【 1 】
その転校生は葉桜の頃、僕の住むこの小さな町にやってきた。
特別目立つ名所もない、観光には向かない小さな田舎町。唯一誇れるのは、海が見えること。海で遊べること。
交通の便がいいとは言えないけれど、空気は綺麗。
そんな僕の町、僕のクラスに来た転校生。
薄紅の桜吹雪には間に合わなかった。全部散って、桜は跡形もなくなってしまったけれど、青い若葉と木漏れ日もよく似合う、そんな女の子だった。
クラスの担任、加来先生に連れられ、転校生は黒板の前に立たされる。三十歳独身の加来彰洋先生は標準体型の中肉中背だけれど、転校生が隣に立つと急に頭が大きく、脚が短く、バランスが悪いように見えてしまった。それくらい、転校生はスタイルがよかったんだ。
細い体に小作りな顔がちょこんと乗っている、そんな印象の女の子。少し茶色がかった髪の毛を後ろに流し、長い睫毛が縁取る目で何度も瞬いていた。
緊張しているのか、ろくに笑わない。でも、綺麗な子だと思った。
うちの高校の地味なブレザーがお洒落に見える。可愛いというより、綺麗なタイプだ。
高校二年の大事な時期に転校なんて大変だと思う。新学期に間に合えばよかったのに、引っ越しが急なことだったのか、中途半端な時期になってしまったみたいだ。
僕は窓際の席からそんな彼女を頬杖を突いて眺めていた。
クラスの男子たちがざわつく。女子もざわつく。
転校生は都会から来たらしい。だからか、垢抜けている。
前の席の女子、中川がおかっぱの髪を揺らして振り返り、僕にこっそりとささやいた。
「美人だね。名塚くんも嬉しいでしょ?」
嬉しいか嬉しくないかと言えば、嬉しい。でも、そうした答えを中川が求めているようには思えなかった。中川が男子だったら、素直に嬉しいって答えたけれど。
「どんな子だか知らないし、よくわかんないなぁ」
空気を読んでとぼけてみた。中川はふぅん、と拍子抜けしたような表情になって正面に向き直る。
中川は標準的な顔立ちで、別にどこかが悪いわけじゃない。それでも、特別な美人と比べられるのは嫌だろう。
白澤理沙。
加来先生は文字ひとつを転校生の頭ほどの大きさにして、その名前を黒板に書いた。そうして、パン、パンと大げさな音を立てて手についたチョークの粉を払うと、黒縁眼鏡を押し上げながら大きめの声を出した。
「白澤は東京からお父さんの仕事の都合で来た。こっちに知り合いはいないそうだから、みんな仲良くしてあげるんだぞ」
ざわ、とクラス中がさんざめく。
この片田舎に東京からの転校生。これはなかなかに大事だ。
転校生の白澤は、聞こえるか聞こえないかギリギリラインの小さな声でよろしくお願いします、とつぶやいた。目は伏し目がちで、教室のどこにも向けられていなかった。
それを多分、クラスメイトたちは緊張がそうさせるんだと思っていた。僕も例に漏れずそうだった。
けれど、次第にそれが疑わしく感じられた。僕がそれに気づいたのは、加来先生が一人ずつに自己紹介をさせてからだ。
「秋原智哉です。特技は早食い?」
智哉の元気な声から始まる。黙っているとイケメンなのに、性格は三枚目というヤツ。
ドッとクラス中から笑いが沸くけれど、白澤はまるで笑わなかった。
そうして、次。
「宇野弘人、クラス委員をしています」
ボソ、と白澤は何かを言った。聞こえなかったけれど、唇の動きから、そう、とつぶやいたように見えた。
そこから数人を経て、僕の番になった。僕はゆっくりと立ち上がり、そして言った。
「名塚基輝です」
その続きを僕はつけ足さなかった。そのひと言で自己紹介を終えて座った。
何を言えばいいのか困ったわけじゃない。この転校生の白澤が聞いていないことに気づいてしまったから、言わなかった。
何を言っても同じ。言わなくても同じ。だから、言わなかった。
白澤は虚ろな目をして教卓のそばに立っている。ぼうっと、ただ立っているんだ。
あれは、早く終わればいいのにとしか思っていない顔だ。そんなふうに感じてしまった。
僕の他にそれに気づいた人が何人かはいたのかもしれない。でも、男子は特に、美人の転校生に覚えてもらおうと頑張っていたように見えた。女子は少し冷ややかさが混じる。
東京からこんな田舎に来て、やっぱり不満なんだろうか。だからあんなにもつまらなさそうに立っているのか。でも、あれは失礼なことだ。
少なくともクラスのみんなは白澤のために自己紹介をしている。それをあんなふうに聞き流すのはひどい。
白澤は、みんなと仲良くしたいなんて思ってない。そういうことなんだろうか。
――そういうことなんだと、次の休み時間にはみんなが悟った。
あれやこれやと声をかけたクラスメイト。それを一瞬でフリーズさせたのは、白澤の目だったんじゃないかと思う。僕はそれを遠巻きに見ていただけだけれど、すぐにその人垣が広がって、割れた。
すごすごと散ったクラスメイトたちに目も向けず、白澤はため息交じりに髪を掻き上げている。その仕草はモデルみたいで、やっぱり都会から来たせいか何かが違う。でも、あまりいい印象は受けなかった。
いつも通り、僕の机に腰かけていた智哉がぼやく。
「うっわぁ、こえぇな転校生」
「人見知りなんじゃない?」
一応はそんなふうにフォローしてみた。実際に人見知りではあるんだろう。
南極の氷くらいに分厚い壁が白澤の周囲には張り巡らされていて、それを越えた先に笑顔があるのだとしても、無理をしてそれを越えていかなくちゃいけないとは思えなかった。越える前にこっちが凍死してしまう。
智哉は短髪の頭をガリガリと掻いた。
「綺麗な花にはトゲがあるってヤツだな。基輝、お前はああいうクールビューティーって好み?」
「さあ。よくわかんない」
「ハハハ、お前とあんまり身長変わんないか?」
「うるさいな」
これでも百六十センチは越えた。うちは父親が長身だし、成長期なんだからまだ伸びるはずだと信じたい……
白澤は結局、その日は誰とも親しく口を利こうとしなかった。その日だけじゃない。それから一週間が過ぎても、白澤を取り巻く状況は何ひとつ変わらなかった。それは当の本人が自分に構ってくれるなというオーラを放ち続けていたからに他ならない。
笑顔ひとつで白澤はクラスの中心になれるだろうに、肝心の本人がそれを少しも望んでいない。
むしろ放っておいてくれと、それだけが彼女の望みなんだろう。
一週間もすると、みんながそれをわかってきて、極力白澤に構わないようにし出した。男子たちは高嶺の花と眺めているだけで満足したらしい。愛想笑いひとつしない白澤に、女子たちは彼女を視界に入れることすらしなくなった。
どんどん孤立していく転校生――
それでも、白澤は進んでクラスに溶け込もうとはしない。
あの頑なさはなんだろう。僕には到底理解できなかった。