満天姫、倍プッシュする
「そろそろ、動きがあると思う」
七回目の勝負に入る前に満天姫は小声でそう雪乃へ告げた。
ここまで新次郎も満天姫も雪乃も七連勝。賭場の空気が変わってきた。
周りで見ている客たちのうち、こそこそと内緒話をするものが増えて来たのだ。そして中盆の隣にいる貸元の親分に耳打ちをする若い者もいる。親分はゆっくりと頷いた。
「新次郎殿。次が大勝負ぞ。これまでの負けを全て返す、いや、それ以上に儲ける好機じゃ」
そう満天姫が新次郎に促す。ここまで満天姫のいう通りに賭けて、奇跡の七連勝で手元資金は八十両にまで膨れ上がっている。ここまでに百二十両の負けがあるから、あと一息まで来た。
「わ、わかった。あなたの言う通りにしよう」
新次郎は頷いた。
八回目の勝負が行われる。サイコロの間には隙間が空いてる。
次の勝負は「半」だ。
「それではツボに入ります」
壷振りがツボへサイコロを入れる。そして伏せた。押したり、引いたりが始まる。
この時点で満天姫が大きな声で『半』と叫んでここまで増やしてきた五両分の紙札を差し出した。
慌てて新次郎も八十両分の紙札を「半」に賭ける。
これは大勝負と言うより、勝負が成立しない。半に賭けたのは満天姫と新次郎。そして雪乃の三人。総額で八十六両分である。
これだけの金額を「丁」に賭ける人間がいない。
「お武家様、そんな大金を賭けられても……」
この勝負の進行をする中盆の男がそう止めた。丁半博打は双方の賭け金が揃わないと成立しない。八十六両も賭ける客が集められないのだ。
「いいじゃろう。これだけの大勝負。受けて立とうじゃないか」
そう口を開いたのは貸元の親分。
いつもは大黒様のようにずっしりと座って見守っているだけであったが、目を見開き、するどい眼光で満天姫たちを見ている。
「これでどうだ」
貸元は懐から百両の包みを二つ取り出した。
「お、親分、二百両ですか!」
驚いたのは中盆の男。丁側が二百両だと今度は半が足りない。賭けが成立しないのだ。
「ど、どっちもどっちも……」
仕方なしに中盆の男はそう煽る。たぶん、貸元はこの賭けを成立させないために二百両をふっかけたと考えた。
「新次郎殿、賭場では金を借りることもできたと聞いたのじゃが」
不意に満天姫がそんなことを新次郎に聞いた。
「できる……しかし、相手に合わせるとなると百二十両も借りることになる。そんな大金を貸してくれるとは……」
「貸すよ」
そう老人は言った。
「この勝負を受けるなら貸そう。担保はそこの娘二人。その美形ならば吉原へ売れば十分に元が取れよう。ほれこれが借用書だ」
そうとんでもない提案をしてきた。
「ひ、姫様、負けたら私たち売られてしまいます。止めましょうよ」
雪乃は慌ててそう止めるが、満天姫はまったく取り合わない。
「新次郎殿。借用書に名前を書くがよい」
「し、しかし……」
「心配するな。勝つのはこっちじゃ」
そう満天姫は断言する。
雪乃には分からない。
確かに壷振りがサイコロを置いた時には、半を示す合図を送っていた。
それを見破った満天姫がすばやく半を宣言。今、この状態となっている。
貸元の親分はサイコロが半だと知っているはずだ、それなのに貸元自らが賭け金を上乗せして勝負してきた。
(ぜ、絶対に何かある。半の目を丁に変えてしまう何かがある)
雪乃はそう確信した。
親分だけではない。
その周りの賭場の人間も慌てている様子はない。間違いなくツボの中は「丁」の結果だと確信している。
(どういうこと?)
壷振りが自在に目を操れると言っても、確率は十割ではない。
わずかながら失敗して逆に目を出すことがある。
(それを防ぐ方法があるんだ……。この瞬間に目を変える方法が……)
「姫様、やはり止めましょう。この勝負は降りるべきです」
そう言ったが中盆の男は宣言をした。
「そこまで!」
貸元の親分の口角が上がった。サイの目を見なくても勝利を確信しているのだ。
(負けた……。満天姫様も私も吉原に売られて……)
「勝負……えっ!」
壷振りがたじろいだ。
中盆の男も貸元の親分も固まっている。
「ゴ……ゴロクの半」
「うおっ!」
新次郎が両手を上げて叫んだ。
雪乃も驚いた。
この結果はありえない結果なのだろう。
賭場の人間は一言も発していない。
ただ単に固まっているだけだ。
明らかに予想外の結果なのだろう。
「……し、仕方がない。こういう大勝負で負けることもあるわい」
貸元の親分は目じりをピクピクさせてそう言ったが、明らかに動揺している。
しかし、勝負は勝負。ここは負けを認めて満天姫と新次郎に賭け金を払おうとした。
(やった、二百両もの大儲け!)
雪乃も思わず心の中ではしゃいでしまった。しかし、それも一挙に凍り付く。
「さあ、次の勝負じゃ!」
満天姫がそう宣言したのだ。
賭け金は先ほど得た二百両。
これには貸元の親分もたじろいだ。
「お、お客さん、いくらなんでも1勝負で二百両なんか……」
「あら。そこの貸元の爺さんが受けて立つのではないかのう。先ほどの勝負、意外な顔をしていたのでのう。おそらく、次は絶対の勝つ秘訣があるのじゃろ」
満天姫の言葉に鉄瓶から湯気が出ているかのように、親分が怒り始めた。
「おう、ならば受けて立つ」
「親分!」
「やめましょう!」
「こいつら、何か企んでいます」
そう親分を止めようとする手下。
満天姫はこう言って挑発する。
「サイコロをツボに入れる前にわらわたちは賭けようぞ。次は丁じゃ」
「ば、馬鹿者め、破滅させてやる」
親分は勝ち誇ったように勝負をするよう宣言する。
「お、おい、待て、お前。これ以上はまずい。いいじゃないか、二百両の勝ちで十分だ。こういうのは勝ち過ぎないことが……」
新次郎が場の空気を読んでそんなことを言って止めた。
これは雪乃も同じだ。賭場の人間は所詮は闇の組織の人間である。
このように挑発されれば、どんな汚い手を使うか分からない。それにツボに入れる前に宣言するのは愚策だ。
壷振りは9割がた、自分が思ったように丁と半を決められる。
「新次郎、お前は賭博には向いていない。こういう競技で勝つ人間は、勝つときに徹底的に勝つ人間じゃ。相手が動揺しているときに徹底してむしる。それができねば手を出すことは無用」
そう満天姫はピシッと言い放った。




