【 20 】
ざわざわと、休み時間の間に僕と白澤とを見比べては、クラスメイトたちが何かをささやいている。
でも、僕にはそれに対して言えることはない。一緒に登校してきたのは付き合っているからかとか、そういうことは訊かれても違うとしか答えられない。
白澤は僕と噂になって居心地の悪い思いをしているかもしれないけれど、それでも学校に来てくれて嬉しい。
中川が何かを言って、それを白澤が気にしていたとしても、登校してきた白澤を見て中川がほっとしていたのも事実だ。
智哉は、僕に探りを入れたそうにしているクラスメイトを僕に寄せつけないように振る舞ってくれていた。それが本当にありがたかった。
そうして放課後。ただし、部活がある。だからすぐにってわけにはいかない。
白澤に待っていてもらうのも悪いけど、図書室と時間を潰せるところで待っていてもらいたい。
そう言おうとしたら、放課後になった直後、白澤は僕の机の上に手の平でスタンプでも押すかのように無言で手をついた。その手をどかした場所には小鳥とクローバーの柄が入った可愛い付箋が貼りついている。
『部活が終わるまでいつもの場所で待つ』
――って書いてあった。
ハートマークでもつけてとまでは言わないけど、女子にしては果たし状みたいに硬い文だな。
僕は白澤に笑ってうなずいた。そうしたら、白澤は少しムッとしたような顔をして去った。
いや、ムッとしたんじゃなくて、どういう顔をしていいんだかわからないからあんな表情になったっていうのが正解だろう。それが可愛いと思った。
段々と、僕は白澤のひねくれた表現の裏を読めるようになってしまったみたいだ。それがちょっとだけ可笑しかった。
部活の間も、白澤にどこから話そうかって頭を整理していた。
だからか、コーチに集中しろって怒られた。今日はただ謝るしかない。
部活が終わり、ありがとうございました、と全員が頭を下げる。その途端、僕はなりふり構わず駆け出した。カバンのジッパーを閉じるのももどかしく、僕は口の開いたカバンを抱えてひたすら急いだ。
ハッハッと、息を切らせて道を走る。部活の後にランニングはきつい。
でも、暮れかけた空の下、潮騒に耳を傾ける白澤がいつもの岩場にいた。
「白澤!」
僕はラストスパートの段を駆け下り、白澤のもとへと近づいていく。疲れた足はもつれて転びそうにもなるけど、ここでこけたら台無しだ。
僕は走りすぎて、しばらくろくに喋れなかった。そんな僕を白澤は冷静な目で見つめた。
落ち着かない気持ちのまま、僕は白澤の隣に腰を下ろした。潮風が僕の頭を少しだけ冷やしてくれる。
白澤は僕に向け、ぽつりと言った。
「そんなに慌てなくても、ちゃんと待ってたのに」
待たせたら帰ってしまうなんて思って急いだわけじゃない。僕の気持ちがはやっていたからだ。
会いたい。話したい。
その気持ちがあっただけなのに、それをすぐには言葉にできなくて、僕はただうなずいた。
「うん」
そうして、そこからお互いの沈黙が続いた。走り去る大型トラックの立てた音が通り過ぎていく。
僕は大きく深呼吸し、そうして思いきって口を開いた。
「あのさっ」
声が裏返りそうになったから、そこで一度言葉を切った。白澤は僕の声に少し驚いた顔をした。
僕はバツが悪いながらに改めて言う。
「あの、さ、白澤が二年経ったら東京に戻るっていうのはわかった。でも、だからってここに親しい人を作りたくないっていうのは寂しい」
「名塚……」
落ち着け、自分。僕は心の中で何度もそう唱えた。
そう、寂しいんだ。僕は。
気取った言葉は要らない。ただ正直な気持ちだけを伝えたい――
「どうせこの町を出ていくなら、心残りはない方がいいって思うのがわからないわけじゃない。悲しい別れは誰だって嫌なものだし。でも、この町に来て、知り合って、もう十分に僕は白澤と関り合った。手遅れだよ」
僕のこうした言葉は白澤にとって迷惑なのかもしれない。凄く困った顔をさせてしまった。
「ごめん。あたしがもっと徹底して関わらないようにすればよかったのに、あたしの甘えた気持ちが名塚に嫌な思いをさせてるね」
嫌な思いってなんだ? 嫌な思いならこんなに引きずらない。それじゃあねってあっさり見送れる。
上手く伝わらないもどかしさに、僕は爪が食い込むほど手を強く握りしめた。
「そういうことじゃない。僕は白澤と知り合えてよかったって思ってる。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて、二年しかいないからってここでのことを否定するのはやめてほしいってだけ」
この多感な時期の二年ってすごく大きいはずなんだ。その二年を捨てるみたいな白澤の在り方が僕には悲しい。
「僕は――っ」
感情が声を震わせる。でも、僕よりも白澤の方が泣きそうに見えた。僕はその瞳に向けてはっきりと言った。
「白澤が東京に戻るなら、会いにいく」
「え?」
「会えるよ。会う気があればどこにいたって。生きてさえいれば何度だって会えるんだから」
だから、二度と会えないみたいに思い出ごと捨ててほしくない。白澤がこの町を出ていったとしても、この町はなくならないし、僕もいなくはならない。ここにいる、ここに在る。
「遠いよ……」
ぽつり、と白澤が言った。
「遠いね。でも、日本国内だ。いや、外国だって会いに行くけど」
僕は精一杯笑った。そうして、力を込めて告げる。
「生きてたら会えるんだ。会えなくなるのは死んでしまった相手とだけ……」
カバンの中に手を突っ込み、僕は内ポケットからクリアケースに入れた写真を取り出した。それを白澤に手渡す。辺りは少し薄暗いけれど、それを見るくらいは十分にできる。白澤は僕が急に差し出したものを恐る恐る受け取った。
これは僕の宝物。
白澤はその写真を食い入るように見た。
「これ……」
白澤の細い右手の人差し指が写真をなぞる。
「小さい頃の名塚と……陽介、さん?」
「うん」
「このもう一人は……」
その写真は六年前のもの。僕はまだ小学生だ。小さな僕を高校生でユニフォーム姿の陽介さんが抱え上げて笑っている。この写真を撮った日のこと、今でも僕は覚えている。
高校の体育館。僕も大好きな二人に囲まれて嬉しくってはしゃいでいた。あの日はバスケの試合があって、それを応援しに行ったんだ。この写真を撮ってくれたのは母さんだった。
「その手に持ってるボール、白澤に空気が抜けてるって言われたやつだよ。ほら、イニシャルが入ってるだろ?」
――M・NAZUKA――
「名塚光毅。僕の兄ちゃん。陽介さんと一緒くらい背が高くてさ、年も六歳も離れてるから、何ひとつ敵わなくて、でも、だから僕の憧れだった」
過去形で語ることの意味を白澤は気づいたみたいだ。
僕は小さくうなずいた。
「亡くなったのは五年前。まだ、十八だったんだ――」




