第百十七夜 シャドウゲイト
一つ、ゲームの話でもしようか。
『ざんねん!! わたしのぼうけんはこれでおわってしまった!!』
バカゲーマニア、そしてレトロゲーム愛好者には大変馴染み深い台詞であるかと思います。
今回はこの台詞で有名なアドベンチャーゲーム、「シャドウゲイト」をテーマにお送りしようと思います。前回、前々回と良作のご紹介だったので、一旦箸休めにと。
数々の死の誘惑を振り切り、しんのゆうしゃは無事使命を果たす事が出来るのか!? それではいってみましょう。
本作はファミコン最盛期、ケムコよりファミコンにて発売されたコマンド選択式アドベンチャーゲームです。……打ち間違いじゃありません。『ナムコ』じゃなく『ケムコ』なんです。
ケムコとは元はコトブキシステムという会社のゲームブランドであり、現在も社名そのものをケムコとしてスマホアプリでゲームを配信している由緒正しい販売元なのです。……何でこんなパチモン臭い名前にしちゃったのかは最大の謎ですが。
以下はストーリー。松明一本を手に、一人『シャドウゲイト城』の前に立つ主人公。ドルイドの僧は彼に告げた。この『シャドウゲイト城』に怪物ベエマスを召喚し、世界を手中に収めんとする魔王ワーロック。その野望を打ち砕くものとして予言に記された勇者こそが彼なのだと。予言を信じ、彼は今魔王を倒すべく立ち上がった。待ち受けるのは、ワーロックが仕掛けた幾つもの罠。勇者よ、全ての罠を潜り抜け、見事ワーロックを打ち倒すのだ! といった感じになっています。
実は本作は元は海外で発売されたパソコンゲームであり、それをケムコがファミコン用に移植したという経緯を持っています。海外では骨太アドベンチャーゲームとして評価が高く、続編まで発売されるほどの人気を誇っていたりします。
基本操作を説明します。まず画面構成は左上がメインの探索画面、右上が主人公の持っているアイテム一覧、そして下半分が主人公が行えるコマンド一覧となっています。
プレイヤーは画面全体を移動する事の出来るカーソルを動かし、まずコマンドを指定して次にそのコマンドを行う対象を選びます。アイテムを使いたい場合は、そこから更にアイテムを使う対象を選択します。
何故こんな操作方法なのかというと、元がパソコンゲームな為マウス操作を前提にした作りになっているからです。案の定コントローラー使用では少々もっさりとした動きになってしまい、本作の純粋な問題点としてこのもっさり感を挙げる人もいます。
またコマンド一覧の中に、『セルフ』という見慣れない項目があると思います。これはコマンドを自分自身に対して行いたい時に選ぶ項目で、主にアイテムを自分自身に使いたい時に使用します。
この、『どんなアイテムでも自分自身に対して使える』仕様が本作における様々な悲喜劇を生み出す事になるのですが……。その辺りは、後の説明に代えさせて頂きます。
と、ここまでならちょっと操作が独特なだけの、どこにでもあるアドベンチャーゲームであるかのように感じます。本作が知る人ぞ知るバカゲー扱いとなってしまった理由、それはひとえに、本作のゲームオーバーのバリエーションの豊富さにあります。
本作では、とにかく主人公がよく死にます。怪しげな本を取ろうとしたら床に穴が空いて死亡、効果の解らない薬を飲んだら毒薬だった為死亡、ワーロックが配置した様々な魔物に敗れて死亡……。
この辺りはまだ他のアドベンチャーゲームでもありそうな死因なのですが、移動しようとしただけで死亡、鏡を割っただけで宇宙に放り出されて死亡辺りになると理不尽度が大分上がり、極めつけとして炎の海に移動するなどの『いやそれ間違いなく死ぬだろ』といったコマンドを選んでも主人公は躊躇いなく実行し、命を落とすのです。ここまで来ると、『こいつこの城に自殺しに来たんじゃあ……』とすら思えてきます。
本作を象徴する死因が、刃物による自殺です。剣や槍などの刃物を自分に対して使うと、何故か躊躇いなく心臓目掛けてぶっ刺し、死に至るというものです。
アイテムの中には自分に対して使うときちんと身に付けてくれるものもあるので、余計に陥りやすい罠と言えます。そりゃあ刃物を自分に使う、とストレートに言葉にすると、そうなるのも解りますが……。
もう一つ本作を象徴する、かつ初プレイで見る人が多いと思われる死因に松明切れがあります。本作は実はコマンドを実行出来る回数に限りがあり、その寿命はアイテム一覧の上にある火の点いた松明で表されます。
コマンドを実行していくと松明の火がだんだん小さくなり、やがて消えてしまいます。延命するには城内の至る所にある未使用の松明を回収し、完全に火が消える前に新しい松明に火を点ければいいのですが……。
もし火が完全に消えてしまうと、主人公は狼狽して足を滑らせ頭を打ち、そのまま息絶えてしまいます。……例えそれが屋外であっても。初プレイ時このコマンドの回数制限を知らず、敢えなく火が消え頭をぶつけて死亡した人は数多いと思われます。
なおこの松明の火も実は立派なアイテム扱いであり、使う事で松明以外にも色々なものに火を点ける事が出来ます。この火を使わなければ手に入らない必須アイテムも多く、知らないと途中で詰まる事になります。
本作をバカゲーたらしめている理由がもう一つあります。それは本作のローカライズ担当の、独特の言語センスです。
原作パソコンゲームが事実のみを述べた簡素な文章になっているのに対し、本作は主人公が詩的な表現をふんだんに盛り込みながら一人称で逐一状況を解説してくれます。これだけでも面白ポイントなのですが、その突出したセンスが特に発揮されるのが件の死亡時。
本作では死亡する度に『主人公が詩的表現を交えながら自分の死んでいく様を事細かに解説する』という状況が生まれ、そうして語られるどんな死に様も最後は必ず締めに入る今回のエッセイ冒頭の言葉で済まされるという大変シュールな事になっているのです。このゲームオーバー時に出てくる死神の絵がやたらと気合が入っているのも、更なる笑いを誘います。
こんな有り様なので、プレイヤーの中にはわざと主人公を死なせてその辞世の句を楽しむ人まで出る始末。はい、筆者の事です。
辞世の句以外にも、自分を調べると『わたしこそしんのゆうしゃだ!』と表示されるなどツッコミどころには事欠きません。しかもこのしんのゆうしゃ、これだけ大きな口を叩いているのにいざ魔物を見るとどんな魔物でもとりあえず一通りビビるレベルの気の小ささだからもう……。
そんな本作ですが、あらゆる行動が死に繋がるだけありアドベンチャーゲームとしての難易度は高めです。ヒントらしいヒントもあまりなく、どこで何をすればいいのか迷ってしまいがちです。
手に入るアイテムは種類は豊富ですが大半は何の効果もないダミーアイテムで、本当に必要なアイテムが何なのか見極めるのも一苦労。隠されたアイテムや入手に苦労するアイテムは重要などの法則は一応ありますが、その辺にポンと置いてあるアイテムがクリアに必須、なんて事もあるので……。
またいつでもセーブが出来、例え死んでも死ぬ直前の状態から再開出来るなど一見易しく感じる本作ですが、少なからず『詰み』パターンも存在し、その状態でセーブするとそのデータではどう頑張ってもクリアは出来なくなってしまいます。そうなってしまうと最初からやり直すしかないので、特に消耗品の管理はくれぐれもしっかりと行いましょう。
本来はバカゲーではなかった筈なのに、ファミコンユーザーには馴染みの薄い仕様と尖ったセンスのローカライズによりバカゲーとしての地位を不動のものにしてしまった本作。けれどもその難易度は本物なので、軽い気持ちで挑むと後悔するかもしれませんよ?
とりあえず、今回はこれにて。




