22-9
(勝てない)
たった一つの、始める前から分かりきっていた結論だった。
ただ、せめて最後まで戦い抜いてハジメに覚悟を示そうと、ルーンエッジは手放さなかった。それがフェオに出来る唯一の抵抗だった。
しかし、壊滅を間近にした皆の前に、その場を去った筈の人影が迫った。
見覚えのある鉄扇が飛来し、ハジメとフェオの間に突き刺さる。
ゆっくりと近寄ってくるその人物は、一度は逃げ出したレヴァンナだった。
「レヴァンナ、さ……ん……?」
思わず叫びかけたフェオは、彼女の顔を見て声がしぼむ。
そこにいたのは、確かに竜人のレヴァンナだった。
しかしその形相は、自分の見たレヴァンナとは似ても似つかない殺意に満ちていた。
「フェオちゃん、こいつは引き受けるから貴方はヨモギちゃんを連れて合流場所へ」
「な、何を!? 一人で戦う気なんですか!? 無謀ですよ!!」
「竜人には、竜人にしかない切り札があるの。だから……とっとと逃げないと巻き込まれて死ぬわよ」
「……!!」
恐ろしく冷たい言葉だった。
その言葉に、ハジメは得心した顔をする。
「竜覚醒か……成程。お前達、命が惜しいならとっととこの場を離れることだ」
その言葉に、フェオはレヴァンナもハジメも本気なのだという事を悟る。フェオたちを通さないことを徹底していたハジメが見逃すようなことを口にするということは、本当にこの場にいたら命の保証が出来ないということだ。
フェオは慌ててヨモギとともにレンヤを助け起こし、ガブリエルはイングを抱えてその場を離れる。
だが、フェオは何故かこのまま行ってはいけない気がした。
レヴァンナが何故急に豹変して戦う気になったのかは分からない。彼女が何故ハジメにあれほど情緒がおかしくなるほど感情を剥き出しにするのかも分からない。しかし、何か嫌なことが起きる予感が消えなくて、フェオは二人に向けて叫んだ。
「試験が終わったら、皆で一緒にご飯食べましょうね!! 決定事項ですからね!!」
その言葉に、レヴァンナもハジメも反応はしてくれなかった。
――遠ざかっていくフェオの残した言葉を心の中で反芻し、ハジメはすこし毒気を抜かれたような気分になる。
(暢気なことを言ってるな……)
試験の協力者として彼女に返事をする訳にもいかないので敢えてスルーしたが、後で怒られるかもしれないとハジメは思う。それでも、唯でさえ親密と言って良い間柄なのだから公私の区別はつけなければいけない。
問題は、レヴァンナだ。
事前情報では精神的な面で不安が残るとあったが――。
(俺を殺そうとしているな)
淡々と、ハジメはそう認識した。
本気で人を殺そうとする人間特有の歪んだ獣性が空間を伝播している。
フェオもそれをどこか本能で感じたからあんなことを言ったのかもしれない。尤も、彼女の耳にそれが届いていたかどうかは疑問が残るが。
レヴァンナの全身に入れ墨のような光の筋が無数に広がり、彼女の周囲の空間が悲鳴を上げる。大地はひび割れ、大気は歪み、暴れ狂うマナの奔流が彼女を包み込む。眩い光が彼女を覆った刹那、その光を突き破ってハジメの眼前に五つの鋭利な爪が迫っていた。
今までと違い、相応の力を込めた剣で弾き飛ばす。
手加減していたら殺されても可笑しくない威力だった。
やはり、彼女は明確にハジメに殺意を持っているようだ。
レヴァンナは先ほどまでと明らかに姿が変わっていた。
髪は燐光を放って逆立ち、全身は頑強な竜の鱗に覆われ、手足はまさにドラゴンのそれ。辛うじて人間の面影が残っているのは憎悪を宿した顔のみだ。
これが竜覚醒――言ってしまえば変身である。
竜人は己の竜の因子を操ることで肉体を竜に近づけることが出来るのだが、それが行き着く所まで行き着くと今のレヴァンナのような竜覚醒の状態となる。ただし、竜覚醒は竜人の中でも限られた戦士のみがたどり着ける境地であり、恐らくギルドはこのことを把握していなかったのだろう。
竜覚醒した竜人の身体能力や魔力は、急激に跳ね上がる。
しかも彼女は潜在能力が凄まじいのか、恐らくレベル100級まで迫っている。
もし試験官がハジメのような超越者でなかったならば、一撃で屠られていただろう。
(バランギア熾聖隊に迫るほどの実力……こんな竜人がいるとは知らなかったな。いや、それともやはり――)
「ガァァァァッ!! 死ねェェェェェッ!!」
考える暇もなく、レヴァンナの全身に灼熱の魔力が収束する。
判断を間違えば全身を焼かれる状況に、ハジメは魔法を発動した。
「ドラゴニック・ノヴァァァァァァァッ!!」
「カタストロフストリーム!!」
直後、大地を融解するほどの膨大な熱量がレヴァンナの全身から球状に放たれ、それをハジメの杖から放たれる莫大な水の奔流が迎え撃った。凄まじい音を立てて水を蒸発させながら迫る熱の塊は、ハジメの魔法でも最大級の威力を誇る完全詠唱のボルカニックレイジに匹敵する凄まじさだ。それでも辛うじて凌ぎきったハジメだったが、熱の塊の中から殺意を剥き出しにしたレヴァンナの猛爪が迫る。
「死ねッ!! 死ねッ!! 死ねェェェッ!!」
先ほどより更に鋭利に伸びた爪が、ソニックブレードと同じ原理の斬撃を放ってくる。ハジメは今回の試験用の剣では無理だと判断し、自らが仕事で使う一流の剣を抜いてこれを迎撃した。
余波で大地がサイコロステーキのように寸断されていく上に、彼女自身の持つ熱によってファイアエンチャントと同等の状態になっているため、瞬く間に大地が赤熱していく。
これこそが竜覚醒の力。
竜人が他の種族を見下すのは、彼らが真の意味で『人型の竜』であるからだ。
ハジメは猛攻の隙を突いてレヴァンナを槍で刺突する。
人間ならばその一撃で肉体を貫かれて死亡する威力で放ったが、レヴァンナの体を覆う竜の鱗はその刃を通さない。ただ、ハジメの埒外の腕力を込めたので衝撃は殺しきれず、レヴァンナは一度空に引いた。
「一応確認するぞ。何故俺を殺そうとする」
「お前を殺さないと私の求める未来が来ないからだ!! 何も知らないまま灰になれ、七嶋ぁぁぁぁーーーーッ!!」
レヴァンナの口の中に、灼熱の大気が渦巻く。
直後、大地を薙ぎ払う竜の息吹が炸裂した。
ハジメは一瞬でその射程範囲まで離脱したが、レヴァンナは追ってくる。
斬撃、蹴り、大地の岩盤を叩き割ってそれを魔法を交えて投擲。
今まで転生者にもこの手の滅茶苦茶な相手はいたが、レヴァンナは自らの命を削っているのではないかと思えるほどの全力を込めて殺そうとしてくる。大地を破壊し続ける大雑把な破壊力はハジメの肉体に少なからずダメージを与えていた。
そして、悟る。
(やはり、彼女は転生者なんじゃないか? なんのチート能力を貰ったのかは分からないが、今の『ナナジマ』の発音は日本人のそれだった)
経歴が全く謎な時点でそうではないかと思っていたが、彼女は成長した竜人の姿で脈絡もなくこの世界に出現したのだろう。転移寄りの転生だとそういうことが起きるし、ブンゴとショージもその類だ。
問題は、何故彼女はハジメを執拗に殺そうとするのか。
訳ありなのは分かるが、NINJA旅団が調べても彼女とハジメに接点はなかった。
また、単独行動している彼女に脅しや指示を出す人間の影もない。
ハジメもあらぬ妄想や逆恨みで殺意を持たれたことはあるが、彼女の殺意は桁が違うように思える。
(だが、殺しに来たから殺し返すなどというわけにもいかん。黙って殺される訳にもいかん。別に俺を殺すことで彼女が何かの苦しみから解放されるなら吝かではないが……)
フェオと全員で食事をする約束が――ではなく、女神の制約のせいでそれは出来ない。一瞬女神より先にフェオのことが頭を過った自分に少し驚いたハジメだが、ともかく彼女を抑えこむ方法を考えなければならない。
ハジメは高速換装で自らの装備を高い対火性能を持つものに切り替え、レヴァンナと向き合う。
「殺される覚悟が出来たか!! 起き上がり小法師の癖に、ガイジの癖に!!」
「……その物言い、やはり転生者か」
「喋るなぁッ!!」
この世界に起き上がり小法師はない。
ましてガイジという言葉は、日本で差別意識のなんたるかも理解できない幼稚な者が使う差別用語の代名詞だ。集団に馴染めない人間を排斥する言葉として頻繁に使われていたし、きっと今も使われているのだろう。
レヴァンナは自らの武器であった鉄扇の要の部分に格納されていたらしいワイヤーを引き、鉄扇をフレイルかヌンチャクのように振り回す。一撃でも受ければ骨が砕ける遠心力と熱の込められた鉄扇が次々にハジメを襲った。
動き自体は単調だが、竜覚醒によって齎された埒外の破壊力のせいで鉄扇そのものより撒き散らされる衝撃波と熱による被害の方が凄まじい。更に彼女は激高しているにも拘わらず鉄扇の動きは洗練されており、容赦なく殺害しようとする。
躱し、いなし、弾き、時にワイヤーで絡め取られそうになるのを防ぐ為に魔法を叩き込む。いくつかの魔法はレヴァンナに直撃したが、竜覚醒のエネルギーと防御力が凄まじいせいで有効打を与えられていない。
「こっちの世界で今更ジタバタ抵抗すんな、七嶋ぁッ!! 無駄なんだよ、お前みたいな奴は何をやってもよぉ!! 自分の立場忘れてんのかぁ!?」
「……お前、俺の知り合いか?」
「ガイジは知り合いとは言わないんだよッ!!」
より一層感情の乗ったブレスを魔法で防ぎながら、ハジメはここでやっと相手が自分の生前のことを知っている可能性が高いと思い至る。
異世界くんだりまで自分を殺しに来る相手とは一体だれだろうか。
ハジメは生前に出会った人の顔や名前は一通り覚えているが、個々がどんな人物だったかは殆ど覚えていない。彼女のような苛烈な暴力を振るう相手も、やはり数が多くて絞り込めない。そもそも転生時に性別を変えているかもしれない。
まして殺されるほど恨まれる覚えなど――いや、とハジメは思い直す。
殺される原因より、まずは説得を試みるべきだろう。
「事情は分からないが、これはギルドの正式な試験だ。悪意や害意をもって戦うなら試験結果に響くぞ。今の段階でもなかなかやらかしているが、殺人となると言い訳のしようもない犯罪行為だ」
「命乞いなんて聞くか!! 知ってるんだぞ、お前の考えることなんて!! そうやって優位な立場に立った上で私を殺す気なんだろ!!」
「誤解だ。もう無謀な行動はよせ」
「うっさい!! 死んでろよ、もう一度死んでろ!! お前が死んだせいでここに来た私の為に、今度こそ本当に死ねぇぇぇぇーーーッ!!」
レヴァンナの全身が白熱し、翼を羽ばたかせて突っ込んでくる。
確か、「ドラゴニック・ホライゾン」と呼ばれる凶悪な突進技だ。
「ああああああああああッ!!!」
「う、ぐぅっ……!」
右から、左から、下から、上から、慣性の法則を無視したように縦横無尽な突進攻撃がハジメの肉体を空中に打ち上げる。その全てにパリィやカウンターで対応して威力を殺すが、翼の生えていないハジメは空に打ち上げられると行動を大幅に制限される。
彼女のレベルが100相当でハジメのレベルが120だとしても、竜人という種族アドバンテージの大きな存在が竜覚醒した状態でのレベル100相当は、ハジメのような通常の人間のレベル100とは訳が違う。
しかも、ハジメは相手を殺すわけには行かない為に、余計に出す手が少なく追い詰められることになる。空中を彩る流星のように美しい光がハジメの逃げ場を奪い、確実にダメージを与えていた。
「お前のせいでママが、パパが、私がッ!! お前なんていなきゃ良かったんだよッ!! お前なんかいなきゃみんな幸せになれたんだッ!!」
「知ってる」
「だったらここで殺されろぉぉぉぉぉーーーーッ!!」
ドラゴニック・ホライゾンの速度を維持したまま振るわれたレヴァンナの鉄扇が真上から迫る。ハジメはそれを防ぐが、腕力と速度に加えて重力まで味方に付けた痛烈な一撃はガード越しでも耐えられるものではなく、そのまま地表に隕石のように叩き付けられる。
口の中いっぱいに血の味が広がるが、ハジメに焦りはない。
あるのは納得感と、自分が間違っていないという再確認。
(……そうか。死んでも尚俺は邪魔だったのか。とことん世界に不要だな、俺は)
ハジメは、どうしようもなく自分の命の価値を信じられない男だった。
こんな状況は初めてだが、逆にいいのかもしれない。
殺してはならない立場で、相手が殺しに来る。
しかもこれほどの殺意と実力を抱いているのだから。
これは、遂に、死ねるだろう。
レヴァンナが今度こそ完全にトドメを刺す為に近づいてくる。
肥大化した爪は、ドラゴニック・ディバイドを使う気だろう。
竜覚醒時に使える技の中で最高の殺傷力を誇る斬撃技だ。
ハジメは、己の感情に身を委ね――。
――。
――。
「な……ん、で」
そう声を漏らしたのは、レヴァンナだった。
彼女の鳩尾に、高速換装された籠手を嵌めたハジメの拳が深々と突き刺さっていた。
「臥龍天征……竜特効の効果がある格闘スキルだ。地に足がついている上にお前から近づいてくれなければ使う機会もない技だが、フェオとの約束を破るのは悪いから狙わせてもらった」
「こんなの……ない、よ……私は、復讐して、しあ、わ、せに……」
ハジメの振り上げた拳が突き刺さったまま、レヴァンナの全身から燐光が零れて竜覚醒が解除されていく。元々竜覚醒は消耗の激しい力であり、時間制限がある。最後にレヴァンナがブレスなどの絨毯爆撃で殺さず接近したのは、彼女のトップギアの限界が近づいているからだとハジメは経験則で察していた。
死なないよう細心の注意を払ったとはいえ、致命的に相性の悪い竜特効のスキルはレヴァンナにとって余りにもダメージが大きすぎた。彼女は酸素を求めるようにぱくぱくと口を開き、そして全身を脱力させて大地に落ちた。
ハジメは彼女の抵抗する力を失った背中を見て、ため息を吐く。
「走馬灯ってのは怖いもんだな……」
死を受け入れようとした瞬間、ハジメの頭一杯に広がったのは村の皆との日々、娘の笑顔、仲間のかけてくれた声、そしてフェオとの約束だった。
ハジメの心は、とうとうそこまであの村での暮らしを、共に過ごす人々の存在を大きく捉えてしまっていた。ここでは死ねないと思ったのだ。
再度ため息を漏らしたハジメは、一応レヴァンナを拘束してギルドの合流地点に向かった。
試験結果は、全員合格。
結果的にレヴァンナの犠牲によってフェオたちのチームは勝利を得た。




