11 今日も少女は吐血する ○
「……ちょっと、これ、どういうこと……」
セイラムとの契約後、色々疑問はあったがとりあえず後回しにしてセレンディアの体を治療してもらった。
そして街に戻り、念のためと検査を受け、その結果の紙を受け取ったのだが……。(ちなみに女医は面倒事に巻き込まれたくないと言い残して医務室を出て行った。そこからしてもう不吉だった。)
「霊力が……増えてる……ものすごく……」
眼鏡が壊れたかな、と外して見ても変わらない。いや、手が震えているからきちんと数字が読めていないのだろう、うん、きっとそうだ。
……もちろんそんなことはなかった。シルフィアーノにも見てもらったが書かれた数字に変わりはない。いや待てここは計測ミスもしくは記述ミスが――
「主殿、気付いてなかったのか?」
「気付くって……何に?」
ぐるぐる目と頭で現実から逃れようとしていたが、新たに契約をしたセイラムの声によって引き戻された。しかもこれもなんだか不吉である。
「精霊または悪魔と契約するということは、契約相手にただ霊力を分け与えるだけではなく取り入れることでもある。すなわち、己の器を大きくするということにも繋がる。副次的な作用として霊力の最大保有量が増えることが多いぞ?」
「増えることがあるというのは知ってるけど、あったとしてもそれはちょっとだけでしょう? 今回、キミと契約したことによって増えた消費量と保有量が大体同じなんだけど……」
契約する度に大量に、いつまでも増え続けるのだとしたら、セレンディアのように増加消費量と増加保有量が均衡してしまうのだとしたら、いくらでも契約が行えることになってしまう。そんな例をセレンディアは一切聞いたことがないし、もし本当にそんな事実があるのだとしたらお手軽に――と言うほどでも実際はないが――霊力増加できるため、契約の難しさを抜きにしてももっと推奨されているはずだ。
「神霊である俺と契約したのだ。ちょっとだけということはなかろう。とは言っても、いくら俺であってもそこまで増えるとは思っていなかったぞ……主殿は規格外だな?」
そもそもの保有量自体が規格外であるのだが。多すぎる霊力による体の負担を減らすために多重契約をするなど、セイラムはついぞ聞いたことがない。
というか待って。ちょっと待って、今この子聞き捨てならないこと言った。
「……………………は? 『神霊』……?」
「……なん、ですって……?」
神霊、それは精霊より神に近い、高次の存在。神の代理で精霊たちを束ねる者。
身もふたもない言い方をすれば中間管理職になるが、その重要性は非常に大きい。神霊の存在の有無で、相当する属性――セイラムの場合は光の力が変わってくる。単純に言ってしまえば、彼が存在していればこの世界(効果範囲は不明であるのだが)の光の精霊たちの力が増し、消滅すれば力は激減する。また、光属性を有する霊脈の力も同じような影響を受ける。
神霊は一つの属性につき一体しか存在しないわけではないが、そもそもの絶対数が少ない。発見されていないだけという可能性も高いが、それでも一体に掛かる責務は想像も付かないほどに大きいだろう。
世界のバランスが崩れてしまうため、だから彼はどうしても消えるわけにはいかなかった。事前説明されていなかったセレンディアには寝耳に水、青天の霹靂である。今になって精霊たちがやたらと騒いでいたことに納得するが、さすがにここまでの事態は想像できなかった。
「ん? 言ってなかったか?」
「全く聞いてないよ! 精霊だと思ってたよ!! と言うか神霊とか超重要キャラがなんであんな場所であんな悪魔に捕まってたのさ!?」
その叫ぶような問いにはセイラムは決まりが悪そうに眉根を寄せて頬を掻いた。
「……俺はつい最近生み出されてな、基本的な知識は誕生と共に植え付けられるのだが、それは全知ではないんだ」
精霊は人のような姿を取ったとしても、人のように成長はしない。セイラムのように十台前半の少年に見えても生まれてから数年、下手したら数か月というのもあるし、逆にものすごく幼く見えても、何十年何百年と生きていたりすることもある。
ちなみにだが、精霊には寿命は存在しない。霊力が尽きた時が死ぬ時である。
「世間を知るためにうろうろしていたらあの廃墟となった村に辿り着き、そして館で精霊が捕まっていることに気付いて助けようとしたら……まぁ、後は君たちの知る通りだ」
「無策で突っ込むとかバカじゃないですかアナタ!」
「うっ」
不用心な行動にシルフィアーノはセイラムの頭をスパーンとはたく。その隣では同じように無策で突っ込んでシルフィアーノに被害を負わせてしまったセレンディアが罪悪感に胸を押さえ、復活に少しばかり時間を要したがそれはさておき。
「と言うか神霊ってヤバいじゃない……!」
神霊は精霊や霊脈に影響を与えるだけではなく、彼ら自身の力も非常に大きい。それは彼ら単体だけではなく、彼らと契約をした者にも多大な恩恵が与えられる。
例えば東の帝国。火の神霊と契約した青年が、文字通りの火力を以って無数の怪物を屠り、帝国最強の騎士として名を馳せている。
例えば南の聖霊神国。水の神霊と契約した少女が、癒しの奇跡で数多の人々を救い、聖霊神教における聖女と崇められている。
そして、過去の人物であるが、光の神霊(最近生み出されたと言っていたのでセイラムとは別の存在だろう)と契約した少年が、その光の輝きで最凶最悪の闇の怪物を倒し……『勇者』と認定され、語り継がれている。
そんな神霊と契約したと世間に知れ渡ってしまったらと想像すると……セレンディアは背筋が凍りつく思いだった。
特に南。元より神霊を崇めているし、水より癒しの力に長けた光の神霊の存在を知られたら、どのような扱いを受けるのだろうか。勧誘されるだけならまだいい。最悪は――
呆然と彫像のように固まっているセレンディアの代理とばかりにシルフィアーノが噛み付いた。
「さすがにこれは看過できませんわ……契約破棄しなさいよー!」
「それは困るな。無理矢理に主殿と霊力を合わせたのだ。その影響か大気中からの霊力摂取量が劇的に減ってしまってな……契約を切られてしまったら俺は餓えて消滅しかねない」
「「……は?」」
前髪を摘まみながら、セイラムは更なる爆弾発言をした。
彼の鮮やかな金の髪は前髪が一房黒く――セレンディアの髪色だ――なってしまっており、色の対比で大層目立つことになっている。セレンディアたちも契約の影響だろうとは思ってはいたが、まさかそのような意味が篭められていようとは。
実際、セイラムにとってはセレンディアの霊力とは相性が悪すぎた。悪魔であるシルフィアーノとの相性が非常に良いことから、セイラムとは真逆の闇属性に適性があるのかもしれない。
それにしても、だ。いくらセレンディアの霊力に合わせようとしたとはいえ、神霊であるセイラムの髪を染めてしまうとは。セレンディアはそこまでは気付いていないようだが、これは異常なことである。
ただの人が、神の使いを飲み込むなど。
(ひょっとしたら――いや、それはないか……)
ふと思い浮かんだ仮説に頭を振って思考から追い出す。
霊力で繋がったセイラムにはわかる。セレンディアは確かに人間であると。そして、その心根は善であると。
悪魔であるはずなど、ない。
(ん……?)
妙な引っかかりを覚えるがそれが何なのか思いつく前に、固まったままだったセレンディアがやっとのことで再起動を果たす。
のろのろとだが体を無理矢理動かす様は、ギギギと軋む幻聴が聞こえてきそうだ。
「ちょっと、それってまさか、ボクが死んだらキミも死ぬんじゃ……」
「そうなる可能性は非常に高いな」
サラっと何でもないことのように流すが、流せるわけがない。
セレンディアの頭の混乱は爆発的に増していった。
「いやいやいや一大事じゃない! なんでそんなに冷静なの!?」
「俺の命はあの時、主殿の霊力によって救われたのだ。それを考えれば大した問題ではない」
「十分に重い問題なんですけど!?」
状況としては、これはセレンディアがシルフィアーノにしてもらったことと同じであるが、すんなりと受け入れるのは難しい。
セレンディアはシルフィアーノのためならいくらでも命を預けるが、預けられる方になるなど思ってもみなかった。
というかやはり神霊なのがまずい。重い、重すぎる。
「まぁ、少しずつ調整はしていくが数年はこの状態だろう。その間はどうか慈悲をいただければと願う」
表面上は冷静ではあるが、結果的に騙し討ちになってしまったのが心苦しいのであろう。セイラムの声は沈んで聞こえる。
厄介すぎる。力や名声よりも平穏……というか健康を求めているセレンディアだ。可能であれば今すぐ契約を破棄するべきなのだろう。
けれども……命に関わると言われては、セレンディアにはその選択肢は選べない。選ばない。
全てを飲み込んで、受け入れるしか、ない。
セイラムにとって救いだったのは、今後共に生きた時間において、セレンディアから一切、冗談でも『破棄したい』と言われなかったことだろう。
セレンディアは結局のところ、セイラムと契約したことでどれだけ大変な目に遭おうと、後悔したことはなかった。
これは大物と捉えるべきか、底抜けのお人好しと捉えるべきか。
しかし今、この時点では。
「~~~~~~~~~~っ!」
あれこれ問題が積み重なり、精神はただの少女でしかないセレンディアの許容域を超えた。
ついでに言えば、体質も改善していない。
つまり――
「げっふぅ……っ」
「きゃああああっ! マスタあああああっ!」
今日も少女は、盛大に吐血するのであった。
まだオマケがあります。