
ザムザザージュとジン・グーアは驚愕する。
子供一人と小娘一人を両断して余りある威力を誇っていた筈の曲刀が、根元からへし折れていた。そして、それを行ったのは今までザムザザージュが散々路傍の石のように扱った一人の少年。
ジライヤがやったことはシンプルだった。
ジン・グーアの剣を素手で受け止め、へし折ったのだ。
ザムザザージュは、そのときになってやっとジライヤの異変に気付いた。
「な、な、な……なんだそれは!?」
「人を指さすなよ、品のない野郎だな……」
先ほどまでのゴザル口調が抜けた低い声を出すジライヤの背には、ジン・グーアをも上回る巨大なカエルの生き霊が鎮座していた。
他の貴族たちには見えていない。
ネルヴァーナ列国の王族の印は見えざる思念体も見通すことがある。その力が期せずして作用していた。
『へぇ、オイラが見えてんのかい? まぁ、見えてたところでどうにもなんねえけどなぁ……お前、終わったぜ。ジライヤを怒らせたんだからよ』
ザムザザージュを小馬鹿にした顔で見下ろす喋る巨大カエルは、その名をガマダユウ。百年の時を生きたカエルが化生に変じたとされる蛙仙と呼ばれるこの世界の固有種で、ジライヤが契約したカエルの中でも上位の実力を誇る存在だ。
今、ジライヤはこのガマダユウの戦闘能力を自らの体を媒介に召喚する降霊召喚という特殊な術を使っている。本来のジライヤの実力ではジン・グーアを圧倒するのは困難でも、それを補う力こそが彼の召喚術である。
力だけを貸している状態のガマダユウは、ゲコゲコ笑う。
『コイツよぉ、降霊召喚使うとオイラの影響か、はたまたワルだった頃の血が疼くのか、態度悪くなるんだよ。そのぶん容赦もなくなるぜぇ』
「オレの仕事は警備なんだよ……警備人と参加者に剣向けたお前みたいなのをぶちのめすのが仕事なんだよ……意味分かるよな?」
「ヒッ!? じ、ジン・グーア!! こいつを何とかしろぉッ!!」
『承知――』
「承知してんじゃ、ねえよッ!!」
次の瞬間、飛び上がったジライヤの拳が巨大なジン・グーアの頭を真上から殴り倒した。抵抗も出来ずに床に強烈に叩き付けられたジン・グーアの頭を彼は再度掴み、そして容赦なく再度床に叩き下ろした。
『ガハアアアアッ!?』
「忠実な僕? 王子の為に? このバカが取り返しのつかないバカをやらかす前に諫めて止めるのが本当の僕のやることじゃねえのか? ……おい返事しろよ、失礼なヤツだな」
ジライヤに再度床に叩き付けられたジン・グーアは、もはや悲鳴も上げられないとばかりに倒れ伏して動かなくなった。ジライヤはそれを一瞥すると脇に放り捨て、ザムザザージュにゆっくりと近づく。
「おい」
「ひぃぃ、ば、化物がぁ!!」
「そんなことはどうでもいい。あることを認めるなら、この話は終わりだ」
「み、認めるだと……? 何をだ!?」
ジン・グーアが全ての頼みの綱だったのか、腰を抜かして後ずさるザムザザージュだが、その声にはまだプライドから来る見下しの意志が感じ取れた。だが、どんなに見下したところで力を覆すことはできない。
本音を言えばこのままこの男も殴り倒してしまいたいジライヤだったが、自分が誰の為に力を振るったのかは決して忘れない。
「ベアトリスに謝れ」
「……は?」
「ベアトリスに、これまでの非礼を全て謝罪しろ。彼女の価値観を一方的に否定したこと、思い上がって見下したこと、あろうことか無抵抗の彼女に恥知らずにも刃を向けたこと……謝るのなら、彼女は許すだろう。オレもこの話はここまでにする」
ベアトリスは別にこの男の顔が見るも無惨に暴行されて赤黒く腫れ上がる様を見たい訳ではない。ただ、王族として思い上がった彼の見る世界以外にも価値のあるものが存在すると分かって貰いたかっただけだ。
だから、ジライヤは彼自身は叩きのめさなかった。
これで素直に謝罪するならよし。
しないのならば――。
「ばっ、馬鹿な野蛮人共め!! 王族たるこの余に過ちなどない、あっていい筈がないのだぁッ!!」
(……知ってたよ)
貴族、王族とはそういう生き物だ。
己が過ちのない、或いは許されない存在であると教育されるから、過ちを過ちとも思わない。
だから、ジライヤはそういう連中が嫌いだった。
この男には殴る価値もない。
ザムザザージュは情けない動きで手足をばたつかせ、一人の女性に駆け寄る。その女性は騒ぎが起きたときには既に近くにおり、腰の剣にずっと指を当てていた。そして女性はこの晩餐会の主催者であり、ひいてはこの国の王でもあった。
「キャバリィ陛下! 騎馬女王アトリーヌ・キャバリィ陛下! あ、あのふざけた護衛を死刑に!! この高貴な血を持つ余を脅かした男にどうか鉄槌を!!」
必死の形相で跪くザムザザージュに、アトリーヌは今日の献立でも考えるように「んー」と唸り、彼の顔を覗き込む。
「ねぇザムくん、わたし女王だよね?」
「それはもう、疑いようもなく女王ですとも!」
「このパーティさ、主催者わたしだよね」
「そうですとも、そうですとも! あの平民はその主催者に泥を塗る不逞の輩なのです!!」
周囲の表情が侮蔑に変わる。
ザムザザージュは先ほどまで散々ぱらアトリーヌを格下に見るようなことを臭わせる発言をしていたにも拘わらず、命の危機を前にアッサリ媚びを売り始めた。そこに王族の誇りなど微塵も感じられず、同じネルヴァーナ列国から招かれた者たちは頭を抱えていた。
鼻水を垂らして女王にすり寄るザムザザージュは、ジライヤの方を振り返ると一転して勝ち誇った顔をする。
「どうだ、薄汚い平民が!! 王の血に逆らうとはこういう――」
「ザムくん、ザムくん」
「はい?」
「この晩餐会はうちの国の女王であるわたしが開いたパーティなんだよね」
「?」
「ザムくんはさぁ。そのパーティでわたしの招いた客に襲いかかって、わたしの雇った可愛い護衛を延々とバカにしてるけどさぁ。それってこのパーティを主催したわたしにとって失礼だとか思わなかったの?」
「え……?」
困ったような、ダメな子を叱るような、そんな顔でアトリーヌは確認を取る。
そこでやっとザムザザージュは、自分が取り返しがつかないまでの失態を犯したことを認識した。
「あなたは他国の王子だけど、わたしはこの国の女王なんだよ? ザムくんさぁ……ホントに自分の立場分かってるの?」
これはれっきとした国際問題なのである。
たとえネルヴァーナ列国がキャバリィ王国に比べて国力に勝り、歴史の長い国であったとしても、別にキャバリィ王国はネルヴァーナ列国の属国でもなんでもない。しかも彼が刃を向けたのはシャイナ王国の貴族と、女王直々に雇った警備員。
彼は一度に二つの国に喧嘩を売ってしまったのだ。
ふぅ、と呆れのため息を吐いたアトリーヌは、次の瞬間には上に立つ者の鋭い目に切り替わる。
「このことは貴方の母国に報告させてもらいます。当然シャイナ王国にも伝えます。近々貴方の処遇が決まることとなるでしょう。ザムくん、わたしはみんなと仲良くしたいと思っていますが、率先して秩序を乱す者には血筋がどうあれ甘い判断をする気はありません。そもそも、わたし別に高貴な血筋は引いてないですし」
アトリーヌは己の実力と仲間の力で成り上がった者だ。彼女の前で血筋がどうこう語る時点で、すでに彼は間違っていた。
「あ……あ……?」
「衛兵、ザムくんはお疲れです。火照った体がよく冷える、薄暗い石と鉄の部屋にご案内してあげなさい」
「「イエス、ユアマジェスティ!」」
「いっ、いやだ!! 離せ、離せぇぇぇ!!」
こうしてザムザザージュはみっともなく暴れながら会場の外に連れ出されていった。
大騒ぎをアトリーヌが治めるなか、肝心のベアトリスとジライヤはこれ以上騒ぎを拡大させないためにバルコニーに避難していた。
二人とも、互いに顔が赤い。
ジライヤが先に口を開く。
「あの……さっきの口調は聞かなかったことにして欲しいでゴザル。忍者となる前の育ちが悪く生意気な未熟者の名残なのでゴザル……」
「は、はい……」
「あぁ、感情に振り回されて忍者らしからぬ行動三昧! 怒られる……師匠に無言の地獄組み手で怒られるでゴザル。兄弟子たちにも絶対バカにされるでゴザル……!」
任務後に訪れるであろう大きな代償と、バカをやってしまった自分への恥で顔が熱いジライヤ。しかも、よりにもよって自分の最も品がなくタチの悪い部分をベアトリスに見られてしまったことがどうしようもなく恥ずかしかった。
一方のベアトリスは、一言では言い表しづらい様々な感情が入り交じっていた。
以前のように近しい者を悪し様に言われたことから頑なになって後先考えない行動に出てしまったこと。それに対してジライヤが尻拭いをするハメに陥ってしまったことへの申し訳なさ。
しかしそれ以上にベアトリスの心に残っていたのが、「オレがベアトリスの力になる」という彼の言葉だ。前からジライヤのことを頼もしく思っていたベアトリスだが、彼が自分のためにあそこまで本気になってくれたと考えるとどうしてか顔の火照りが止まらない。
自分の勘違いだとは分かっているのだが、あれはまるで永遠の誓いを立てるかのようだった。今まで少し距離がある気がしていたジライヤにベアトリスと呼び捨てにしたときの口調に、彼女は男らしさを感じてしまっていた。
(どうしよう、あんなに頑張ってくれたジライヤ様にこんな浮ついたことばっかり考えてしまうなんて……わたくしどうしてしまったのでしょう!? こんなはしたない女、ジライヤ様は呆れてしまうかしら……)
(あぁぁぁぁ……勢いで己の口が恐ろしく悪かった頃の黒歴史を掘り起こした挙げ句に、彼女を呼び捨てに! き、嫌われたでゴザろうか!?)
「あ、あの……ジライヤ様」
「ひゃい!? にゃんでごじゃろうか!?」
勇気を振り絞って声をかけたベアトリスに驚いたジライヤは、おもいっきり声が裏返るわ盛大に噛むわでもう散々だった。その様子に暫くぽかんとしたベアトリスは、堪えきれないように吹き出した。
「ぷっ、あははははは! ご、ごめんなさ、ふぅ、あははははは!!」
「……今日はもう何もかもダメでゴザル」
「あはははは……はぁ、はぁ。本当にごめんなさい、なんだか無性におかしくて。さっきまであんなに勇ましかったのに、今のジライヤ様はとっても可愛かったです」
「……ほ、本当でゴザるか? その、勇ましかったの部分」
「ええ、とっても。わたしの力になってくれると宣言された時も。それに……ザムザザージュ様に私刑を執行されなかったことにも感謝しています」
「あれは……ただ、殴る価値もないと思っただけでゴザル」
それは後から思いついたような理由だが、ジライヤは素直にそうだとは言えなかった。しかしベアトリスはどこかそれを察しているかのように話を進める。
「かわいそうな人なんです、あの人はきっと。人並みのことをしてこなかったから人並みの幸せを理解できない。人の苦しみに共感することもできない。もしかしたら、お姉様が異能を持たずに生まれてきたらわたくしもそうなってしたかもしれない……そう思うと、他人の気がしなくて」
ベアトリスは、アマリリスが異能を持たずに生まれていたら極めて高慢で利己的、かつ無計画な貴族に育つ筈だったのだという。そうしたらきっと彼女はジライヤの大嫌いな人間になっていただろう。
「運命とは不思議でゴザるな。そうなっていたら拙者はベアトリス殿を好きになっていなか……あ」
「……」
「……」
気の緩みから言ってしまった本音に、ジライヤは顔真っ赤の頭真っ白になった。
そして、聞いてしまったベアトリスも同じ状態になった。
二人はその後、アトリーヌがバルコニーから不審な湯気(二人の顔から出ていた)を確認して見に行くまでずっと思考が停止していたという。
――後にザムザザージュはネルヴァーナ列国の国王に恐ろしい罰を受けた上で王位継承権格下げとなった。
シャイナ王国には賠償金が、キャバリィ王国とは大きな国力と血筋の差があるにも拘わらず完全対等な国家間条約の締結に頷くという大きな代償を支払う原因となったという。
そして――。
「師匠が何故かアマリリス殿とウル殿から猛攻撃を受けて折れたので、ベアトリスど……ベアトリスと交際することになったでゴザル」
「お姉様がたまに仕事を代わってくれることになったので、これからたまに村に顔を出すと思います。どうかよしなに!」
フェオの村に新たなカップルが誕生した。
ハジメハーレム計画の遂行者達は、蝶の如く他の甘い香りにも敏感だった。




