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迷宮の解放 06

 通路は一本道でアップダウンを繰り返していた。

 サスケの測量が正しければ、第一階層と同レベルまで上がっている。つまり地下三階がいつの間にか地下一階になっているという状況だ。複雑に入り組んだ長い通路を歩くのは、ここまで第三階層では一度も敵に出会ってはいな意とはいえなかなか体力的にも精神的にも疲労がたまる。時折罠(トラップ)が仕掛けられていたのが精神をすり減らすのに一役買っている。

 冒険者の喉が乾き始め誰とはなしに焦り始めた頃、唐突に階段が現れた。

 冒険者は互いに顔を見合わせ無言で頷きあうと、階段をのぼる。

 マンホールのような扉を上に押し上げ先頭のコーが顔を出すと、そこには清らかな湧き水をたたえた泉を囲む緑豊かな森があった。気温は心持ち暖かく、初夏のようだ。


「ロムの言った通りというか……それ以上のシチュエーションだな」


 ジュリーがつぶやく。


「ええ、私もダンジョンの中に部屋として設置されているものとばかり考えていましたが、やられましたね。憎い演出です」


 彼らはひとまず辺りを警戒しながら順に水を確保し、休憩を取ることにした。

 森は彼らのサイズに合わせて作られたジオラマだろうか。ロムが手近な木の幹に触れるとしっかりとした木の感触がある。手の届くあたりの枝を手繰り寄せるとしなやかにたわむ。


「これ、十分の一の木?」


 ゼンが近寄り、同じように木を触り、あれこれ調べる。


「縮小されたものというより盆栽的なものですね。人の手が加えられていることに変わりはありませんが」


「だとしたらすごい手間だぜ?」


 コーが傷だらけの体を手ぬぐいで拭きながら言う。


「ジオラマというより温室カーデニングでござるな」


「ここは安全圏という認識でいいんだろうか?」


 鎧を脱いで体を拭いているコーを見ながらクロがゼンに訊ねる。


「どうでしょうか? シナリオ的には一息ついた頃に何かしらイベントが発生する可能性も捨て切れませんが……」


「ふむ」


 クロは傷の手当ても兼ねて一人ずつ水浴びすることを提案した。

 コーがそろそろ終わる頃だった。次にジュリーが、その後はゼン、サスケ、シュウト、クロ、ロムの順で男性陣が体を拭き、残るはヒビキとレイナだけとなる。


「…………」


 気まずい沈黙の中、二人の女性は伏し目がちに互いの視線を送り合う。


「どうしたんだよ、早くしようぜ」


 と、コーが言えば


「コーさん、それはさすがにデリカシーがなさすぎですよ」


 と、ロムが突っ込む。


「ん? あー、そうだな」


 と、ややあって二人が躊躇う理由に思い至ったようでガシガシと頭を掻く。


「でも、いつまでもここにいるわけにいかないだろ?」


「それはそうだけど……」


 と、ヒビキも言ってはみたものの流石に踏ん切りがつかない様子だ。


「そうだな。少し離れるとしようか」


 クロの提案で男たちは泉から少し離れることにした。と言ってもいつ何に襲われるかわからない。いつでもすぐさま駆けつけることができる程度の距離に入ることになる。とりあえず彼らは泉のある開けたところから森の中へ少し入ることにした。

 残された二人は、彼らが一応視界にチラチラと見え隠れしているくらいのところに遠ざかったのを見計らって二人で泉に入ることにした。すでに各自が持ってきた水袋に水の確保はした。泉の水はひたるには少々冷たくはあったが、汚れを落とすのに手早く済ませるためだ。水の中に入れば遠くから覗かれてもマシだろうという考えもある。

 二人は返り血などで汚れた鎧や服を脱いでいく。

 ヒビキは腹筋がはっきり割れているなどアクション女優らしく筋肉質ではあるが、すらりと長い手足がその印象を薄めている。いつもはプロテクターに隠されている胸が意外と豊満だ。

 レイナの方はこちらもこの世界で長く戦士として戦っているだけあって均整のとれた魅力的な肢体だ。十代特有の瑞々しい張りのある肌が水を弾いている。彼女の胸も決して小さくはないがヒビキの隣では若干ボリューム的に見劣りするなと自分で見比べながらため息をつく。

 二人は軽く水を浴びて汚れを落とした後、泉に身をしずめる。

 お湯でないのが残念といえば残念ではあるが、天を仰げば人工とはいえ青い空が広がっている。空気は初夏のように爽やかで心地よい風が木々を揺らしている。二人は心が開放的になり気が緩んだというのか、すぐに上がるつもりで五分ほどその開放感に身を委ねてしまい、人の気配に気づくのが遅れた。


 森に悲鳴が響く。

 それも途中で口を塞がれたような声だった。

 時間つぶしに型稽古をしていたロムがすぐさま泉に向かうと、レイナがシュウトに押し倒されているところだった。彼は無言で駆け寄ると何も言わずにシュウトを蹴り上げる。

 不意を喰らったシュウトは外しかけのベルトを締め直し、蹴られて色の変わった脇腹をさすりながら攻撃範囲から距離を置き、ロムを睨みつけてきた。


「不意打ちとは随分と卑怯な真似するじゃねぇか」


「そういうお前は卑劣なようだが?」


 ざっと状況を確認すると泉の中で仰向けに気絶している全裸のヒビキ、襲われていたレイナは彼の後ろで泣いている。まだ他の仲間は到着していない。対峙するシュウトは戦利品のダガーを抜いて血走った目で睨んでいる。


「ヒビキさんを頼む」


 後ろを向かずにそれだけ言うと、ロムは棍を一度頭上で大きく振って構える。

 シュウトは舌打ちをすると、惜しげも無くダガーを投げつけてきた。かなり練習していたのだろうか? 狙いは確実にロムの胴を捉えていた。もっとも、それを避けられないロムではない。もちろんそれは織り込み済みのようで、本命は隙をついてモーニングスターを手に取ることだったようだ。

 攻撃範囲では棍を持つロムが、一撃の攻撃力ではモーニングスターを持つシュウトにアドバンテージがある。

 しばしの睨み合いがあり、シュウトが鉄球を振り回し始めると互いに泉から離れていく。


「オレはずっとテメェが気に食わなかったんだ」


「じゃあなぜ直接俺に言ってこない」


 その問いには、牽制の一撃で答えが返ってきた。射程の外からの牽制攻撃は避けるまでもない。力も乗っておらずすぐに手元に引き戻して鉄球を回す。シュウトの方でも下手に攻撃して避けられた時のリスクを考えてのことなのだろう。ロムの棒術をしっかり警戒しているようだった。

 そのまま数分間の睨み合いが続く。レイナは必死に自身を鼓舞してヒビキに近寄り、荷物の元まで移動する。

 埒が明かないと思ったロムが棍を手放し、徒手で構え直す。するとシュウトがニヤリと笑い、あろうことがモーニングスターそのものを投げつけてきた。と、同時にこちらに向かって走り出す。

 モーニングスターを難なく避けたロムは、次に来るだろう攻撃に備えていた。繰り出された拳を見切って避ける。何かがかすめた感触でチリリと右腕が痛むが、それに構っている暇はない。連続で繰り出されるパンチは大ぶりで軌道こそ読みやすいが、逆手に握り込まれたダガーの分の見切りが神経を使うのだ。テレホンパンチのラッシュなど避けること自体は難しくないが、避けているだけでは勝ち目がない。だから見切りで最小限に避けつつ反撃の機会を伺っているのだが、手数が多くてなかなかに余裕がない。とはいえ、無酸素運動の連打がそう長く続くはずもない。一方のロムが行なっている回避運動は有酸素運動に分類されている。


 一般に攻め疲れと呼ばれる現象がある。スポーツなどで一方的に攻撃している方が負けることが度々あることに対して言われるものだ。今の二人の状態がまさにそれで、攻撃が決まれば相手にダメージを与ることができるが決まらなければ攻め側の疲労がよりたまり、ガス欠を起こす。

 シュウトは攻撃が全然当たらないことによるフラストレーション。息が上がり、腕が上がらず足がついてこない肉体疲労からくる攻撃のブレと焦りに思考の鈍りを感じていた。


「当たれよ!」


 ついに吐き出すように叫んで大振りをかます。

 そんな隙をロムが見逃すはずはなかった。予備動作に前に出される膝に内側から蹴りを入れ、体制が崩れたところにみぞおちを狙って縦拳を叩き込む。そこから流れるようにダガーを握っている右の拳を左手で上から握ってアッパーカット。振り上げた腕で顔を掴むと足払いでそのまま仰向けに打ち倒す。

 すぐさま両手のダガーを蹴り飛ばし離れて様子を見ると、口から血を流しながらもゆらりとシュウトは立ち上がった。

 人は意外に強靭である。

 一度や二度殴られたくらいで気など失わない。ましてや頭に血が上った人間はアドレナリンの作用で痛みにも鈍感だ。しかし、互いに無手となったこの状況で日々稽古を怠らなかったロムがシュウトに劣ることなどあり得ない。力押しで殴りかかるシュウトを迎撃し、的確に急所に突きを繰り出し続ける。注意することがあるとすれば、絶妙なタイミングで織り交ぜてくる。目潰しの類などだが、今のロムにそれを卑怯だ反則だと思う感覚もない。十分の一世界で怪物たちの襲撃をかいくぐってきた。生き残るためにはどんなことでもするべきだと彼は思っている。命のやり取りを繰り返した彼は、全て織り込み済みで戦っているのだ。

 シュウトは完全に頭に血が上っていた。


 なぜ、オレの攻撃は当たらない。


 なぜ、こいつの攻撃はこんなに当たるのか。


 しかも、すべての攻撃が急所を狙ってくる。

 焦りは攻撃の精度をさらに落とし、的確に急所を狙われることに恐怖の感情が湧き上がる。今まで、人間相手の喧嘩ではほとんど一方的になぶってきた。怪物との戦闘だって勝ってきた。


 オレは強い。


 喧嘩ならクロとだって互角にやりあえる。


 そう思っていた。

 最初の不意打ちは確かに仕方ない。だが、この一連の攻防でこうも一方的になる理由が判らない。


 なぜ、こうなる?


 そのうち思考が鈍り、自分で何を考えているのかも判らなくなってきた。そして半ば無意識だったろう。彼はロムの顔を見た。その表情には感情がなかった。そう、怒りや憎しみどころか憐れみさえ浮かんでいなかったのだ。


 ただの作業だってのかよ……。


 それに気付かされたシュウトの中で何かが切れた。

 右のハンマーパンチに下突きを合わせる。もちろん鳩尾に。その感触はそれまでのものと違い力の入っていないもので、体の奥にドンと衝撃が入り込んだのが伝わってくる。耳元で短くうめき声が聞こえ、右拳にシュウトの体重がのしかかってきた。

 彼は、拳から力を抜く。シュウトの体がずるりと崩れ落ちる。


「ロム……」


 ヒビキがレイナの肩を借りて近づいてきた。

 二人とも洗いざらしの濡れた髪が色っぽい。


「あぁ……」


 と、ロムが横を向く。


「あっ……」


 と、レイナが顔を赤くして心持ちヒビキの後ろに隠れるような位置になる。


「ありがとう」


 と、ヒビキが手を差し出す。視線の向ける場所に困ったように目を泳がせながら、ロムはその手を握り返した。


「見られたかな?」


 そこは大人の女性ということか。敢えてそのに踏み込んでくる。


「あー……まぁ、じっくり見たつもりはないんだけど……その……うん」


「そうか。気を失っていた間のこととはいえ、そうとわかると恥ずかしいな、やっぱり」


 ちらりと伺ったヒビキの顔も少し赤い。化粧品の用意ができないこの世界では、誰もが素顔である。際立って整った顔立ちはまさに素顔でも別嬪(すっぴん)だ。そんなヒビキが恥じらえば大人の魅力の付加価値がつく。ましてちらりと一瞬だったとはいえ、一糸纏わぬ姿を見ているロムの脳裏にはチラチラとその姿が浮かぶ。

 小刻みにふるふると首を振り、頭の中からイメージを追い払うと、辺りを見回す。


「俺は悲鳴を聞いてここに来たわけだけど、他のメンバー誰も来てないね」


「ああ、ある意味ありがたいけど、どうしたんだろうね」


「……と、とりあえず。こいつ縛っとこうか」


 言葉の向こうにある意味で再びイメージが湧き上がるのを無理やり押さえ込んだロムは、ヒビキに手伝ってもらってシュウトを縛り上げる。


「レイナは大丈夫だったのか?」


 ヒビキに問いかけられたレイナは消え入りそうな声で「ひ……ロム……に助けてもらったから」と答える。


「そりゃよかったな」


 ヒビキはレイナの仕草でおおよそ察しがついたらしく、それ以上追求することはしなかった。


「それにしたって確かに他の連中はどうしたんだって話だよね」


「もうしばらく待って誰も来ないようなら、移動します?」


「そうしようか、ね? レイナ」


「え? うん。お任せで」


 三人は荷物を片付けて一箇所に集める。ジュリーたち三人は冒険者らしく荷物を持ったまま移動しているのでここにはない。クロとコーの荷物も毛布などキャンプ用具の類が置いてあるくらいで、武器や食料、応急セットなどは持って歩いているようだ。このあたりは流石と言えるかもしれない。


「なんだかんだでコーちゃんも冒険者だね」


「あいつはどうする?」


 移動するために荷物を振り分け終わった時、ロムがシュウトに顔を向けて言う。まだ意識を失ったままのようだ。


「ここは安全地帯のようだ。君たちが言っていたようにゲームの作法みたいなものに則っているんだとすればここに残していても大丈夫じゃないのか?」


「そうですかね?」


「人道的にどうかと自分自身思わなくもないが、たとえ怪物に襲われてもと思っているんだ」


「率直ですね」


「君はそう思わないのかい? ロム」


「一緒に居たくないってのには同意しますけどね」


「レイナはどう思う?」


「え?」


 ヒビキにふられて戸惑うレイナをおもんぱかってか、ロムが助け舟を出す。


「配慮不足ですよ。ヒビキさん」


「ああ、そうだな。レイナに聞くことじゃなかったかもしれない」


「縄はほどいておきましょう。最低限の良心として」


「武器はどうする?」


「まぁ、モーニングスターはこいつのもんですし、取り上げちゃうと怪物と戦えませんからね」


「案外お人好しだな、君は」


「何度やっても負ける気しませんし」


 さらりと言ってのけるロムを見て呵々と大笑しながら、ヒビキはレイナの腰を抱える。


「どう思う? レイナ。こんな男」


「ヒビキさん!?」


 慌てて抗議するレイナの仕草が年相応で、ロムはなぜかホッとした。

 初めて会った時からどちらかといえば控え目でおとなしい女の子だと思っていた。兄の友達とはいえ、男ばかりの中にいたのと初対面の自分に遠慮していたのもあるだろう。ただ、そんなところが自分知っている明け透けでともすればガラの悪い印象を与えてくる同年代の女の子たちとは違っていて新鮮と言うか、好ましいものという感慨があった。

 再会したレイナは過酷な環境によるものか、大人しいという印象以上に老成した印象があった。ヒビキや同居していたマユとのたわいない会話にも十代の少女というよりヒビキたちと同じ「お姉さん」の雰囲気みたいなものを感じていた。だから今目の前で十代の、思春期の少女らしいレイナに自身の恋心を刺激されていることを自覚する。


「実際どうだろう? レイナちゃん」


 などと笑いながらいうロムにレイナは顔を真っ赤にして拗ねてみせる。


「ヒロムくんまで……もう、知らない!」


(ヒロムくんときたか)


 と、思いつつヒビキはさらに意地悪したくなり、こう追い討ちをかけた。


「自分で聞いといてなんだけど、やめといたほうがいいぞ、レイナ。こいつなかなかの女たらしと見た」


「あ。ひどいな、ヒビキさん。コーさんに言いつけてやる」


「な、なんでコーなんだよ」


「え? だめですか?」


 この手の会話では芸能の世界にいながら思いの外スレていない恋愛に奥手なヒビキより確かにロムの方が一枚も二枚も上手なようだ。

 クロではなくコーを引き合いに出すことでジョークを装いつつしっかりと色恋の牽制をしてきた。


「行きましょ、ヒビキさん」


 しどろもどろになるヒビキに助け舟を出したのはことの発端とも言えるレイナだった。

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