【 14 】
それから二日が経って、次はいつ、どうやって誘おうかって、そればかり考えていた。早くしないと盆休みになって、白澤はまたこの町から離れて親戚の家に行ってしまうんだ。
父さんは仕事、母さんも仕事。
僕は家で一人、庭を眺めながら縁側で足をブラブラと揺らして考える。テツは散歩に行きたそうに僕の背中に何度もアタックしていた。
――散歩。
そうだ、白澤はテツに会いたがっていた。それならテツに会わせてあげるって言ったことを口実にできる。
「テツ! 散歩に行こう!」
勢いよく言った僕に、何も知らないテツはワン、と元気に返事をした。
電話をかけてみると、白澤はあっさり返事をくれた。今からそっちに向かうと伝えて、僕はテツにリードをつけた。はしゃいで暴れるテツに僕はマテ、と落ち着かせる。
キュゥン、と小さく鳴いて、テツは小首をかしげた。リードをつけたのになんでマテなの? って顔だ。そんなテツに僕は言った。
「今から大事な人に会うからな。頼むよ、テツ」
ワン、とテツは吠えた。わかってくれたのかは怪しいけれど、返事だけは頼もしい限りだ。
テツはいつもの散歩コースへ走ろうとした。でも、僕はそんなテツをいつもとは反対の方角へ引っ張る。
「今日はこっちだ」
不思議そうに僕を見るテツに苦笑しつつ、僕は駆け出す。そうしたら、テツも僕を追い越そうと並走し始めた。一人と一匹、並んで走れば白澤の住むマンションまではすぐだ。
今日はテツもいることだし、公園で待ち合わせ。公園には小学生の軍団がいた。
男女入り乱れて六人。広場の方でライン状になって、ドッジボールらしき遊びをしている。そのキャッキャと楽し気な声が聞こえた。テツも耳を小刻みに震わせている。
そのうちの一人が受け損なったボールを追いかけて僕の方へやってきた。キャップを目深にかぶっていたその子は、僕が転がってきたボールを拾うとにっこり人懐っこく笑った。
「おにーさん、ありがとう」
男の子にしては可愛らしい間延びした口調で礼を言うと、両手を差し出す。僕も笑ってボールをその子に返そうとしたら、その子は、あっ、と声を漏らした。
「あれ? おにーさん、夏祭の時に理沙といたよね?」
理沙。
その名前にドキリとした。
よく見たら、この子は白澤の弟だった。家の近所なんだから、いたって不思議はないのに、ここで出くわしたことに僕の方が動揺していた。
「あ、うん。確か、白澤さんの弟だよね?」
余所行きの『さん』づけ。白澤の弟はうなずいた。
「理沙、友達できたんだね。ってか、作る気あったんだね。こっち来てから文句タラタラだったのに。そういえば最近はブツブツ言わなくなったかも」
なんとも不思議そうにそんなことを言うから、僕の方まで返事に困った。
陽介さんたちとバスケができるようになったから、白澤のフラストレーションは上手く解消されるようになったんだろう。
「ええと、僕は白澤さんのクラスメイトで、名塚基輝っていうんだ」
とりあえず自己紹介をすると、白澤の弟は歯を見せて笑った。
「ヅカ兄だね。わかった」
「へっ」
変な呼ばれ方をした。でもそれで確定らしい。
白澤の弟は、こくこくとうなずきながら口を開く。
「ぼくは白澤――」
名乗りかけたその先を、聞き慣れた声が遮った。
「めぐむ!」
怒ってるような尖った声に振り向くと、スキニージーンズでさらに脚の長く見える白澤がいた。どうやら、弟くんは『めぐむ』くんらしい。どんな字を書くのかな?
めぐむくんは姉ちゃんなんて怖くないのか、平然としている。
「あ、理沙だ。ヅカ兄と待ち合わせ?」
「何その呼び方……」
白澤が顔をしかめたのも普通の反応だろう。それでもめぐむくんは終始マイペースだった。
「これから犬連れてデート?」
ニコニコとそんなことを言う。犬を連れていたらデートじゃなくて散歩だと思ってほしい。
白澤は明らかにイラっとした様子で言った。
「あんたはさっさと友達のところに戻んなさい」
「あ、お邪魔ってこと?」
「もううるさい!」
白澤が怒っても、やっぱりめぐむくんは少しも怯まずに笑っている。白澤だけが疲れているような……
「仕方ないなぁ。ねぇ、ヅカ兄、今度家に遊びに来てよ。じゃあね」
「あ、うん、ありがと」
めぐむくんは大きく手を振って友達の中に溶け込んでいった。人見知りも物怖じしない子だな。普段から友達に囲まれて、白澤の現状とは正反対の学校生活を送っていそう。
白澤は大きくため息をついた。
「名塚、ごめん。うちの弟うるさいの」
「別にうるさくないよ。人懐っこい子だね」
「人懐っこいなんて好意的に表現しなくていいの。あれは図々しいって言って。人見知りなんてしたことないし、小さい頃から誰にでもついていっちゃうくらい警戒心ないんだもん」
それは困るかも。僕は白澤の言い方に思わず笑ってしまった。
「めぐむくんってどんな字書くの?」
「恩義の恩。一文字でめぐむって読むの」
「そっか。めぐむくんがいると家の中は賑やかだね」
「賑やかすぎて考え事の邪魔」
だからわざわざ海辺とか家の外で考え事をするのかな?
悩んでいる暇がないほど賑やかな弟がいるのっていいことだと思うけど。
うちの場合、その役割をしてくれるのがこのテツだ。僕はずっと僕の足にまとわりついていたテツを抱き上げる。
「白澤、これがうちのテツ」
僕の腕の中でこの状況を整理しようとするのか、大人しいテツだった。白澤は急に目の色を変えた。
「可愛い! うわぁ、名塚に似てる!」
「ええっ!」
血は繋がってないよ。犬は飼い主に似るってヤツ?
……似ているのかな。自分じゃわからないだけで。
動物は人間以上に敏感だから、相手が自分を好きか嫌いかすぐにわかる。テツは白澤が自分と仲良くなりたがっているのをすぐに察してくれたんだと思う。ちょっと顔がいつもより可愛い子ぶっている気がする。
「触ってもいい?」
「うん、大丈夫」
白澤はテツの頭をそっと、優しく撫でた。それだけで白澤はすごく嬉しそうにしている。テツはその手をペロンと舐めた。仲良くしてもいいって言っているのと同じことだ。
それからはもう、僕の存在が空気になったみたいに、白澤はテツばっかり構っていた。でもいいんだ、白澤が終始笑顔で楽しそうだから。テツも遊んでくれる人がいて嬉しいみたいだし。
「可愛いなぁ、テツ。うちのめぐむと交換したい」
テツを抱き締めて、白澤はそんなことまで言い出す。
そんな憎まれ口を叩くけど、あの賑やかな子がいなくなったら絶対寂しいって。
僕はこの時、ちょっと上手く言葉を返せなくて、ただ笑っていた。