迷宮の解放 07
三人は泉を囲む森をぐるりと歩いてみた。ロムがいた場所から時計回りに歩くと他の冒険者がどの辺りにいたかだいたい見当がつく。下草を広範囲に踏み荒らしているのはジュリーたち三人で間違いない。後をだどりやすいこの跡から追っていくことにした。しばらく行くと、あとの二人と合流しているようだ。そこから先はそれまでと違って痕跡が判りにくくなっている。
何かを追跡していたのだろうか?
ロムは、二人を残して森の奥に分け入っていく。時々二人が視認できることを確認しながら探索を続けると、獣道らしきものがあった。この道を通るのはどうも四つ足の獣とは違うようだ。丹念に調べたいところだが彼にはそんなスキルはない。他の二人ならどうだろうか? 多分自分と大差ないだろう。こういったスキルはサスケの独壇場といっても過言ではない。時間を測るすべのない今はいつどうなるか判らないと見切りをつけ、彼は二人の元へ戻ることにした。
「何か見つけたんだな?」
ヒビキが声を潜めて問いかける。
ロムは頷いて見たままを説明する。
「なるほど、その獣道を通る何かを見つけて跡を追ったと見て間違いないな」
「どちらを追います?」
「どちらって?」
レイナがロムの質問の意図が判らず問いかけるのに答えたのはヒビキである。
「確実に後を追えるのは獣道の方なんだ。けど、その何かこちらが見つかる可能性も高くなる」
「遭遇ってやつだ」
「わかった。その『何か』の行先を追うのか、それともお兄ちゃんたちがどこにいったかを突き止めるか? って選択だね」
「そういうこと」
「じゃあ、私はお兄ちゃんたちの後を追うのに一票」
即断即決は、彼女がこの世界に閉じ込められてから身についたものだった。
最初に集められた人たちはレイナもそうだが、何が何だか状況が飲み込めないままに生きていくしかなかった。そのうち様々な場面で決断を迫られる。最初のうちは話し合いで決めることにしていたが、議論慣れしていない日本人には合議が難しい。それぞれに特に主張もなく、誰も責任を取りたくないことも相まって事なかれ・現状維持論が主流となり問題が先延ばしになった末に不本意な状況に陥ることが続いた。
やがて、自称元軍人という日系アメリカ人が来て少し状況が変わる。彼がリーダーシップを取ることでほんの僅かだが事態が好転したのだ。しかし、彼はすぐに独断専横になり、ついには何人かを連れ立って南門へ向けて探検したかと思うと町の住人に見えるところで人造人間に全滅させられた。
街の自治が本格的に機能し始めたのはタニが話し合いを主導するようになってからだ。彼は、問題解決に必要な情報を提示させてから議論を始めた。「問題に対してどうするか?」の前に「何がどう問題で何が求められているか?」を明確にすることから始めたのだ。最古参住人として常に話し合いに参加していたレイナは必然的に情報収集と分析能力を身につけ、無意識に近いレベルで決断を下すことができるようになったのだ。その能力こそが華奢で非力な少女を街で五指に入る戦士たらしめている。
「じゃあ俺もそれに賛成しよう。途中で別の何かに遭遇している可能性もある。行った先で彼らに会えないんじゃ意味がない」
「そうだな」
意見が一致し、三人はジュリーたちの足跡を追うことにした。
五人で進んだはずの道は一本の細い獣道として確かに残っている。方行的には泉から遠ざかるように続いている。いつ頃通ったのかは判らないが、なるほどこの鬱蒼とした森を草木をかき分けながら泉から遠ざかるように移動していたのならあの悲鳴に気づかなかったのも頷ける。人工的な森には動物の気配が全くなく、わさわさと茂みをかき分ける音だけが彼らを包む。
五分くらい歩いただろうか? 不意な何かの音が聞こえた気がしたヒビキが立ち止まる。
「何か聞こえなかったか?」
二人も立ち止まり耳を澄ますと、確かに音が聞こえる。
「この先ですね。話し声じゃない。戦闘とも違う。なんだろ?」
「でも、人の立てる音っぽい」
「うん。道具を使う音だ」
三人は姿勢を低くして茂みに隠れるように進む。茂みは唐突に終わり、開けた場所には洋館が建っていた。
ロムとヒビキはさすがに武道家だ。気配を殺して何事もなかったかのようだった。しかし、レイナの気配が揺らぐ。さっと緊張して周りの空気がピリッとするのを二人は感じた。ヒビキとロムはちらりと視線を交わして頷きあう。付き合いの長さではない。格闘の達人同士の信頼感からくるアイコンタクトだ。
「レイナ、こっち」
ヒビキが耳元で囁き、彼女たちは元来た道を少し戻る。
「どうしたんですか?」
「うん。……その、なんだ……」
ヒビキの歯切れの悪い受け答えの意味がレイナには理解できない。ロムはレイナに顔を近づけ無垢な瞳を覗き込む。
「『気』って判るかい?」
「……殺気のこと?」
見つめられたことにドギマギするレイナは、目を泳がせながら答える。
「コボルドやオークが戦闘で放つ殺気もそうだけど、生き物の気配全般のことだよ」
「それがどうしたの?」
「ある程度戦闘慣れすると敵の殺気を感じることができるようになるのは体感してると思うけど、本格的に修行すると、殺気以外の気も感じ取れるようになるんだ」
「アニメのキャラみたいに?」
「そういうこと」
「それがどうしたの?」
その問いにはヒビキが答える。
「レイナの気がはっきり変わったんだよ」
実際にはそこまで極端な変化ではなかった。しかし、二人にはその緊張感・心の揺らぎがはっきり感じ取れたのは事実である。
「洋館には複数の人の気配がする。怪物じゃない、人間の気配なんだ」
そう言われたレイナの気が再び変化した。一連の極限状況で研ぎ澄まされている二人の感覚はその領域にまで入り込んでいるのだ。二人は自分たちが到達したレベルが二人だけのものであるはずがない。他にもいるだろうという前提でこの先に対処しようと判断したのだ。
「レイナ」
と、ヒビキが覚悟を促す。
「私たちのように修行したことのないレイナに無理なお願いなのは百も承知なんだけど、平静で居続けて。自然体でいいんだ」
自然体。
(それが一番難しいことだろうに)と。ロムは心の中で苦笑する。もちろん顔や態度に出すほど未熟ではない。
「わ、わかった。頑張ってみる」
「頑張っちゃダメなんだ」
真剣な顔でレイナに自然体の極意を説こうとするヒビキを止めてロムが言う。
「俺たちがついてるから大丈夫だけどね」
その一言でレイナの気配が穏やかになる。ヒビキには全幅の信頼を置いている。戦闘だけでなく、公私ともに助けてもらったこれまでに培ってきた結びつきは伊達ではない。付き合いと言えるほどの関係性はないが、ロムのこともまた信頼している。エクスポでのさりげないサポートは彼女の心に強く焼き付いている。あの日、連れ去られるレイナに最後に手を差し伸べてくれたのもロムだった。
(彼なら助けてくれる)
そんな根拠のない希望があの街で過ごした三年近い日々を支えていたのだ。その思いはいつしかほのかな恋心に変わり、理想の男性像が投影された想像の中のロムはよく「そんな王子様みたいな男はいないよ」とヒビキたちにからかわれたものだ。自分でも「そうだよね」と言えるほど乙女すぎる夢想だと思ってた。しかし、どうだ? 多少のギャップはあれど、幻滅するどころかますます好きになる。いや、改めて現実のロムのことが好きになった。そんな彼がヒビキとの複数形ではあったが「ついているから大丈夫」と言ってくれたのだ。恋する乙女にこれ以上の言葉はない。
レイナは二度三度と深呼吸を繰り返す。やがて落ち着いたのを確認したヒビキが出発を促し、三人は洋館へと向かう。
綺麗に刈り揃えられた芝生の広がる前にははなんの遮蔽物もない。洋館の外に人の気配がないことを確認しつつも慎重に進む三人が玄関の前に辿り着く。改めて洋館を見ると多分に日本的な装飾が施されたアール・デコ調の外見三階建ての洋館だ。直線的な造形の中に花鳥風月をモチーフとしたレリーフが見られる。そのくせ真鍮製のドアノッカーはライオンと言うベタさ加減。同じく真鍮製の取っ手のようなドアノブを回すと、ロムの思った通り鍵はかかっていない。
両開きの扉は軋みもなく開く。
エントランスは吹き抜け、豪華なシャンデリアから降り注ぐ光は電球色で温かみがある。床は大理石が敷き詰められている。正面には赤絨毯敷の階段があって踊り場から左右に折り返すように二階へと続いている。扉の向かって左に外套掛け、右手には観葉植物が飾られていてさしずめニューヨークのホテルのようだ。
ロムとヒビキは目を閉じて神経を研ぎ澄ます。上の階の状況は判らない。しかし、一階なら建物の構造は判らなくともどっちの方向に人の気配があるかくらいなら判る。
「結構多いな……」
「五、六?」
「や、もっといますよ」
流石に漫画などのように正確な人数や位置関係が判るような訳にはいかない。それでも気質が和やかなのは感じ取れる。
(しかし……)
と、ロムは一抹の不安を覚えていた。
全体としては和やかな気が集まっているのだが、その奥に冷たい緊張感が隠れている気がしてならないのだ。取り越し苦労ならいいがとヒビキを伺うと、彼女もまた表情にわずかな険が現れている。ロムはこちらを向いたヒビキに唇を引き結ぶことでレイナに判らせないよう意思を伝えた。わずかに鼻で笑って見せたヒビキは、ほぅと息を吐くと先を促す。
廊下を通り人の気配のない扉を無視して問題の扉の前に立つ。ここまでくればレイナにも中に複数の人がいることがはっきり判る。二人にはもっと様々な情報が伝わっていた。ロムは扉を三度叩き《ノックして》おもむろに開いた。
話をレイナたちが襲われる少し前に遡ろう。
二人が沐浴するというので男たちが泉から離れて森の中に入った頃だ。戦闘に自信の無い三人は固まって森の中へ入った。森の植生は広葉樹で本来なら葉が落ちていなければいけないはずの季節にも関わらず、青々と繁っている。下草は芝だろう。泉の周りは十分の一に縮小されたものだったがこの辺りは原寸のものらしく、今の彼らの胸ほどに伸びている。
「これからどうする?」
ジュリーがゼンに訊ねる。
「森を探検する以外にはありませんけど?」
「そうだよなぁ。この森どれくらいの規模なんだろうか」
「それは測りかねますが、地下空間であることに変わりありませんし、通ってきたダンジョン以上に広がっていないと期待したいですね」
「それでも広いなぁ……」
と、続きを言いかけた時「しっ!」とサスケが覆面越しに口に人差し指を当て注意を促してきた。
さっと緊張する二人は、サスケの指差す方向に『人』を発見した。
茂みに見え隠れして男性二人であるとしかわからないが、あれは確かに人間である。三人は一度茂みの中に屈み込み互いに目配せして意思を確認し合う。
「我々だけでは心細いです。他のメンバーと合流しましょう」
三人は、見失わないように気をつけながらも、彼らの後を追いつつ、仲間との合流を模索する。
進行方向から行ってロムとの合流は難しい。進んだ先にはクロがいたはずとゼンが言う。
慌ててわさわさと移動した三人だが、すぐにこのままでは気がつかれてしまう可能性が高いと、サスケ、ジュリー、ゼンの順に一列になってなるべく静かに踏み荒さないようにサスケとジュリーが男たちを見張り、ゼンがクロを探して森の茂みの中を進む。
「いました」
と、ゼンがジュリーの肩をたたく。クロを発見したのだ。ジュリーは無言で頷くと、クロの元へ移動する。
「クロさん」
小声で呼びかけられたクロは何かを感じてくれたらしく「ん?」と一言呟いただけでこちらの発言を待っている。
「二人組の男を発見しました。今、尾行しているんですが、オレたちだけじゃ心細いんで一緒に来てもらえますか?」
「わかった、念のためコーも連れて行こう」
そう判断したのは、ひとまず何事もなさそうな泉周辺と何が起こるか判らない行き先との勘案の結果だったのだろう。
「ここで待っていてくれ」
と、茂みをかき分け一分と経たないうちにコーを連れて戻ってきた。
「二人組を発見したって?」
「ええ」
コーたちを先導する形でサスケたちの後を追うジュリーは、道行きの時間を使ってあらましを説明する。やがて注意深く見れば前方に背の高いサスケの黒装束が見え隠れするのが確認できて、心持ち足を早める。
合流した三人は二人組を確認し、無言で彼らを尾行する。ほどなくして森の中にひらけた場所があり、三階建アール・デコ建築の洋館が現れた。尾行していた男たちはその中に入っていく。
安全のため、洋館から少し離れた森の中まで戻った彼らは話し合う。
アール・デコは二十世紀前半に流行した装飾美術だ。彼らが閉じ込められた産業革命前夜の近世ヨーロッパ建築を模した街の建築物とは一世紀ほど隔たりがある。その中に入っていく男たちの服装も彼らのものとは出来が違って、遠目に見ても工業製品然とした仕立てになっていた。
「どうする?」
「どうするもこうするも『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だろ?」
「コーさん、単純すぎます」
「ったって、行かない選択肢はないだろ」
「ありますよ、一旦戻るって選択肢が」
「ああ」
「でもよ、結局行くしかないんだろ?」
と、ジュリーが言う。
「行くにしてもどういうアプローチでいくかを話し合うってことだろう?」
クロに言われてコーとジュリーはなるほどと合点顔をする。
「大きな洋館でござる。二人で住んでいるとは拙者には思えぬ」
「ああ、その意見にはオレも賛成するよ」
「確かに二、三人で住んでるなんてなったら毎日掃除で終わりそうだ」
「何を言ってるんですか、ジュリーは」
「ん? 何かおかしなこと言ったか?」
「議論の本筋から外れてるんです」
「ああ、すまないな」
「ゼンはどうすべきだと思う」
クロが意見を聞いてくる。ゼンは例の仕草をしながらぶつぶつと声に出して頭の中の整理をし始めた。
「TRPG的には様子を伺いつつぐるりと洋館の周りを回って情報を集めるところですね。しかし、中に人がいることが確実な状況でそんなことをしているこちらに気付かれるのは、相手が敵にしろ味方にしろ心証が悪くなりますから実際の状況としては、得策ではありません。一旦戻ってヒビキさんたちと合流するのは……どうでしょう?」
「面倒だから正面から行こうぜ」
と、主張したのはジュリーである。
「オレもその意見に賛成だな。仮に敵だったとしても人間同士だ。見たところ問答無用タイプとも思えなかったぜ」
「人は見かけによりませんよ?」
「まぁ、最後まで言わせろよ。もし味方だったとしたら、コソコソしている俺たちを信頼してくれるか?」
浅見洸汰はウルトラマン俳優である。キャスティングの理由をプロデューサーは「何が正義かわからない時代に少し単純なくらいポジティブで明快な答えを出してきた彼にウルトラマンという作品の本質を見た。彼なら新しくも伝統的なウルトラマンを子供達に提示してくれると思った」と語っている。彼は根っからのヒーローなのだ。人を信じているのだろう。
同じ番組に地球防衛隊の隊長役で共演したクロは撮影中の彼を思い出しながらそのどこまでも青臭い性善説を恥ずかしげもなく大上段から語る姿を好ましく思いながら苦笑する。
「何がおかしいんすか?」
「いや、今回はコーの提案に乗ろう。正面から彼らに面会だ」
一決すると、先頭きって洋館に向かう。ライオンを模したドアノッカーを二度叩くとしばらくして先ほどまで彼らが後をつけていた男の一人が出迎える。
「あ」
彼はちょっと驚いて彼らを見回した後、館の中に招き入れてくれた。
中は三階までの吹き抜けとなったエントランス。天井には電灯色のシャンデリアが飾られ、第二石が敷き詰められた作りになっている。
「少々お待ちを」
と、案内されたのは応接室だろう。程なく戻ってきた彼の後から先ほどの二人組のもう一人と彼らより少し年配の男が二人入ってきた。
「ようこそ、勇敢なる冒険者諸君」




