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【 9 】

 僕と白澤のなんとも言えない関係はしばらくそのままだった。初春から始まって、夏に差しかかる今になってもそれほどの変化はない。

 白澤は申告通り、自発的に陽介さんたちとコンタクトを取って仲間内に混ざろうとはしなかった。だから僕が誘って、半ば無理やり連れていくような形になってしまう。


 無理やりとは言うけれど、口ではどうのこうの言いながらも出てくるのは白澤の意志だ。本気で嫌ならあの頑固者が来るわけない。

そう、白澤は楽しんでいるんだ。この何もない田舎町で唯一の楽しいひと時なんだと思う。

 でも、それを認めたくないんだって、僕はようやく気づいた。


 白澤は、この町にもいいところがあるって認めたくないんだと思う。

 東京の方がずっと魅力的で、こんなところと小馬鹿にしていたんだろうけれど、この町にも優しい人がいて、楽しいことがある。気づいているくせに、それをどこかで否定していたがっていた。


 けど、僕はそんな白澤を強引に連れ出す。白澤の閉じた世界に、僕は扉をこじ開けて入っていく。凍てついた氷の分厚い壁にある、たったひとつの扉を見つけた僕だから、なんとかしたいと思うんだ。

 この町を白澤にも好きになってもらいたいから――



 それでも、白澤にばっかり構ってもいられない。

 夏休みが近づくにつれ、僕の部活の練習がきつくなっていった。甲子園なんて行けないってみんなわかっているのに、それでも予選で惨めな負け方はしたくない。三年生の先輩たちを華々しく送りたい。


 それから、期末テストもある。

 僕の成績は中の上ってところ。教師の息子だけど、頭の出来はまた別問題だと思う。それに父さんは忙しいし、僕の勉強ばっかり見ていられない。

 白澤はどうやら思った以上に勉強熱心だったみたいだ。前にいた学校のレベルがここよりもずっと高かったんだろう。部活バスケばっかりしていたのかと思ったらそうじゃなかった。


「成績が下がったら、部活なんかしてる場合じゃないって親に言われちゃうじゃない」


 なんて言っていた。バスケをしたいがために勉強していたのか。いや、それだけじゃないだろうけど。

 僕の期末の結果は、やっぱり中の上に留まった。特に数学が苦手なんだ。六十五点。

 これ、白澤は満点だった。クラスで満点を取ったのは白澤だけ。優等生の宇野は九十八点だった。宇野はすごく悔しかったみたいで、眼鏡を押し上げながらブツブツ言っていた。ケアレスミスだって。


 白澤は嬉しそうにもしていない。淡々と答案を受け取って席に着く。

 ああして見ると、本当にクールなんだよな。はしゃいだり笑ったりする姿が想像できそうもない。だから、そういう白澤を知っているのはクラスでは僕だけってことになる。


 独り占めしているような気分だけど、そんなの僕は望んでない。僕に見せるような無邪気なところ、教室でも出せたらいいのに。

 あれじゃあ、とことん近寄りがたいよな。


 授業中、答え合わせをして、それから十分休憩の間に智哉が僕のところに来た。


「基輝、何点だった?」

「……ナイショ」


 六十五点は胸を張って言える点数には程遠い。

 それでも智哉は上機嫌に見えた。ニヤ、と意地悪く笑っている。


「悪かったのか? 俺なんか今までで最高だったんだぞ」


 そりゃあ羨ましい。


「……何点なの?」

「六十点」


 ……智哉のそういうポジティブなところ、好きだよ。

 でも、余計に点数が教えられなくなった。僕は苦笑いで休み時間を乗りきった。



    ●



 その日の帰りも僕は部活でクタクタだった。また泥んこだって母さんに言われるけど、ユニフォームを汚さないようになんて無理なんだ。

 疲れたから荷物が重く感じる。夜の七時を回ってから、僕はとぼとぼと道を歩いていた。かなり日が長くなって、七時とは思えないくらいだ。


 そのうっすらとした夕暮れの中、僕は家のそばまで来ると、海岸の岩場を見遣った。どうにもそこを見る癖がついた。


 そうしたら、いたんだ。三角座りでぼうっと海を眺めている。

 僕は泥んこのユニフォームのままガードレール下の階段を下り、岩場に踏み入った。


「白澤」


 呼びかけると、白澤は夕焼けの海をバックに僕へ笑いかけた。その光景はこのまま額に入れて飾っておきたいほど絵になる。


「あ、おかえり」

「ただいま――って、そんなこと言うために待ってたんじゃないだろ。どうした?」


 そう、白澤がここにいる時は僕に何か言いたくて待っているんだ。自意識過剰かもしれないけれど、そうなんだ。海を見ているわけじゃない。

 白澤は口をへの字に曲げ、それから少し頬を膨らませた。そんな仕草なのに、不思議と機嫌が悪いとは思えない。少しそわそわしている。


「数学、何点だったの?」

「う……」


 気になっていたのはそれか。

 智哉との会話が聞こえたんだろう。満点を取るような白澤には悲しくて言えない。

 絶句した僕とは対照的に、白澤は楽しげに笑って立ち上がった。


「あたし、教えようか?」

「え?」

「これから進路にも関わってくるし、ちょっとでも成績を上げられるに越したことないでしょ」

「それはそうだけど」

「名塚には割とお世話になってるから、それくらいするよ」


 世話になっているって認識があったんだなぁ、なんて言ったら怒られそうだけど。


「助かるけどさ、どこで? 図書館? どっちかの家?」


 うちに来るんだとしたら、母さんになんて紹介しようかな。女友達一人だけ連れてきたことはなかったから、変に勘繰られそう。

 母さんが、僕が彼女を連れてきたと思ってそわそわしようものなら、僕の方が冷や汗もので勉強どころじゃない。やっぱり、うちはやめておいた方がいいかも……


 白澤は少し困ったように言った。


「図書館は知り合いがいそうだから却下。うちは……駄目。名塚の家もちょっと……。公園でいい?」

「まあ、僕はいいけど」


 教えてもらうのに文句は言えない。

 というより、僕も自分の家より公園の方がいい。


「でも、しばらくは部活が忙しくて、土日もあんまり空いてないかも。ほら、予選大会があるから、それに向けて……いや、僕は補欠なんだけど」


 白澤は相変わらず帰宅部を通している。なんでもできるくせに勿体ないけれど。


「そうなんだ?」


 しょんぼりとそうつぶやいてから、どうしてだか勢いよく顔を上げた。


「でも、あたしも夏休みに入ったらすぐ東京に行くから。叔父さんがあっちにいるから泊めてもらうの。それから、友達の家にも。いったん戻るけど、お盆はおばあちゃんのところに行くし、やっぱりこっちにいないから」


 そっか、夏休みは東京に行くんだ?

 今からそれを楽しみにしているんだろうな。詳しく聞かなくったってそれくらいはわかる。


「別に急がないし。次のテストまで間があるんだから、そのうちでいいよ」


 ちょっとだけ、僕の口調が拗ねたみたいに聞こえたんじゃないだろうか。

 白澤がそのまま帰ってこないわけじゃないのに、すごく寂しい気持ちになったんだ。大好きな東京に行ったら、またここへ帰ってくるのが嫌になるんじゃないかって、それがどうしても心配だった。


 何かここに――白澤の興味を惹けるものはないだろうか。

 僕はそう考えて、ひとつだけささやかながらに思い当たった。


「東京から帰ってくるのはいつ頃? 八月の初めにはいる?」

「あ、うん。八月なら」

「じゃあ、神社で夏祭があるからおいでよ。小さい祭だけどさ、弟も連れてくるといいんじゃない?」


 本当に小さな祭だから、こんな風に期待させてしまうと、実際に出向いてガッカリするだけかもしれない。色々と探そうとするけれど、この町にアピールできることはやっぱり少ないんだ。

 白澤は軽く首をかしげた。


「弟は転校初日ですぐに友達がたくさんできたし、学校の友達と行くんじゃないかな。あの子の社交性、すごいから」


 白澤には一緒に祭に行ってくれる友達はいない。多分、一番白澤と言葉を交わしているのは僕なんだ。


 でも、白澤はそんな人目につくところに僕と行きたがらないだろう。

 断られると思うのに、この場の流れから話を違う方には持っていけない。それでも無理をして話を逸らすか、頑張って誘うか、僕ができる選択はそのふたつだ。


 話を逸らすのは、僕が白澤の立場ならどう思うだろう。祭の話を振ったのは僕なんだから。

頭の中で、断られて当然と、それを何度も唱えながら僕は言った。


「じゃあ、僕と行く?」

「え?」


 そんなに固まらなくてもいいんじゃないかなって思うくらい、白澤は一瞬固まった。あまりの気まずさに、僕はなんでこんなこと言ったんだろうって後悔した。


 でも、一度口から飛び出した言葉はもう拾い集めることができない。僕はいたたまれない心境でそこにいた。

白澤は立てた膝に顔をうずめていたかと思うと、ちらりと僕の方を盗み見るようにしてつぶやいた。


「考えとく」


 まさかの保留。

 でも、断らないんだ?


 いや、『考えとく』であって、一緒に行くとは言ってない。土壇場で断られる可能性だってある。それなのに、なんでだか僕はもう快諾してもらったみたいな気持ちになった。


 心が、ふわ、と浮き上がるみたいな不思議な感覚がする。ああ、これが浮かれているってヤツなのかな。頭の中に残った冷静な一部分がそんな自分を感じて笑っていた。


 僕は見事に白澤に翻弄されている。

 白澤のためにこの場所で楽しいことを見つけてもらいたいと思ったのに、これじゃあ本末転倒なんじゃないだろうか。


 僕はそれから白澤に歩道で少し待っていてもらうと、家まで荷物を置きに戻った。そして、母さんに向けて声を張り上げる。


「ちょっと出てくる」

「え?」

「すぐ戻るから!」


 僕が帰ったと思って玄関先ではしゃぐテツの頭をひと撫でして、僕はもう一度外へ出た。外壁のそばに停めてある自転車を押して白澤のそばに駆けつける。


「白澤、送っていくから!」

「まだ明るいからいいよ。名塚、部活で疲れてるでしょ?」


 白澤はそんなふうに言って首を振ったけど、僕はいいから、と強く押した。


「あの時、ちゃんと送ればよかったとか、僕、そういう後悔はしたくないんだ」

「何それ、大げさ……」


 笑われた。大げさかもしれないけど、いいんだ。僕は僕のしたいようにする。

 それでも、白澤は迷惑がってはいないと思う。いないよりはマシかもって程度のボディーガードだけれど。


 僕は自転車を押して白澤の隣を歩く。潮風がぬるくて、今日も寝苦しい夜になりそうだなって感じた。


 夏休みに入ったら、しばらくは白澤に会えない。毎日のように顔を合わせているから、何週間も会わないってのも変な感じがする。

 終業式まではまだ顔を合わせるけど、学校ではろくに喋ってくれないからなぁ。


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