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箱庭の出来事  作者: 谷川俊之助
1/1

毒無し美味しい饅頭事件

元ネタもちろんあれですが、本家様ほどの超絶推理は期待しないでください。多重解決でもありません。

あと、なんか矛盾や説明不足があったらすみません。

「これは大事件だよ」

 七里杏李(きょうり)が深刻な声を出す。

「確かに大事件だ。こんなに美味い饅頭は食ったことがない」

 大和田優吏(すぐり)が深い相槌を返す。

 それを聞いて杏李は深いため息をついた。

「あのね、私が大事件って言ったのはそんなくだらないことじゃなくて、八個入りのはずのお饅頭が七個しかないってことだよ」

「確かに気にはなるが、別にいいじゃないか。ここにいるのは六人、饅頭は七個。誰もがその美味しさを味わうことができるのだから。それよりも、このブロンドの毛は一体なんだ? この学校にこんな美しい髪をした女生徒はいたかな? こっちの方が事件ではないか」

 そう答えたのは白岡(あくる)

「それはそうなんだけど、この美味しさを二度も体験した奴がこの中にいるのかもしれないんだよ⁉︎ 許されるはずがないでしょ」

 ブロンドの髪についてはスルーらしい。

「まあまあ。それは許されることではないかもしれんが、目くじらをたてるほどのことか? この美味しい時間をもっとお淑やかに過ごすことも大切だろ」

 優吏がたしなめるも、杏李の熱は治まらない。

 彼女にはこうしたところがある。正義感が強く、それは周りの人も認めているが、今のようにほんの些細なことでも徹底的に悪を潰そうとするのだ。

「お淑やかでしょ! どう見ても! 見て、ほら! こうして座っている足を見て!」

 この部屋には椅子がない。ちゃぶ台が一つあり、囲むように全員が床に直接座っている。

 優吏は彼女の反対に座っていたため、足を見るためにわざわざ立ち上がらなくてはならなかった。

「うむ。非常にきめ細やかな肌だな。もう少しで見えそうになっているが絶対に見えない下着も高評価だ」

「へんた〜い」

「やらし〜い」

「えろ〜い」

「いいな〜」

 女性陣から口々に非難の声が上がる。優吏は、男は自分しかいないから何をしても女性の敵として見なされしまうなぁと、諦めの気持ちでいた。

 批評された当の本人は、

「足を見ろっていうのは、そういうことじゃないでしょ!」

 と、顔を真っ赤にしながら怒っていた。

「違うの。この、ほら、周りは皆女の子座りとか胡座とかでしょ? その点私は、なんと! 正座です!」

 どやっ。

「凄い。なんか幻聴が聴こえた」

 優吏は呆れ半分感心半分で返した。

「胡座だってお淑やかじゃん?」

 杏李の隣で意見したのは、蕨奈琉(なる)

「そもそも、正座がお淑やかで胡座は野蛮だなんて差別もいいとこだよな。もっとこう、喋り方とか作法で見て欲しいって思うわけよ」

「いや、そこまで言ってないし奈琉は喋り方も野蛮じゃない。男みたいで。文字だけ見たらそこの変態と変わらないわよ?」

「おいおい、誰が変態だって? 俺は蛹になんかなったりしないぞ」

 優吏の言葉は満場一致でスルーされた。いや、彼の言葉に反応する者が一人だけ。

「もし君が完全変態になり蛹になったとしても、私だけは味方でいよう」

 川口美彩理(みさり)が、妙に熱っぽい視線を優吏に送る。冗談が冗談に聞こえない。

 視線を振り払うように優吏は手を顔の前でひらひらさせる。美彩理は年上だが、メンバーの中で一番扱いがぞんざいになっていた。それを少し喜んでいる彼女も、まあまあヤバイ。

「とにかく、この中で一番お淑やかなのは私。はい、これでこの話はおしまいです」

 杏李が無理矢理結論を出そうとするが、明がそれを許さない。

「待ってくれ。私と奈琉と美彩理がお淑やかでないのはいいとして、まだ一人、ここにお淑やかさの権化とでも言うべき人物がいるではないか」

 それを受けて、全員の目がある人物に向けられた。その人物は黙々と、小さな口で一生懸命饅頭を頬張っている。

 見られていることに気付いた彼女は、恥ずかしそうに俯いて上目遣いで言った。

「な、なんでしょう⋯⋯か?」

 可愛い。

 全員が、この姿を見たいがために視線を向けたと知ったら彼女は、花咲玖榴(くる)は怒るだろうか。怒った表情も可愛く、眼福であることは変わりはないので、彼らにとってはどちらでもよかった。

「いや、現在お淑やかさ選手権をしているのでな、ぜひ玖榴にも参戦して欲しいのだ」

 玖榴の質問に代表して明が答えた。

「あたしは、そんな、恐れ多いです⋯⋯」

 謙遜してエントリーを辞退しようとする。それを見て鬼の首を取ったかのように奈琉が騒ぎ出した。

「これだよ! これがお淑やかさだよ! ていうか本当にお淑やかな人って自分で言わないもんだよな!」

 やんややんや叫んで杏李に人差し指を突きつける。手が優吏の顔の前を通過した時に、ほのかに石鹸の香りがした。筋肉鎧を纏っているくせに、いい匂いがしたことになんとなくのトキメキを感じた。

「う、うるさい! ちくしょ〜、こんなことになるとは思わなかったよ〜」

 圧倒的敗北を突きつけられた杏李は弱かった。

 今日も今日とて、静かな時間は訪れないのだなぁと、優吏はのんびりした気持ちでいた。


 ここは歴史と文化と伝統とプライドの進学校、私立明《あけ》の宮高校の部室棟の奥の奥、元がなんの部活の部室だったかも誰も覚えていない部屋。

 そこを占拠しているのが、部活申請などしていないが、勝手に自分達のことをお出かけ部と呼んで活動している六人の部員だ。

 特別な繋がりで集まったのではない。なんとなく、優吏がお昼をこの部屋で食べていたら杏李も利用するようになり、他の面々もいつしか入り浸るようになって今のメンバーが集まった。最初は昼休みだけの集まりだったものが、誰が音頭をとったかはもはや定かではないが放課後も集まるようになった。

 そんなある日の昼休み、明が温泉旅行のお土産だと言って饅頭を持ってきてくれたのだ。皆が早速食べようとする中、美彩理が「せっかく食べるなら放課後にお茶でも飲みながらゆっくり食べよう」と言った。それに賛同して、箱の蓋を閉めて部室になぜかあった学習机の中にしまい、普段より早めに部室の鍵を閉めて各々の教室に戻った。

 そうして放課後、蓋を開けていざ食べようとすると、昼休みに八個あったはずの饅頭が一つ減っていたのだ。


「そんなことより、今はお饅頭の方が大切でしょ。誰が二個食べたのか、それをはっきりさせないと今日はここから誰も出しません」

 杏李が強引に話を戻した。

「そうは言っても、犯人は絶対に名乗り出ないと思うぞ。黙ってりゃバレる心配はまずないし、名乗り出たら杏李のメガトンパンチが炸裂するからな」

 からかうように優吏が言う。

「それともなにか? この場で犯人探しでもしようってのか?」

 その言葉に杏李はニヤリと笑った。

「もちのろんよ。それに、一つはっきりしていることがあるしね」

 挑戦的な目つきでメンバーを見渡す。

 玖榴が怖がって美彩理の陰に隠れた。いとをかし。

 そしておもむろに立ち上がると、息を吸って大きな声で言った。

「犯人は、この中にいる!」


 沈黙が舞い降りる。遠くで野球部の掛け声がする。今なら、学校に住み着いているという子犬の鳴き声さえ聞こえてきそうだ。

 それを破ったのは美彩理だった。いい意味でも悪い意味でも、空気を壊すのは彼女の役目なのだ。

「この部室の鍵はお出かけ部しか持ってないじゃない。犯人はこの中にいるって言われても、それは全員が分かっていることだから、何もわざわざ立ち上がってまで言うことではないと思うわ」

 ちなみに部室の鍵は全員が勝手に合鍵を作って所持していたりする。

「うっ、一回くらい言ってみたいセリフってあるじゃない、誰でも」

「ふむ、それはそうかもだが、今のセリフは犯人が分かっている探偵が言うことだ。何も分かっていないゴリラが言うセリフじゃあない」

 明の言葉に反論しようとする杏李よりも前に、なぜか奈琉が反応する。

「ちょいちょい! ゴリラは失礼でしょ!」

「奈琉⋯⋯」

 少し感動している杏李の笑顔は一瞬で凍りついた。

「ゴリラほど強くはないだろ。あって、そうだな⋯⋯、マイク•タイソンくらいじゃないか?」

 だろ? と振り返っても、求めた笑顔はそこにはない。

 ヘビー級ではないか、と呟きながらなにやら思案を始める。大方、誰なら杏李は納得してくれるだろうかと考えているのだろう。

「杏李さんは、可愛い、女の子です。そんな風に言うのは、失礼です」

 玖榴が弁護をする。感動したゴリラは彼女の胸に飛び込んで強く抱きしめた。

「さすがだよ〜。やっぱり淑女クイーンは違うなぁ」

 勝手にクイーンにされたもののそこは貫禄を見せつけ、戸惑いながらも頭を撫で始めた。

「でもな、可愛い女の子は黒板を破壊したりはしないだろ」

「ちょーい! それは黙ってるって約束でしょう!」

 優吏の暴露を止めるべくお淑やかな胸から離れて襲いかかるが、阿吽の呼吸で奈琉に取り押さえられた杏李はジタバタと暴れる。しかし、柔道と空手と合気道を習っている押さえ込みにはなすすべがなかった。

「あれは確か、三年前、俺と杏李が中学二年生の頃だったかな」

「うおぉぉぉ、やめろおぉぉぉ」

「クラス内で、いじめがあったんだ。よくあるやつだよ。わざと仲間はずれにしたり、陰口を叩いたりってな。それを見てた杏李が突然立ち上がって教壇に立ってこう言った。『全員、殴る!』びっくりしたな、正義感が強いのは知っていたが、まさかクラスメイトを殴ろうとするとは思わないだろ。それじゃどっちが悪者か分かったもんじゃない。んでその後に、なにを興奮したのか、突然黒板を平手で叩いたんだ」

「ほぉ〜」

 明が感嘆の声を出す。

「その音で先生が来てな、こいつは指導室に連れてかれちまったが、黒板には生々しい傷痕が残っていた」

「熊、みたいですね」

「ああ、言い得て妙だ。まさにあれは熊が木を爪で切り裂いたようなもんだな。思いっきり黒板凹んでたし。杏李は親呼ばれて泣くし」

 うがあぁぁぁ。まさに獣の咆哮を発しながら杏李が押さえ込みのてから逃れようとしている。後で一発殴られるのは覚悟の上だと、優吏は中学の時の秘密が暴露できて満足だった。

「それっきり、杏李の怪力に怯えたいじめっ子はすっかり丸くなって皆と仲良くしていたから、もしかしたらあれは正義と言えるかもな」

「あんた、覚えておきなさいよ」

 正義と言われて若干溜飲を下げたのか、この場で殴るのはやめたようだった。

「それより、いいのかい? 饅頭消失事件を解決しなくても」

 ただ一人静観していた明が、いつもの如く脱線した話を修正する。

「はっ! そうだった。忘れるところだった」

 やっぱりゴリラかも⋯⋯。玖榴の呟きは幸いなことに本人には聞こえなかったらしい。

「え〜っと、やっぱり最初はアリバイを聞くところから始めた方がいいよね」

「それはそうかもだけれど、その前に、杏李が犯人じゃないってちゃんと証明できないと探偵として活動してはいけないんじゃないかしら」

 美彩理が最年長らしく、もっともなことを言う。

「その点に関しては大丈夫」

 珍しく自信に満ちた表情で親指をぐっと立てる。

「お饅頭がなくなったのは、お昼休みに全員がこの部室から去った後から、放課後ここに来るまでの間でしょ? そしてここに最初に来たのは私と優吏と美彩理の三人。授業が終わってすぐに来たから、それは間違いないわ。ということは、犯行が行われたのは五時間目と六時間目とその間の休み時間のいずれかということになる」

「おー、探偵っぽい」

 奈琉がキラキラした目で見ている。

 それに気を良くした探偵もどきは、声の調子をさらに上げて続けた。

「そして私のクラスは五時間目と六時間目は移動教室もなく、休み時間は優吏と一緒にいたから、この部室まで来てお饅頭を奪い去るなんて真似はできない。優吏も同じクラスだから、私のアリバイ、証明してくれるよね?」

「ああ。だから自動的に俺も容疑者から外れるってわけだな」

「そうなるわね」

 優吏は一先ず安心した。自分が犯人でないことはよく分かっているが、どんな迷推理で犯人に仕立て上げられるか気が気でなかったのだ。

「てことで、各人のアリバイを私が聞いていっても問題はないわね?」

 はいよー、構わんぞ、いいんじゃないかしら、はいです。

 全員から賛同を得られ、意気揚々と犯人探しが始まった。


「じゃあまずは美彩理からね」

「はいはい」

 杏李の目が細くなる。話をしている時の反応も見ているのだろうか、なかなか堂に入った探偵ぶりだ。

「お昼休みからここに来るまでの間、何をしていたか教えてくれる?」

「そうだな⋯⋯、私も授業があったからずっと三年の教室にいたわね。休み時間は職員室に行っていたから、アリバイを証明するのは比較的簡単だと思うわ」

 随分あっさりした話だった。それでも杏李は満足げだった。

「まあそうよね。私も美彩理が犯人だとも思っていなかったし、だから最初に聞いたっていうのもあるから」

 これには反対の声もなかった。誰も美彩理が犯人とは思っていないのだ。

「それと、明も容疑者から外さないとね」

「どうして?」

 除外された本人が疑問を呈する。

「だって買ってきたのはあなたでしょ? だったら二個食べようが文句を言う人はここにはいないわ。食べたことを黙っているのは確信犯だからであって、明なら一個なくなったのが分かった時点で自分が食べたと言いだせば済む話でしょう」

 こんな特技があったとは。優吏は感心していた。

 最初にこの事件を解決するなどと言い出した時には、なぜこいつは自ら恥をかきにいくのか不思議でしょうがなかったが、今なら本当に解決してしまうのではないかとか期待すらしてしまう。

「よって明は犯人ではない。仮に犯人だったとしても、許すけどね」

「なかなか論理的ではないか。杏李がこんなに頼もしく見えたのは二ヶ月前に皆で山に行った時以来だ」

 明のいう山に行った時のこととは、いつものメンバーで登山に行った時、もう限界だという玖榴と明の荷物と自分の荷物を持って登頂したエピソードのことだ。

 山頂で皆からすごいすごいと持て囃された結果、さらに美彩理の荷物を追加で持って下山したことも含めるかもしれない。

「そして今日は探偵か。立派な文武両道と言っていいかもね」

 にこりと微笑みながら美彩理が言う。

 ここだけ見れば大人の女性の魅力満載の美女でいられるのに、優吏に向ける肉食獣のごとき目が全てを霧散させていた。

「次は奈琉ね」

「うおっ、ウチか。参ったなぁ、五、六時間目のことなんてあんま覚えてねえよ」

「ほんの一、二時間前のことでしょ、って言っても奈琉は馬鹿だからねぇ」

「勉強はそれなりにできるのに不思議ねぇ」

「そういや奈琉が風邪引いたところ見たことねえな」

「うむ。いつか脳の中身を見てみたいものだ」

「この前、昨日って西暦何年だっけ? って聞かれました」

「も〜、ウチのことはいいだろー。さっきのはちょっとボケただけでちゃんと覚えてるって」

 そのボケはどういう意味で使っているのだろうか、全員の心に同じ疑問が浮かんだ。

「たしか、五時間目は国語だっかな。んで、六時間目は体育で校庭にいたな。そうすると、ウチにはアリバイがないことになるのかな?」

「いや、休み時間と体育の間にずっといっしょにいた人がいればアリバイは確保できるぞ」

 セリフを優吏に取られた杏李は、面白くなさそうに頬を膨らませた。彼はその表情を見たかっただけだ。

「そっか。でもダメだ、休み時間は着替えてたし体育もマラソンの練習だったからさ、サボって隅っこのベンチで寝てたよ」

「おやおや? 怪しいですな〜、今のところ犯人最有力候補は奈琉ですぞ」

 犯人が見つかりそうだからか、杏李のテンションが少々おかしい。いや、いつも通りかもしれない。

「待て待て! まだ一人いるんだから、そっちから話を聞いた上でもう一回ウチが怪しいか考えようぜ」

「あ、あたしにも、聞くんですよね?」

 玖榴が緊張の面持ちで待っていた。目をうるうるさせて、胸の前で手をもじもじさせている。

「⋯⋯っ、あ〜ダメだ〜。こんな可愛い子を疑うなんて私にはできないよぉ」

 探偵が私情を挟みまくろうとしていた。

「おっそろしい奴だ。あれは分かってやっている⋯⋯」

 優吏は彼女の本質に恐れ慄いている。が、それでも可愛いからなんでもいいやと、これまた何度目か数えられないほど繰り返した思考を再度巡らせた。

 しかしこのままでは、アリバイがないというだけの理由で奈琉が犯人にさせられてしまうため、玖榴のうるうる光線に耐性を持つ美彩理が助け舟を出す。

「玖榴はここに来るまでに、何をしていたのかしら」

 彼女に攻撃が通用しないことが分かっているので、今度はなんの躊躇もなく話し出す。

「うんと、五時間目は音楽だったから音楽室に移動して、休み時間はずっと教室で本を読んでました。次の時間は、具合が悪かったから保健室で休んでました」

 真っ黒だ。

 盗むチャンスしかない。

 向こう側まで透けるかのようなイノセントな目をしているが、饅頭を盗むくらいはやりかねないと全員が知っているため、なんとも言えない空気が漂ってしまった。

 その空気を壊したのは、優吏だった。

「正直なところ、疑わしいのは奈琉と玖榴だ。ぶっちゃけ、玖榴がやったんじゃないか的な空気が漂っていることもないこともないが、俺はあえてここで、奈琉が犯人だという推理をさせてもらう」

 脳みそのシワがなさすぎて、立ち振る舞いはジジイのくせに脳みそだけは産まれたてかよと言われ続けた男からの突然の宣言に、犯人として指摘された奈琉だけでなく、皆が目を剥いて驚いていた。

「脳みそあったんだ」

「そんなところも素敵じゃない?」

「奈琉の脳より気になるな」

「ウチは脳みそが牛肉でできてるぜ? 気にならないか?」

「なんだか、目の奥がジンジンしてきました」

「好き勝手言いやがって⋯⋯。俺も人のことは言えんか⋯⋯」

 がっくりと肩を落としながら、冷めきったコーヒーを一息に流し込んだ。

「まあいいか。取り敢えず、俺の推理を話してもいいか」

「いいけど、一応ウチは犯人じゃないって言っておくよ」

「それでもいいが、きっと五分後には泣きながら崖の上に立って謝罪しているぜ」

 玖榴が美彩理に「どうして急に崖の上に移動するの?」と聞いていた。くだらないボケだから気にしてたらアホになるわよと返していた。

 優吏は悲しい気持ちにはならなかった。顔を下に向けて必死に笑いをこらえている明の姿を見かけたからだ。

 一人の人間を笑顔にしたことで気持ちよくなった新たな探偵は、気を取り直して続けた。

「今回の事件は、昼休みから放課後までの間にここに入ったことが証明できれば、そいつが犯人だと言うことができるわけだ。もちろん多少暴論だとは思うが、何もやましいことがなければ正直にここに来たことを言うべきだと思う。そこで奈琉に聞くぞ。放課後、ここに来る前に、ここを訪れてはいないか?」

 そこで奈琉は言葉を詰まらせてしまった。

 元来の性格が、嘘をつくことを許さないのだ。優吏にはその反応で十分だった。

「やっぱり、来たんだな」

「えっ、嘘ついたの⁉︎」

 杏李が驚きの声を上げる。それも無理はない。彼女が嘘をついたところを見たことがある者は、この部屋には一人もいないのだから。

「いや、奈琉は嘘はついてないよ。ただ、言ってないだけだ。そうだろ?」

 対する返答は沈黙。黙秘権を行使しているようだ。

「それなら勝手に続けるぞ。奈琉がここに来たのは恐らく体育の時間だ。そこしかチャンスはないからな。そして、どうしてここに来たかは⋯⋯」

「待った! 優吏、頼むからそれ以上は言わないでくれ」

 沈黙からの懇願。少し勝手が過ぎるんじゃないか? 優吏が言うと、意を決したように奈琉は言った。

「分かった⋯⋯。黙ってくれるんならなんでもするよ」

 それを受けた男と言う名の野獣は、恥も外聞も宇宙の外に放り出した。

「やっほーい! やったぜ! 言ったな? もう取り消せないからな! それじゃあそうだな、まずは胸を揉ませろ! その後は二人っきりの時に」

 ぼぐん、と音がした。

 杏李が優吏の横っ腹を殴った音だ。

 さっきまでの笑顔は消え、今はただ三途の川から必死に泳ぎ戻って来ようとしているようだ。

 なんとか息を整えた半死人は、「俺の脇腹から内臓が全部出ていると思うんですけど」「私に言えば全部やってあげるのに。あんなことやこんなこと、君の想像する全てと、君の想像を超えたあらゆることを、ね⋯⋯」別の獣に襲われていた。

 明が、しなだれかかっている美彩理を優吏から引き剥がそうとしたその時、押入れから、ワン! という鳴き声が聞こえた。

 奈琉はこれ以上ないほど狼狽し、

「あー! 外! 空! すっごいいい天気だ!」

 わけのわからないことで気を逸らそうとしたが時すでに遅し、玖榴がとてとてっ、と効果音を響かせながら押入れに走って行って扉を開けた。

「だめえぇぇぇぇぇ!」

 少女の絶叫が快晴の空に轟いた。


「で、なんであんな所に?」

 杏李の質問にしおらしくなった奈琉が答える。

「体育の時間に校庭の端っこで寝てたらさ、こいつが近寄って来たんだ。今までにも何回か見かけたことはあったけど、こんな近くに来たことはなかったから、それでもう一目惚れ。なんとか飼えないかと思ったんだけどウチ親が動物ダメでさ、こうなったらもうここしかないって」

 奈琉が連れて来てしまったのは、学校に住み着いている犬だった。あまりにも可愛かったので衝動的に誘拐してしまったらしい。

「だからって連れて来ていいとはならないだろう」

「それは分かってる! だから必死で隠そうとしたのに⋯⋯、優吏が喋ろうとするから〜」

「それは、なんかすまんな」

 優吏は気付いていた。奈琉が犬をこの部屋に持ち込んでいることを。

「それにしても、どうやって気付いた? ここに犬を連れて入った者がいると」

 明の質問に若干得意げに答える。

「きっかけは明だったんだぜ?」

「私がか? 私は何かしただろうか」

「ブロンドの髪の毛らしき物を見つけただろ? あれがもしかして犬の毛なんじゃないかって思ったんだ。最初は本当に髪の毛なのかとも考えたが、奈琉の手の匂いで大方分かった」

「ウチの?」

 言われた彼女は、鼻の近くに手を持っていって匂いを嗅いでいる。

「ああ、石鹸の匂いがしたからな。犬を触った手をそのままにしておくほど奈琉は大雑把じゃない。もしかしたら匂いで犬を触ったことがバレるかもしれない、そこから部室に犬を入れたことまでバレるかもなんて想像のしすぎか? だから証拠の隠滅のために手を洗ったんだろうって思うのは当然のことだ」

 そこに杏李のツッコミが入る。

「そりゃそうだけど、体育の後に手を洗うのも自然じゃない。それが犬を連れ込んだことにはならないでしょ」

「だって奈琉はサボってたんだぜ? なんで手が汚れるんだよ。あれは犬を触ったから洗ったんだ」

「なるほど」

 納得してくれたようだ。

「部室の毛、石鹸の匂い、この二つを合わせて考えたらそうとしか思えなくてな」

「なんか、自分の行動を当てられると、心を覗かれてるみたいでムズムズするな」

「あたしは、優吏のどや顔に、首筋がムズムズします」

 今日は一段と玖榴の言葉に毒が混ざる。嫌なことでもあったのだろうか。

 問題の犬は、あれっきり全く鳴かずに奈琉の膝の上でのんびりとしている。まるで、あの時の鳴き声はこの事件を解決に導くために犬が意思を持って鳴いたのだと思えてしまう。

 そんな中、

「ちなみに、なんですけど」

 美彩理が珍しくおずおずと発言する。

「この犬、実は校長の飼い犬なのよ」

「⋯⋯は?」

 奈琉が気の抜けた声を出してしまった。

「飼い犬っていっても日中は放し飼い状態で、夜は校舎の裏にある小っちゃい林みたいなところあるでしょ? そこに小屋があっていつもそこで寝てるらしいのよ」

「じゃあ⋯⋯、この犬は⋯⋯」

「帰してあげて、ね?」

 呆然と犬と見つめ合う奈琉。慣れない隠し事までして匿い、挙句それすら看破され、そこに校長の飼い犬だから帰しなさいと言われた彼女の精神状態はいかほどか。

 そこに、この部屋に犬連れて来た時に饅頭も食ったんだろ? と言えるような強者はいなかった。

 気まずい雰囲気の中、部室の扉が勢いよく開いた。

「ふぇ〜ん、遅れちゃいました〜」

 語尾が妙に伸び気味な彼女は戸田心流(ここる)。お出かけ部六人目の部員だ。

「あれれ? なんだか気まずい雰囲気ですね〜」

 何があったのかを知らない彼女からしてみれば、場の雰囲気などどうでもいいのだろう。誰も反応しなくても勝手に喋る。

「あ〜、そういえばお昼休みに来たのに誰もいなかったじゃないですか〜。僕が遅かったっていうのもありますけど、皆さん帰るの早くないですか〜? 仲間はずれにされたと思ってとっても悲しかったんですよからね〜」

 キャラは一番濃いはずなのに、なぜか存在感が希薄というある種神秘的ですらある彼女の存在を、現れて初めて「そういやいなかったな」と気付いた者が何人かいた。

「あとそうだ、明さんお土産ありがとうございます〜。机の中にあったおまんじゅう、家族で行った温泉旅行のやつですよね。すっごい美味しかったですよ〜」

 その瞬間、十二個の目が彼女を貫く。

「犯人お前か!」

 杏李が叫ぶ。

「俺の、名推理が⋯⋯」

 優吏が崩れる。

「お前のせいで、ウチの犬計画が!」

 奈琉が怒る。

「どういたしまして」

 明がはにかむ。

「真相なんて、こんなもんよね」

 美彩理が達観する。

「敬語キャラは、間に合ってます⋯⋯!」

 玖榴が魂を燃やす。

「えっ? えっ? なんですか、皆して〜」

 心流は戸惑う。

 気まずい雰囲気は何処へやら。

 いつもの部室と変わりのない、くだらなく、気だるい空気が底にある。

 やれやれと言いながら杏李は新たにコーヒーを淹れ始め、心流は優吏から何があったのかを教えられている。奈琉は犬を帰しに、明は六個入りのが実はもう一箱あったのですと悪戯っぽく皆を喜ばせ、玖榴は寝息を立てている。立場上顧問を名乗っている美彩理は、テストの採点があると職員室に戻っていった。


結局、何も起きてないただの一日。

西の空には夕日が沈む。

部屋の中にはコーヒーの香り。

あるのは、意味のない喧騒。

楽しいだけの、平和な一日。

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