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10 新たなる契約

 セレンディアは今までの人生の中で一番激怒していた。

 理性は失ってはいないものの、人として外してはいけないタガを外してしまうくらいには。


 ポタリと、微かな音がした。


 今までだってシルフィアーノに言い寄ってきた男はいっぱい居た。純粋な好意を持つ者も居たが、下心を隠そうとせず無理矢理モノにしようとする者だっていた。前者はともかく後者にはイラっと来たりもするが、それでも、ここまで怒ることはなかった。

 じゃあ何でボクは今はこんなに怒っているんだろう。赤熱する頭の端で何となしにそんなことを思っていた。

 いや、そんなこと、考えるまでもない。


 ――こいつは、シロを泣かせたのだ。


 本気で怒って、嫌がって、泣きながら懇願すらして。

 でもそうさせたのは、自分がシルフィアーノを不安にさせたからでもある。あんな悪魔の戯言に揺らがない確固たる信頼を得ていればこんなことはなかった、と同時に自己嫌悪も抱く。

 ギリと奥歯が砕けそうなくらい強く噛みしめ、心の底から湧き上がる更なる情動のままに拳を強く握る。


 ポタポタと、どこかで水漏れしているような音がした。


 ちなみにシルフィアーノは、セレンディアに自分のもの扱いされたことで恍惚としていたりした。こんな時でもブレない従魔だ。

 しかしセレンディアの状態に気付くと、一転して慌て始める。


「ま、マスター、その手……!」


 一見すると人間と変わりなくても実際は悪魔であるシルフィアーノや格闘家として鍛錬を積んでいる者ならともかく、人間で線の細い術士である少女に、鋼のような筋肉に覆われた大男を吹き飛ばす力などあるわけがない。

 普通の方法では。

 だからセレンディアは、普通でない方法を用いた。

 ありったけの霊力を拳に篭めて、殴り飛ばしたのだ。


 ――肉が裂け、骨が折れることすら厭わず、己の体の耐久力すら超えて、ただ全力で。


 シルフィアーノの言葉には応えず、今にも零れそうになる苦痛の声を怒りで塗り潰し、拳に練りに練った霊力を篭め、追撃をかけるべくダニオンの方へと駆け出す。

 爆発的な加速力を得るために足にも霊力を流しており代償として裂傷が出来ていたが、構いやしない。


「ああああああっ!」

「く……そ、が、舐めるな小娘ぇ!」


 油断していたとはいえダニオンも力ある悪魔である。人間であるセレンディアに肉弾戦で負けるわけがない。

 ……と、思っていたのだが。

 カウンターのつもりで放った拳が紙一重で避けられ、挙句には顔面にまた一発もらって再度吹き飛ばされる始末であった。


「ぐあ……っ! こ、の……!」


 ダニオンはその肉体が示す通りタフネスさが売りだ。頭の中が混乱で埋め尽くされようとも本能と怒りに突き動かされ、素早く起き上がり反撃に転じようとする。

 並みの人間には捕らえきれない速度での連続のパンチ、踏み込んでの肘、足蹴りや体当たり。

 一撃、一撃さえ当たれば終わるというのに、その一撃が当たらない。

 全てが避けられ、いや一部は掠り皮膚にいくつもの傷が刻まれているのだが、セレンディアは恐れず、怯まず、より前に飛び込んではダニオンに強烈な一撃を食らわせていく。


「何故だ、何故当たらぬううううう!」


 もちろんセレンディアは説明などしないが、これには理由があった。

 セレンディアはダニオンの動きそのものではなく、ダニオンが纏う霊力を見ていたのだ。

 武術の達人がわずかな予備動作で次の行動を予測するかの如く、霊力の流れ、溜め、撓み、諸々の情報をもって判断をしていた。

 ちなみにこれは、豊富な霊力を呼吸をするかのように自然に纏い、攻撃に利用するダニオンが相手だからできることである。霊力に頼れず単純に肉体だけで戦う悪魔や人間が相手ではここまでわかりやすく見えはしなかった。強さが仇になるとはダニオンも予想だにしなかっただろう。


 そして目で見えるだけではセレンディアの身体能力では避けることなど出来はしない。しかしセレンディアは咄嗟に霊力を流すことで、体を無理矢理に動かして避けていた。

 霊力を流すことによって自分が持つ以上の力を奮う、動きが早くなる、耐久力が上がるなど、これが身体強化の術だ。

 とはいえ、セレンディアのこれは本来の使い方とは異なる。元は膜のように一部または全身を霊力で覆い、浸透させ、エネルギーへと変換するものだ。


 決して、体内で爆薬のように弾けさせ、その反動で動くようなものでは、ない。


 セレンディアの霊力制御が未熟だからというのもあるだろうが、この使い方は、常人には思い浮かばない。思い浮かんでも、実行などしない。

 霊力制御が未熟で自身に傷を負う術士は他にも居るが、壊れるとわかってなお実行できる者はいかほど居るであろうか。


 セレンディアは身の内を流れる有り余って溢れるほどの霊力によって、身の内から傷付けられ続けている状態だ。そして同時に、身の内を流れる霊力によって、身の内を無理矢理に『癒され続けている』状態でもある。

 傷付けられては癒され、癒されては傷付けられ。何度も、何度も繰り返される、言うなれば生き地獄の日々を送ってきた。

 そのバランスが崩れ死の寸前まで行ったことがあるがシルフィアーノの手によって息を吹き返し、しかし根本的な解決には至らず今も痛みは続き。


 つまり、セレンディアは非常に痛みに強い。自分の体を壊しながらも、無理矢理に癒して、また壊して。それでも戦えるくらいには。


 ……その代償に、ネジの一つや二つ、確実にぶっ飛んでいるが。

 痛みに強いとはいえ、痛みがなくなるわけではない。それでも、止まらない。

 これが正気で行えるのが、更に始末が悪い。


 セレンディアの全身はボロボロだ。ダニオンと並べて、どっちが勝っているのかわからないぐらいに。

 拳は何度も砕けている。指があらぬ方向に曲がり、骨が飛び出しても、霊力で強引に元に戻して、戻せなくて歪な形のままでも殴りつけて。

 ダニオンの攻撃が掠った部分もだが、ダニオンの攻撃を避けるために霊力を流した部分は内側から弾け、少なくない血を流し、骨や神経を痛め、歪ませ、確実に内臓も傷付けながら、それでも立ち、進み。


 自己愛をまず第一に考えるダニオンからすれば狂気の沙汰であり、また――決して認めはしないが――初めて恐怖という感情が沸き上がった。


「馬鹿な……死ぬ気か、小娘……っ?」


 追い詰められた子鬼ゴブリンが自分の命を捨てる覚悟でヤケクソになって飛びかかってくる話は何度も聞いたことがある。

 だが、セレンディアはヤケになっているわけではない。命を捨てる気は欠片たりともない。代わりに――


「まさか。シロがボクを望んでいる限り、ボクが自分で死を選ぶことはないよ」


 ただただ、自分の命を救ってくれた彼女のために、セレンディアは『死ぬ自由』を捨てていた。


 命を救われたあの日より、死にたいなどと思うことはなくなった。

 どれだけ体が痛かろうが、血を吐こうが、泣き言を言うことはあっても、生を諦めることを一切しなくなった。

 万が一シルフィアーノから見捨てられれば死を選ぶことは大いにあるだろうが……そのような事態にはならないと確信できるほどに愛情を向けられている自覚はある。

 だからセレンディアはそれに応える。たとえ愛されていなかったとしても、生かしてもらっている恩は返す。


「くそが、くそが、くそがくがクソガクソガアアアアアアアッ!!」


 ダニオンにはわからない。聞いたとしても理解できない。そのような心は持ち合わせていない。

 現実として体に走る痛みとえも言われぬ不快感と悍ましさに恐慌をきたし、大きく距離を取ってから己にできうる限りの全力でもってセレンディアを仕留めようと周囲から霊力を掻き集め始めた。

 シルフィアーノたちを捕らえている陣に使われている霊力すらも、眼前の不愉快で忌まわしくて意味不明な人間なにかをただ消滅させるために、乱暴に、しかし膨大に集めていく。


 だが、それは悪手だ。


 ひとえに術士であるセレンディアが術を使わなかったのは、霊力を掻き集める時間が得られそうになかったからである。

 一般的な攻撃霊術は術士の体の外に霊力が収束されるので、その場合はさすがにダニオンに気付かれてしまう。それゆえ体内に霊力を留める身体強化を選択したのだ。

 けれども、相手がご丁寧にも集めてくれたあげくにひどく興奮しているせいか付け入る隙だらけ。後は、それを利用するだけ。


「わざわざ、ありがとうっ」

「……なっ!?」


 集めた霊力がどんどんと奪われていく感覚にダニオンは驚愕するしかなかった。何がどうしてこうなっているのかわからず、抵抗や次の一手を打つことすら考えられず、頭を真っ白にするしかできなかった。

 事は容易ではないが単純。きちんと霊力制御をする術士相手ではこうも上手く行かないが、力任せであれば霊力勝負でセレンディアが負ける道理はない。

 とことん、ダニオンにとってセレンディアは天敵であったのだ。


「あ、あ、あ……ああああああああああああああっ!!」


 そしてダニオンは恐怖に続き初めて、絶望という感情を味わった。

 もっとも、それは自覚をする間もなく、二度と味わうこともなく。


「――消し飛べ」


 轟音と光の奔流に呑み込まれ、塵の一つすら残すことなく、そこで悪魔の生は途絶えた。




「マスター、大丈夫ですか!?」


 気が抜けて倒れたセレンディアに、陣が壊されたことによって自由になったシルフィアーノが駆け寄り、抱き起こす。


「わたくしが不甲斐ないばかりに、何もお役に立てず……!」

「……いや、あれはボクのせいだし……」


 シルフィアーノが捕まったのはセレンディアをかばったのが原因なのだ、責めることは出来ない。むしろ責められるべきは不用心に罠に近付こうとしたセレンディアの方である。


「それに、このような無茶までさせてしまって……」

「えと、その……ごめん」


 事態が終息して頭が冷えるようになってから、他にやりようがあったかもなぁと思わないでもないが後の祭り。反省するが後悔はしない。

 普段から吐血しているため血を見るのはいつものことだが、ここまでの怪我を負ったのは初めてである。人としての姿は保っているものの頭からつま先まで、血に濡れていない部分の方が少ないくらいであり、よくこれで痛みに喚かないものだ、と誰もが思うだろうレベルだ。

 事ここに至ってさすがのシルフィアーノとて――ほんの、ほんの少ししか――食欲のことは考えず、涙目で主の心配をした。ちなみにやっぱりバレており、ブレないなぁと微かに笑みを零しながら宥めようと涙を拭おうとして……自分の手が血塗れであることを思い出して動きを止める。


「マスター、気にしないでください」


 止めた手が包み込まれた。傷に障らないようそっと、宝物を扱うように。普段はアレだがこういう時は本当に気が回り、頭が下がる思いである。


「……あー、とりあえず、意外と、平気だから……そんな心配、しなくても、大丈夫」


 ともあれ、見た目大怪我とはいえ、自己診断通りセレンディアの命が失われることはない。現に今も少しずつであるが癒されていっている。

 しかし――


「人間の少女よ」


 シルフィアーノと同じく解放された光の精霊である少年が、フラフラとした足取りながらも歩み寄ってきていた。

 すっかりとその存在を忘れていたセレンディアとシルフィアーノは一瞬ビクっとしてから顔を向ける。


「な、なんですの? 見ての通り取り込み中なので手短にお願いしますわ」


 人間たちの隣人である精霊とて見知らぬ相手である。と言うかそもそもこの精霊が捕まっていたせいでマスターがここまで傷だらけになったのだ、と敵対心とまではいかないものの、険を含ませざるをえなかった。決して邪魔をされたからではない、はず。


「見たところ、多大な霊力を持ち合わせているようだが――」


 チラと館に空いた大穴に視線をやり、凄まじいことだな、と少年は独りごちる。

 壁だけじゃなく戦闘の跡があちこちに残っており、放置されていたとはいえ国の所有物件を壊したと後に怒られそうになるのだが、彼の証言と執り成しで『全部悪魔のせいだ』ということで弁償させられたりはせず、むしろ悪魔が住み着くという管理問題へと発展していったという話はさておき。

 掠れた声で続けられた唐突な提案に、二人は一瞬耳を疑った。


「人間の少女よ、どうか俺と契約をしてもらえないだろうか」

「……えっ?」

「…………なんですって?」


 セレンディアはただ疑問が浮かぶだけであったが、シルフィアーノにとっては聞き捨てならなかった。

 死にそうというほどではないものの、今はとにかく休ませたいのだ。こんな状態でそのような負担を強いる提案をされるのは言語道断であり、その無神経さに苛立つのも仕方がないだろう。


「この、マスターが大怪我をしているという時に――」

「だからこそ、だよ」


 牙を剥き出しにして今にも噛み付きそうな調子で拒絶しようとしたところ、より強い語調で遮られる。


「人間の少女が、大怪我しているからこそ、だ。豊富な霊力で治療を行っているようだがその方法ではいけない。適切な手順で治療せねば、骨がズレたまま、神経が歪んだままになり後遺症が出てしまう。少女の体が『元の状態』を覚えている間に適切な治療が行われなければ、歪であるのにそれが『正常な状態』であると体に記憶されてしまい、下手をすると二度と戻らなくなってしまうのだ」


 正常な状態に治るまで壊し続けるという方法もあるが、と心の中で思ってはいたが口にはしなかった。あの異常な戦い方を目撃して、必要であればそれを実行してしまいそうだと思ったのだ。避ける手段があるならそれに越したことはない。自分自身の救済、という魂胆もあるにはあるのだが。

 目を見張る少女たちの様子を見ながら、少年は表面上は冷静に、しかし今にも途切れそうになる意識を必死に繋ぎ留めながら続ける。


「幸い、俺の属性は光であり、癒しの術は得意だ。俺なら君を治すことができる。しかし、今の俺にはその霊力が残っていないのだ。だから……いや、やはり正直に言おう、今の俺は消滅寸前だ。俺を助けてほしいという下心もある」


 シルフィアーノよりも遥かに長い時間悪魔に囚われ、霊力を絞り取られ。それでいてシルフィアーノのように霊力を補給してくれる契約者もおらず。存在を保つため、自力で摂取をしようにもいささか弱りすぎてしまった。


「囚われの身から解放してもらい、そこから更に脅すような形で要求するのは心苦しいが……君を治すのと引き換えに、俺を助けてもらえないだろうか。俺との契約が君に負荷をかけてしまうのも重々承知している。しかし、今この状況、俺が消滅してしまう前に契約を結べそうな者が君しか居ないのだ」


 少年の姿をよく見てみると、一部がぼやけたりノイズが走ったりしている。本当にギリギリの所なのだろう。この場に居るのが、助けに来たのがセレンディアでなければこの少年はただ消滅するしかなかった。

 その運命のような偶然に少年は感謝の念を抱きつつ、救い主の重荷となりかねない自分の状況に歯噛みをする。

 しかしそれでも少年は己の役割ゆえに、助かるかもしれない道が示された状態でこのまま消滅を選ぶことはできなかった。

 悪魔の餌食になってはならないとセレンディアを遠ざけようとした少年であるが、その脅威が取り払われたこと、またセレンディアが己と契約し得る霊力を持ち合わせていたことにより、諦めかけた生をなんとか繋ごうと少年は必死にならざるをえなかった。


 セレンディアとて元々この少年を助けに来たのであるし、ここで見捨てるのはさすがに気が咎めるので異存はない。

 それに何となく、根拠のない直感であるが、そうしなければならない気がしていた。

 とは言ってもそこで『はいわかりました、契約しましょう』と単純にはいかない。


「でも、相性が……」


 そう、精霊と契約するにはお互いの霊力の相性が合うことが大前提だ。それゆえ契約できる人数が少ないのだが――


「それは俺が君に合わせよう。君はただ、俺に霊力を渡してくれればそれでいい」


『合わせる』という方法は初めて聞き目を丸くする。

 そのようなことができるのか、とセレンディアは感心した。が、何故その方法を今まで聞いたことがないのか、という理由まで考えるには思い至らなかった。少年も説明しようとはしなかった。


 セレンディアはシルフィアーノの顔を見る。自分の倫理観ではこの少年を見捨てられないとはいえ、セレンディアにとっては彼女の方が遥かに大事だ。光の属性は悪魔にとって一番相性が悪いので特に注意が必要になる。

 それゆえ、シルフィアーノがどうしても嫌がるようならこの契約を結ぶことはできない。


「……マスター、この状況でイヤとは言いませんのよ」

「言えない、じゃなく?」

「いいえ、違います。わたくしとの相反属性とはいえ、マスターの霊力があれば問題はありません。……マスターの霊力ごはんを独り占めできないという点では今更な話ですし」


 少しだけバツが悪そうに口を尖らせているが、嫌々とか、無理しているとか、そういう表情ではなさそうだ。

 それにセレンディアの契約精霊はジン、ルカ、グラフ、とすでに三体居る。シルフィアーノが独占欲とか嫉妬心とか持ち合わせているのを知りながら契約したのだ。その点に関しては確かに今更な話である。

 いくら事前に許可を得てから契約しているとはいえ、よく考えてみるとひどい話だなぁ、何か埋め合わせしなきゃ、などと内心で思ったりした。シルフィアーノとしてはちょっと霊力を多めにもらえるだけで十分喜ぶのであるけども。


「マスターの体を綺麗に治してくれるような口ぶりですし。傷が有ってもわたくしは変わらず愛せますが、マスターも女の子ですし無いならその方がよいでしょう。

 加えて、マスターは今まで、体内の霊力量を減らすために契約を重ねてきました。この者と契約して初めのうちは負荷が増えるかもしれませんが、慣れれば今までのようにいい感じに減る公算も高いのではないでしょうか。

 それに――」


 シルフィアーノは一旦言葉を切り、セレンディアの顔に付いていた血を拭うように頬を撫でて。


「わたくしは、貴女のためになるのなら何でもいいのです」


 これが本当に悪魔なのか、と目にした誰もが疑問に思うであろうほどの柔らかく慈愛に満ちた笑みを見せた。




 まだ立つほどの体力が戻っておらず、座ったままのセレンディアの上半身を後ろから支えるようにシルフィアーノが位置を変える。

 少年の息が荒くなってきているので無作法ながらもこのままやるしかない。後ろからも荒い呼吸とか嚥下する音とか聞こえてくるが突っ込んでいられない。この従魔にシリアスの維持を期待しても無駄だ。


「……さて。契約に必要なことであるし、自己紹介をしよう。俺の名はセイラムという。君は?」


 精霊と契約するには、お互いの名前と共に誓いを立てる必要がある。

 セレンディアはしばし逡巡した後、久しぶりに――公式な書類と精霊との契約の時以外は使用しようとしない、フルネームを口にした。


「――セレンディア・ノクス・エルネイド」


「――……ふむ……なかなかに相性が悪そうだが、何とかしよう」


 どういう意味、とセレンディアが問い質す間もなく、少年、セイラムは手を差し出した。

 時間もないことだし疑問はひとまず置いておき、その上にそっと手を乗せ少しずつ霊力を流していくと、光が溢れてくる。


 大きくなり、小さくなり、まるで鼓動のように脈打ち、やがてほんのりと熱を帯び始める。

 相性が相当悪いのか、セイラムの目が一度大きく見開かれてから苦痛に歪む。しかし余計な声は発さない。セレンディアの霊力を受け入れるよう、少しずつ、少しずつ、『侵食』させていく。

 指先から腕を通し、肩へ、頭へ、お腹へ、つま先へ。自分を作り変えるかのごとく、セレンディアの霊力を循環させ、満たしてゆく。


 契約はお互いを霊力で繋ぐ行為であるが、単純に流し、流し返されて、それでこれまでは済んでいた。しかし、今回セレンディアは違和感を覚えた。

 まず消費霊力量が違う。とはいえこれはセイラムの体の修復にも使用しているのだろうとまだ納得できる。

 次に返ってくる霊力が違う。今までは精霊の持つ霊力が返ってきたのだが、今回返ってくる大半は流したはずの自分のものだ。感覚でわかる。

 セイラムの霊力がそれほど少ないのか、それとも――セレンディアは少し不安になりセイラムの顔を窺うが、その瞳に迷いの色はない。少しずつ活力も戻っているようであり、問題ではないのだろう、とそのまま任せることにした。


 やがて、セイラムの全身がうっすらと霊力の光に包まれる。準備は完了した、とばかりに視線を向けて頷いてきた。

 ひとつ深く呼吸をしてから唇を舌で湿らせ、決して大きくはないが、はっきりとした声で宣誓を行う。


「我、セレンディア・ノクス・エルネイドは、汝、セイラムと共に歩むを望む者なり。我の為に、汝の為に、この霊力ちからを譲り、決して裏切らぬ絆を求め、約束する」


「我、光のセイラムは、夜の娘、セレンディア・ノクス・エルネイドに付き従い、その身の、魂の守護を願う者」


 何それ、とセレンディアは声を上げそうになったが寸でのところで留まる。宣誓中は他に言葉を紡いではならない。背後のシルフィアーノも引っかかったのか身じろぎしたのが伝わってくる。


「この身が夜に飲まれようと、光は失われない。夜が在るからこそ、光はより輝く。高みに引き上げられる。この身が夜のしもべとなりても、世界のしるべへと昇華する。ゆえに、我は受け入れる。夜の娘を我が主とすることを。決して背かず、さりとて盲従せず、この身を汝が為に使うことを約束する」


 普段より遥かに宣誓の口上が長い。それにやたらと深刻なものに聞こえてくる。

 ひょっとして何かまずいことに手を出したのだろうか、と冷や汗が出そうになる。しかし、今更止められない。


「「ここに、我らの間に、解けぬ絆を結ぶ」」


 一際大きな光が沸き上がりその眩しさに目を瞑りながらも、セレンディアはセイラムと契約で繋がったのを感じ取った。




「今後ともよろしく、主殿」


 光が収まった後、物言いたげな顔をする少女二人を認めつつも、どこ吹く風といったようにセイラムは微笑した。

 鮮やかさを取り戻した金髪を、一房黒に染め上げられながら。

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