21-4
ハジメが放ち、空から押し寄せる夥しい数の無差別攻撃が大地を穿ちながらヤオフーを捉える。
「ぎゃああああああああああああああッ!?」
ヤオフーの全身に流星、隕石、その破片と衝撃波、更には矢が容赦ない飽和攻撃を齎す。
とうに死んでいないと可笑しいほどの致死性の攻撃が微塵の呵責なく殺到し、彼の全身に絶え間ない傷と苦痛を叩き込む。
これらの魔法とスキルは相手に照準を合わせずに効果範囲全体をランダムに襲うタイプの魔法なので、どんなに術者に幻覚を見せても逸れることはない。そして発生前にハジメが唱えた『コンセントレーション』はこういったランダム要素の高い技を放つ際に、術の敵への命中確率を引き上げる効果がある。
確率は確率であり、ハジメの認識とは関係ないので幻術では照準を散らせない。
当然、魔法発動者本人であるハジメにはなんのダメージもない。
周囲はもはやクレーターと瓦礫、砕けた矢だらけで丘から戦場跡地に名を変えるべきかかという有様だったが、ヤオフーはまだ死んではいなかった。
ハジメが意図的に死なないよう威力を調整したのだ。
尤も、この世界に来て一度も味わったことのない全身の激痛に苛まれるヤオフーにはそんなことを考える余裕はなく、土に塗れて藻掻き苦しむばかりだ。
「ひぃああああああッ!? 死゛ぬッ、あ゛あ゛ッ、イギッ、がぁああああああああッ!?」
喉が張り裂けそうな悲鳴が絶え間なく吐き出される。そして痛みが我慢の限界を迎えたヤオフーはみっともなく喚き散らす。
「もう嫌だ!! 化物が、異常者が、サディストが!! ボクに手を出したことを絶対に後悔させてやるからなぁ!!」
よたよたとふらつきながら、ヤオフーは獣のように四つん這いになって森に逃げる。そんなヤオフーの無防備な背に、次々に魔力の矢が突き刺さった。
「ギャッ!! ぎぃぃぃいッ!!」
「ホーミングアロー。ホーミングアロー。ホーミングアロー……」
ハジメの情け容赦ない機械的な魔法詠唱が続き、四方八方に魔力の塊が放たれる。
魔力の矢は追尾機能で獲物を探し、弱ったヤオフーの背中に殺到した。
ヤオフーを戦闘不能にすればスキルが解けると考えたのか、或いはそんなことは関係なく最適解を繰り返すだけなのか、ハジメはヤオフーの様子は全く認識していない筈なのに動きに一切の迷いなく魔法の連打を止めない。
「痛い、痛い、痛いぃッ!!」
泣こうが喚こうが、ハジメは決して手を緩めない。そもそも幻術のせいで彼にはヤオフーの声は一切聞こえてないので、どんなにヤオフーが泣き叫んでも温情を貰える余地が最初からない。
ヤオフーの幻術はあくまで騙すことに重点を置いており、相手を眠らせることで無力化したり、精神性そのものを書き換える力はない。よって、ハジメが自分の見ているものを幻覚だと認識した上でヤオフーを倒すための行動をしている以上は彼を止める術がない。
ハジメの言ったことは図星だ。
ヤオフーは幻術の転生特典以外、無能と呼んで差し支えない。
元々日本社会で大した痛みも知らず生きてきた彼にとって、痛みとはモニターの先でゲームキャラクターがノックバックする程度の認識しかない。だから、現実に人体を破壊するほどの痛みが襲ったとき、ヤオフーは我を忘れた。
ヤオフーは背中が穴だらけになっているのではないかと思いながら、それでもハジメをあの場から動かさないため幻術だけは解かずに走った。
それがせめて相手の行動を阻害する筈だと思ったからだ。
それが最初から無意味だったと、気付かずに。
――ハジメはヤオフーが『完全催眠』に能力を切り替えるよりもう少し前に、ある最上位占術魔法を発動させていた。
これはハジメの魔法の中でも最も攻撃範囲が広域に及ぶ攻撃、かつ詠唱が長い大魔法とは違って発動してから実際に魔法攻撃が始まるまでに極端に時間がかかるという非常に特殊な魔法であった。
その名は『ゾディアック・エクセキューション』。
ヤオフーの催眠で自分が完全に行動不能になる可能性を懸念したハジメは、催眠後に自分が完全に無防備になったとしても時間差で勝手にヤオフーを撃ってくれるよう詠唱破棄でこの魔法をセットしたのだ。
リジェネレートの回復で時間を稼ぎつつ己を囮にして、この魔法で仕留めるために。
天高く、夜空に十二の円が出現する。
一つ一つの円に黄道十二宮の星座のモデルになった動物などの幻影が浮かび上がり、それらの動物が一斉に矢を、尾を、指をヤオフーに向けた。それは夜天に瞬く星の中でも一際存在感を放つ者たちによる、徹底的な断罪だ。
十二の天罰が夜空を貫いて降り注ぐ。
超高高度から放たれる精密で膨大な破壊力はまるで衛星兵器のように正確にヤオフーの頭上に殺到し、彼と彼の周囲を粉微塵に打ち砕いてく。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!! い゛や゛だあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
全身という全身を圧倒的な火力で徹底的に破壊し尽くされ、ヤオフーは懇願混じりの断末魔のような悲鳴を上げる。通常なら意識を保つことさえも出来ない、まさに「死んでいないだけ」というダメージだ。
それでも――ヤオフーはどこまでも諦めが悪かった。
「幻術を、ボク゛に゛ぃ……ボクを゛騙して、ボクよ動けぇぇぇ!!」
自分はまだ動ける、まだ走れるという幻術を自分自身にかけることで、ヤオフーはよたよたと逃げ続け、遂にハジメの攻撃範囲外まで歩ききった。
当然、幻術で無理矢理動かしている体からダメージが消えることはない。それでもなんとか呼吸を整えようとする彼の口から漏れるのは、神への悪態だった。
「こんな、欠陥品の、クソ能力を、ボクに噛ませやがってぇぇぇッ!!」
そもそも神が自分の理想の嫌われスイッチを神が用意しなかったせいだ、とヤオフーは決めつける。それによって、自分の確認不足が原因だという客観的な認識を遠ざけ、誰かを悪者にすることで自分の正当性を確保する。
少し前まで自分の能力を無敵だと勝手に思い込んだ男の、余りにも見苦しい責任転嫁だった。彼の憎しみはそれに留まらず、ドス黒い悪意だけが肥大化していく。
「はぁッ、はぁッ、そうだ!! 村のヤツを使って仕返ししてやろう!! あの野郎に村人が雑魚モンスターに見える呪いをかけて、ヤツ自身に皆殺しにさせてやる!! そして幻覚を解いてやる!! いいや、ハジメが狂ったと思い込ませて村人に殺させるのでもいい!! 絶対殺す、絶対に許してやらな――ギィあッ!?」
草木をかき分けて亀も欠伸が出る緩慢な動きで逃げ続けていたヤオフーの四肢が、突如として鮮血を吹き出した。
「な……なんじゃこりゃあああああッ!?」
痛みの余り喚き散らしすぎてヤオフーは気付かない。
自分の四肢がピアノ線のような糸で絡め取られていることに。
藻掻けば藻掻くほどに糸は肉体に食い込み、激痛でまたヤオフーは情けない絶叫を漏らす。
『無様極まりないですわね』
突如、魔法道具越しと思われる少し籠った女性の声が聞こえる。
瞬間、ヤオフーはこの声の主を利用する方に頭を切り替える。
これだけ自分が傷ついているのだから、自分を被害者だと思わせよう、と。
「誰だ!? 誰でもいい、助けてくれよぉ!! ボクはまだ死にたくないんだよぉ!!」
『あら、奇遇ですわね。わたくしも死にたくありませんことよ?』
「だったら!!」
『でも残念、貴方が死なないことにはわたくしに未来はないのです』
「は……あ……え?」
意味が分からないとばかりにぽかんと口を開けるヤオフーに、声の主は冷たく言い放った。
『事情は承知しておりました。ハジメ様のご様子がおかしかったのでお助けする気でしたが、既に気付いていらっしゃるとは流石流石……おかげでこちらは待ち構えているだけで獲物がかかりました』
「な、なんだよ! ボクが悪いみたいに! あいつ、丸腰のボクを魔法で殺しに来たんだぞ!!」
『事情は承知していたと言いましたが、その似合わぬ狐耳は唯の飾りですか? 現実世界でもさぞご立派なご身分だったのでしょうねぇ……あ、今のは皮肉ですことよ』
「なんなんだよ……なんなんだよぉ!! あいつも、お前も、ボクを見下すなぁッ!!」
『貴方が見下しているから見下されるのでは?』
「うるさいんだよぉッ!!」
もはやヤオフーは自分が窮地にいることさえ忘れて喚き散らかす。
「何が悪いんだよ、ボクが見下して!!」
転生することになったとき、思ったのだ。
これで自分を認めてくれる世界が来ると。
自分の気に入らない全てを否定できる世界が来ると。
「散々見下されてきたんだぞッ!! ボクを評価しないクソみたいな世界を! 夢を持てとか情熱がどうだとか言いながら、それをさせる気もないクソみたいな世界を! そんな簡単な事にも気付かないず寄ってたかって未来を食い潰す無能な大人が作った世界を見捨てて何が悪い!! ボクは何も間違ってない、間違ってるのは世界の方だろぉぉぉぉぉぉッ!!」
世界の側が、来ると思った。
自分を変えようなどと、欠片も思わなかった。
『聞くに堪えません。やれ』
ぴす、ぴす、ぴす。
間抜けな音が三回と、ヤオフーの体を襲う衝撃が三回。
ヤオフーは胸の中心、胸の左、鳩尾に穴を空けていた。
それは、情け容赦ない狙撃だった。
耐え難い痛みと吹き出る鮮血。
ごぼり、と口からも血が漏れる。
「夢だ……ははは、悪い夢だ……!! そうか、ハジメのチート能力は『幻術使い』だったんだ!!」
そう思い込めば、自分は実は死んでいないと主張出来る。
だって、自分がこんな無様な死に方をするはずがないのだから。
ヤオフーはそんな口当たりが良く都合の良い真実に飛びつき、そして、それが唯の妄想であるという事実を認めずに己を騙した。
『現実を認められない人が、誰かに認めて貰える筈ないでしょうに……幻術に頼らずとも世界を変えることは出来た筈です。可能性を勝手に手放したのは貴方自身ですよ。ま、もう聞こえてないでしょうけれど』
「ゆめ、だ……ゆめ……」
それ以上、ヤオフーが言葉を発することはなかった。
妄想の中では、彼はまだ生きているかもしれない。
だとしても、余りにも無意味だが。




