第2話「はじめのはじめの第一歩」
失踪しててすみません、次からちゃんと書きます
次から
「お買い上げありがとうございやしたー」
時は進んで夏休み初日。俺はいつの間にか5万円をはたいて、昨日話題にしていたあのになってゲーム機を買っていた。どうやらこいつは『ジェミニ』という名前らしい。英語力がゴミカスなのでネットで意味を調べてみたら、双子座という意味だった。語感だけで特に意味もない英語の命名をするのが日本人らしいな、と好感が持てる。
『開店ダッシュしたらフツーに買えたから家帰って設定するわ』
スマホのメッセージアプリを使って朝経にそう送ると、ものの10秒も経たないうちに返信が来た。こいつはどれほどヒマなんだ。ちゃんと赤点取った分の勉強をしろ。
『おめでとう。予約できてた俺は先に"上"で待ってるぜ』
なんだこいつ。昨日のことで傷口に塩を塗り込んでやろうか。こんなしょーもないことでマウント取ってきやがって、微妙に腹立つな。まぁ俺はこいつに勝てる要素なほとんどないから反撃できないけど。いや、ほとんどというか勝てるところなんて俺には無い。詰みです。経済面でも学業でも負けてるけど、運動は俺の方が少し勝ってるような気がしないでもない。でも多分、あいつも俺よりはできると思ってるような気がする。まさにどんぐりの背比べ。
「すいません!ジェミニってもう無いんですか!?」
「さっきので予約ではない店頭販売分は最後です。申し訳ございません」
「朝5時に起きてここまできたのに……」
般若のお面みたいな顔をしながら家電量販店から立ち去ろうとする時に聞こえてきた、そんな悲痛な会話。悪いな嬢ちゃん、コイツは俺で最後なんだ。俺はコイツを買う為に嬢ちゃんよりも1時間も早く起きてここに並んでたんだから、出直してきな────。
現代社会が生み出してしまった負け組マウントモンスター、平泉 雪。今年で17歳になろうというのに俺はなぜこんな幼稚なマウントを取ろうとしているのだろうか。ひどく虚しくなってくるのでこの先の事を考えるのはやめた。茶髪の少女には悪いけど、もうここには用はないのでとっとと帰らせていただきます。
駐輪場に停めていた自転車を引っ張り出す。もうコイツとも長い付き合いなので、ペダルを踏みしめる度に断末魔のようなギイギイと軋む音がする。ごめんな愛しのチャリンコよ、本来はお前を買い換える為にこのお金貯めてたんだ……。それはそれとして動けよポンコツ。オラッ!ギアチェンジ!ちゃん入れ替われ!
ギアチェンジをすると、ギイギイという悲鳴から今度はバキバキと何かが砕けるような抗議の音に変わった。どうやら俺はチャリンコちゃんの機嫌を損ねてしまったらしい。あ、でもぶっ壊れたら逆にすぐ買い替えれるからそっちの方が嬉しいからいいや。よし、こいつぶっ壊しちまおう。
「いや壊れへんのかーい……」
必死に自転車を壊そうと、ギアをガチャガチャ変えながら20分ほど家まで漕いできたのにも拘らず、ついぞ最後まで壊れる事はなかった。なんでこういう時だけぶっ壊れないくせに、いざという時にチェーンが外れてたりパンクしてたりするんだよ。嫌がらせの天才かよ。
現在時刻、朝の10時。天気は晴天。気温と湿度はイヤになるほど高い。街角でトンテンカンカンと工事をしている作業員の皆さんは倒れたりしないんだろうか、などと考えながら玄関のドアノブを回して家に入る。
「ただいま〜……って誰もいないよな」
一人の呟きが虚しく居間に反響して霧消する。
そりゃそうだろ、学生は夏休みだけど社会人は仕事なんだからさ。そう考えるとつくづく、本当に働きたくねぇなぁと思う。一生不労所得で食っていきたい。それかいっそのことヒモになって俺のことを養ってほしい。家事ぐらいはするので、俺のこと養ってくれる女の子いますか、っていねーか、はは。
虚しい。そもそも俺がヒモになれるわけないだろ。働いてない罪悪感で死にそうになりそうだし。こういう変なところで気が小さいから、大成できねぇんだろうなぁ。あぁやだやだ。
しかし今の俺にはコイツがいる。ゲームには夢が詰まっている。現実じゃこんなカスみたいな人間でも、ゲームじゃ人気者だってことも少なくない。気分はフォーティー・ナイナーズ。まだ見ぬ金を求めて各地から夢を抱いて集まってくる流れ者たちのよう。こういう気分になると、自分の散らかり倒した部屋でも夢が詰まっているように見える。金を掘り当てようとしてると思えば、机の上に乱雑に積まれた漫画とか本とかテストの紙束も鉱脈よ。
さすがにテスト前に掃除したとはいえ、今じゃもうおもちゃ箱をひっくり返したような混乱具合だ。とりあえずあとで掃除しよう。あとで。今はこの双子座の名を冠する新進気鋭のゲーム機で遊ぶのが何よりも優先されるのだ。
据え置きゲームを蹴飛ばし、ゲームソフトの外箱を蹴散らしてベッドの上に座り込む。小脇に抱えていたジェミニを思いっきり枕に叩きつけて、いよいよ開封の儀といきましょう。ちなみに枕に叩きつける意味はありません。気分です。
靴が入っている箱とほぼ同じような大きさの、青地に白色の文字で『Gemini』とだけ書かれている化粧箱。海外かぶれのミニマリストが考えたみたいな箱だなお前。もうちょっとどうにかならなかったのか。おしゃれな格好で出直してきなさい。
いやそんなことは置いといて。
5万円の重みを感じながら箱を開ける。精神的な重みに対して物質的な重みのなんと軽いことか。こんな軽量級のマシーンでVRゲームなんてやれんのか。不安で仕方がない。これで他と変わらないただのVRゲームだったら、ちょっとぐらい転売しても……バレへんか。品薄みたいだし、ちょっと高めに売っても大丈夫大丈夫。多分。
はたして箱はすんなり開いた。その中から出てきたものは、スキーゴーグルのような大きめのゴーグルがひとつ。ワイヤレスイヤホンが一組。保証書と厚めの説明書がひとつ。なんだかゴチャゴチャした応募券のようなものがみっつ。あとは本体に入れる充電式電池が2本。それだけ。……ん?これだけ?さすがに少なすぎやしませんか?
こんなショボ……必要最小限のデバイスを揃えて寄越すとはよほど自信があると見た。これで他と変わらないただのVRゲームだったら、ちょっとぐらい転売しても……バレへんか。
ま、物は試しだ。ダメならキレよう。それだけだ。
まずスマホにアプリを落とす。これでスマホと連動することで、ゲーム中でもSNSを使えたり電話をかけたりできるらしい。あと、ゲーム自体の容量も肩代わりしてくれるだとか。原理はわからないけど、すごいなっておもいました。
両耳にワイヤレスイヤホンをはめたら後は、スマホからアプリを起動してゴーグルをかけるだけ。
少し緊張しながらアプリを起動し、ゴーグルを装着。すると、世界が闇に覆われた。
目の前に広がる真っ暗な空間。左右前後を見回しても、「黒」が暴力的なまでの広さで展開しているだけだ。しかし従来のVRゲームのような不自然さが全くと言っていいほどに無い。浮いているような感覚に陥っている。
夢じゃなかろうか、と俺は疑念を抱いていた。こんなゴーグルで、3次元のような2次元のような、曖昧で不可思議な空間に誘うことなんてできるのだろうか。俺に専門的知識なんてカケラもないので何も言えないのが悔しい。さすがに"既存の技術では実現不可能"なものなだけある。実現しちゃったからさらに意味がわかんないけど。
これが技術の進歩か、と俺は一筋の涙を流した。
『ジェミニの基礎設定を行います。読み込み中ですのでしばらくお待ちください……』
機械的で、翻訳を読み上げるような無機質的な音声が、箱に首を突っ込んで喋るように響き渡る。ははーん、さてはこの辺の予算ケチったな。声優に読み上げさせるのめんどくさいしお金かかるからってカットしたようなゲーム知ってるんだぞ俺は。でも逆に安心したよ、こんな親近感が持てる点があるということにね。
両手を挙げて「万歳」の格好を取ると、とても滑らかに寸分違わず動く。おお、こりゃすごい。ゲーミングチェアに座っていて動いていないはずなのに、こっちでは両手を挙げている。試しに軽く前転をしてみる。すごい、ちゃんとできるぞ。次は踊ってみようか。うろ覚えの民謡に乗せてうろ覚えの盆踊りでも、ちゃんと動ける。
楽しくなってきたなぁ!ええ?オイ!ハッピーネカマライフまであとちょっとだぞ。読み込みが終わりゃ俺も†MMOの姫†よ。まるで何かの間違いかのような話だが、思えばスマートフォンをはじめて持った人だって思ったはずだ。"こんなことが現実で実現するはずがない"と。そう思えば自然に受け入れられる。ような気がする。ついに人間は生きながら別の世界に辿り着くことができるようになったのだ!スティーブ・ジョブズが見たら泣いて喜ぶぞ。
『正常なスキャンが完了しました。脳波、心拍、脈拍、ともに異常ナシ』
「……そりゃどうも」
『音声認証を行います。音声認識のため何か喋ってみてください』
「え〜、この度は外の天気も大変良く……」
『音声認識が完了しました。ご協力ありがとうございます』
おい、最後まで喋らせろ。俺の即興傑作スピーチ3時間バージョンを聞いてからじゃないと帰らせないぞ。いま出だしのツカミで良いところだったんだよ。
『キャラクタークリエイトを行います。現在の自分の姿が出てきますので、お手元に出現するパネルから設定を行なってください。なお、健康被害を避けるため、身長は現在から3cmまでしか伸縮できません。また、極端な顔のパーツの配置は不可能となっております。キャラクタークリエイトで発生した健康被害については当社は一切の責任を負い兼ねますので、悪しからずご了承ください』
随分丁寧な設定係ですこと。他のゲームも見習ってほしい丁寧さだよ。たまにほぼ何も説明せずに本編始まるゲームあるけど、ああいうやつの開発者にははこいつを作った人の爪の垢を煎じて飲んでほしい。でもまぁ、こっちが丁寧すぎるというか。最後の一言は余計だったというか。脅さんくてもええっちゅうに。
「……うひゃあっ!?」
ぼーっとしていると、突然目の前にアバターとウィンドウが現れたせいで変な声が出た。恥ずかしくて咄嗟に口を閉じたが、誰もいないことを思い出して悲しくなった。誰か助けて!
仕方がないので目の前に現れたアバターをいじることにする。
しかしまぁ、見た目が綺麗すぎるな。整った顔立ちは言わずもがな。シルクサテンみたいにツヤツヤした、腰まで伸びた銀髪。獰猛さを感じさせる目付きをした赤色の瞳。ツンと澄ました様子の鼻。どれを取ってもカンペキすぎる。これがデフォルト設定とか、製作者の性癖が漏れて見えるぞ。
よし決めた。俺はこの設定からいじらない。髪の毛の色や種類、顔のパーツの選択、目の色や形、果ては胸の大きさやバランスの設定などがざっと見ただけでも100種類はあろうかと思うほどに溢れている。これだけ多いと全部見るのに一苦労だし、なによりめんどくさい。俺はめんどくさいのがイヤなんだ。"ゲームをはじめてプレイする初心者"の設定でいく。だから俺はデフォルトで行かせてもらうぜ。
でもこれ、身長が150cmぐらいしかないけどいいのか?俺と25cmぐらい違うんだけど。健康被害が云々言ってなかったっけ?
ま、難しい事は考えなくていっか!よろしくなァ!
ウィンドウの一番下にある終了のボタンを押すと、例の機械翻訳音声さんが俺に知らせを告げる。
『キャラクタークリエイトが完了いたしました。ジェミニの世界へようこそ。どのゲームをプレイされますか?』
えーっと、なんだっけか。なんかこう黄金伝説みたいな名前の……。
『"Argent héros"で間違いありませんでしょうか?』
「ア、ハイ」
そうそう思い出した。"Argent héros"だった。フランス語で"銀色の英雄"らしい。こういうのは名前に意味なんて無いし、かっこよければなんでもいい。でも略称が"アジェン"なのはちょっとダサいと思う。
『ただいま起動中です。お待ちください……』
よし、行こうか。俺の伝説のネカマ列伝が幕を開ける。英雄譚に相違ない活躍をして見せるぜ。これまでにネカマに騙されて散っていった、数々の俺のネット・フレンズのために。ま、今思い出したんだけどね。
『起動します』
その言葉を最後にして、暗闇の中で優しく流れていた音楽が消え去り、光がやってきた。




