21-5 fin
不意に、ハジメの視界から自らを鏖殺せんとする悪夢の幻影が消えた。
周囲には矢が大量に突き刺さりクレーターだらけになった大地が広がっている。自分が発動させた魔法を鑑みて、現実のように思える。しかしあのヤオフーがもっと巧妙な手段に出たとしたら、どう対応すればいいのやら分からない。
(これだけ強力な初見殺しの能力を受けるのは初めてだからな……全く、やつを倒せているかどうかさえ分からないとは厄介すぎる。今も幻術が本当に解けているのか分からん)
神は特殊な事情――ゲームで言う詰みのような状態がない限りは転生者同士の戦いには不干渉なので、メーガスには頼れない。とりあえずフェオの村の広場にある噴水にでも飛び込んで、水に混ざっているリヴァイアサンの分霊の浄化能力にでも頼ってみようか――と真面目に馬鹿みたいな方法を考えていると、村の方角から何者かが近づいているのを感知で捉えた。
あっという間にハジメの近くに接近するそれらは、空飛ぶクオンと彼女に捕まるフェオだった。二人はハジメを見つけるなり慌てて駆け寄ってくる。
「ハジメさん、こんなところにい……ってなんですかこの抉れた大地は!?」
「二人ともどうした?」
「どうしたじゃないよママ! 村に帰ってきてから上の空だし、家に戻ってこないし、何も言い残しとかないし!! 心配になってフェオお姉ちゃんと一緒に探してたらお空がものすごく光ってたから、もしかしてと思って!!」
心細かったのか、クオンが抱きついてくる。
フェオはというと、心底安堵したようにため息をついて項垂れた。
「もぉぉ……本当に何してたんですか? 全然話を聞いてくれなくて様子がおかしかったって他の人も言ってましたし、何か悩み事でもあるなら相談に乗りますよ。こんなに地形破壊しちゃって、もしかしてフラストレーション解消ですか?」
本当におかしくなってしまったのではないかと心配するフェオは、ハジメの知るいつものフェオだ。クオンもまた普段と違うようには見えなかった。しかし、それでもハジメはいまいち自分が幻覚にかかっていないという確信が持てない。
考えた末、ハジメはある質問を投げかけることにした。
「フェオ、俺たちが初めて出会った日の夜に交わした約束を覚えているか?」
「――えっ? ええ、そりゃまあゆびきりしましたし、好きにするといいって言質も取りましたし! 今更無効にして欲しいっていうのは却下なので、そのつもりで!」
「そうか……あのときの約束は確か、理想の村が完成したら一緒の家に住みたい、だったな」
ハジメ、人生最大の大嘘である。
幻術のことを思い出していて気付いたのだが、ヤオフーの幻術によって改変された言動はどこか言葉選びが「ヤオフーならそう言うことを望むだろう」という補正が強かったような気がする。
この大嘘に対するツッコミがどのようなものになるかで、ハジメはこれが幻術かどうかを判断することに決めた。
果たして、フェオの反応は。
「そうです、一緒の家に……一緒の……。ん? ……んん?」
「どうした?」
「いえ……えっ、あー……ふふっ」
フェオは何かを考える素振りを見せたあと、何故か嬉しそうに笑うと小指を差し出してきた。
「もっかい指切りしましょう」
「……? 構わないが」
あの夜と同じように指を切る。
フェオは切った指を愛しそうに撫で、そしてハジメの腕と自分の腕を絡めると急に足取り軽く引っ張り始める。
「これで契約更新ですね。言い逃れ出来ないですよ、ハジメさん?」
「ママ、フェオお姉ちゃんとも一緒に住むの? じゃあ家族が増えるんだ!」
(あれ? ……あれ?)
何故か、全くハジメの予想と異なる展開になってしまった。
本来の約束は、フェオが村を完成させたらハジメにも住民になって貰うというもので、普段のフェオなら微妙に違う内容にツッコミを入れてくる筈だった。もしくは幻覚の場合、全肯定したり異常に辛辣な態度を取るなど不自然な反応を見せる筈だ。
しかし、フェオがやったのは指切りと、契約更新という不穏な言葉。
(こういう返しをされるとは予想してなかった。もしや俺、墓穴を掘ったのでは……?)
フェオは、ハジメの嘘を本当にそうだと勘違いしているのだと解釈し、ならそれも約束に上乗せしてしまおうと指切りを持ちかけて約束の内容を一つ足して見せたのだ。だとしたら嘘に対する彼女の最初の反応に説明が付く。
ハジメには全く予想できなかった展開。
これはどうやら幻術ではなさそうだ。
なお、これは言外にフェオに「ハジメと家族になるのは吝かではない」と遠回しに伝えられたということでもあり、もっと別の嘘の方が良かったかとハジメを暫く後悔させることになる。
(今になって思えばなんだあの嘘の内容。もしかして俺は死ぬ気がないのでは?)
己を疑わざるを得ないハジメだった。
死ぬ気がないのはいいことである。
――その後、ハジメはヤオフーがどうなったのかをライカゲに知らされた。
ヤオフーは死の間際、己に強力な「死は幻」という幻術をかけたことで、死と生の狭間を永遠に彷徨う存在になったそうだ。生きている時間は永遠であり、しかし既に死んでいるという事実も覆らず、彼は神の慈悲でもない限りパラドックスに閉じ込められ続けることになった。
ただ、ライカゲはその後ヤオフーを蘇らせる方向で話を進めたそうだ。
というのも、幾ら人としてあり得ない最底辺の精神の持ち主とはいえ、このまま死んでしまうと彼を仕留めた者――名前は言わなかったが、多分アマリリスたちだろう――に十字架を背負わせることになる。
しかし、ただ蘇らせただけでは、あの致命的な人格によってまた問題を起こすのは目に見えている。そこでライカゲは考えた。
「もふもふしたものを強制洗脳させるミドリンに預けることにした」
「あのもふもふ狂いにか。確かに死ぬより良いかもしれんが、転生者が転生者のペットとは……」
ヤオフーは狐の亜人だけあり、尻尾などは見た感じもさもさしている。手入れすればもふもふになる可能性は充分にあるだろうし、ミドリンはもふもふさえあれば他の事は気にしないだろう。あれはそういう女だ。
死と生のパラドックスに関しては、リヴァイアサンの分霊に浄化と蘇生を同時にかけてもらうことで解消が可能だという。流石は世界の理すら変えかねない神獣といったところか。
余談だが、この世界の蘇生薬や蘇生魔法は瀕死と死に立てほやほや以外には効果がない。
「それで、上手くいくのか?」
「前よりは幸せになれるんじゃないか?」
ライカゲは珍しく曖昧な物言いをした。
ヤオフーが相手を騙して誘導するのに対し、ミドリンのテイム能力は「もふもふしてない存在には一切効かない」という強烈な限定条件と他のコストを代償にかなり絶対的な力を発揮する。
テイムされたもふもふはミドリンを絶対の主人として敬愛するようになるので、ヤオフーはミドリンの能力で骨抜きにされるだろう。
アマリリスはというと、重荷から解放されたようにウルとフェオと共にお茶会で会話に花を咲かせている。
「「ハジメさんと一緒に住む約束ぅ!?」」
「村が完成したらって条件つきですけどね。ハジメさんがそんな記憶違いをするってことは、私のこと今まで以上に近しく感じてくれてたんだなって思っちゃって、ついやっちゃいました……えへ」
(どう思われますかウルちゃん様?)
(とても良きかなですわよアマリリスお嬢様?)
話を聞いたライカゲがちらっとこちらを見るので説明する。
「フェオが幻覚かどうか自信がなかったからわざと約束を間違えてカマかけしたら、何故か間違えた方で言質を取られてしまった」
「何をしてるんだお前は……頭のネジに誤って油でも塗ったか? その場で訂正すればよかっただろう」
「いや、フェオが嬉しそうだったから、それでいいならいいかなと」
「本当に死ぬ気あるのか貴様? もう死ぬ死ぬ詐欺は引退して真面目に生きろ」
「今回ばかりはぐうの音も出ない……」
いつになくライカゲが辛辣だった。
視線の先では少女達の話が本の話題にシフトしている。
「ところでフェオちゃん。この本おすすめだから読んでよ!」
「なんですかこれ……『五人の勇者の花嫁』?」
「ノンフィクション作品なんだけど、フェオちゃんこういうジャンルもイケる人かなぁって思ってさ?」
「??? まぁ、読んだことないから有り難くお借りしますけど……」
とりあえず、丸く収まって良かった。
談笑する三人を見ていて、ハジメは素直にそう思った。
そういえばうちの村にはもうひとり死ぬ死ぬ詐欺がいたな、なぁクマダチヨコ。
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