婚約指輪は見ていた
王都にある上流階級の子女が通う学院のカフェテラス。
1人で本を読みながら紅茶を飲んでおりますと、私の婚約者である王太子殿下が1人の女性を伴ってやってきました。
「すまない、僕はこの男爵令嬢を愛してしまったんだ!だから貴女との婚約は破棄させて欲しい」
本来なら衝撃の出来事なのでしょうが、たいして驚くこともありませんでした。学院内ではずいぶん前から噂になっておりましたし、こちらとしてもすでに調べはついていましたからね。
「かしこまりました、殿下。ただ私達の婚約は家同士のことでもありますので、殿下の方から両家にきちんと話を通してくださいませ」
「あ、えっと、それは・・・その、できれば貴女と合意の上での解消ということにしてもらってもよいだろうか?」
どうやらここにきてようやくマズいと気がついたようですわね。
「あら、なぜですの?殿下が一方的にお決めになったことではございませんか。私は自分に非のないことで頭を下げるなどごめんですわ。あ、それから男爵令嬢様が殿下と一緒になられるのでしたら、今まで私がやっておりました殿下の職務のお手伝いもすべてお任せしてよろしいのですわよね?」
「え・・・?」
今まで一言も発しなかった男爵令嬢様の声をようやく聞きました。
「あら、ご心配は不要ですわよ。きっと殿下が親切丁寧に教えてくださいますから」
私はにっこり笑って堂々と嘘をつきます。
殿下はご自分の職務のほとんど私に押し付けて遊びほうけておりましたものね。
「それと来週は隣国の王女殿下が来訪されるので歓迎パーティがございますが、殿下はもちろん男爵令嬢様をパートナーになさるのですわよね?あちらは大国ですので、王女殿下には隣国の言語で対応なさらないと無礼とみなされるかと思います。もちろんお2人はそれくらいはご存知でしょうけれど」
お2人とも学業の成績があまりよろしくないのは有名ですけどね。
私は持っていた本を閉じて立ち上がりました。
「さて、私は婚約破棄の件を急ぎ家族に伝えなければなりませんので、これにて失礼いたします」
私は呆然とする2人を無視して歩き出しましたが、ふと気がついて振り返りました。
「ああ、私としたことが言い忘れておりましたわね。お2人ともどうぞお幸せに」
王妃教育と殿下のお守りから解放された私は、自宅にて趣味の読書を楽しんでいます。学院の方はとっくに単位は取得済ですから、あとは試験の時さえ顔を出せば問題ありません。
さて、王太子殿下の婚約破棄宣言の後に事態は大きく動きました。隣国の王女殿下の歓迎パーティでのお2人のさまざまな失態が、ほんのささやかな笑い話にしかならないくらいに。
まず双方の家同士の話し合いにより私達の婚約は解消されました。
ただ私の家族は当然のことながら全員大激怒。お父様は王太子派から第二王子派への転向を宣言し、お父様と親しい方々もそれに続きました。
王宮の文官である年の離れたお兄様は、ご自分と配下の方々を王宮からすべて引き上げました。予想外だったのは、引き上げた方々の能力や人徳のおかげで他にもついてこられた方が多数いたそうで、現在王宮の各種業務は滞りまくっているようです。
上流階級のご婦人方に慕われているお母様も動かれたようで、王妃様や他の王族の女性達は社交界で孤立しているとの噂を耳にしました。お母様はいったい何をなさったのやら。
そしてここからが一番重要なのですが、王宮サイドの調査により男爵令嬢が禁忌とされている魅了の魔法を使っていたことが判明しました。さらに男爵家とそれに連なる一派が王太子殿下を篭絡して国の乗っ取りを計画していたことも明るみとなりました。男爵家や計画に関わった貴族の家は取り潰し、男爵令嬢は魔力を封じた上でこの国で一番厳しいといわれている修道院に送られることとなりました。ちなみに男爵令嬢と男爵家に関しては、私の指示で調べさせていたことが少しはお役に立てたようです。
我が家のサロンのソファーで読書に集中していた私ですが、侍女の声で中断せざるをえなくなりました。
「お約束はありませんでしたが急に王太子殿下がお越しになり、ぜひお嬢様にお会いしたいとのとなのですが・・・」
私はため息をつきました。
「わかりましたわ」
侍女を困らせるわけにはまいりませんものね。
やがて案内されてサロンに入ってきた殿下は私の前にひざまずきます。
「男爵令嬢の魅了の魔法に惑わされ、貴女との婚約を解消するという愚かなことをしてしまったこと、どうか許して欲しい。僕は貴女ともう一度やり直したいんだ」
私は座ったまま殿下に話しかけます。
「殿下、私達の交わした婚約指輪はどうしましたの?」
殿下は私から視線をそらしました。
「い、今はつけていないが決して捨てたりはしていない!ちゃんと自分の部屋に保管してある」
「指輪の交換の際に『肌身離さず身につけてくださいませ』とお願いしましたわよね?」
「それは・・・約束を破ってしまって申し訳ない。でもこれからは必ず身につける!」
私は再びため息をつきました。
「あの指輪には様々な防御の魔法がかけてありました。あの男爵令嬢の能力程度なら魅了の魔法などかかるはずもないのです・・・婚約指輪をしていたならば」
黙り込む王太子殿下。
「婚約指輪の魔法の依頼主は貴方のお父様である国王陛下、そして魔法を施したのは王宮の筆頭魔法使いである私の父。つまり貴方の行動は2人の知るところでもあります」
さすがの王太子殿下も言葉が出てこないようです。
「不実な方とやり直すことなど到底できませんわ。どうぞお引取りくださいませ」
王太子殿下はがっくりと肩を落として去っていきました。
あれから王太子殿下は王族の職務を全うできる能力がないと見なされ、第二王子殿下が正式な後継に決まりました。側妃の子とはいえ学院の成績も人格も大変優れた方なので、歓迎ムード一色といえましょう。
王太子殿下は遠方の領地を与えられてそちらに行かれるそうです。王都に戻ってくることはないでしょう。私としては、いい気味だという気もないわけではないのですが、少しは残念に思う気持ちもあったりします。それなりに長い付き合いでもありましたし、単純な方でしたから御しやすかったのですけれどね。
そして私は第二王子殿下の婚約者となりました。第二王子殿下はとても誠実な方で、私のことも大事にしてくださっています。厳しかった王妃教育もどうやら無駄にならずにすみそうです。
本日は我が家の茶会にいらっしゃっている第二王子殿下の指には婚約指輪が輝きを放っています。お父様は婚約指輪に前回以上の魔法をかけたらしいのですが、詳細は教えていただけませんでした。
まぁ、何事もなければ知る必要もないでしょうから、私はこれからの平和な日々を願うことといたしましょうか。