21-3
ヤオフーは非常に稀少かつ謎に包まれた魔物であり、悪魔や、人類の一種ではないかとも言われる魔物だ。
歴史の中で時折現れては人々を魔王軍以上の混乱に陥れることもあるが、ハジメの知っているヤオフーは基本的に極めて理知的で人の世に興味がなく、隠れ里のエルフに似た雰囲気で独自の文明を持つ魔物達だった。
確かにヤオフーは幻術などを得意とした魔物だ。
しかし、目の前の男は恐らく純粋なヤオフーではない。
自らの顔を隠すように手で覆ったヤオフーが血走った目で叫ぶ。
「見るなッ、この獣の姿を見るなぁぁぁぁーーーーッ!!」
「転生特典の関係で最も適した種族にされたタチか」
ヤオフーは亜人型だが、外見的には人より狐の色が濃い。
彼はその外見を嫌って幻術で姿を誤魔化していたようだ。
何故嫌いな種族に生まれたのかは、きっとコストの問題だろう。
ハジメは重力に逆らえないヤオフーに近づく。
「お前の能力は強力な認識改変、或いはそれを含む呪術的才能と見た」
「はぁーッ! はぁーッ! ぼ、ボクは……お前の周囲の本音を聞かせてやっただけだ!! あれがお前の周囲が思ってることなんだよぉ!!」
「嘘だな」
「嘘じゃない!! ボクの嫌われの呪いは、嫌われてるヤツにしか発動しない!! そして周囲は呪いの効果で本心がダダ漏れになる!! お前は本当に周囲にとって価値がないんだ!!」
変身が解けても尚襲いかかる重力に耐えながら、ヤオフーは醜く頬をつり上げる。
しかし、ハジメはただその態度に呆れるだけだった。
「言っただろ、欲を出しすぎたと。お前の呪いにそんな効果はない。俺一人の認識をねじ曲げるので精一杯の筈だ」
ハジメは転生して30年、この世界を生きた。
その知識の差は彼の虚構を見破っていた。
「嫌われの呪いが嘘だと……!? な、何を自分に都合の良いことを!!」
否定するヤオフーだが、見るからな狼狽え様はハジメの言葉が図星であろうことを裏付ける。
「そもそも転生特典にもコストってものがある。お前の『嫌われ』とやらが仮に俺の周囲にいる特定の人間たち、ないし数十メートル程度の範囲の人間に及ぼす効果だったとしても、その範囲に入った人間の認識を問答無用で操作して効果を発揮するほどの力を得るには『他のコスト』を大きく削らなければならない」
例えば、鳥葬のガルダことマルタは600年生きているので、単純に考えればハジメでは絶対に及ばないほどの経験値を得ている筈だ。しかし実際の戦いでは、彼女は強かったが対抗できないほどではなかった。
それは恐らく、『不老不死』という能力のコストが高すぎて、転生者に平均的に付与される追加の才能や成長性を全て犠牲にしたからだ。
ライカゲの忍者というジョブも、ジョブそのものは極めて強力だが、その力を十全に使いこなすにはライカゲ自身が不断の努力を続けて自らを鍛え上げなければならないという制約が存在する。
他にも確か、転移は転生よりコストがかさむとか、生まれる種族を指定しない場合コストは減るが自動で能力と相性の良い種にされるので思いがけない姿になる可能性があるなど、様々あった筈だ。
神はその辺り、きちんと説明するし質問にも答える。
説明を聞いていない転生者が多いと嘆いていたので覚えている。
ともあれ、この世界の転生特典には世界が破綻しないための上限があり、反則的な能力ほど他のコストを大きく犠牲にする。
「本当に特定の存在を周囲に嫌わせるだけの能力なら、お前のコストはそれに全て使い切っている筈だ。しかしお前は自分の姿を化かす力を使ったな? 一切の成長ブーストなしに自分の姿を偽り、しかも俺にもすぐに看破できないほどの術を覚えるには相当な努力が必要な筈だが……お前はそんな努力はしていないだろう」
「何を分った風なこと言って勘違いしてやがる!! 一人で勝手に見透かしたような事言いやがって、寒いんだよ勘違い野郎がッ!!」
「もし真っ当に努力してるなら俺の猿芝居に引っかかるものか」
ハジメの声には、多分な呆れが籠っていた。
アイテムを使ったすり替わりも、薬とスキルによる偽装も、徹頭徹尾ハジメを見張り続けていれば途中で気付けた話だ。完全催眠ならば話は別だが、もしそうならここに至るまでの状況が凝りすぎている。
「地道な努力も嫌だが自分の姿も偽りたいお前は、自分の能力範囲を絞って汎用性を持たせた。違うか?」
「……クソがぁ!!」
ヤオフーは屈辱に歪んだ表情でハジメを睨む。
転生者全般が、傾向として努力が嫌いで目先のものをすぐに得ようとしがちだ。ヤオフーも努力を惜しんで能力に割いたのだろう。自分の真の姿を見られたくないのは、望んでなった訳ではないからだ。
そして、ハジメにはもう一つ、彼の能力ないしその一部が個人に対する認識改変だと言った根拠があった。
「認識をねじ曲げたり本音を全て曝け出させる干渉というのは、この世界の法則では状態異常に分類される。成程確かに転生特典レベルの状態異常なら装備品で防げないこともあるだろう。だがこの世界には『状態異常への完全耐性』を持つ存在がいる。それを持った存在が俺を罵倒した瞬間、疑惑は確信に変わった」
「はぁッ!? ンだよそれ、聞いてねえぞ!!」
ヤオフーが喚き散らすが、ハジメに言わせれば調べてない方が悪い。
クオンは神獣であり完全耐性持ちなので、絶対に効かない。
ラシュヴァイナは恐らくパーソナルスキルで異常を回復出来る。
そして、彼には言わないがメーガスの反応が決定的だった。
転生特典の授け主のアヴァターであるメーガスに、認識改変が及ぶはずがないのだから。
(暇神に見えても神は神だ。あの神は《《そんなちっぽけなスケールで人間を評価できない》》)
あのとき、あの村でおかしかったのはハジメだけだったのだ。
そこに気付いてしまえば何のことはなかった。
(俺などより断然厄介なライカゲのことをスルーしてるのは、こいつ自身がライカゲの情報さえ掴めてないせいだろう。恐らく転生して間もないな。その辺の人間で実験して成功したから気が大きくなったってところか……以前からやっているのならライカゲの情報網に引っかかる筈だし)
解呪方法には幾つか候補があったが、ハジメは村民を巻き添えにしないよう敢えて解呪せず敵をおびき寄せる方を選んだ。この場所は、周囲に誰もいないし来ることもない絶好の戦闘エリアなのだ。
ハジメは、最大強化済みのルーンボウを抜いてヤオフーに近づく。
「さて……お前の能力は余りにも世を乱しすぎる。対応を、させて貰おう」
今、ここに形勢が逆転した。
◇ ◆
ヤオフーの脳髄は憎悪に満たされていた。
力でねじ伏せられ、見下され、能力を看破された。
努力と経験を積み上げてきた大人に、それをやられた。
ヤオフーにはそれが許せない。
若いときの苦労は買ってでもしろ? 前時代的だ。
努力は必ず報われる? 努力なんかしたくない。
汝、隣人を愛せよ? お前らがこちらを愛せよ。
ヤオフーにとって三十路のハジメは、若さと欲望を否定し、上から目線で社会のリソースを搾取する無能社会人の権化だった。無能なくせに自分より長く生きているだけで偉いと思っている存在の化身だった。
現実と照らし合わせた話ではなく、思い込みの話だ。
現実にハジメがどんな人間かなどどうでもいい。
ヤオフーにそう見えたから、そうなのだ。
彼が何かぼそぼそ喋っている、それも気に入らない。
何もかもが気に入らなかった。
「ナメるんじゃないよ、盆暗野郎ぉッ!!」
瞬間、ヤオフーはハジメにかけた『嫌われの呪い』を『完全催眠』に切り替える。
ハジメの読みは半分以上当たっていた。ヤオフーは『嫌われスイッチ』を特典にすると他の様々なものを諦めねばならないと知り、自分の転生特典を『洗脳呪術』に変更していた。
相手の認識を阻害する。
相手に自分の存在を認識できなくする。
自分に呪いをかけて現実の認識をねじ曲げ、人に化ける真似も出来る。
そして、今は相手に自分の見せたい幻覚を見せる呪いだ。擬似的に相手を操ることも出来るが、その真価は別の所にある。
「これが発動した以上、お前はもうボクを一生捉えることは出来ねぇ!! 視覚だろうが聴覚だろうが嗅覚だろうがスキルだろうが、全ては幻!! 真実の訪れない世界で幻影の強敵相手に永遠に戦ってろ!!」
「――ふむ。効果はあくまでリアルタイムであり、過去の情報まで認識を変える力はないと見ていいか? そして、今までの状況から判断して、幻を見ている間も俺の行動そのものは現実に反映されている筈だ」
「……は?」
ハジメのそれは、会話ではなく独り言だった。
彼は目に映る悪夢のような敵を、正確に、幻覚だと断定していた。強力な幻術が現実にも効果を及ぼし、ハジメの肉体は一人でに負傷していくが、その傷は彼が予め己にかけたリジェネレートの魔法で回復する程度には浅い。
どこにヤオフーがいるか認識しないまま、ハジメはグラビトンテリトリーの魔法を解除して魔法を連続発動させる。
「コンセントレーション発動。スターライトジャッジメント。フォールダウンメテオ。そして、奪命陣」
詠唱破棄を連続しながら、ハジメはルーンボウに膨大な魔力を込めて矢と共に夜空に矢を放つ。どこまでも高く空を駆け上った魔力が空中で弾け、星以上の瞬きになって広がっていく。
光の正体に気付いたヤオフーは呆然とした
「う、そ、だろ……」
「魔術を鍛えた上で占術師の経験を磨くと、星くらいは墜とせるようになるんだ。今回は弓術もサービスしてる。《《今から逃げても絶対に当たる広範囲攻撃だ》》」
空から押し寄せる流星、小型隕石、数え切れない程の矢の数々――その全てがハジメが発動した魔法と弓術スキルの攻撃。それらは余りにも身勝手が過ぎるヤオフーに星が下す罰のようだ。
押し寄せる無差別破壊に、幻術など効果はない。
「ひっ、ヒギャアアアア!?」
ヤオフーは逃れようと走るが、強い重力に晒された反動に加えて効果範囲が広すぎて間に合わない。幻想的なまでの輝きで空を彩ったそれらは、ハジメとヤオフーの周辺に絨毯爆撃となって降り注いだ。




