【 7 】
そんなことがあった次の日も、やっぱり白澤は教室ではほとんど口を利いてくれなかった。どうして教室で話すのを嫌がるんだろう。
僕は教室の白澤を観察してみた。確かに誰ともまともに口は利いてない。
それでも、淡々としながらも次の日曜日を楽しみに過ごしている。事情を知る僕には、それだけはなんとなくわかった。
感情を読まれないようにしているけれど、ほんの少し表情が柔らかい。それを無理して引き締めようとしているから、僕の方が微笑ましくなって笑ってしまうくらいだ。
そうして、白澤が心待ちにしていた日曜日がやってきた。市民体育館は僕の足で十五分くらいかな。
午後一時半に僕は白澤の携帯に電話をした。初めてかけるからドキドキした。
父さんと母さんは二人してドライブだ。道の駅巡りが好きな二人だから。
母さんがいたら、誰に電話してるの? なんて遠慮なく訊いてくるだろうから、留守で助かった。
プルルル……
二回コールで取った。多分、待っていたんだと思う。
「おはよう。えっと、そろそろ迎えにいくから時間を見てマンションの下まで来てよ」
『わかった。外に出て待ってる』
「じゃあ、後で」
『うん』
無駄のない会話だけしてすぐに切った。ここだけ聞くとデートの待ち合わせみたいだけど、そうじゃない。
僕は一人で苦笑しながら家を出ると、白澤のいるマンションまで歩いた。必要な荷物は上履きだけ。白澤はちゃんとマンションの入り口のところで待っていた。
動きやすさを考えたのか、ヒラヒラしたスカートとかじゃない。膝のパックリ割れたダメージジーンズに裾の長いチェックのシャツ。袖口を折り返している。背負った赤いリュックに靴も入れているんだろう。
「おはよ」
昼だけど、白澤は朝みたいにおはようって言う。こんにちは、なんて学校じゃ言い慣れなくて何か照れるからかな。
「おはよう。じゃ、行こっか」
「うん」
僕は白澤と来た道を戻る。本当は白澤が僕の家まで来てくれた方が早いんだけど、呼びつけるより迎えにいった方がいいかなって思ったから。
歩きながらも、白澤のスニーカーの足取りは弾むみたいだった。ポニーテールにした髪が動きに合わせて揺れる。その途中で、白澤は僕に言った。
「ねえねえ、陽介さんって名塚とどういう関係なの? 親戚とか?」
「狭い町だからみんな親戚みたいなものだけど。陽介さんは僕が小さい頃からよく遊んでくれたんだ」
「そうなの? それなのに、名塚はバスケしないの?」
無邪気な笑顔。楽しそうだな。
でも、楽しげにしている白澤の言葉がトゲみたいに僕に刺さる。いや、白澤が悪いんじゃない。誰も、何も悪くない。それくらいのことはもう、僕にだってわかっている――
だから僕はわざとらしいくらいに笑顔で言った。
「うん。だって、僕、背が低いし。レギュラーは無理っぽいから」
「バスケやってたら伸びたかもしれないのにね」
なんて笑っている。僕は早く話題を変えたくなった。
「ところでさ、こうやって二人で歩いてるところをクラスの誰かに見られたらなんて言うの?」
教室では相手をしてくれない白澤。
多分、僕とこうして休日に出かけるような間柄――つまりは友達らしきものになっているってこともクラスの連中には知られたくないんじゃないかなってちょっと思った。
白澤は僕の言葉に笑顔を消した。その変貌振りが怖い。
「あたしに無理やり付き合わされたって言っていいよ。でも、誰かに見られたらもうこうやって一緒には出歩かないから」
「え?」
やっぱり、白澤の考えていることは全然わからない。一体、どうしてそういうことばかり言うんだろう。
「それって僕のせい? 僕と親しいって思われたくないってこと?」
僕のせいじゃないって言ったけど、そんなに嫌がるのなら本当は僕のせいなのかって勘繰りたくもなる。僕じゃなくたってそう受け取るんじゃないだろうか。
すり寄ってきたかと思ったら、急に離れる。白澤は猫と一緒だ。犬派の僕には全然理解できない。
ムッとした僕に、白澤もムッとして返すかと思ったら、目に見えてしょんぼりした。なんでそういう顔をするんだろう。
「違う」
ひと言。
どう違うんだか僕にはわからない。だから訊ねるしかなかった。
「じゃあ、どういうこと?」
また、自分の都合って言って済ますのか。その都合を知りたいのに。
「……ごめん」
すぐそうやって謝る。謝ってほしいわけじゃない。
さっきまでの楽しい空気が急に曇り空みたいに陰った。それが苦しくて、僕はもう強くは言えなかった。
でも、このまま話を流したらいけないような気もしたんだ。今じゃなきゃ意味のないこともあるって、僕は思うから。
「せっかく白澤がこの町に来て、こうして知り合ったんだ。どういう都合があるのかはわからないけど、僕はどんな人とも縁が切れるのは勿体ないことだと思う。白澤ともできる限りは仲良くできたらいいんだけど」
誰とでも、いつだって会える、話せる。そんな風に思った頃もあったけど、思い起こせばそうじゃない。
僕たちの生きる時は確実に移ろって巻き戻せない。だから白澤とこうして歩くことも二度とないかもしれない。僕たちはそれを考えながら毎日を過ごしていかなくちゃいけないんだ。
正直な気持ちを伝えた。白澤は、目を瞬かせて僕を見る。
でも、その口から飛び出した言葉はびっくりするようなものだった。
「名塚って、タラシ?」
「はぁ?」
「それか天然?」
どっちも違う。僕はそう自己分析する。
なのに、白澤は一人で納得してしまった。
「そっか。天然タラシだ」
「違っ――」
足された。ひどい濡れ衣だ。
白澤はクスクス笑っている。もう一度笑ってくれたのは嬉しいけれど複雑だ。
僕は真剣に言ったのに、白澤は結局茶化して話をごまかした。でもそれは、この話はもうやめてほしいっていう白澤の合図なんだと僕なりに受け取って、その先を諦めた。
それからもう少し二人で歩くと、体育館は目の前だった。
入口の付近からもうボールの音とバッシュのこすれる音がした。その音に、隣で白澤の心拍数が上がったのも感じた。目がキラキラしている。
僕たちは短い階段を上がり、下駄箱の前で靴を履き替えた。白澤はきょろきょろと辺りを見回しながら僕の背中についてくる。僕は仕切られた体育館の扉を引いた。
――そこから空気が違った。学校の体育館とは違う、穏やかな、それでいて確かにこもる熱気。そこへ足を踏み入れた途端、僕たちにみんなの目が向いた。
「基輝」
壁際でスポーツドリンクを飲んでいた陽介さんが僕たちに気づいて片手を挙げた。カーゴパンツにお洒落なロゴTシャツのラフなスタイルがよく似合っている。
陽介さんは僕たちを迎え入れるためにそばへやってきた。すると、何人かが一緒についてくる。陽介さんのお仲間なんだろう。
僕は失礼のないように頭を下げた。
「名塚基輝です。今日はよろしくお願いします」
その時、女の人同士が顔を見合わせた。もしかすると、僕のことを聞いて知っていたのかもしれない。でも、その後すぐに白澤が挨拶をしたのでみんながそっちに顔を向けた。
「白澤理沙です。よろしくお願いします」
ちょっと緊張しているのがわかる。相手は僕たちよりも大人だから、そんな僕たちを微笑ましく見ていてくれた。
「基輝くんと理沙ちゃんね。あたしは山口有紀子。よろしくね」
ショートカットのお姉さんがにこやかに言ってくれた。
みんながそれぞれに挨拶してくれる。お兄さんたちは匠さん、憲和さん、お姉さんは有紀子さんの他に愛美さん、那奈さん。
他にもいるらしいんだけど、毎回みんなが集まれるわけじゃなくて、来られる人だけがこうして集まってたむろしているってことらしい。陽介さんだって毎週日曜日が休みってわけじゃないみたいだし。
白澤はいつの間にかお姉さんたちに囲まれていた。可愛い可愛いって言われて、ものすごく照れている。女の人って、可愛いとか面と向かってよく言うな。
手始めに白澤はボールを受け取ると、流れるような滑らかな動きでドリブルをしてみせた。そうして、そのまま跳躍してシュートする。あんまりにも自然で、綺麗なフォームだった。
いろんなところから拍手が沸いた。
「うわぁ、すごいすごい!」
お姉さんたちのオーバーリアクションに白澤はやっぱり照れていた。お兄さんたちもヒュウ、と口笛を吹いている。でも、そんな友達に向け、陽介さんは急に厳しい顔をして言った。
「理沙ちゃんに手ぇ出すなよ。理沙ちゃんは基輝のだからな」
「はい?」
思わず変な声を上げた僕。でも、匠さんも憲和さんも冷やかすような目をして僕の肩にのしかかった。
「あんな可愛い彼女、自慢だろ?」
「大人しそうな顔してやるなァ」
「そ、ち――」
違うし。違うんだけど、上手く言えないのは、二人が体重をかけるから重たくて潰れそうになっているせいだ。
それなのに、陽介さんまで僕にニコニコと笑顔を向けている。けど、その笑顔は他の二人とはまるで違う。冷やかしなんて微塵もなくて、本当に心の底から僕が日常を満喫していることを喜んでいるふうに見えた。
そうであってほしいって、それが陽介さんの願いなんだ。
――うん、わかっているよ。