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【 6 】

「白澤、まだ帰らないのか?」


 僕がそう声をかけると、白澤は軽く首をかしげた。その仕草にはやっぱり、学校で感じるような近寄りがたさはない。


「もうちょっとしたら帰るけど」


 そう普通に返事をしてくれた。だから僕は、今なら話しかけてもいいんだって解釈した。

 でも、会話の取っかかりが難しい。


「海を眺めてると落ち着くだろ?」


 なんとなく、そんなことを言ってみた。白澤はうなずかなかった。


「ううん。逆に落ち着かない。ざわざわして不安になる」


 僕は生まれてからずっと海のそばにいたから、海のない生活っていうものが想像もできない。潮騒に心が落ち着くのは、小さい頃から馴染んでいる人間だけの感覚なんだろうか。


「じゃあ、なんで眺めてたんだ?」


 不安になるって言うくせに、ずっと海を見ていた。変なの。

 僕が隣に腰を下ろすと、白澤は膝を抱えてぽつりと言った。


「誰かさんが携帯持ってないからでしょ」

「は?」

「教室以外で話したいの。そうしたらここしか思い浮かばなかったから」


 ちらりと白澤は僕に目を向けた。大きな目が暗がりでもうっすらと光るみたいに感じられる。


「教室ではあたし、喋りたくないから。話しかけても相手しないよ。名塚が悪いわけじゃないけど、あたしの都合。……ごめん」


 ごめん、と謝る。僕のせいじゃないって言う。

 意味がやっぱり何もわからなかった。


「どういうこと?」


 仕方がないから、僕は素直にそう訊いた。でも、白澤はそれを苦笑でごまかした。

 きっと、答えてくれる気はない。それだけはわかったから、僕は違うことを訊ねた。


「なあ、白澤は東京に戻りたいの?」


 すると、白澤は目を瞬かせた。


「当り前じゃない」


 はっきりとした口調でそれを言った。その時、眉根がキュッと狭められて、どこか痛むのかと思うほどに苦しげに見えた。それは、望郷の思いの表れなんだろうか。


 父さんが教えてくれた、順徳天皇の逸話。都に焦がれた悲しい末路。

 華やかな都は離れた今になっても人の心をつかんで離さないのか。

白澤の横顔をなんとなく見つめながら、僕はそんなことを思った。


「やりたいことも大事なものも全部あっちにあるんだもん……」


 本当に、当たり前だ。戻りたいのは当然のこと。

 でも、それは今の白澤には自力で叶えられないことなんだ。


「そっか」


 無神経なことを訊いた。僕は罪悪感を覚えてそれ以上言えなかった。

 でも、何も言えない僕に、白澤は急に饒舌になった。


「小さい頃はね、あたし、いろんな習い事をしてたの。ピアノとか、バレエとか、算盤とか。でも、バスケを始めてからは全部やめた。他のことにまで時間を割けないって思ったから。他のことをする暇があったら、もっとバスケの練習したかったし」


 口数が多くなったと思ったら、そこで白澤は急に黙った。そうして、切なくため息をつく。


「でも、こんなことなら、バスケにのめり込まないように別の習い事もやめなきゃよかったのかな……」


 悲しそうにそんなことを言う。そこまで好きなら、どうしたって惹かれていたと思うけれど。


「女子バス、あったらよかったのにな」


 なんて、当たり障りのないことを口にするだけの僕。そんな自分がどうにも情けない。

 それでも、僕が余計なことを言って、慰めにもならないどころかその気持ちを逆撫でしてしまうような気がしてしまったから。


 白澤のために何かできることがあるといいんだけれど、今は何も思いつかない。

 こうして話を聞くこと。それだけが僕にできる唯一のことなんじゃないかな。

 だから僕は、後ろを振り返って自分の家の屋根を指さした。


「……あのさ、僕の家、あそこだから、用があったら言ってよ。あの、屋根にソーラーパネルがついてる家の隣」


 白澤は軽くうなずいた。そうしてから、急に僕をじっと見つめた。

 ドキッとしたのも一瞬。白澤は口を開いたけれど、飛び出したのは言葉じゃなくて連続した数字だった。


「0×0‐××××‐××××――」

「へ?」

「あたしの携帯番号。覚えて」

 

 十一桁の番号。急に暗記しろって、厳しい。そんなに頭よくないんだよ、僕は。

 でも、それが白澤に繋がる十一桁だと思ったら、やっぱり覚えなくちゃいけない気になった。メモを無くしてしまう心配もないように、覚えておくのが一番なんだ。


「携帯持ってなくても電話くらいできるでしょ」

「うん……」


 それはかけてもいいってことなんだろうか。

 いや、用もないのにかけたりしないけど。用があってもかけるのには勇気が要りそうだし。


「あのさ、もう一回だけ教えて?」


 一度で覚えろって怒られるかなと思ったら、白澤はどうしてだかちょっとだけ嬉しそうに自分の番号を口にした。それ、僕に覚えるつもりがあるって気持ちが伝わったからなのかな。


 そういう柔らかい表情がいつでも出たら、きっと白澤のことをみんなが好きになる。勿体ないなと僕は密かに思ったけれど、そんなこと言ったら白澤は意固地になって笑わなくなりそうだから言わない。


 こうして携帯の番号を教えてもらった僕は、白澤に友達だって認めてもらえたのかな?


「じゃあ、送ってくよ」


 そう言って僕は立ち上がった。そんな僕を白澤が見上げる。


「すぐそこだからいいよ」


 確かにそんなに遠くないけど、まだ明るいと思っていたらいつの間にか結構暗い。道なりに街灯はあるけど、ずっとあるわけじゃなくて、ところどころに切れ目がある。


「田舎にだって変質者は出るよ?」

「っ……」


 何、その顔。

 都会とは違って、田舎は安全だと思っていたのかな。むしろ人目が少ない分、危ないところもあるかも。

 びっくりしたまま固まった白澤に、僕は促す。


「だから、送っていくよ」

「……うん」


 急に素直になった。ちょっと脅かしすぎたのかな。急に不安げで頼りなくなった白澤に、僕は戸惑う。

 いや、でも女の子なんだし、警戒心はないよりあった方がいいから訂正はしないけど。


 並んで歩道を歩く。

 やっぱり、白澤と僕の身長はほとんど変わらない。僕みたいな普通の高校男児がこんな綺麗な子と歩いているのも滑稽なのかな。

 傍目にはどう映るんだろう。もしかして、同級生にすら見えないのかな。


 そんなことを考えながら歩いていると、道路の前方からヘッドライトをつけたステーションワゴンが走ってきた。ブルーグレイのその車に僕は見覚えがあったんだ。

 もしかして、と思った瞬間に、運転席で相手もあ、と口を開けたのが見えた。

 すれ違う前に車は速度を落とし、歩道につけて停まった。運転席の窓がゆっくりと開く。


「基輝!」


 ああ、久し振りだな。


陽介ようすけさん!」


 波田はだ陽介さん。今年で二十三歳になったところ。

 少し色が黒いのは、運送業で毎日走り回っているから日に焼けるんだって言っていた。でも、それがまた精悍でカッコいい。背も高いし、昔からよくモテていた。


 陽介さんは僕を見ると、なんとも複雑な笑顔を見せる。それはもう、癖なんだ。多分きっと、一生直らない。

 久し振り。

 半年以上は会ってない。でも、僕は陽介さんに久し振りなんて言わない。それを気にする人だから、言っちゃいけない。


「ごめんな、なかなか行けなくて……」


 ほら、そんなふうに申し訳なさそうにする。それ、僕の方まで苦しくなるんだよ。


「ううん。陽介さん、仕事帰り?」


 僕は努めて明るく笑ってみせる。すると、陽介さんは少しだけほっとしたように笑い返した。


「ああ。基輝は学校帰りだよな。隣の子は……彼女?」


 そう見えるの? 僕は照れるより驚いた。


「クラスメイトです」


 ムッとしたように白澤が答えた。機嫌が悪くなった。心外だって言いたいんだろうな。

 その白澤の様子に、陽介さんが僕に目で詫びた気がした。


「そっか。家は近く?」

「うん。すぐそこだから僕が送っていくところ」

「基輝も気をつけろよ」


 陽介さんの心配性は今に始まったことじゃない。いつも僕のことを気にしてくれている。

 僕は大きくうなずいた。その時、ふと思いついたことがある。


「あ、陽介さんって今もバスケしてるんだよね?」


 僕の言葉は唐突に思えたのか、陽介さんは小首をかしげた。


「まあ、一応……。たまの休みにするくらいだけどな」


 女子はないけど、男子バスケ部はある。陽介さんは中高とバスケ部だったんだ。

 僕とは六歳も違うから、在学期間が被ることはなかったけれど、小さい頃にはよく遊んでもらった。

 そこで僕が何を言おうとしているのか、白澤は気づいたみたいだ。僕をじっと見ていた。


「えっと、この子、白澤っていうんだけど、東京の学校でずっとバスケしてたんだ。でも、うちの高校って女子のバスケ部はないからさ、よかったらその、たまにって時に連れていってもいい?」


 すると、陽介さんは明るい笑顔を向けた。薄暗い中で歯の白さが際立って見える。


「もちろん。仲間が増えるのは大歓迎だ。毎週日曜日に市民体育館でやってるから、都合のいい日があれば来いよ」


 白澤も、さっきまでの機嫌の悪さはどこへいったのか、人懐っこい子犬みたいな目をしてる。ほんと、わかりやすいな。


「じゃあ、次の日曜日にいいですか?」


 なんて食いつく。その勢いに陽介さんの方が一瞬戸惑っていた。

僕はそんな様子が可笑しくて、ひっそりと笑いを噛み殺す。そうしていると、白澤は急に僕へ向けて言った。


「名塚、今度の日曜日空けといてね」

「う、うん」


 僕まで勢いに押されて答えると、白澤は喜んで、今にも飛び跳ねそうに見えた。陽介さんも笑っている。


「わかった。じゃあ日曜日の午後二時にな」

「うん。ありがと」


 そうして僕たちは陽介さんの車を見送った。白澤はひたすら嬉しそうだ。

 彼女とか言われると嫌なくせに、それでも僕を誘うのは、知らない大人の中に一人で飛び込むのは不安だからかな。


 まあ、そうやって喜んでくれるのなら、それくらい付き合うのは構わないんだけれど。


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