第百二夜 ダークハーフ
一つ、ゲームの話でもしようか。
魔王。大抵の物語では悪役であり、倒すべき相手です。
しかし一口に魔王と言ってもタイプは千差万別で、自分以外は全て虫けら、世界を手中に収める為ならどんな悪事も平気で行う極悪非道な魔王や敵ながらに確固たる自分の正義を持ち、主義主張の違いから戦わざるを得ないダークヒーロー的な魔王など、主人公と対峙する理由一つとっても実に様々な魔王が存在します。彼らに共通しているのはどんなタイプであれカリスマに溢れ威厳に満ちているという点で、乗り越えるべき敵という立ち位置に相応しいキャラクターである事が求められていると言えます。
敵でありながら魅力的。そんな魔王に心惹かれる読者やユーザーも少なくなく、時には下手な味方側のキャラクターよりも人気が出たりします。
その為か最近では魔王が主役というラノベやゲームも増えてきて、主役という立ち位置を得た事でまた新たな魔王像が生み出される事となりました。ラノベは本当に大量にあるので紹介は省きますが、ゲームだと有名どころは日本一ソフトウェアの「魔界戦記ディスガイア」辺りでしょうか。
ところが今を遡る事二十年以上前。時代の先駆けとなるような、魔王を主役にしたゲームが既に存在していたのです。
その名は「ダークハーフ」。さあ、魔王となり破壊の旅へと出掛けましょう。
本作はスーパーファミコン全盛期、旧エニックス、現スクウェアエニックスから発売されたRPGです。ここでエニックス?と思った方は鋭い。
実は筆者、数日前まで本作を持っている事も本作がエニックスから発売していた事もまるっと忘れておりました。全くもって面目ない。
気を取り直してストーリーの紹介いきます。千年前、英雄神ローダと六人の聖騎士達の手によって封印された魔王ルキュ。そのルキュが復活しようとしているという噂を聞き付け、勇敢な傭兵ファルコは弟分のホセを連れルキュが封印されている『魔王の頂』へと向かう。途中で恐怖に怖気付いたホセを残し、一人魔王の頂に辿り着くファルコ。しかしその時ファルコの目の前で封印は破れ、ルキュは現世に復活を果たす。そしてファルコはルキュの復活に巻き込まれ、その場で命を落としてしまう――。復活したルキュは『七日のうちに世界を滅ぼす』と宣言し、更に自らを封印したローダと六人の聖騎士の行方を三人の配下に探させる。一方死んだ筈のファルコは、故郷のザガートで目を覚ましていた。その手に謎の鏡を持って……と、本作のストーリーはこんな感じになっています。
本作では二人の主人公、ルキュとファルコのストーリーを交互にプレイしていく事になります。基本的にはルキュ編で人間を蹂躙してファルコ編でその跡地に訪れるという流れが多く、ルキュ編で築いた屍の山はファルコ編でもバッチリ残り自分のした事を再認識させてくれます。
まず本作を語る上で外せないのが、ソウルパワーの存在です。ソウルパワーとは本作において生物が現世に存在する為の力で、HPとはまた別に設定されているものです。
ルキュ、ファルコ両者共に、フィールドやダンジョンを歩いているとソウルパワーが徐々に減っていきます。もし移動中にソウルパワーが尽きてしまうと、どんなにHPが残っていてもゲームオーバーになってしまいます。
ソウルパワーを回復する手段は幾つかあり、モンスターを倒す、各種アイテムの元となるファティアという錬石をソウルパワーに変換する、セーブポイントでセーブをするなどでソウルパワーは回復します。但し本作のセーブポイントは一度セーブをすると消滅してしまう為、セーブのタイミングはよく考える必要があります。
またルキュのみに可能な回復手段に、人間を襲いソウルパワーを奪うというものがあります。ソウルパワーを奪われた人間は屍と化し、二度と復活する事はありません。
この時奪えるソウルパワー、老人は量が少なく子供は大量と地味に生々しいものがあります。直前のルキュと犠牲者の会話はなかなか見物で、これを見たさについつい人間狩りに走ってしまったりも……。
ちなみにファルコ側でお世話になる施設の人間でも容赦なく狩れてしまうので、ルキュになりきって人間皆殺しに走るかファルコ側の事も考え施設の人間だけは残しておくかは人によってプレイスタイルが分かれるところだと思います。一応どちらを選んでも詰まない作りにはなっているので、どちらのプレイに重きを置くかで決めると良いでしょう。
ソウルパワーはただ溜め込むだけではなく、任意での消費も出来ます。ルキュ側は攻撃の際必ずソウルパワーを消費しますし、ファルコ側は前述のファティアをソウルパワーを消費する事で生み出す事が出来ます。
移動には支障がないようにしつつ、上手くソウルパワーをやりくりしていきましょう。ソウルパワーとの上手な付き合いは、本作のクリアを目指すに当たって最も重要な事なのですから。
ルキュもファルコもモンスターを倒しながら進んでいくのに違いはありませんが、ルキュは二日目から『ダークゲート』という魔法を使ってモンスターを仲間に引き入れる事が出来るようになります。仲間になったモンスターはルキュの手足となって動き、命尽きるまで戦い続けます。
各モンスターにはサイズがあり、Sサイズのモンスターは最大四体まで仲間に出来ますが、Lサイズのモンスターは枠を二枠分消費する為最大二体までしか仲間に出来ません。モンスターを引き入れる際はこの辺りも計算に入れて考えないと、却ってピンチを招く事になってしまいます。
モンスターを引き入れるメリットは、戦力の充実だけではありません。モンスターを仲間にする事により、そのモンスターの持っていた魔法をルキュもまた覚える事が出来るのです。
この為新しいモンスターを見かけたら、まずダークゲートで仲間にするのがセオリーとなります。ルキュの魔法を充実させる事は、そのままルキュの生存確率にも繋がります。
なお仲間にしたモンスター達はAIで自動的に動き、直接命令は下せません。この為時には思うように仲間が動いてくれず、歯痒い思いをする事も……。
一方のファルコ側は、二人の固定メンバー+任意で雇う傭兵の編成で進んでいきます。固定メンバーのうち一人は中盤加入な為、それまでは傭兵を除けば二人でモンスターと戦っていく事になります。
ファルコはルキュとは対照的に直接攻撃一本のキャラで、魔法は使えません。代わりに二人の固定メンバーが魔法を使い、そんなファルコをサポートしていきます。
二人の固定メンバーが魔法を使うにはルキュのようなソウルパワー消費ではなく、魔導書が必要になります。魔導書はファティアと交換する、ダンジョンの宝箱から入手する、モンスターが落とすなどによって入手出来、持っている魔導書の数だけその魔法を使う事が出来ます。
なお雇った傭兵はルキュ編の仲間モンスターと同じくAI行動で、こちらから操作出来るのはファルコと固定メンバー二人の三人のみとなります。中には魔法を使う傭兵もいますが、自分の魔導書を使っているらしく手持ちの魔導書が勝手に減る事はありません。
本作ではルキュ編では宝箱は一切入手出来ず、入手出来るのはファルコ編のみとなります。宝箱は罠に囲まれた意地悪な配置の中にある事が多く、そういう意味では宝箱を無視してひたすら先に進めばいいルキュ編よりファルコ編の方が難易度は高いと言えます。
更に攻略上ファルコ編で行く必要のないダンジョンに限って、宝箱が沢山あったり……。己の欲に従うか余計な寄り道はせずソウルパワーを節約するか、ここもプレイスタイルが分かれそうなところです。
またルキュが殺した屍をファルコで調べると、『希望の光』というアイテムが手に入る事があります。これはエンディング分岐に関わるアイテムで、ファルコ編でどれだけ希望の光を手に入れられたかでエンディングの内容が変わってくるのです。
なのでルキュ編でガンガン人間を殺す事こそが、より良いエンディングを迎える一番の近道になるという……。もっとも希望の光が手に入る以外にも、何もなかったりそれ以外のアイテムが手に入ったり、運が悪ければ屍がモンスター化して襲ってきたりするのですが。
W主人公の一人とは言え魔王を主人公としたストーリー、世界を救った筈の聖騎士達の現在の姿とその末路などダークな雰囲気は大変筆者好みなのですが、ソウルパワー周りを始めとした独特過ぎるシステムはかなり人を選ぶものであると思います。たまにはちょっと骨太で硬派なRPGがしてみたい、そういった方にはピッタリな作品なのではないでしょうか。
とりあえず、今回はこれにて。




