断章-4
中世ヨーロッパにおいて裁判といえば神明裁判が一般的である。
有名な魔女裁判も神明裁判という大きなくくりのうちの一つに過ぎない。
これは現代人には理解しがたい裁判とは名ばかりのトンデモ内容で、そのやり方で一体何の真実が分かるんだ? と首を傾げてしまうようなやり方が多い。なぜかと言うと、当時の中世ヨーロッパの多くの国がまともな法の執行機関を持たなかったせいとか、ローマ法という参考にすべき前例を活かせなかったとか、いろいろな理由があるらしい。
一応裁判の結果は神の名の下に聖職者に保証されることにはなっているが、当然ながら今の証拠裁判主義に比べると周囲が首を傾げるような判決が出やすいし、権力者による抜け道のようなものもあったとされている。
しかし、それは中世ヨーロッパの話であって、ここは地球とは異なる世界である。なので法律も比較的マシなものになってるし、司法機関もちゃんとある。転生者が色々頑張ったためか、比較的現代法に近いルールになっている。
話が長くなったので状況を説明しよう。
今、ハジメは裁判で訴えられている。
被告はハジメ、原告はシャイナ王国だ。
ざっくり流れを説明しよう。
ハジメは自分の実の両親のことをあまり覚えていないので、その情報を知った連中が定期的にハジメに「自分が実の親だから息子よ孝行しろ。具体的には金をくれ」と主張しに現れる。ハジメはその度に「お金を渡すのはこれっきり」という誓約書を書かせ、金をぶつけて縁を切ることでトラブルを回避してきた。
しかし、どうもこの中にハジメから奪った金を元手に犯罪行為を行った者がいるらしく、そいつが「ハジメにやれって言われたから俺は悪くねぇ!」と言い張り、それを聞いた脳みそ13円……もとい十三円卓が「これを機にハジメを捕縛して今度こそあやつの闇を暴いてやる!」と勝手に息巻いたことで裁判が始まった。
普通と違うところは、ハジメが逮捕されていないことと、秘密裁判であることくらいだろう。流石に連中も男の発言のみを根拠に逮捕まではすることが出来なかったらしい。
裁判官も検察も弁護士も全員国家の息がかかった、普通なら絶対負ける裁判である。有罪になった瞬間にハジメは即座に拘束されるだろう。今までも痛くない腹を無駄に探られたことはあったが、ここまで本格的に疑われるのは初めてだ。
ただ、ハジメは別の意味でこの裁判を茶番だと思っている。
何故ならば――。
「検察、コトハ・クラミツ! 準備出来てます!」
「弁護側、オルランド・フェネーノ。同じく」
よりにもよって、裁判長以外がハジメ寄りの存在だからだ。
検察側でバリバリのキャリアウーマンみたいにスーツを着こなしているコトハはルシュリアの直属の部下で国の調査官を務める転生者だ。ハジメとは王女を通じて面識もある。しかもルシュリアは十三円卓を無能と断じているので、多分部下の彼女も同意見だ。
そしてオルランドは世間では敏腕査察官として名を馳せているが、本名はオルトリンドで男のふりをしているハジメの義理の妹なのである。ちなみに兄が大好きで定期的に甘えに来ている。今日も控え室で「おにぃにいいとこ見せちゃうんだから! 見ててねおにぃ!」とやる気に満ちあふれていた。
これでどうやって負けろというのか不思議で仕方ないハジメだが、どちらも王国直属かつ法に詳しい屈指のやり手なので人選そのものはおかしくはない。おかしいのは世間の狭さである。
ついでに言うと、コトハとオルトリンドは私生活では友達だ。
なんなら裁判長だけ何も知らなそうで可哀想なくらいである。
こうして茶番過ぎて公費の無駄遣いでは? とさえ思う裁判が始まった。
「へへ、あっしは見たんでさぁ。死神ハジメとヤツが密約を交わしているところを!」
「異議あり。証人は密約と主張しているが、これは誓約書のことであり、誓約書内に犯行を示唆するものも脅迫を示唆するものもない。よってこの証言は信憑性に欠ける」
淡々とした口調のオルトリンドだが、ハジメを嵌めようとしている十三円卓の手先という認識なのか証人を見る目が人を殺しそうなほど鋭い。やめてわたしのために争わないで状態の亜種である。
また、コトハも嘘つきをあぶり出すのが得意な転生特典「コトダマ」を容赦なく証人にぶつけまくる。
「どうなんですか証人? 勘違いであったならば訂正すれば済みますが、もし嘘のまま通せば貴方にも相応の報いがありますよ?」
「ひぃ、か、勘違いかもしれませぇん!!」
第一証人、ものの数分で撃沈。
嘘の証言ではなかったが、実際には誓約書を書いてるところを見ただけで、実際にどんなやりとりがあったのかまったく知らなかったようだ。裁判では嘘をつけないよう証人の言葉は全てライアーファインドで真偽を確かめるが、人は思い込みをする生き物なので意外と間違ってても動かないことはある。
思い込みで証言かよと呆れるかも知れないが、その事実がなかったという事実を証明するのは簡単なことではないので、その曖昧さを突こうとしたのだろう。
もうこの時点で分かるが、王国側の証人はしょうもないのばっかりである。
しかもオルトリンドとコトハがガチガチのガチで証人に間違いを許さないので証人たちがやりにくいことこの上なく、その後も次々と厳しい追及にあった彼らの証言から信憑性が抜け落ちていく。
オルトリンドがちらりとハジメの方を見てウィンクする。
(待っててね、おにぃ! おにぃの邪魔をする為に小金を握らされた薄汚い連中を全部キレイに掃除するからね!!)
(……って思ってるんだろうけどお前の張り切り具合がちょっと怖いぞ)
ブラコンの境地に達したオルトリンドはここが妹の力の見せ所とばかりに追求をやめず、コトハに至っては「あなたもしや別の軽犯罪を行っていませんか?」などと証人から別の罪状を引きずりだそうとする始末。
一体これなんの裁判なんだと聞きたくなるカオスな状況である。
裁判長が見かねて口を出す。
「あー、検察側? 弁護側の主張はまだ分かるとして、証人は検察側の主張を証明する為に呼ばれてるハズでは?」
「いえ、わたしは単に今日の検事役を任されただけですので彼らのことは知りません。そういうノリの秘密裁判ですし。それに嘘は許さない性分ですので」
「そう……えぇ……そうなんだ……んん、ごほん。ならいいでしょう」
(いいのか)
「どうせ秘密裁判だし。それにわしそろそろ法曹界引退だし」
(そんな理由なのか)
しかし、この茶番法廷の流れはある一点から変化していく。
犯行を実行した男の証言の途中、コトハがコトダマを放った。
「――つまり証人。犯行を示唆されたのは確かで、その人物がハジメを名乗ったのも事実ですが、その人物の顔は確認していないためハジメ本人と断定は出来ないということですね?」
「は、はいぃ! ローブを深く被ってて、冒険者風の格好をしてたからてっきりそうだと……あとそうだと証言すればあとで金をくれると別の役人から……ハッ!? こ、これは言うつもりはなかったのに!!」
この問題発言が出た瞬間、示し合わせたようにコトハとオルトリンドが視線を合わせる。
オルトリンドは頷き、裁判長に向けて挙手した。
「裁判長。弁護側は、この謎の人物が一体誰であるかを証明する用意があります」
「なんと!? いくら秘密裁判とは言え結果は結果、もし弁護側の主張が誤ったものであれば法廷侮辱罪が適用される可能性もありますよ!?」
「問題ありません。弁護側は十分な根拠と証拠を以て真実を立証します」
リアル法廷だと出来ない裁判ゲーム特有のノリである。
「先ほど証言に出たローブの男の正体は、レイザン!! 現在別の罪で服役中の男です!!」
「え?」
懐かしい名前に思わず素で声が出てしまったハジメ。
レイザンと言えば、ギルドロムラン支部を震撼させた元冒険者の犯罪者だ。
持っているだけで違法なマジックアイテムを駆使して周囲に魅了魔法をかけまくって女性の心身を弄び、自分の罪を父親の権力でもみ消し、気に入らない相手に強盗致傷は当たり前。挙げ句の果てにギルド職員を魅了して本来の実力では昇格できないベテランクラスに居座るという呆れ果てた暴挙を繰り返していた。
最終的には紆余曲折を経て悪事が露呈し逮捕されたのだが、まさかここで名前が出てくるとは思わなかった。
「実は証人がハジメと名乗る人物と遭遇したその日、レイザンは減刑のための社会奉仕活動の為に牢屋を出して同じ町にいたのです。ところがレイザンの奉仕内容を精査したところ、公文書に残っているような奉仕活動をした形跡が一切ないことが判明しました。ではその日、彼は何をしていたのか? それを、証明します!!」
勇ましい啖呵を皮切りに、オルトリンドの猛攻撃が始まる。
「順を追って説明いたします。まずは証拠品57番の資料から! これは刑務所勤務の職員に支払われた給与明細ですが、ここの日付を見ますと――!」
そもそもレイザンの減刑活動に不正な資金の流れと圧力があったこと。
その日レイザンが装備していたローブや装備の出所の追及。目撃者証言。内部告発。小さな証拠から大きな証明への連鎖。検察の主張によって更に証人が引きずり出され、連鎖は拡大していく。
「どうなのですか、証人! いくら秘密裁判とは言え虚偽の報告は相応の罪に問われますよ!」
「ひぃぃ、認めるよ! いや認めます! 確かに小銭を掴まされてそのような仕事をしましたぁ!!」
「先ほどの証言、今の証言、そしてこの動かぬ物証!! これが全て偶然揃うなどというのは果たして論理的な考えでしょうか!?」
偶然と偶然の狭間に生まれた痕跡を余すことなく回収する二人の手腕は余りにも鮮やかで、どんどんハジメが犯人である可能性が潰え、逆に別の人物の関与が浮かび上がってくる。
(まぁ、アイツなんだろうなぁ)
ハジメは自分を嵌めようとした人間に視線を送る。
この秘密法廷にはほんの少数ながら裁判の成り行きを見守る傍聴人がいるのだが、そのうちの一人、十三円卓のテベンニグルとかいうジジイの顔色がさっきから赤くなったり青くなったり百面相しているのだ。
裁判は白熱し、とうとうテベンニグルの秘書まで引っ張り出される。
美しくも勇ましく相手に指を突きつけて吠えるオルトリンドは、見惚れそうなほどに頼もしい。
「さあ、真実を白日の下に晒しなさい!! これだけの事実の積み重ねがありながら、それでも貴方はテベンニグル円卓議員の関与がなかったと言えるのですか!!」
「うう……」
更にコトハが追い打ちのコトダマを叩き込む。
図星を撃つほどにその効果が増大するらしいコトダマは、絶妙なタイミングで絶妙な部分を撃ち抜いた。
「政に携わる者として、人として、なにより子を持つ親として!! この厳正なる司法の場で!! 正しいとは如何なることであるか証明しなさいッ!!」
「うぐっ、うわぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
ちょっと正気を疑うくらいのテンションでヘドバンしながら乱れ狂う証人。もはや虐めで精神崩壊したのではないかと疑いたくなるが、コトダマで最も苦しい所を打ち抜かれると一時的にテンションがおかしくなるらしい。
証言台にぐったりもたれかかったテベンニグルの秘書は、絞り出すような声で呻く。
「裁判後……家族をルシュリア王女の名の下に保護していただけるのであれば、全て、あるがままに説明します……」
それは、脅迫されてやったのと同義の言葉だった。
オルトリンドとコトハの視線が裁判長を向く。
「裁判長、最後にテベンニグル円卓議長の証人尋問を要求します」
「最後に弁護人の証拠の真偽が確認されれば、それでこの秘密裁判は終わります」
「えぇぇぇ……」
裁判長はちらっとテベンニグルを見る。テベンニグルは「裁判長権限で却下しろ!!」と言わんばかりの必死な目で見返す。暫く見つめ合った後、裁判長は一つ神妙に頷いた。
「ま、わしそろそろ法曹界引退だし? 今更出世とか気にする必要ないし? もう上の顔色とか気にせずやっちゃいますか」
「貴様ぁぁぁぁぁ!!」
テベンニグル円卓議員が裁判中はお静かにのルールを堂々と破って怒鳴り散らすが、裁判長はどこ吹く風で書類にサインしている。
「正直ね、裁判は公平とかいいつつも出世的なしがらみで政治に配慮しなきゃいけない場面って結構あるんですよ。本当は重罪にすべきだけど都合悪いから減刑しとこう、みたいなやつとか、責任の波及が途中でぶっつり切られたりとか。なので最後くらい正しい判例残してさぱっと引退したいんです」
オルトリンドは、この裁判長も真実を追究し続けた戦士なのだと実感が湧いたのか、尊敬と感謝の念を込めて丁寧に一礼する。
「裁判長……ありがとうございます」
「こらこら、裁判はまだ途中ですよ。最後までしっかり真実を追究なさい、弁護人」
裁判長は、実に晴れやかな顔をしていた。
どうやら十三円卓に対する積年の恨みがあったらしい。
――この日、十三円卓の一角がひっそりと落ちた。
そして代わりの人員が即座に補充されたので誰も困らなかった。
十三円卓の座を狙う老人など幾らでもいるのだから。
実は、全てはこの裁判を利用したルシュリアの暇つぶしめいた策略だった。議員は絶対に勝てない勝負にハメられたのである。更に叩けば埃の出る身のため余罪もぼろぼろ零れ落ちてきて、恐らく一生彼は牢屋から出られないか、賠償金に全財産を取り上げられて惨めな老後を過ごすだろう。
「おにぃをハメようとしたんだから当たり前だよね! でさ、それでさおにぃ……こんなに頑張ったんだし……ね? ね?」
「……」
裁判後、褒めて褒めてご褒美頂戴と言わんばかりに上目遣いでもじもじしながら寄り添ってくるオルトリンドに、ハジメは仕方ないと頷いた。
「……お前は俺の自慢のきょうだいだ。褒めても褒めたりないくらい格好良かったぞ。今度、お礼もかねて二人きりの一泊二日旅行に行かないか」
「行く! おにぃ大好き!!」
喜色満面でぎゅっと抱きしめられたハジメは、彼女の頭を優しく撫でる。彼女はそれも嬉しいのか、ハジメを押し倒しそうなくらいの力で密着してきた。
(いや、ちょっとこれ、本当に押し倒そうとしてないか?)
オルトリンドは非常に長くハジメと離れ、更に周囲に舐められないようにと男を演じて働いてきた経緯がある。そのため、一度兄に甘え始めると歯止めが利かないところがあった。
なにせ今、他の人達の目もあるなかで男装しながら抱きついていることに彼女は多分気付いていない。気付いているとしても我慢できないのだとしたら本格的に依存症である。
当然周囲はざわざわだ。
「え、兄弟? いま兄弟って言った?」
「あの鉄面皮のオルランドの顔がとろっとろなんだけど」
「え、弟が兄と? あの年齢で二人きりの旅行行っちゃうの???」
「もしかしてあの二人って……そっち系! そっち系なのか! ありだ!」
「唐突に性癖カミングアウトすなッ!!」
後日より暫く、オルランドは男色でハジメは両刀とかいう極めて碌でもない噂が世間に流布され、またもや悪目立ちすることになるハジメであった。
ちなみにコトハには後日、王都最大のパフェとして有名な『パッフェルシャトー』を食べられるギフト券を10枚送ってあげた。翌日に「神様仏様ハジメ様」と崇められた。そんなにそのパフェ好きなの? と軽く引いたハジメであった。
――余談だが、オルトリンドとの旅行は互いに正体がばれないように変装して行ったが、オルトリンドが常に「おにぃ、あーんして!」とか「おにぃ、だっこして!」とか「おにぃ、この水着どう? 可愛い?」などと全力で甘えてきて、ハジメは兄として全肯定の姿勢で挑んだために周囲には馬鹿ップルにしか見えなかったらしい。
(まぁ、可愛い妹なことは否定はしないが……そのうち結婚してくれとか言い出しそうで兄は不安だぞ)
(おにぃ、結婚しよう? って言いたいなぁ……でもアマリリスとウルが『今はまだそのときではない』って言うし、一泊二日とはいえおにぃを独り占め出来るだけでもすっごく幸せだし、いっかぁ)
ハジメハーレム計画、本人に無断なのに今尚水面下進行中。




