能登守、お栄を救いに参上する
「能登守さまのおなりです。ご準備を」
茶坊主の声が響いてくるのが分かった。
能登守がやって来る前触れである。
慌てて、背筋を伸ばして座りなおす。
お栄が持ってきた大根や料理したものは片付ける暇もない。
やがてドタドタという足音が近づき、襖が乱暴に開けられた。
「お栄、お栄は無事か!」
思い人の名前を大声で叫んで能登守が入って来た。
その顔は尋常ではない。
「お栄殿は先ほど部屋へ帰ったぞよ」
満天姫はそう表情を崩さず、抑揚のない声でそう告げた。
雪乃や三女中はひれ伏すばかりだ。
「満天、お前がお栄を呼びつけ、いびっていると聞いてな」
「そのようなことはしておらぬ」
「うそをつくな。お栄が平民だからとここへ呼びつけ、月路の儀を辞退するように強いていると聞いた」
能登守はそう言って満天姫をにらみつける。
手には刀は持ってはいないが、後ろに太刀持ちの小姓が控えている。
これ以上、激高したら刀を抜いて斬りかかってきそうだ。
「誰から聞いたかは知らぬが、事実と噂を混同するようでは三十五万石を預かる資格はない」
コミュ障の満天姫だが、幼馴染の能登守と話すときだけは、なぜか饒舌である。
言わなくてもいいことをバンバンしゃべる。
「な、なんだと~!」
(ヤバい)
これはお手打ちになると雪乃は思った。女に侮辱されては武士の名がすたると、斬りかかって来る可能性がある。
「お、お待ちください、能登守様」
雪乃は勇気を振り絞る。場合によっては大名の娘である満天姫よりも、見せしめに自分が斬られる可能性があるから必死だ。
「お栄様は自分から来たのです。満天姫様にお礼を言いたいと」
「バカを申すな。なぜ、お栄が満天にお礼などと」
(ああ……やっぱり若様は世間知らずだ)
雪乃は心の中で嘆息した。お坊ちゃま大名である能登守は、平民のことを知らなすぎる。
あの場面で披露できる芸能をお栄が持っているはずがないと思っていないのだ。
「お栄様は昨晩の儀で、披露するものをもっていらっしゃらなかったのです。満天姫様がぶちこわしてしまわれなかったら、お栄様はあの場で大変な恥をかいたでしょう」
雪乃はそう説明した。
「何を馬鹿な」
そう言ったものの、元来は賢い能登守だ。
昨晩の場面を思い浮かべた。お栄の表情がひどく緊張した面持ちであった。
あれは緊張感からと思ったが、平民であるお栄が楽器の演奏や舞いができないからとまでは思わなかった。
「秋之助は庶民の暮らしを知らぬ。そんなのでお栄を嫁にしようなどとは、片腹痛いわ!」
満天姫がそう畳みかける。(グッ)と言葉を飲み込む能登守。慌てて雪乃はフォローをする。
そうしないと満天姫の次の言葉で能登守が逆上、お手打ちになると確信したのだ。
(こ、この場面あったわー)
少し状況は違うところもあるが、ゲームではお栄の生まれについて能登守と言い争いになり、身分をわきまえろと満天姫が言ってしまい斬られるということがあったのだ。
この能登守が(グッ)と言葉を飲み込んだタイミングで、満天姫がゲーム中に言った台詞を思い出した。
「ホーホホホ。平民の娘は日々の暮らしで忙しく教養を磨く暇もないことを殿は知らぬのですか。だから言ったのです。あのような無教養で下品な女を正室にするなど松平家の恥」
(確かこんなセリフだった……。まさか、同じことは言わないよね?)
雪乃は満天姫の表情を伺う。この世界は『大江戸日記~春爛漫~』に似た世界であるが、ゲームのまま進んでいるわけではない。
それにここまで接した満天姫はそれほど悪者ではない。
(だけど、絶対何か言うわよね。満天姫様も能登守の前では、言いたいこと言っていますから……)
自分の好きな娘を侮辱されて能登守が怒ることは十分予想できた。何しろ、雪乃がこれまで観察して来たことから導き出される答えは、『瞬間湯沸かし器』なのである。
お栄に首ったけな能登守は、お栄のことになるとその明晰な頭脳も狂てしまうらしい。
「ホーホホホ……」
(あ、これはヤバい方向に行くわ!)
手の甲を口元にあて、笑おうとした満天姫を雪乃は制した。
フラグを折りに行ったのだ。満天姫は言葉を止めた。
「改めて申し上げます。お栄様は八百屋の看板娘。毎日、お店の手伝いをしていて、舞いや琴の練習はしておりません。満天姫様が動かなかったら、お栄様は大変恥ずかしい思いをしたことでしょう」
「……そういうことか」
雪乃の重ねての言葉にさすがの能登守も合点が言った。
満天姫の部屋には献上された大根が積まれており、それがお栄の実家から贈られたことは知っていた。
きっと満天姫がいじわるでお栄に貢がせたと思っていたが、そもそも大名の姫が大根などというものを貢がせるはずがない。
「それに燈子姫様もです」
雪乃は続けた。ここで満天姫の功績を能登守に理解をさせておく必要がある。
見た目とは違い、他の姫に心遣いができるところをアピールしておけば、今後、お手打ちにはならないだろう。
「鷹司の姫がか……。あの姫はいろいろと披露できる技をもっていよう」
「ええ。燈子様は筝でも琵琶でも披露できます。ただ、燈子様は公家の姫。能登守様ならともかく、他の殿方に顔を見せることは恥辱なのです」
「……それは気が付かなかった」
能登守は雪乃に指摘されて、自分の配慮のなさを恥じた。正確にはあの提案をしたのは自分の祖父だ。
(おじいさまはそれを狙ってのことか……)
頭の良い能登守は祖父のたくらみを知った。
お栄については反対されることは予想していた。
また、武家の家の誇りを最優先する性格だ。公家の姫を嫁にするなどというのは反対だと思われた。
「全く、秋之助は女心が分かっておらぬ。お前のような朴念仁は嫁取りなどとは早い。10年修行してまいれ」
(ひ、姫様~、それを言っては元の木阿弥です~っ)
せっかく雪乃が能登守の頭を冷やし、冷静な判断力を取り戻させたのに、満天姫は言わんでもいいことを言う。
「な、なんだと、満天。余を馬鹿にするか!」
「バカにしてはいない。お主の年では普通じゃ。女を知らぬドーテー野郎の配慮の足らぬ行動じゃ」
「ば、ばかにしよって!」
ますます能登守の怒りに火を付ける満天姫。
「ドーテーだから乳にたぶらかされるのじゃ」
「この~っ」
いつもクールに振舞っている能登守であるが、満天姫に童貞だの乳好きだのと下ネタでいじられては冷静でいられない。
後ろの控えている刀持ちの小姓の方を振り返った。




