断章-2
ウルシュミ・リヴィエレイアは現魔王である。
正体を隠して今は謎の令嬢ウルル・ジューダス、ないし転生者ウルとして周囲には認識されており、魔王業務はドッペルゲンガーに全て押しつけ中だ。このまま逃げ切りを狙っているとても不真面目な魔王である。
そんな彼女には最近悩みがある。
自分を魔王と呼ぶ存在がこの村にちょこちょこいるのだ。
「まおうさま!」
村を散歩していると、さっそく自称魔王の子分と出会う。
ショージの家の窓から目を輝かせて必死に手を振るのは、マンドラゴラの突然変異種であるプラネアである。見た目は可愛らしく、仕草も可愛らしく、懐いてくる様もまた可愛らしいのだが、魔王呼びはどうにかならないのだろうか。
プラネアはどうやら魔王時代に部下に頼み込まれてイヤイヤ魔力譲渡を行った有象無象の中の一人らしい。こんな可愛い譲渡相手はいなかったので何かあったのだろうが、今でも魔王軍を自称する程度には軍に誇りを持っているらしい。
そんなプラネアはウルのことを魔王と呼んで憚らない。
「こんにちは、プラネアちゃん。でも私は魔王じゃないよ?」
「よしんばまおうさまでなかったとしても、あなたはわたしにとってのまおうさまです!」
屈託のない満面の笑み。
尊いがやめてほしい。
どうにも彼女はまだウルが本当に自分に力を与えた魔王だと確信している訳ではないようなのだが、魔性の本能が察知しているのかとにかくウルを魔王と呼んで尊敬する。確かに人に化けても尚僅かに漏れ出す魔王としての魔力は、魔性を惹きつけるのかもしれない。
魔王であることを隠す為にこの村に来たウルとしてはそう呼ぶのはやめて欲しいが、プラネアは魔王という存在を本気で尊敬しているのか、純真な子供のように輝く目で訴えかけてくる。
「まおうさまのように美しく、強い方にお仕えすることこそわが夢! このプラネア、いずれかならずこの足で鉢を脱出し、まおうさまの子分となりたいです!」
「もー、どうしてくれようかなぁこの子は……」
頑として魔王呼びをやめないし、可愛いのであまり強くも言いづらい。せめてもの仕返しと指でプラネアの弱いところをつんつんつついて「にゅわ~~~!」と気の抜ける悲鳴を上げさせて暫く遊んだ。
プラネアとしては、それも「まおうさまのおしおき……よきかな」と嬉しいらしい。
とりあえずショージに小言を言おうと決めたウルであった。
教会に向かうと、少し珍しい客がいた。
よく教会でダラダラしている転生者のマルタを睨み付ける、聖騎士スーだ。
「ふん、今日も穀を潰しているな」
「さっさと天に召されたいんだけど、約束事がなかなか終わらないのよ」
「命乞いとはみっともないな」
スーはイスラとマトフェイの同期で、転生者マルタの状態確認などの理由でときどき村にくるレアものだ。見ての通り口が悪く、特にイスラと顔を合わせると即座に罵り合いを始める困った奴である。
ちなみにその外見は実年齢より幼く見える美少年ショタであり、淡く光る銀髪も翡翠色のくりっとした瞳も獣耳も白い羽根も犬っぽい尻尾(うまく服で見えづらくしている)もあるというかわいさキメラである。
率直に言ってウルの好みどストライクのショタだ。
「スーたん久しぶりぃ!」
「うっ!? 出たな魔王め!」
こちらの存在に気付いたスーは全力で警戒するが、ウルは構わず突っ込んだ。
普段は自制心の強い方であると自負する彼女だが、スーのかわゆい魅力には勝てず、逃げようとする彼を即座に両手で抱きかかえて頬ずりする。
「あぁ、スーたん今日もかわいいよスーたん! すーはーすーはー……」
「嗅ぐな、抱くな、やめろ!!」
スーは子供扱いされる屈辱と女性に抱かれる気恥ずかしさから暴れるが、聖職者として暴力に頼り切りになれないためか抵抗はそんなに激しくもないので暫くスーのやわらかな体をぎゅっと抱きしめてたっぷり堪能する。
「はぁ~満足した!」
「お、おのれ……おのれこの魔王め! 聖騎士たるおれの力を以てして振り払えないその力、悪魔の如し!! お前が毎度毎度おれをぬいぐるみ扱いするせいでイスラに嘲笑われるのだぞ!?」
涙目で訴えてくるスーだが、それがまた可愛いのでウルはウフフと慈しみの視線を送る。
彼は別にウルが魔王だと確信している訳ではなく、悪口の一環として魔王呼ばわりしているようだ。ウルの従者が悪魔なので差別化を図ったのだろうが、「魔王呼ばわりするくらいにはぼく怒ってるぞがおー」みたいな感じに脳内変換余裕なのでたまらなくて涎を垂らすのを我慢するので精一杯だ。
マルタは項垂れるスーを珍しく哀れんだのか、それとも煽りか、肩をぽんぽん叩いて耳元で囁く。
「おねえさんが慰めてあげようか?」
「お前もおれを子供扱いするな、犯罪者のくせに! ばか!」
「ばか、だって~かわいい~♪」
「ごめんごめん、ご飯をご馳走するからさ。それで許してよ。ね? お願い?」
ウルだって別にスーの機嫌を損ねたい訳ではなく、欲求が抑えきれなかっただけだ。精一杯の謝意を込め、両手を合わせてお願いすると、スーはじとっとした視線を向けてくる。
「自分勝手なことをするくせに、かとおもえば真摯に謝って人の心を弄ぶ。おまえなんか魔王だ、この邪悪な女め!」
と、言いつつ許してくれるスーが最高に可愛いと思うウルであった。
(根は優しい子なんだよね、スーたん!)
(今までおれの姿を見た奴は幼さをばかにし、続いて混血のおれを偏見に満ちた目で見てきた。戦って見れれば化物と陰口を叩いた。なのに、なんなんだこの女は……なんでそんなに、おれを優しい目で見られるんだ……くそ、聖職者がこんなことで心を乱すとは!!)
スーのかわゆさをたっぷり堪能したウルは、今度は村に増設された訓練場で魔法を操り、軽く戦闘訓練を流す。
隠遁生活中とは言えどんな不測の事態が起きるか分からない状態だし、今のウルは人間に変身しているせいで能力が少々ダウンしている。運動も兼ねての訓練で大分繊細な魔力の扱いが身についてきた。
(あのサラ……ええと、忘れたからサラリーマンさんでいいや。あの炎魔人のとき、ちょっと出力高すぎてアマリリスちゃんもフェオちゃんもドン引きしてたもんねぇ)
自称大精霊サラマンディスからリーマンに降格させられた炎の精霊はさておき、いい汗をかいたと訓練場の休憩スペースに行くと、何故か悪魔の男がベンチにハンカチを敷いて万全の体制でお出迎えしていた。
「魔王様、どうぞこちらに。タオルとはちみつレモンドリンクもご用意しております」
慇懃にお辞儀をするその悪魔は、ウルの護衛ではない。
むしろその逆で、彼はなんと悪魔でありながらシャイナ王国ルシュリア王女の直属の部下である。魔王城時代を思い出す待遇にウルは遠慮がちな声を上げる。
「リサーリくん、そういうのいいってば……」
「いえ、魔王様を前にしてスルーなんて逆に私のような上に気を遣わずには居られない底辺の小心者には無理ですから! そう、これは自分の精神安定の為の行為なんですよ……!」
悪魔リサーリはプラネアに比べれば声量は抑えているが、本気の視線だった。
リサーリは元は魔王軍所属で、上司の顔もしっかり覚えているためかすぐにウルが魔王だと気付いた男だ。なんでも以前魔王軍の作戦遂行に失敗して王国に捕まったが、王女に目をつけられて部下にされ、最近は村の監視を命じられているらしい。
そして、自称超弱小悪魔――実際ウルからするとビンタどころかでこピン一発で死んでしまいそうなくらい弱い――の彼にとって、身分を隠してるとかいないに関わらず魔王相手にへりくだらないのは無理らしい。
胃が絞られるようにキリキリとするそうだ、キリキリと。
(お兄さんのサリーサくんは変わった人だったけど、リサーリくんは小市民感すごいなぁ……)
リサーリもサリーサもブエル家という家の出身で、実はウルも魔王になる前に兄の方には一度会ったことがある。
兄のサリーサはブエル家でも歴代最強と謳われる超上位悪魔だ。また、ウルの姉代わりと言えるキャロラインと同じく親人間派で、淫魔の力を利用した不妊治療を行う変わり者でもある。
その顔は絶世の美男子……なのだが、余りにも美男すぎて出会う女性を悉く魅了してしまうために常にピエロに仮装し仮面を被っており、魔界では才能がありすぎてどこか突き抜けてしまった変人扱いされている。当人はマイペースなので気にしていないが。
サリーサも同じ血が流れているだけあってかなりのイケメンだが、溢れ出るヘタレ感と魔力の弱さのせいで兄のようにモテモテにはなれないようだ。それはそれで愛嬌があるし、小市民的な感覚には共感も出来るので無碍にはしづらいウルである。
仕方ないので実家の執事みたいにこき使ってみる。
「リサーリくん、ドリンク頂戴?」
「はっ、魔王様」
「あとはちょっと肩揉んでほしいな」
「はっ、魔王様」
元々人の下につく立場だったのが、王国で身に付けたらしい使用人としての教育も相まってか余計に板についている。
肩もみに慣れてるのは上司に肩もみ係でもさせられたせいだろう。
そんなリサーリは時折自分の現状に対する不安を吐露することがある。
「……実はルシュリア王女にも同じように身の回りの世話を求められまして。あの人本当に何考えてるのか分かんなくて胃が痛いんですよ。一応罪人ということで首輪は嵌められてますけどこの首輪に何の効果があるのか一切説明ないし。しかも悪魔の自分の前で堂々と寝たりするんですよ。他の使用人を全員下げた状態で。寝てる間に何かされるとか考えないのか、逆に誘ってるのか、いやそれすら罠なのかと胃が……」
「そ、そうなんだ」
王女のことは「ハジメをやたら気に入っておりキスまでしたらしい」という部分までしか知らないので、確かに今の話を聞くとちょっと得体の知れない感じがする。もしかしたら気の多い性格なのかもしれないが、とりあえず王女がハジメハーレム入りすれば負担が減るだろうと思って彼が耐えられるよう後で胃薬を進呈しようと決めた。
ふと、リサーリの肩を揉む手が緩まる。
「魔王様は、もう魔王軍にはお帰りにならないので?」
「ん。私は私として生きたいからね」
「……今では少し、分かる気がします」
どこか遠くを思うような声で、リサーリは独白する。
「魔界と人間界では何もかもが違う。人間に仕えるようになってから、魔界で当たり前だったことがここでは全然違うという経験が幾度もありました。兄やキャロライン様が魔王軍の地位に拘らなかったのは、こちらの世界の魅力を知っていたからなのではないか……そう思うようになりました」
「胃痛に襲われてるのに?」
「うっ」
「あはっ、冗談よ」
そこではっきり言い切れないのがリサーリの格好のつかないところなのだろうが、別にウルはそんな格好悪い者は嫌いじゃない。何を隠そう自分など同じ人間に二度も失禁させられた情けない女だからだ。
「いいんじゃない、それで? マオマオも好きな人が出来たみたいだし、貴方も罪を償い終えたら解放されるんでしょ? お兄さんとは何の関係もない貴方だけの生き方を探すのもいいと思うよ」
「……ありがとうございます、魔王様」
照れたように頬を掻くリサーリは、少し自信が湧いたようだった。
こうして、結局ウルは今日も自分を魔王呼ばわりしないで欲しいという欲求を叶えられないまま、でもまぁ仕方ないかと笑って諦めて一日を終える。
こういう魔王なら、悪くないと思いながら。




