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8 過去より至る刃

 二メルを越えそうな背丈のむくつけき男。上半身が裸なのはその体を覆う厚い筋肉を見せつけ威圧するためか。野生の獣を彷彿とさせる方々に伸びた髪、大きな牙に鋭い目付きをした凶悪な顔。そして、これで今まで隠れられたのかと疑いたくなるほどの猛々しく重苦しい霊力を纏う様はまさに悪魔と呼ぶに相応しい。


「まさかこのような場所で貴様と会い見えるとはな……しかしどうしたその姿は! すこぶる肉付きの良かった美女が台無しじゃないか! 真に、真に勿体ない!」

「うっさいですわ! わたくしとしてはお前が残念そうで清々するのですわ!」


 心底愉快そうに、親しみとも付かない言葉を男は投げる。シルフィアーノは逆に心底嫌そうにしていたが、その様子は――


(……?)


 状況に付いて行けず目を白黒させるセレンディアにんげんの姿に、男は今気付いたように一瞥をくれる。

 愉しそうにしながらも温度の一切感じられない冷め切った視線に、セレンディアは背中に氷柱を突っ込まれたかのような錯覚をし、身震いした。

 そんな怯えたような仕草を見せるセレンディアを歯牙にも掛けず、男は一人勝手に納得したように頷き、牙を見せつけるかのようにニィっと嗤う。


「ふむ、人間と契約したのか。まぁあの時の貴様は勢力争いに負けてボロカスになって這う這うの体で逃げ回っていたからな。体が維持できないほどの非常事態で仕方なかったか。しかし哀れよの。人間が脆弱なばかりに力を取り戻せず、そんなチンクシャな姿になってしまって……フハハハハ!」

「うぐぐぐ……と言いますかなんでお前がここに居ますのよ!」


 悪魔(と精霊)は身に纏う霊力を利用してある程度姿を変えられる者も存在しており、以前のシルフィアーノは大人の女性の姿であったのだろうと言葉の端から推測することができる。そして今は霊力が足りなくて節約するため少女の姿になっているのだろうと男は予想していたのだが……シルフィアーノはセレンディアの有り余る霊力によって今が一番力が強い。むしろ強くなり続けている。よって男の言葉は色々と見当違いであったのだが、わざわざ説明する義務も義理もなかった。

 ……ないのだが、敬愛する主を勘違いで一方的に貶められて、悔しくて悔しくて歯噛みしていた。それもまた図星で悔しがっているのだなと勘違いされ、一層嘲りの色が強くなる。侮っているからこそ気が大きくなり、上機嫌でわざわざ説明をしてくれるようだ。


「ふむ、オレがここに居るのは言ってしまえばただの事故と偶然だな。不覚にも霊脈の歪みに飲み込まれて飛ばされてしまったが……こちらの霊脈を観測した結果、オレが居た大陸から遥か東方であることを知った。まさかあの海の果てにこのような人間の大陸えさばがあるとはな! オレは運がいい!」


 セレンディアにはよくわからないけれど、霊脈に異変が発生して空間が異なる場所に繋がることでその場に居合わせた生き物が遠くに飛ばされる現象があったり、霊脈を分析することによって現在地を調べる方法があるらしい。

 それはそれで気になったが、今はそれよりももっと気になった言葉がある。


『海の果て』。


 それはかつて、シルフィアーノから聞かされたことのある言葉。


 ――シルフィアーノの、故郷。


 ここでやっと妙な感覚の正体に思い至り、セレンディアがおずおずと会話に踏み込む。


「シロ……この悪魔、知り合い?」

「……えぇ……まぁ、そう、ですね……。この男は、ダニオンと言って……昔、ちょっとありまして」


 ものすごく、ものすごく嫌そうに、渋々と苦虫を何匹も噛み潰したようにシルフィアーノはこの男――ダニオンが知己であることを認めた。

 そしてその問は、今までシルフィアーノの契約者であれどただの人間むしけらと思い空気のように扱っていたダニオンの興味もわずかに引くこととなる。


「ふむ、珍しいな。体が平坦でモヤシのようだから気付かなかったが……メスか。いやしかし、ここまで小粒になってしまうとオレとしては好みから外れてしまうが、それでも同性であってもむしゃぶりつきたくなる美貌だしな。咥え込まれるのも無理ないか」

「下品な言い方しないでくださいます!? あと余計なことを言うんじゃないですのよ!」


 シルフィアーノは毎日のように変態的な言動をしているが、これでも(一応)セレンディアへの影響を考えて性的なものを連想させる言動は慎んでいる(つもりであるが、恥ずかしがるセレンディアが可愛くてたまにやる辺りもうどうしようもねぇセクハラ体質である)。なのにこの男は何と無神経な!とおかしな方向に憤っていた。自分がやるのはいいけど他人がやるのはダメ絶対!

 と言うかそもそもセレンディアは少女だ。何を咥えるんだ何を。いや指なら咥えたことはあるが!


 気炎を上げ、今にも噛み付きそうな顔をしているが、シルフィアーノは未だ囚われの身である。

 ダニオンは見すぼらしい負け犬がよく吠えるものだ、という気分で見下げながら、セレンディアへ水を向けた。本来のこの男の気質なら弱者である人間など全く相手にしないのだが、よっぽど気分がいいのだろう。見っともなく這いつくばるシルフィアーノへ嫌がらせがしたいというのが大部分であろうが。


「知っているか、人間よ。海を隔てた遥か遠くに、我ら悪魔の君臨する大陸があることを」


 今セレンディアたちが住んでいるこの大陸の西方に海がある。時折怪物モンスターが出現することもあるが、魚介類や塩など人々の営みに多大に貢献していた。

 貢献してはいるのだが、海は決して優しくない。

 造船技術、操船技術の問題もあるだろうが、ある場所を境にまるで人が渡るのを拒むかのように潮の流れが激しく、複雑になるのだ。飲み込まれ、海の藻屑となった船乗りも多い。更には溺死した船乗りたちの未練なのだろうか、ゴーストまで沸く始末であった。

 冒険心だったり、お金の匂いだったり、はたまた逃亡だったりと様々な理由で海を渡ろうとする者たちが居たが、境を越えて誰一人として帰ってきた者は居ない。いつしか、挑戦する者もほとんど居なくなった

 死の象徴でもあるが、誰も知らない未知の世界でもある。それゆえ『海の果てに宝の島がある』などという話が船乗りたちの夢物語として語られている。


 しかし――他の誰にも伝えていないが――シルフィアーノはその遥か遠くの大陸からやってきた生きた証人であった。それゆえ、セレンディアは知っていた。

 知っていたのだが、セレンディアが何事かを考える風に反応しないのを促しと取ったのか、ダニオンは先を続ける。腕を大きく広げ仰々しく、それでいて空々しく、醜悪な道化のようであった。


「教えてやろう。この女に捕らわれ、夢を見ながら堕落する、惨めで哀れな人間に、この女がかつてそこで何をしてきたかを!」

「――っ」


 シルフィアーノが一瞬にして顔色を変えた。


 シルフィアーノは(本当にそうなのかと疑いの目を向けられることも多々あったとしても)悪魔である。

 過去にはそれこそ数え切れないほど、自分ですら忘れるほど多くの悪事――あえて言うなら『この大陸に住む人間から見て』悪事となる行為、だが――を行った経験がある。

 昔の自分が嫌い、というのもあるのだが、ただただ『セレンディアに嫌われたくない』という理由で、己の過去のほとんどを語りたがらず、口を噤んでいた。セレンディアもその意思を尊重して問いただすことはしてこなかった。


 それを、今まで隠してきたことを、この悪魔は、暴露しようとしている。


「ま、待って! 駄目! 言っては駄目……!」


 耐えがたき蛮行を止めようと何度も声を上げるが、ダニオンは聞き入れはしない。

 力づくで止めようにも体はほんのわずかしか動かず、立ち上がるどころか上体を起こすことすらできない。その悲痛で無力な訴えに、むしろ悪辣な笑みを深めるばかりだった。


「この女はオレ以上の暴食でな、いつも人間や精霊を貪るように喰っていたものよ。

 かと思えばただの気まぐれで人間の村を滅ぼしたこともある。いや、人間だけではないな。精霊も、怪物も、悪魔も、区別なく、いっそ清々しいほどだ。

 力が強いだけではなく非常に頭も回り、非情に狡猾で、警戒していたはずの者ですら上手く乗せては惑わせ、罠に嵌め、一体どれほどの数がその命を散らしていったことか。

 今でこそそんな小さな姿なりをしているが本来は豊満な乳、張りのある尻を持った妖艶で淫らな美女であり、老若問わず男どもを魅了して侍らせ、貢がせていたこともあった。その絞り尽くしっぷりは豊かな森林が砂漠になるかのようであったわ。

 他には――」


 赤裸々に語られる過去。決して知られたくなった数々の悪逆。

 シルフィアーノはそれ以上聞かなかった。耳に入れることができなかった。怖くて、恐ろしくて、セレンディアの方を見ることができなかった。

 一方のセレンディアは先ほどからずっと俯いている。その表情は、前髪に隠れて見えない。

 そんな二人の様子を顧みることなく、ただ己の低俗な欲求を満たすためだけに、独りよがりに、話は続いていく。


「だがしかし、その女は敵を作りすぎた。個人主義で自分勝手な悪魔どもを、危機感から団結させてしまうほどにな。

 争いに負け、終には悪魔には渡れぬ海まで追われ、惨めに力尽きて死んだ――と誰もが思っていたが……まさか海を渡り切っていたとはな。その執念には驚くばかりだ。

 まだ小さいがそこまで復活するのにどれだけの人間と精霊を喰ったんだろうなぁ。こんな災厄が海から渡って来てこの大陸の者どもも災難だな!

 しかしその人間、よくよく見れば小娘なれど霊力が多いようだな。なるほど、すぐに殺さずに飼い、長く搾り取る方法を選ぶのもアリか。言葉巧みに騙くらかしたか? それとも体でも使ったか? フハハハハ!

 ……ふむ」


 楽しそうに物語っていたダニオンだが、ふと何かを思いついたのかピタリと止まった。品定めをするかのように未だ黙しているセレンディアへと視線をねっとりと這わせる。シルフィアーノがしょっちゅうセレンディアに対して向ける食欲から来るものであるが、それは同じようでいて全く異なるものであった。

 そして、視線の質が変わった。セレンディアが路傍の虫から喰いでのありそうな餌にランクアップ?したのだろう。舌舐めずりまで始めた。


「……あぁ、貴様には散々煮え湯を飲まされたから、ここで仕返しをするのも一興だな」


 セレンディアへの害意を敏感に感じ取ったのか、打ちのめされ萎れていたシルフィアーノが、例えセレンディアに失望されて嫌われていたとしても、そればかりはさせるものかと戦意をよみがえらせた。


「マスターに手を出す気!? そのようなことはさせませんわ!」

「お気に入りの餌が奪われそうで腹が立つか? それともこの期に及んでまだ従っているフリを、滑稽な芝居を続ける気か?」


 シルフィアーノの怒りの根源などダニオンには理解できない、理解することができない。自分の物差しでのみ測り、『この人間をいいように騙して契約を継続させつつ、実態は餌として飼っている』、それ以外はありえないと決め付け、押し付ける。


「どちらにせよその状態の貴様に何ができる。この小娘を貴様の目の前で喰らい尽くす様をじっくりと見るがよい!」


 シルフィアーノはもがく。地へと押さえ付けられ、霊力を絞り取られ、無力な囚われの身でありながら。

 指に、腕に、足に、瞳に、力を篭め、意志を篭め。

 過去の己の振る舞いによってマスターが害されてしまうのか、と罪の意識に胸の内を焦がされながら、骨を、内臓を軋ませながら、割れそうなほどに歯を食いしばらせながら。

 だがしかし、肘を付き上体を起こすまではできたものの、悪意を押し止めるには至らず。

 ダニオンは軽く飛び上がり、シルフィアーノには(すっかり蚊帳の外の光の精霊たちにも同様に)目もくれずにその頭上を越え、セレンディアの前へと降り立つ。


「待ちなさ……っ!」


 腕を持ち上げ伸ばすも、それは抑止になるはずもなく。

 ダニオンは、見せつけるように、ゆっくりと、勿体ぶるようにその歩みを進めていった。

 セレンディアは、まだ、動かない。それとも、動けないのか。


「ハハ、契約した悪魔に騙されていたと知って絶望したか? 所詮貴様らのような矮小で惰弱で愚かな人間なぞ我らにとって餌以外の何物でもないわ。

 まぁ本当の絶望はこれからだがな……最期に天の神に祈る時間くらいはくれてやるぞ! ハーハハハハッ!」


 それは悪魔なりの慈悲であったのだろうか。いや、そのような意図は全くなく、ただ嬲るだけのものであったのだろう。

 だからダニオンは、セレンディアがわずかに反応したことに気付かなかった。当然だ、気など配っておらず、見ているようで見ていないのだから。


「シルフィアーノよ、覚悟しろよ。小娘を喰らった後は貴様の番だ。オレの奴隷ものにしてじっくりと甚振ってくれるわ!」


 下卑た声、下劣な笑み。食欲だけでなく肉欲も振り撒き。もはやこの男は、何もかもが自分の思い通りになること疑っていない。


 ――この一言が、その後の明暗を大きく分けたとも知らずに。


 セレンディアの手から杖が零れ落ち、カラリと音を立てた。


 抵抗すら見せずに諦めを表明したことにダニオンの機嫌は最高潮となり、シルフィアーノは真逆に絶望に落とされる。

 背後からひしひしと感じる敗者の怨嗟に心地良さを感じながら、優越感に身を浸しながら、悪魔は歩む。


 残り数歩でその手が届こうかという時点になってやっと、セレンディアはずっと俯いていた顔をゆっくりとあげて。

 ポツリと呟いた醒めた声は、小さいけれど、やけに響いた。




「……ねぇ、それだけ?」

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