断章-1 転生おじさん以外も村は変なやつでいっぱい
料理人ハマオは、コトコトと音を立てて鍋の中で揺れる野菜に視線を落とす。
家庭料理ならそろそろ火を止めて次の工程にでも移るべきところだが、一流の料理人の才能を神に与えられたハマオはまだ動かない。この一手間が後の野菜の食感を左右することを体が知ってしまっているからだ。
ハマオは、万能の料理人だ。
食べ物であればどんなジャンルの料理でも、デザートだってお手の物。
親友であるオークのガブリエルを経由してこのフェオの村なる辺境の地で宿の厨房を任されたハマオは、料理以外は割とだらけきった生活をしている。
(雇われシェフって楽だなぁ~。うん、無理して自分の店持とうとしたのが間違いだったんだ)
自分が異世界に来てからのことを振り返り、ハマオは一人頷く。
今までハマオは自分の店を持つ為になんとか資金繰りして自らをオーナーに仕事をしていた。しかし、雇われてしまえばお金の勘定から労働時間まで全てオーナーが決めてくれるので、慣れないことをしなくていい。
その代わり、村の多くの人間が宿の食堂を利用するので時間帯によっては非常に忙しくなりもする。彼らの胃を満たすために様々な仕込みや新メニューの考案は欠かせない。
(とは言っても、正直二ランクくらい手抜きしても大衆食堂としては十分な味にはなるんだけどねぇ)
手を抜くといっても一流シェフの手抜きなので、素材をある程度のレベルで適切に調理していることに変わりはない。ただ、その美味しいの中の更なる上位ランクをハマオは狙ってしまう。何故なら、彼は一流の料理人の才能があるからだ。
味の違いが分ることは、幸せか、不幸せか。
美食の喜びと捉えるならば幸せだが、味に鈍感であれば些細な質の低さや手抜きに気付くことなく食事が出来る。「この味を食べたことがないなんて人生の半分を損している」なんて言葉は有名だが、そんなもので半分も損するわけあるかと思う人がいるのも事実。
要は、その「そんなもの」をどう捉えているかという根の部分から二股に分かれたセクシー大根なのである、と意味の分らない喩えをハマオは脳裏に思い描く。
ただ、ハマオ自身は一流の料理人の才能をあまり自分のものだと考えていない。
ミシュランで星を獲得したシェフの中には、星を失うことを恐れる余りに自殺することで評価を永遠とする者もいるという。しかしハマオは神に与えられた才能であるために、死ぬまで自分の料理の腕の天才性は神に保証されている。だから不安に思うこともないが、同時にこれ以上の何かを料理人として得ることもないだろう。
お客に料理が美味しいと喜んで貰えれば、流石にハマオも嬉しい。
しかし、料理によって自分の可能性を埋め尽くしてしまった人生については、これで良かったのだろうかという漠然とした感情がある。
目の前でコトコト煮込まれる料理の行き先はもう決まっていて、道を逸れることは出来ない。
「……ま、そこはそういう人生だったと満足するかね」
どうせ二度目の人生だ。
村も住みよい所だし、キッチンの油汚れ以上にギトギトしたこの世界の料理界に嫌がらせされることもない。特に同じ転生者のショージは厨房を手伝ってくれることもあって話しやすい。
唯一の問題を挙げるなら、村長のフェオが大親友ガブリエルと犬猿の仲であることくらいだろう。その二人も、ここ最近は表だって激しい口論をすることもなくなってきた。変化のない人生だが、挫折の末に転がり落ちるよりは遙かにいい――。
「……?」
ふと、ハマオは煮込まれる鍋の中のだし汁が波打った気がした。
いや、気のせいではない。
地面から腹の底に響くような振動が近づいてくる。
揺れは暫く続き、やがて大きな揺れが起きた。
地震ではないようで、揺れは一瞬。
咄嗟に鍋を持ち上げたおかげで料理も無事だった。
「……なんだろうなぁ、今の」
疑問に思いつつも、大事であれば誰かが店に知らせてくれるだろうとハマオは仕込みに戻った。しかし、暫くするとアマリリスと使用人、そしてショージが店に駆け込んできた。
「ハマオ、ちょっと外の広間まで行ってくれ。料理の仕込みは俺らが引き継ぐから」
「はい、え? 私に用事? まぁ粗方の仕込みは終わってますけど……」
ショージ、アマリリス、その使用人たちは店の手伝いをしてくれる人々で、その仕事ぶりや舌にはハマオも一定の信頼を置いている。そんな人達が今すぐハマオに行けというのなら、ハマオにしか解決出来ない問題とみるべきだろう。
ハマオは言われればハイと頷く性格だ。
前世では責められに責められてハイと返していたら「さっきからハイしか言わないが本当に分かってるんだろうな」と怒鳴られたものである。尤も、後になってみるとそれは怒りで冷静さを失った上司がいいがちな台詞として有名だったらしく、じゃあ自分の性格ってなんだろうと思い悩んだりもしたが。
広場にやってきたハマオは、そこで凄まじいものを目撃する。
怪獣――そんな呼称がよく似合う、この世界に於いてもそうそうお目にかかれない巨大生物の遺体が、そこには鎮座していた。外見としては恐竜を更に物々しくしたような姿で、首筋、胸、手足、あらゆる部分が負傷していることから壮絶な死闘の末に仕留められたことが覗える。
そして、その怪獣の死体の隣で言い争う二人の影。
村長のフェオと、食堂の常連ラシュヴァイナだ。
元奴隷戦士にして現在は冒険者。
勇ましさを感じる凜々しい顔立ちに、褐色の肌に無数に走る傷痕。
狼の耳と尾はウェアウォルフという種族の証だ。
なんでも嘗ては『千練の猛将』の異名を持つ程の戦士で、今は冒険者をしているらしいのだが、ハマオからすると毎日食堂で一生懸命はぐはぐ肉料理を食べている様しか印象に残っていない。クールそうな顔があの時ばかりは子供のように無垢に見えるので癒やしだし、大食らいなところも許せてしまう。
ただ、今回はその大食らいによって発生した問題であるらしい。
「だから、小生の食べ過ぎで食料が足りないと聞いて肉を取ってきた」
「肉って、このエリュマントス・ボアより大きい肉をどうやって調理するんですか!!」
「フェオたちが喜ぶかと思ってなるべく大きなものを仕留めたぞ」
「ああもう……! 大きすぎて広場が通れなくなっちゃってるじゃないですか! 加減ってものをもう少し考えてください!」
「う……小生、何か間違ったのか?」
フェオが怒鳴るのも無理はない。
ラシュヴァイナが仕留めてきたのはベヒーモス。あのファンタジーゲームでは大体ボスか、もしくは途轍もなく大きなベヒーモスである。レヴィアタンと並んで有名な聖書の怪物だが、何故かレヴィアタンは神霊でベヒーモスは魔物である。
件のレヴィアタンの分霊が広場の噴水から顔をだす。
「懐かしい匂いがすると思ったら、ベヒーモスか」
「知り合いなんですか?」
「こやつとではないが、まぁな。古の神々との戦いで無謀にも真っ先に敵陣に突っ込み見事に爆散したド阿呆じゃよ。そのせいで神獣として復活も出来ず、力だけが半端に世に残って今のベヒーモスという種族になったのじゃ。あやつはかしこさが足りない残念な子だったのじゃ」
「えぇ……」
さらっと全く伝承に残っていない古の情報を手にしてしまったハマオ。
ちなみに料理を作る関係で水を大事にするハマオは、レヴィアタンの分霊とはそれなりによく顔を合わせる。何度か料理を手伝って貰った際にはりきりすぎて厨房が大変なことになって以来、内心残念な子だと思っている。
「ところでハマオよ、あの二人を止めなくていいのか? ラシュヴァイナの耳がどんどん落ち込んで垂れ下がっておるぞ」
「そうですね。まぁ、やってみますか。お手伝いよろしくです」
懐から肉の解体用包丁を取り出したハマオは、レヴィアタンを連れてベヒーモスに近づく。
「肉は固そうだな……血抜きも不完全か。でも皮や爪、毛なんかは何かしらの素材に出来そうだ。問題は内臓の抜き取りですね。熟成肉と今日から使う肉を分けるとして、厨房じゃこの量の肉は入りきらないな。後でショージに手伝って貰わないと」
早速ベヒーモスの皮膚に包丁を入れる。
流石は地上で最大級の大きさを誇る魔物なだけあって皮膚も分厚いが、ハマオの包丁はショージに作って貰った特別製なのでなんとか対抗出来る。
こちらに気付いたフェオが慌てて駆け寄ってきた。
「ちょ、ハマオさん!? ベヒーモスのお肉、本当に食べる気なんですか!?」
「食べられる所と食べられない所に分けて適切な処理をすれば、食用には問題ないかと思います。ご心配なく、腕によりを掛けて美味しく料理しますよ」
「いえ、無理しなくていいですから! ラシュヴァイナさんに捨てさせてきますから!」
「ダメです」
「え――」
ハマオは反射的に、強く拒絶した。
フェオが予想だにしなかった反応に狼狽える。
言い方が悪かったと自省するが、それだけ受け入れられない言葉でもあった。
「ラシュヴァイナさんは食用にするためにこれを狩猟したんですから、可能な限り頂いた命を活用するのが仕留めた側の責任です。無駄にするのはいけない」
「ですが、この量ですよ!? もう状態の良い部分だけ抜き取って他は森の肥やしにした方が……こんな肉、無理して食べることはないでしょう?」
フェオは森に精通しているが故に、分かっているのだろう。
ベヒーモスの肉は、他の食肉と比べて美味とは言えないということに。
故にこそ、ラシュヴァイナの善意を汲んだ上でも「こんな肉」だ。
ハマオも当然それには気付いているが、しかし、頷くことは出来ない。
「美味しいものだけ作るのは調理人のやることです。私は料理人ですので」
ハマオにとって、調理人は一流の美食を生み出すことのみを追求する存在。
そして、料理人は食材、部位に関係なく、一般的に美味しくないとされるものを美味しいレベルにまで引き上げ、ギリギリまで無駄に捨てる食材をなくす存在でなければならない。
それはハマオの個人的な拘りだ。
料理の才能があるからこそ、尚更そうせずにはいられない。
項垂れて今にも泣きそうなラシュヴァイナに、ハマオは優しく微笑んだ。
「安心してください、ラシュヴァイナさん。この肉を元に美味しい肉料理をたんとご馳走しますから」
「本当か!」
ピン、と垂れ下がった耳と尻尾が反り立つ。
やはり彼女は癒やし系だと思いながら、ハマオはベヒーモスをひたすら解体し続けた。
結論から言うと、ベヒーモスの肉はハマオの手によって様々な姿に生まれ変わった。それだけの手間をかけてのことであったのは否めないが、ベヒーモスはギリギリまで無駄なく解体され、保存食も大量に作り、それらは主にラシュヴァイナの胃袋に収まっていった。
他の客にも提供したが概ね好評で、フェオは勿論のこと普段は食堂にあまり来ないハジメも素直に称賛の声を送る。
「すごい、しっかり美味しい。絶対に硬くて臭いと思ったのに……」
「確かにな。俺もやむなく魔物肉を食べたことはあるが、ここまで綺麗に、しかもあの量を調理しきるとは驚きだ」
もちろん、ラシュヴァイナは今日もはぐはぐ幸せそうに食べている。
「ハマオ、美味いぞ!!」
「それは良かったですね。作った甲斐がありました」
料理人人生、悪くないじゃないか。
ハマオは珍しく、料理人の才能を持っていてよかったと思った。
――それから数日後。
「ハマオ! ハマオ! 新しい魔物を狩ってきたから料理してくれ! 料理人は食材を無駄にしないのだろう!?」
満面の笑みでぶんぶん手を振りながら、これまた巨大な魔物の死体を抱えて村に戻ってきたラシュヴァイナの姿にフェオは脱力の余り崩れ落ち、そしてハマオは「これキリがないな」と思った。
後にハマオは「現地である程度下処理をすればいいのでは?」と思い立ち、ラシュヴァイナの狩りの日を彼女の気まぐれではなく事前告知制にした上でついて行くこととなる。瓶の中にレヴィアタンの分霊を詰め、褐色の女大剣士とともに冒険に赴く魔物料理人、『マッドコック』ハマオの新たな冒険は始まったばかりである。




